地下9階ボス戦
木立の間に立ちふさがる怪しげな黒扉を開くと、木々に囲まれた広い空間の奥でのっそりと大きな影が動いた。
パーティ5人が入り口の大扉をくぐってその空間に入ると、ギギィときしむ音を立てて扉が勝手に閉じていく。
入り口である大扉の真正面には、草原と木立というフィールドにはこれもまた不似合いな巨大な石壁があって次の階へ続く階段を隠しており、石壁に刻まれたレリーフからそのまま抜け出てきたような巨体のモンスターが5人の行く手に立ちふさがる。
それはさやさやと木々の葉が揺れる影に寝そべっていたモンスター、獅子の頭に山羊の胴体を持ち、尻尾は毒蛇という異形の獣。
『パンデモニウム』地下9階のボスだ。
獅子頭が戦闘開始を告げる咆哮を上げ、大剣を手にしたハートレスが走った。
シウは補助魔法の呪文を唱え始め、ザックは彼のそばで片手剣と楯を構えて、彼らの後方で一応リドも身構える。
できることならボス部屋へ入る前に補助魔法をかけておきたいところだが、扉をくぐった瞬間にすべて強制解除されてしまうため、入った後でかけるしかない。
シウの隣でスコープをのぞいていたエディが、〈分析〉で得た情報を報告した。
「レベル9、キマイラ! 弱点は背中の真ん中っす!」
走っていくハートレスと視線が水平に合うくらい、キマイラの体は大きい。
その背中にどうダメージを与えろというのか分からなかったが、ともかくハートレスは飛びかかってきたキマイラを横に跳んで避け、その巨体が着地する瞬間を狙って大剣で斬りつけた。
右足を浅く切り裂かれたキマイラが怒りに吼え、尻尾の毒蛇がシャァッ! と牙を剥いて襲いかかってくるのを危ういところで大剣を楯にして防ぐ。
鉄の大剣の刃に毒蛇の牙が当たる耳障りな音がして、その牙から紫色の毒液がしたたり落ち、刃を伝って流れていくのが見えた。
どくん、と心臓が激しく鼓動するのを感じながら、ハートレスは蛇を振りほどいて後方へ跳び、追いかけてきたキマイラの獅子頭が大口を開けて噛みついてこようとするのを転がるようにして避け、その勢いを利用して立ちあがる。
「……の力もて、汝に刃の祝福を与えん」
その時ぼんやりと薄く体が赤い光に包まれ、呪文の詠唱を終えたシウが攻撃力アップの補助魔法をかけてくれたことに気づいた。
キマイラの攻撃をかわしたり、大剣を楯にして防いだりしながら、隙を見て反撃する。
そして先よりも自分の攻撃によってキマイラの体に刻まれる傷が深くなったことに気づくと、ふと思った。
(楽しい)
今までのモンスターと比べて長く戦わなければならないせいか、どんどん意識が高揚していく。
しかしとにかく体が大きいので、なかなか背中に斬撃を当てられず、体力を削りきることもできない。
シウは連続して防御力アップの補助魔法をかけ、キマイラの爪を避けきれずにざっくりと左腕を切り裂かれたハートレスに回復魔法をかけた。
「ザック、ボスのターゲットがある程度ハートレスに固定されたら加勢に行ってください。攻撃力アップの補助をかけます」
「おう。正々堂々後ろから近づいて、蛇の首でも落としてくるか」
「エディはザックが行った後の、わたしの護衛役をお願いします。回復魔法を多用すると、ターゲットがこちらに移る可能性がありますので」
「リョーカイ。でもあんなデカいのに来られたら、紙防御のオレだと一瞬で終わりそうっス」
「とりあえず一瞬でも楯になってくれればそれでいいです」
「使い捨てっスかー。まったくごまかさずにさらっと言っちゃうところがシウさんらしいなー」
大きな猫とじゃれて遊ぶようにハートレスが嬉々として大剣を振りまわす後方で、緊張しながらものんびりとした会話をかわす3人。
先ほどこのパーティに入ったばかりのリドは、彼らの背を見ながら(なんかおれ、スゴイとこに入っちゃった気がする)と思った。
体力が1割以下にまで減るほどの攻撃を受けたばかりの彼は、前のパーティではまったく歯が立たず、自分もやられる一方だったキマイラに強烈な恐怖心を抱いて当然のはずだ。
運良く逃げのびたものの、傷は本当に痛くて痛くてこれは死ぬだろうと思ったし、一人残されたことも怖くてたまらなかった。
だから余計に必死で助けてくれたハートレス達にすがって、表面的にはなんとか平気なふりをしながら、内心びくびくしながらまたこの部屋へ戻ってきた。
しかし爪に切り裂かれ、毒蛇の牙に狙われながらも大剣をふるって猛然と攻撃するハートレスを見て、彼女の仲間である3人の声を聞いていると、不思議なほど「怖い」という感情が出てこない。
彼は元から流されやすい性質で、あまり深く物事を考えないがゆえに他人の思考に染まりやすい。
そのせいか、自分の中のどこかで、ゆるやかに何かが歪んでいくような奇妙なざわめきを感じながら、気がつけば思っていた。
(……あれ。なんか、たのしい?)
めまいに似て非なる落ちついた浮遊感と、アルコールにひたされたような酩酊感。
キマイラと戦い続けるハートレスもまた、そんな不思議な心地良さの中で大剣をふるい、ザックがシウのそばを離れたことに気づくと、大げさな動作で攻撃して自分の方に注意を引きつけた。
刃が鼻先をかすめたのに怒った獅子頭が、ハートレスに噛みつこうとして鋭い牙のずらりと並ぶ口を大きく開き、しかし飛びかかろうとしたところで急に激痛の咆哮をあげる。
後ろから近づいたザックが毒蛇の首を切り落とすことに成功したのだ。
ハートレスは今こそのキマイラの背中を狙おうと回りこんだが、勢いあまって近づき過ぎた。
頭を失って踊り狂う蛇の胴体でしたたかに手を打たれて大剣を取り落とし、のたうちまわるキマイラの獅子のたてがみをとっさに掴んだらぐいっと引っぱられ、気がつけばボスモンスターの背にまたがっている。
「レス!」
驚いたザックが呼んだが、ハートレスには答える余裕などなかった。
せっかく弱点の背中にいるのに手元に剣が無い!
どうしようと考えるヒマもなく、背中に乗ってきた敵を振り落そうとキマイラが暴れ出したので、とにかくダメージを与えたかったハートレスは目の前にあった獅子頭の耳に全力でガブッと噛みついた。
絶叫が轟き、頭を振りまわしたキマイラの背からハートレスが放り投げられるように落される。
そして地面に投げ落とされた痛みにうめきながらも、自分の大剣がそばにあるのに気づくと立ちあがり、走っていって拾いあげると同時に構えた彼女のその口には。
噛み千切られたキマイラの耳がだらんと垂れさがっていた。
「ギャー! マスターそんなの食べちゃダメー!」
ハートレスは先ほど「おなかすいた」と言ってモンスターの肉に食いついたばかりなので、それを見ていたエディはキマイラよりも大きな声で叫び、さすがにシウも慌てて言った。
「レス! 捨てなさい!」
一方、剣がないので噛みついてみたら千切れてしまっただけのハートレスには、キマイラを食べたいなどという思考は無い。
彼女は早くシティへ行って“にく”を食べたいだけだ。
こんなマズそうなモンスターではなく、名前は知らないけれど美味しいあの料理がいい。
(おなかすいた)
べっとキマイラの耳を吐き捨てると、完全にターゲットをハートレスに定めた地下9階ボスモンスターの視線を受け、ニィと笑みを浮かべて挑発した。
「おいで、片耳。今度は首を落とす」
それから1分とかからず、キマイラは大剣に獅子頭を斬り落とされて地に沈んだ。
◆×◆×◆×◆
地下10階トパーズ・シティ。
マップの最南端には地下9階のボス部屋から続く大階段、最北端にはテストプレイでは行けなかった地下11階へ降りられる大階段がある都市の中央。
淡い褐色の巨大宝石トパーズが浮遊するそこは、意外と人通りが少なかった。
「レス、次の皿が来ましたよ」
「うん。ありがとう」
キマイラを無事に倒したハートレス達は、トパーズ・シティへ入るとまず最初に目についた食堂へ入った。
道中のモンスター狩りでクリアできている討伐クエストの完了を報告して所持金を増やし、その金額でおさまるよう注文する。
このパーティの主力戦士が空腹だと危ないことを理解したシウは、先ほどから所持金の残りを計算しながらハートレスがある程度満足するよう、店員NPCに頼んでステーキを運ばせていた。
そしてかたわらに大剣を立てかけて置いたハートレスは、店員に訊いて地下5階のタウンで食べたあの“にく”が「ステーキ」という名前で、レシピさえ手に入れられれば彼女が一口食べて「まずい」と捨てたあの“キバウサギの肉”でも作れるのだと知って驚いたが、料理が運ばれてくるとすぐ食べることに集中。
店員に「料理は持ち帰れますか?」と訊いたら「お持ち帰り用のものは扱っておりません」と言われ、丸パンひとつすらカバンに入れられなかったので、今のところ食堂でしかちゃんとした料理を食べることができないのだと理解し、次々と運ばれてくるステーキをじっくりと味わいながらよく噛んで食べている。
ザックとエディも地下5階で大量に食べた結果、必要な物を買ったら所持金が1桁になったという経験があるので、食べすぎないよう一口一口を味わっていた。
しかし悪質なプレイヤーに地下9階のボス部屋まで連れてこられたリドは、デスゲーム化されて全感覚が接続された後に『パンデモニウム』で食事をするのは初めてで、「何これウマいんですけどー! おれ生きてて良かったー!」と半泣き状態でかきこむように食べている。
気持ちはよく分かるし、自分の所持金で支払って食べているので、誰も止めない。
ちなみに彼はキマイラ戦でとくに何もしなかったが、パーティを組んでいたので自動的に経験値が入り、レベルが7に上がった。
しばらくして全員が料理を味わうことに満足すると、シウは食後のお茶を飲みながらリドへ言う。
「リド。とりあえずシティには到着しましたから、ここで別れてもいいですよ」
幼い子どものようにきょとんとした顔をした青年に、こいつは本当に同世代だろうか、とどうにも情けない気分を味わいながらシウが説明する。
「わたし達は死なない程度に攻略に行きます。あなたはログインした直後にデスゲーム化を告げられていきなり戦闘に連れ出された、転移石のことも知らない初心者でしょう?
これからもついて来るならわたし達の指示に従うことと、それなりに積極的な行動を求めますので。モンスターの出ないところで誰かがクリアするのを待ちたいなら、パーティから外れてください」
え、あ、うん、と戸惑いながらリドは頷いたが、少し考えて何かを決めたらしく、ぱっと顔を上げて意外としっかりした声で言った。
「あの、おれも一緒に行きたいです!
できるだけ指示には従うし、やれることはやるんで、連れて行ってください。今は何もできないけど、助けてもらったお礼したいし、なんか皆さんと一緒にいればこのゲーム、生きのびられるような気がするんです。おれ、あんまり役に立たないかもしれないけど。がんばりますんで、よろしくお願いします」
生真面目な様子で頭を下げたリドに、彼がそう言うと最初から分かっていたかのように「はい」とあっさりシウが頷き、よどみなく指示を出した。
「こちらこそ、改めてよろしくお願いします。ではまずサブクラスの変更から始めましょう。うちのパーティではわたしが細工師を担当しますので、幸運補正のアクセサリが作れたら優先的に渡します。その代わりあなたは鍛冶師に変更して〈武器作製〉のスキルを中心に上げてください。いいですか?」
「……え。あ、はい!」
一気に指示されるのに、戸惑い気味に頷くリド。
シウはついでに食堂を出たらサポートセンターへ行き、クリア可能な納品クエストをこなし所持金を増やす、と他のメンバーに告げた。
各自、納品クエストのクリアを終えたら、次の階に出てきそうなモンスターの討伐クエストを、同時に受けられる最高数まで受けておくこと。
口々に了解の返事をして席を立とうとしたところで、しかし不意に聞こえてきた音に全員動きを止める。
―――――― リン、リン、リン。
どこからともなく3回の鈴の音が鳴り響き、システム・アナウンスが告げた。
《 地下10階トパーズ・シティにプレイヤー200名の到達を確認、これより新機能を解放します。 》




