第五話 おっさんはうはうは
「……でっ、何でそこに収まったのだね?君」
ある梅雨の季節の朝。その日は数日ぶりに雲の間からお日様が覗き、一日の始まりを明るく照らし出した。日本特有のじめっとした陽気は、相変わらずどこかすっきりとした気分を損なわさせるのだが、それは日本で暮らしている限りどうしようもない。今日はまだ涼しいので、そこはまあ、目を瞑る事にする。
それはさておき、俺は先ほどから気になることがあり、不思議そうな顔付きでおっさんのことを見ていた。
正確に言うと、見下ろしていた、だろうか。俺はおっさんのいる場所に些か疑問を思っていた。
何故ならおっさんの居るところ、それは……。
「ん――っ、だって考えたら普通こうなるだろ?お前の鞄の中臭そうで入るの嫌だし、お前手提げなんか持たないし、鞄に入って潰れたら嫌だし、振られたら気持ち悪いしっ」
「だからって、そこに入るかっ? 普通っ。しかもおっさんがっ。聞いたことねぇよっ、おっさんがポケットに入ってる男子高校生なんてっ」
……そう、学生服の胸ポケットの中だった。
おっさんはそこから俺を見上げている。寂しくなりかけている頭が今にもポケットからちっらと見えそうだ。
「え――っ、でも漫画で女の子とか男の子の胸ポケットに入ってる俺ぐらいの生物見たことあんぞ――っ?」
「あれは漫画だしっ。それに胸ポケットの中に入ってるのは可愛らしい妖精とかペットだしっ。お前みたいなおっさんじゃ無いんだよっ。おっさんとか、夢なさすぎるだろっ」
「のわぁ―――っ!?おっさん夢有り余ってるぞ――っ!?競馬で一儲けしたいとか、パチンコで大当たりしたいとか……」
「……それは夢の種類が違う」
呆れた顔でそう言う俺を見て、おっさんは意味が分からなかったのか首を傾げる。
そしてそんなおっさんを見て俺も何か話しかけようと口を開けたのだが、隣を通り過ぎていった女子高生が、端から見れば一人で喋り続けている俺を見てくすっと笑っていった。 それを見て何だか俺は恥ずかしくなり、一人で悩むおっさんに話しかけるのを止めて、黙々と歩き続けた。
暫く歩き続けると、やっと校門の前へと来た。
煉瓦造りのがっちりとした校門、そこを通ると不規則そうに見えて規則正しく並んでいる幾何学的な並びをした石畳が広がる。そして所々色の違うその石畳を歩いていくと、目の前に大きくそびえ立って、煉瓦造りのように見せた柱部分と、太陽の光を輝かしく跳ね返す真っ白い壁と大きさの揃った長方形の銀色の窓が特徴的な、まだ新しい校舎が見えた。
そこが、俺の通っている高校、私立螢雪学園高校だ。
創立七十年近い伝統校であり、しかし偏差値はそれほど高くのない、人気の高い高校である。競争率が高く、勉強には苦労したが、今はその甲斐あって今はこうしてここに通うことが出来ている。それに俺は誇らしく思っているし、俺の両親も喜んで鼻高く思ってくれている。・・・・・・まあ、最初は反対されたし、地元の方の公立高校よりも金もかかってるが。
「おぉーっ! すげーなここっ! 俺初めて入ったぜっ! でっ、ここは何処だ? イギリスか?城か?」
「なわけねぇだろっ! なんで東京から徒歩でイギリスに行けんだよっ、それにお前がここに来るって行ったんだろっ? 高校だよっ、俺の通ってる高校っ!」
異国をも感じさせる雰囲気のその高校の様子を見てはしゃぐおっさんに、俺は思わず突っ込む。そして隣を通りかかった人に、突然一人で言葉を発した俺はびくっと驚かれた。それを見て、俺は口を紡ぐ。
と、おっさんが感激のあまり、俺のポケットから頭を出しそうになった。
それを発見した俺は、おっさんの頭がポケットから出ないように、無言のままぎゅうっと指で押さえ込む。
しかしおっさんは自分の存在が世間に認められていないものだと忘れたのか、身動ぎして俺のポケットから出てこようとする。
……なかなか大人しく引っ込まない。いい加減に察しろよっ、と少し強く押し込んだが、それでもおっさんは我に返らず、ポケットから出てこようとする。と、
「あっ、おぉっ! 山本じゃねぇかっ、おはようっ! なにっ、今日はいつもより少し早いんじゃねぇか?」
後ろから俺のことを呼ぶ聞き慣れた声がした。
俺は少し慌てて後ろを振り返ると、そこにはやはり俺に向かって歩いてくる見知った顔があった。
……げっ、印南だっ! まずいっ! 俺のポケットからちっさいおっさんなんかが出てきちゃったら……!
そう思い、俺は一人で慌てておろおろとし始める。と、咄嗟に思いつき、浮き足立つおっさんをポケットの中で鷲掴みにすると、驚くおっさんをを余所に、俺は急いでおっさんを鞄の中へと押し込んだ。
「ん? どうかしたのか? …… 汗かいてるぞ?」
するとそのタイミングで、印南が俺の隣に肩を並べた。そして慌てたために冷や汗をかいた俺を見て、不思議そうにそう尋ねる。
「いっ、いやっ! どうもしてないぞっ? 今日は走って来たからじゃないかなっ?」
焦る俺は、適当に理由を作って印南に述べた。すると印南は納得したように頷く。
「あぁっ、なるほどなっ。……でも、なんで走ってきたんだ? 走んなくって間に合っただろう?」
……しまったっ! そう俺は思った。適当に理由を作った過去の俺を憎む。
「えっ? あっ、いっ、いやっ! ……最近運動してねぇーなって思って、何となく走ってきたんだ……っ」
「あぁっ、そうかっ。お前帰宅部だしなっ。」
再び納得したような表情を見せる印南を見て、俺はひとまず安心して息を吐く。
しかし、次の瞬間印南の言葉で、俺は身を震わせた。
「いやっ、なんか隠し事でもあるんかと思ってよっ。朝早く人の少ないときに来なくちゃいけない理由でもあるのかと思ってっ。なんちってっ! ……でも、んなわけないよなーっ、お前隠し事とかなさそうだもんなっ」
「んなぁ゛っ!?」
核心を突く問いかけに、俺は思わず奇声を上げて身を震わせる。
「ん?どうかしたのか? ……まさかほんとに隠し事……?」
俺の異変に気づいた印南が、俺の顔を覗き込む。
そんな印南にびくびくしながら、俺は目を泳がせ笑いながら、言葉を発した。
「え、えぇ――っ? まっ、まさかっ、そんなわけあるわけないだろ―――っ!? 俺が隠し事とかするわけねぇじゃんっ!!」
暫し沈黙。
そして少ししてから印南が喋り出す。
「……だよな――っ! お前が隠し事なんて出来るわけねぇよなっ! はははっ!」
「だろーっ? 俺が隠し事なんか出来るわけねぇじゃんっ! ははは……」
可笑しそうに笑い出す印南。それに、俺は同意して笑い声を発す。
……此奴は全く、感がいいのか鈍感なのか、読めない奴だよなぁ……。
……それに、此奴の中での俺のイメージってどんなんなんだ? 隠し事出来る訳ねぇってどういうイメージだ? おいっ!
そんな事を考え、内心隠し事の件についてほっとしている俺は、隣にいて笑うそいつの事を考え始める。
名前は、印南 京介。俺のクラスメイトであり、最近仲良くしている友人である。実家はここから二駅の場所らしく、毎日電車で通って来ている。部活は……たしかサッカー部で、一年の時からレギュラー入りしている強者……らしい。身長は俺より少し高く、そこまでではないが筋肉質の良い体つきをしている。そして、憎いが顔立ちの良い、心も黒くない、……所謂イケメンってやつである。
……ありっ? なんか俺の周りの奴、みんな設定がっちりしてね? 主人公の俺よりも設定凝ってね? えっ、俺主人公だよね? 主人公だよね? ねぇ? あれっ、違うのっ? 一人で舞ってるだけ? 俺違うのっ? ……いやっ、それはないよねーっ! だって俺、主人公特権の鉤括弧無しで心の中を話せるというワザが使えるものーっ! だよねーっ、俺主人公だよねっ!
……ん? なんだこれ? これってなんだっ? どうやって使うんだ? わかんねぇな……。
……えっ、印南っ……? なんでここに……? なんでこれ使えてんの?
……おぉっ! 山本じゃんっ! お前こんなとこで何してんの? ……ん? なんか書いてある? 所謂いけめ……。
わわわわわ―――っ! 読むなっ! それ以上読むなっ! なんか恥ずかしいからっ! てかなんでここにいんの? お前っ!
……えっ? なんでって……。
……えっ、なんだなんだこれっ? どうやって使うんだ? おっさんっ、機械音痴で良くわかんねぇよ……?
……んっ? 誰だ? 山本っ?じゃない……?
……あっ、俺か? 俺はな……っ。
……わわわわわわわぁ―――っ!! ななな何でも無いっ! 誰でも無いからっ! しっ、知らないおっさんだからっ!
……? 知らないおっさん? なんでおっさんがここに……?
……あっ、それはだな……。
……わわわわっ、わわわわわわわあぁぁっっ!! だからっ、何でもないからっ! ほんっとに、何でもないからぁ――――っ!!
……てかっ、俺にっ、主人公威厳をっ、
………凝った設定を下さ―――――いっっっ!!
……なにこれ……? これ、なんだ?
……さあっ? おっさんわからないっ。
……だーかーらっ!! 俺主人公――――っっ!!