すべての始まり
ロキと初めて会った時、真澄は黒髪青年のアバターを操作し、プレイヤー・ハートレスとして『パンデモニウム』のスタート地点である地下1階クリスタル・シティの中を歩いていた。
自動マップ作成機能を利用して、どこに何があるのかを調べていたのだ。
白い石造りの優雅な都市は入り組んだ構造で、時々思いがけないところに小さな店がある。
ハートレスは偶然見つけた店で、お遊びアイテムと思しき“ファントムの仮面”を購入。
顔の上半分を覆い隠してくれる飾り気のない白い仮面は、幸運+1というほぼ無意味なステータス補正しかなかったが、かぶるともう一枚の肌のようにしっくりと馴染み、どこかほっとした。
そうして仮面を装着し、落ち着いた足取りでクリスタル・シティの探索を続けたハートレスは、しばらくして狭い路地で自分よりすこし背の高い青年が向こうから歩いて来ることに気がついた。
白い髪の彼は、ハートレスが装着している仮面とまったく同じもので顔の上半分を隠している。
VR空間で自分の体となるアバターは、18歳以上であれば自由に外見の変更ができるため(VR規制法によって18歳未満の子どもは現実の自分と同じ姿のアバターしか使えない)、プレイヤーはカスタムできる範囲内で最も気に入る顔を作るから、こんなふうに仮面で隠したりはせずに堂々と見せるのが普通だ。
それなのにわざわざ仮面をかぶったプレイヤーが二人、めったに人の通りそうにない狭い路地で遭遇するのはとても珍しい。
しかし、彼らはどちらも挨拶ひとつしようとせず、お互い無言で相手を避けて路地を通り抜けようとした。
ハートレスは右に行こうとする。
が、白髪の仮面青年も同じ方向へ動いたので、彼らはぶつかる前に同時に止まり、今度は逆方向へ行こうとしてまた同時に動いた。
そしてハートレスは相手にぶつからないよう通り抜けるべく努力した結果、右左左右左右、と動きかけては止まるはめになり、どちらへ避けようとしても相手とぶつかりそうになってしまうという奇妙な現象に困惑した。
これではいつまでも先に進めない、と思って相手の出方を見ようと立ち止まると、これまた向こうも止まってしまう。
この異常なまでのシンクロ現象に戸惑っているのはどちらも一緒だ、とハートレスが感じた時、白髪の青年が言った。
「次は右に行く」
彼女はとっさに答えた。
「私は左へ」
その判断のおかしさに気づくよりも早く、ハートレスが自分にとっての左へ勢いよく足を進めた瞬間、こちらも自分にとっての右に進んだ相手の青年と思いきりドンッ! とぶつかった。
勢いあまってどちらも石畳の路上に尻餅をつき、お互いぽかんとして「あれ?」と仮面越しに視線を合わせる。
「あ、ごめんなさい。私も右に行かないといけなかったんだ」
ようやく理解して謝ったが、ハートレスはなんだかとてもおかしくて、久しぶりに声を上げて笑った。
「なんだろう、このシンクロ。双子みたい」
すると相手の青年も、つられたように笑いだした。
「ぼくもびっくりした。こんなの初めてだ」
彼らはしばらく狭い路地に座り込んだまま笑いあってから、立ち上がって自己紹介をして、一緒にクリスタル・シティを探検することにした。
それが彼、槍使いの戦士ロキとの出会い。
ハートレスは彼の提案で2人パーティを組み、サポートセンターで受けられるおつかい依頼をクリアして少額のお金を手に入れると、序盤の重要アイテム小回復薬を買って地下2階へ移動した。
地下1階はすべてクリスタル・シティというモンスターの出現しない安全領域なので、地下2階へ移動して草原フィールドへ出ると初めてのモンスター、キバウサギとの戦闘に挑戦。
さすがにR18という制限がかかっているだけあって、モンスターの動きも、大剣で切った時の手ごたえや血飛沫や、体力がゼロになって倒れたモンスターの死体も、おそろしくリアルだ。
しかしVR規制法によって嗅覚と味覚と痛覚への感覚接続は禁止されているため、うっかりモンスターに噛みつかれてもその部分が傷ついたように見えるだけで痛みはないし、断末魔の悲鳴は聞こえても血の匂いはしない。
それに、体力がゼロになって倒れたモンスターの死体は3秒経過するとぐずぐずと影にとけこむように消えるし、その上に「経験値取得:14」とか「アイテム取得:キバウサギの肉」などと空中に文字が表示されるので、リアルに見えてもゲームはゲームだ。
ちなみに戦闘で得られたアイテムは基本的にパーティ内でランダムに配られ(メンバー全員が承認すればリーダーが分配率を変更することが可能)、自動的にプレイヤーのカバンへ入れられるので、剥ぎ取ったり拾い集めたりする手間は無い。
ハートレスとロキはどちらもメインクラスが戦士で、しかも最初から不思議なほど息がぴったり合っていたため、戦闘に慣れると協力してモンスターを倒しながらどんどん先へ進んでいった。
そしてその道中、戦士のザックと魔法使いのシウと会い、一緒に行かないかと誘われて合流。
戦士3人に魔法使い1人というバランスの良いパーティが組めた上、ハートレスとロキが主戦力、シウが白魔法で補助と回復担当、ザックは後方でシウの護衛という役割分担も上手くいき、ひたすらに先へ進んでモンスターを倒し、次の階へ飛びこむという充実した1日を過ごした。
空になったディナースティックの包みとミネラルウォータのパックを部屋の壁の一部に組み込まれているダストボックスへ捨て、真澄はターミナルのモニタへ視線を戻す。
双子みたいにシンクロするロキと並んで戦うことがすごく楽しかったし、偶然パーティを組んだザックとシウというプレイヤーも親切でおもしろい人たちだった。
だから真澄は1日という短いベータ版テストプレイ中、彼らとずっと一緒に行動していて、感想は「すごく楽しかった。正式サービスが始まったらまた一緒に遊びたい」だ。
しかし攻略サイトのレビューにそんな自分の感想を書きたいとは思わないので、正式サービス開始まで残り5分になったところでサイトのウィンドウを閉じてトイレへ行った。
体に生理的欲求が発生すると戦闘中でもアラームが鳴って、VR空間から一時離脱しなければならなくなるので、済ませておかないと面倒だ。
部屋に戻るとサイドテーブルからリンク・ギアを取り、頭にかぶってベッドに横たわる。
真澄の体勢が安定したことを認識したリンク・ギアのナビゲート・システムが、中性的な声で訊いた。
《 VR空間へダイブしますか? 》
「はい」と答えると、めまいを起こしたような浮遊感の後、どこかへ沈んでいくような感覚とともに薄暗かった視界が一転して明るくなった。
いつの間にか真澄は白い部屋でイスに座っていて、目の前にはグランドピアノが置かれている。
現実世界の体はベッドで眠っているような状態になり、意識だけがリンク・ギアによってVR空間へ移動したのだ。
リンク・ギアは使用者の感覚が正常に接続されているかどうか確認するため、ピアノのキーを3つ点滅させ、真澄にそれを押して音を鳴らすよう指示した。
細い指が「レ」「ミ」「ラ」とグランドピアノのキーを押すと、やわらかな音が響いて確認は終了。
《 当機は現在『夢幻工房』とリンクしています。『夢幻工房』は本日19時よりVRMMORPG『パンデモニウム』の正式サービスを開始しました。ログインしますか? 》
また「はい」と答えると、グランドピアノが消えてひとつの確認メッセージが目の前に浮かんだ。
『パンデモニウム』は世界中どこからでもログイン可能なゲームであるため、システムに自動翻訳機能が組み込まれている。
しかし、皆がばらばらの言語を使って自動翻訳機能に頼った会話をしようとすると、ニュアンスの違いや翻訳の誤りによって適切な会話ができなくなる可能性があるので、ゲーム内では共通言語を使用することに同意せよ、というものだ。
真澄が手を伸ばして「同意します」のボタンに触れると、白い部屋から再び景色が変わった。
そこはにぎやかな都市の中央にある、巨大なクリスタルが浮かぶ石畳の広場。
18歳の女子大学生、東城真澄はもういない。
穏やかな女性の声でシステムが言った。
《 VRMMORPG『パンデモニウム』へようこそ。 》
遥か天上から降るように響くその言葉を浴びるのは、大迷宮『パンデモニウム』へ挑むべく地下1階、始まりの都市クリスタル・シティに降り立った大剣使いの戦士。
ハートレス。