エディの目標
東の空から太陽が昇り、世界が鮮やかなオレンジ色の曙光に照らされる中。
ハートレスは名も知らないプレイヤー達からシウ経由でもらったキバウサギの肉を使い、ステーキを作っていた。
ボンッ! ともはや見慣れた黒煙が立ち上り、ピコンと音がして「生産スキル〈調理レベル3〉失敗:焦げた肉・取得」というメッセージが浮かぶ。
レベルが3になっても成功確率はほとんど上がらず、ハートレスのカバンには「焦げた肉:焼きすぎて半分炭化した肉。とても苦く、食べると体力が減る。一部のモンスターの好物」というアイテムがたまっていた。
(完全なゴミアイテムじゃなくて良かった。そのうちこれが好物のモンスターを隷獣にできたら、食べさせてみよう)
美味しいステーキを作るためなら地道な作業も苦ではない。
というよりRPGのゲームはたいていどこかで地道な作業をしなければならないので、VRMMORPGである『パンデモニウム』を選んで遊んでいるハートレスは、もとから一人でできる地道な作業は好きな方だ。
そこへふと、辺りの警戒をリドに任せてザックとエディを起こしていたシウが、何かを思い出したように声をあげた。
「あ。そういえば〈調理〉はサブクラスが調合師の場合、プラス補正がつくはず」
ハートレスは固まった。
確かにどこかでそんな説明を読んだ気がするが、レシピを取得したのも野外調理器具を買ったのも自分だったので、当たり前のように〈調理〉していた。
しかし彼女のサブクラスは魔獣使いだ。
リアルなモンスターを従えることができるクラスということに惹かれて選んだのだが、それは万魔殿がデスゲーム化して全感覚が接続される前のこと。
そしてこの世界の料理の美味しさを知る前のこと。
ハートレスはどうしようかと考えて、今はシウの指示に従うと約束したことを思い出し、訊いた。
「私、転職する?」
「え、ちょっと待って。そこはオレの出番じゃないっスか?」
エディは起きたばかりだったが、シウの言葉は聞こえていた。
初めてきた出番のような気がして、ぱっと起きあがる。
「マスター、オレ〈調理〉のスキル上げるっす! 調合師のレベル5になってるし、もしかしたらウマいの作れるかも!」
「朝っぱらから騒ぐんじゃねぇ」と隣で起きあがったザックがうなるように言ったので、エディはびくっとしたものの、今度は叫ばず主張した。
「オレ、マスターのご飯係になるっす」
そこでシェフや料理人という言葉が出てこないのがエディだ。
そしてそれを聞いたハートレスとエディ以外のパーティメンバーの頭の中で、「ご飯係」は「エサ係」という言葉に変換されて響いた。
彼女を主戦力としてパーティを維持していくには確かに必要だろうと思うが、それを目指すと決意してこぶしを握るエディに、どうにも脱力のため息がこぼれる。
ゲームマスターを倒したら賞金100億が手に入る、と言われたデスゲームで、お前が目指すものは「エサ係」なのかと。
しかしハートレスは驚きながらも言われた言葉をそのまま受け取り、おそるおそる訊いた。
「じゃあ、今度シティかタウンに行ったら、ステーキ10皿食べてくれる?」
「もちろん! いっぱい食べてレシピ取って作るっす!」
ついうっかり叫んでしまったので、だからうるさいんだお前は、とザックに鞘へおさめられた片手剣で軽く殴られ、エディは体勢を崩してずしゃっと転がりながらも笑顔で「がんばるぞー」とはしゃぐ。
その無邪気な姿に、ハートレスは唇に微笑みを浮かべているように見えた。
彼らのやりとりを聞いて、昨晩話をしていたプレイヤー、黒髪に白いものが混じるベイガンがザックに声をかけた。
「エディという子は、あのお嬢さんに惚れてるのか?」
「さあ。よくわからんが、彼女が女王さまで、自分は犬だというロールプレイをするとか言ってたな。最初は本当に“女王さま”って呼んだぞ」
「犬か。……どうも、ただの駄犬に見えるが」
「まぁな。だがあれでも一応、自分の役目はこなす。そのうち化けるかもしれんが、あのまま駄犬で終わる可能性の方が高そうだな」
「ああ。パニック系映画によく出てくる、盛大に騒いで最初に殺されるタイプのようだ」
苦笑したザックが「それを生きのびたら化けるかもしれんだろ」と言うと、「賭けるか?」と誘ってくる。
最後までエディが生きていればザックの勝ち、途中で死んだらベイガンの勝ち。
「そんな賭けに乗れるか。勝率低すぎだ」
ザックが文句を言うと「だから賭けになるんだろうが」と返したものの、彼は誰かから呼ばれると「じゃあな」とあっさり離れていった。
地下12階の攻略は昨夜ハートレスの周りに集まったプレイヤー達が一時的な協力関係を作り、8パーティ38人というけっこうな大人数で進むことになった。
情報交換によってどの道が行き止まりになるかが多少分かったので、同じところを歩いている間は協力しよう、という話が出たのだ。
必然的に誰か全体をまとめろとリーダー役が求められ、キバウサギの肉をトレードするのに彼らとフレンド登録をして言葉を交わしたシウに白羽の矢が立った。
一度12階へ入ったものの、夜を迎えたので階段へ戻ってきたというパーティの言葉に従い、行き止まりになる道を避けて先へ進む。
複数のパーティで矢じりの形に陣を組み、先頭に立ってモンスターに襲われる危険にさらされるパーティは定期的に交代。
最初はリーダー役となったシウの率いるパーティが先頭を行くことになり、矢じりの陣の先端にはハートレスが立ち、その左右にザックとリドがついて、彼らの真後ろからエディが索敵、モンスターの急なポップを警告する。
シウは彼らよりいくらか離れて後方で他のパーティに囲まれ、モンスターと戦う先頭の戦士たちに補助魔法をかけて支援した。
そしてその先頭役を交代しながら進んでいくうちに、各パーティの主戦力となる戦士によって、一団の進みが早くなったり遅くなったりすることがすぐわかった。
ハートレスは進みが早くなる方の戦士だ。
初めて見るモンスターがいきなり現れて攻撃してきても、普通なら一歩引いて観察するところを逆に踏み込んでいって大剣で薙ぎ払う。
たまに反撃されてケガをするが、そのまま押しきれそうなら怯むことなく次の攻撃を当てに行き、危険だと判断すると下がってザックかリドに任せ、シウからの回復魔法を受けるとまた先頭へ戻る。
同じく進みが早くなる戦士は、彼女の戦い方を見て「柔軟で本能的だ」とそばにいたパーティメンバーに話した。
彼は現実でエクササイズのひとつとして剣道を習っていたが、それは儀式のように定められた型通りの動きをすることで自分の肉体を鍛える、というもので、本当に戦うための武術ではなかった。
しかも人間相手の試合で使う型しか教えられていなかったので、異形揃いのモンスターが相手では上手く活かせないこともあり、それでも対応しているが一歩引いてしまったりもする。
ハートレスにはそれがなかった。
彼女は剣を知らないがゆえに柔軟にモンスターの攻撃や動きだけに反応し、本能的に最小限の動作で大剣を振るい、その勢いを利用して小柄な体をモンスターの攻撃から遠ざけたり、大剣の影に隠れて身を守ったりする。
恐怖心が欠落しているのではないかという猛攻でモンスターを襲い、トリッキーとも思える効率的な戦い方によって体力の消耗を最小限に抑え、次への余力を残す。
そして何よりも、戦うことを楽しんでいるのが言われずとも分かるほどの好戦的性質が、彼女が先頭に立つと一団に感染し、自然と進みを加速させていく。
「あれは真似できるタイプの戦い方じゃない。彼女以外の人間がやったら死にに行くようなもんだ」
「手も肌も綺麗だし、黙っていい服着てれば良いとこのお嬢さんに見えるのに」
「実際に現実では良いとこのお嬢さんなんじゃないか? たまに妙に行儀がいいだろ。子どもの頃からちゃんと躾けられていないと、ああはならない。……自分の肉体で戦う時代に生まれてたら、どこまで上がれたか。まったく、宝の持ち腐れだな。生まれてくる時代と場所と性別を完全に間違えてる」
「それはちょっと間違えすぎてないか」
戦闘の合間に軽口をたたきながら、彼らは崩れかけた宮殿の中を歩いて行く。
しばらくして誰も来たことのない分かれ道に出くわすと、いくつかのパーティがそちらへ進むべく別れた。
行き止まりだったらメールで知らせる、と約束してそれぞれの選んだ道へと足を進める。
それが何度か続くうちに、ハートレスはたまに「お嬢ちゃん、俺たちと一緒に行かないか?」と誘われたが、毎回「行かない」と即答した。
「私と一緒に行きたいなら、あなたがこっちに来ればいい」
と逆に彼女が言うので、「そっちのパーティに空きがあれば入れてもらいたいくらいだ」と苦笑されたり、「ギルドが作れるようになったら誘ってくれや」と頼まれたりした。
「どうせ頭に担ぐなら、見た目のいい女の方が楽しい。しかも一緒に戦える女とくるんなら、これを担がず何を担ぐ、ってなもんだ」
勝手にハートレスをトップにしたギルドを作ろうというような話を出し、その時は知らせろよとシウに言って、さっさと立ち去る。
分かれ道が多かった上にマップが広かったので、最終的には完全に分散して一緒に歩くのは5人だけになったが、その時にはもう「ギルド機能の解放がきたらハートレスのギルドを作る」ような雰囲気になっていた。
行き止まり報告のメールを確認して“魔法使いシウの雑記”に羽根ペンで書き込みながら、メガネをかけた優男はぼやく。
「これでレスが別のギルドに取られるようなことになったら、わたしは処刑されそうですね」
皆が「いいの手に入れたな」と羨む女戦士は、艶やかな長い黒髪に、細身なのに胸は豊満というエディを一目で犬にした容姿の持ち主だが、中身は「お腹が空いた」と言ってボスモンスターであるキマイラに喰いつき、その耳を噛み千切った猛獣である。
ついでに常時ファントムの仮面を装着していていまだ誰もその下の顔を見た者はいないし、夜の見張り交代の時にザックが起こすと大剣を掴んで飛び起きる寝ぼけ癖の持ち主であり、常に武器を手放さない戦闘狂だ。
しかし、実際に彼女のそんな姿を見ていない者たちには知りようのないことで、シウもそれを吹聴してまわる気はない。
はぁ、と息をついていると、ハートレスが巨大コウモリを叩き斬って淡々と言った。
「私にトップはムリだと思う。人をまとめるのは、シウが得意」
「いえ、わたしこそトップには向いてないですし、レスをマスターにしたギルドを作ることにはとくに反対意見もないです」
「本気で私をギルドマスターにするつもりなの?」
「今のところギルド機能が解放されるかどうかも分からないので、それは何とも言えませんが。レス、ゲームのギルドマスターというのは、べつに人をまとめようとしなくてもいいんですよ。トップに立つ人にも色んなタイプがいますからね。もしやるとなったら、レスはさっき集団の先頭に立って歩いたみたいに、勝手についてくる連中のことなど放っておいて、自分の道を行くタイプでやればいいんです。実際、レスが先頭に立った瞬間から、彼らはあなたのペースで動きましたから、相性は良さそうです」
まあ、どっちかといえばシウはトップというより参謀役だよな、とザックが頷いた。
そういう彼もサポートや誰かの護衛という役割の方が性に合っているので、トップに立ちたいとは思わない。
「じゃあ、エディかリドは?」
いきなり名前をあげられた二人は、目を丸くして「むりっス」「ありえないです」と即答してぷるぷると首を横に振った。
彼らがムリだと即答するようなものが、どうして無愛想でろくに人付き合いのできない自分にまわってくるのか、ハートレスにはわからない。
口を閉じて黙々と飛び出してくるモンスターを狩り、むしろ獲物を追い求める餓えた獣のように、見つけたはしから襲いかかっていく。
彼女がこれまで生きてきた平穏な現実世界では“異常”でしかないその性質が、時に人を惹きつけることがあるのだとは知らぬまま。
体力が温存できて生きのびる確率が上がるかわりに進む速度を落としてしまう集団から解放されたことで、ハートレスの歩みは先より早くなった。
他の4人はすでにそのペースに慣れてきつつあり、意外と順応性の高いエディはとくに〈索敵・広範囲詳細〉で彼女の良い目となる。
「おや。わたし達のルートが当たりだったようですね」
そうして夕暮れ前に運良く次の階段を見つけられたので、シウは正解のルートを他のパーティにメールで知らせる。
各パーティはそれでも迷いつつ何度かメールをやりとりし、日が暮れる頃にはどうにか全員階段へ辿り着いたので、何となくまたハートレスを中心に集まってきた。
「おう、お前ら来たか。……で、何でそんな団体になってんだ?」
沈みゆく太陽を背にしてヴィクトールとルーク、グレンが地下13階から大階段へ戻ってきたので、合流。
一緒に行動していたパーティの紹介や、ヴィクトール達がどこまで進めたのか情報を交換して、それなりに穏やかな一夜が過ぎた。




