第七話 おっさんは埃だらけ
キ――ンコ――ンカ――ンコ――ン―――――ッ……。
ホームルームを知らせる鐘が響く。そんな時俺は、机に突っ伏していた。
結局、二階と一階の空き教室を探したが、芥とがらくたと教材といちゃつくカップルしか見つからなかった。……気まずかった。朝から嫌なものを見てしまった。彼女のいない俺にとって、カップルは目に毒だ。
「わーっ!綺麗なネックレスっ!」「君の方が綺麗だよっ」「どの便器よりもなっ」「おいっ!おっさんっ。あはははーっ……失礼しましたっ!」
……今考えても気まずかった。おっさんが余計なこと言うからっ!
そして俺の頭を悩ます張本人は、俺の机の中でするめイカとイカ薫とイカそうめんと戯れていた。あれっ?増えてるっ。いつのまに?
これで、朝の貴重な時間は空振りに終わった。すると、後は昼休みと放課後しか時間はない。学校が8時には完全下校となるので、その前までに見つけられなければ、おっさんとの同居生活決定だ。……絶対に見つけなくては……。
先生が来て、朝礼の挨拶をする。今日のホームルームは、特に何の連絡もなく終わった。
「おいっ!山本聞いたぞっ!」
先生が教室から去っていったとき、後ろから声が聞こえた。後ろの席は印南だ。
後ろを振り向くと、驚いた表情で俺を見ている。
「何を?」
俺は何も心当たりが無く、印南に聞き返した。
「お前っ、男が好きだったのかっ!」
何だかとんでもない噂が猛スピードで広まっていた。
「はぁっ!?んなわけないだろっ!」
俺がそう言うと、印南がこれまた不思議そうな顔をして尋ねる。
「えっ!違うのかっ!俺は日本史の中島先生と出来てるって聞いたんだが……」
とんでもない以上に、酷い禁断の恋だった。
「なんでそんな危ない橋渡んなくちゃいけないんだよっ!んなわけないだろっ!?俺はきちんと女子が好きだっ!」
そう叫ぶと、クラス中が俺のことを見た。
笑う人8人、軽蔑の目で見る人12人、舌打ちする人11人、驚く人6人、怒る人3人、無視する人2人。
反応がまちまちでとても怖い。此奴らは俺に何を期待してたんだ?
そしてそれぞれ自分の作業へ戻っていく。
「なーんだっ、女が好きなのかっ」
印南が肩を落としていた。此奴も何の期待をしてたんだ。
「当たり前だろっ?そりゃ、彼女はいないけど、男には走らねぇよっ」
「まぁ、考えてみりゃそっかっ。お前、この前今気になってんのは、あず……」
「いっ、印南っ!それは言うなっ!!」
俺は必死に印南の口を塞ぐ。……危なかったっ。此奴なら言いかねないからな。教室にいるっていうのに。
必死に口を塞いだ俺を見て、印南は理由を理解し、手を除けた。
「あぁーっ、ごめんごめんっ!ここで言うのは不味かったな。でも……」
そう言って印南は視線を教室の隅に動かした。俺はその視線を追ってその先を見る。すると、友人たちと話をする東の姿が見えた。
「でもっ、ほんとに山本君がねっ、男の人と価値観の違いで争ってたんだってばっ!本人もそうだって言ってたもんっ!それにね、その相手の男の人の声が、大人の男の人みたいな声だったんだよーっ」
「うっそーっ!」
「じゃあ、強ち噂も間違いじゃ無いかもね……」
「噂は暫く消えないし、東の誤解を解くのは難しいと思うぞっ?」
「……あはっ、あはははは―――っ……」
教室の隅でそんな会話を繰り広げる女子たちを見て、俺はもう暫く、彼女は出来ないだろうと思った。
一時限目 現代文
さっそく、今日の授業が始まった。俺は文系クラスにいるから文系教科は多めにある。
俺は数学が苦手なので、数学が少なくて本当に良かったと思う。理系の週7の数学なんか、あれは地獄の何者でもないと思う。因みに、今日の現代文は評論である。
おっさんはというと、勝手に俺の携帯でワンセグを見ていた。
何勝手に見てんだよっ!と言いたいところだが、しかし大人しくしてくれているのでよしとしよう。……絶対に声を出すなよ?
そう願いながら俺は授業を受ける。しかし、何となく気になって、少ししてから俺は何気なく机の中を覗いてみた。するとそこには、エクササイズに勤しむおっさんがいた。
おいっ!確かに声を出すなと願ったが、体を動かして良い訳じゃないからっ!通りでさっきっからとたとた音がするわけだっ。
画面に映っていたのは、『弛んだ体を引き締めろっ!メタボに負けるなっ!エクササイズ特集』と書かれた番組だった。
……んまぁ、やりたくなるのはわかるよっ。分かるけどっ!
……・大人しくしてろっっ!!おっさんっ!
俺は飛び跳ねるおっさんを握りしめた。
二時限目 英語
次の授業が始まった。さっき人気の無い場所でよく言い聞かせたからいいが、今度は絶対に騒ぐなよっ!
おっさんはただ今ぶすっくれながらNHKの英語講座のテレビを見始めた。
よし、その番組で騒ぐことは無いだろう。俺は安心して授業を受け始めた。
「無生物主語構文は、日本語には無い発想なので訳すときに注意しなくてはならない。この文章、 Ten minutes walk will take you to the station. は、直訳だと『十分の徒歩があなたを駅に連れて行きます』となるが、それでは日本語が適切ではない。なので、この文章の適切な訳し方は、『駅まで徒歩十分です』もしくは、『十分歩けば駅に着きます』というのが適切であり……」
しかし、先生の言葉を聞いているのはとても眠くなってきた。……実は先生たちって催眠術を使えるのではないのだろうか?それにこれこの前聞いたし。
そんな事を思いながら、俺は睡魔に負け、少しばかり寝ることにした。五分くらい寝ても大丈夫だよな……。今のところ分からない所も無いし。
俺は机に突っ伏して目を閉じた。あぁ、眠ぃ……。
寝始めて暫く。そろそろきっと五分だろうと思い起きようかと思い始めると、俺のすぐ近くで声が響いた。
「……もっ、もうそんなに食えねぇよ……母ちゃん……むにゃ……」
はっ!俺が急いで顔を上げると、みんなが一斉に俺の方を見ていた。笑うものと退くものの半々。俺は顔を赤らめる。
「ちっ、違うっ!俺じゃねぇっ!」
しかしこのクラスには信用してくれるような奴はいなかった。とんだモラルの低い、人に優しくないクラスだ。
「……山本……」
そんな俺に印南が後ろから話しかける。
そうだっ!まだ此奴がいたっ!此奴なら、みんなとは違う反応を……。
「……何食ってたんだよっ」
予想外の反応だった。
「だから俺じゃねぇってっ!」
俺はそう言って怒鳴る。すると先生が咳払いをした。
あっ、やべぇっ、今授業中じゃんかっ!確か英語の木村先生は怒ると怖いとか……。
俺は息を飲んで先生を見る。すると、先生が俺に向かって話し出した。
「山本っ、正直に潔く白状しろ……っ。いったいお前は母親に何を食べさせて貰っていたんだっ!」
おかしなところで怒られた。そう言えば、木村先生って真面目に天然なことでも有名だっけ。あと、何故か食べ物にはとても食いつきがいい。
俺はもう後には退けないと思った。こうなったら、適当なことを言ってこの場を何とか丸く収めなくてはっ!
そう思い、俺は必死に正しい解答の選択肢を考えていた。そう言えば……、確か木村先生の大好物はオムライス……っ!
俺はついに解答を見つけ出し、先生に向かって言い放とうとした。
「実はっ、俺が夢で母親に食べさせて貰っていたのはっ、「母ちゃんのミルク……」なんですっ!ってえぇぇっ!?」
重要なオムライスの部分に、誰かの寝言が混ざって大変なことになってしまった。これじゃあ俺は変態じゃんかっ!
クラスの全員が退く。……それは正しい反応だろう。
「山本……」
後ろで印南が俺のことを叩いた。
「だからっ!これは違……」
「……なんか、ごめんな」
印南が俺のことを申し訳なさそうな顔で見てきた。何だか悲しくなってくる。
そんな時、先生がまた咳払いをした。俺は前を向く。今度こそ、長い説教が始まっても良いだろう。そう思い、先生の話し出すのを待つ。すると、先生が話し始めた。
「さて、先ほどの名詞構文の話の続きだが……」
先生は、俺を見捨てて授業を始めた。
完全無視かよっ!説教の方が良かったんだけどっ!もの凄い恥ずかしいんだけどっ!
俺は、今日何度目かの屈辱を味わった。……今日は厄日なのか?
そんな俺の机の中では、英語講座を見ていて寝てしまったおっさんが横たわっていた。
三時限目 古典
何とか三時間目が始まった。俺は酷い誤解をいろいろとされたままだ。しかもまたおっさんを人気のないところで問いただしたどころ、夢で母ちゃん(妻)とこの前牧場に行ったときの夢を見ていたらしい。つまり母ちゃんのミルク=母ちゃんの絞った牛のミルクというわけだ。紛らわしい寝言を言うなっ!
ついに俺はおっさんに嫌気が差して、空き教室に監禁してきた。
と言うわけで、やっと邪魔なく授業が受けられる……と思いきや、先生が休んだために、授業は自習だった。……周りの視線が辛い。どうにかならないだろか?
「……おいっ、山本っ!」
俺が悩んでいると、また後ろから声がかかった。印南だ。
「……何?」
俺がそう尋ねると、印南が真剣な面持ちで話し始めた。
「……お前っ、本当に変態だったんだなっ」
「だからっ!違ぇっていってんだろ!?俺は何の変哲もない、普通の男子高校生だっ!」
俺はそう言って怒鳴った。すると、クラスの人たちが俺を見る。軽蔑の眼差しで。
だからっ、俺は変人なんかじゃないってっ!!何で信じないんだよっ!
「……じゃあ、さっきのは何だって言うんだ?」
印南が不思議そうに尋ねる。まぁ、それもそうか。確かにあれは酷いからな。
そう思って、俺は弁解し始めた。
「あれは違うんだっ!母ちゃんのミルクじゃなくて、母ちゃんの絞った牛のミルクの間違いだっ」
それは事実だろう。寝言の張本人が言ったんだから。俺は嘘は吐いていない。
しかし、印南の表情はまだ晴れなかった。
「……でも、俺思ったんだけど、最初否定したのはなんでだ?そりゃ、恥ずかしだろうけど……、それなら何故後になって話し出した?最後まで否定すりゃいいのに」
それは印南の言うとおりだろう。考えて見れば途中で話し出す必要も無かったかも知れない。そう思いながら、何とか弁解しようと、話し出そうとする。しかし、その前にまた、印南が話し始めた。
「あぁ、それと……ずっと気になってたんだが……、お前の声と少し違かったよな?あれはなんでだ?」
それをいっちゃあお終いだ。
「そっ、それは気のせいじゃないかな?そっ、そのっ……俺ちょっとこの前から風邪気味だからっ!こほこほっ!もしかしたらそれじゃない……?」
俺は咄嗟にごまかそうとした。何が何でも、おっさんのことは誰にも言えない。というか、言ったら今度は俺は頭の可笑しい人だと思われる。
しかし、印南は手強かった。
「じゃあ、なんで朝走ってきたりしたんだ?あと、何故今は普通に話せてる?」
そこを突っ込むなよっ!
もう俺にはごまかすことは出来ないかも知れない。どうするべきかと必死に悩み始める。 と、その時、聞いたことのある声が聞こえた。
「おいっ!あんな狭くて汚ぇ所に閉じこめるんじゃねぇよっ!謝ったんだから許せよなっ!全く……」
「……・えっ?」
俺は自分の机を振り返る。
するとそこには、俺が閉じこめて来たはずの、少し埃で薄汚れたおっさんの姿があった。