やぎまつり
全国の八木さんや矢木さんというような、”やぎ”という苗字の人を称える祭り…ではない。
これはもっと手触りのあるやつだ。
ふわふわしていて、可愛いくせに、油断していると足元を持っていかれるタイプの祭り。
春の終わり、湿った風が神社の境内を通り抜けるころ、「やぎまつり」は始まる。
看板にはSNS映えでもしそうな可愛いヤギのイラスト。
……よく見ると一ミリも目が笑ってない……。
だが、参拝客のほとんどは何も言わない。
今年のイラストもかわいいねー、だけだ。
神社の境内には屋台が並び、焼きそばのソースと草の匂いが混ざっている。
人気アニメの袋に入った綿あめも売っている。
空気は軽い。人の気分も軽い。
「やぎまつり」は、基本的には、ヤギ(動物の方)に会う祭りだ。
【宵宮:もぐもぐデトックス&押し付けろ!厄払いの紙】
子どもたちは「もふもふコーナー」に吸い寄せられる。
ヤギはそこにいる。正確には「そこにいさせられている」。
角は立派で、顔は穏やか。
よくよく見ると、ヤギたちの目が「限界サラリーマン」並みにドヨォ…と濁っているのは、大人のマナーとしてスルーすることを推奨する。
それでも人気は高い。なぜなら、ヤギは優しいから。
神社側で用意したヤギ食べ物を人の手から食べる。
人のため息もついでに食べる。
午後からはメインイベントの一つ「厄払い行列」が行われる。
参加者は紙に不満や後悔を書き、ヤギの首に結わえた縄に結びつける。
紙は風に揺れ、白いリボンか、鳥の群れのように見える。
《《遠目》》には美しい。
「仕事がマジでうまくいかない」
「今思い出しても胃が痛い記憶」
「自分が嫌いすぎて吐きそう」
ヤギはそれを噛む。
そして「飲み込んだフリ」をする。
プロの仕事だ。
「すごいなぁ、全部消えてく感じするね」
誰かの声に周囲が笑う。
実際、軽くなる。
肩も軽い。
財布は軽くならないが、それは別問題だ。
昔、誰かがこれを「神聖な儀式」と言い出した。
みんな、それに乗っかった。
だって罪悪感なくスッキリできるから。
ありがたい。……なぜかちょっと背筋が寒くなるのは気のせいだ。
ヤギたちは、少しずつ静かになる。目の奥が、夜みたいに深くなる。
【本祭:熱狂!ダンシング・ヤギ神楽……からの、大大フィナーレ・還元の儀!】
次の日。
夕方になり、日が傾いてきた頃。
太鼓が鳴り、笛が鳴り、祭り2日目の夜の境内は、最高潮の賑わいを見せる。
舞台の中央でヤギがポツンと静かに立たされる。
舞うのは人間の巫女たちだが、みんなの視線はヤギたちに釘付けになっている。
角が照明を受けて、ほんの少しだけ金色に光って見えて神々しい。
観客の中に、「さっきまで重かったはずの記憶」を思い出せない人が出てくる。
さっきくよくよしていたはずなのにスッキリしている。
だから笑う。とりあえずみんな笑う。
ヤギはずっとそこにいる。
笑ってはいない。
そしてヤギたちが客席をじーーーっと見つめる時間が妙に長い。
まるで品定め――
――ん、今、何を考えてたんだっけ? まぁいいか。
陽が沈み、空の色が紺色になってきた頃。
祭りの最終儀式である「還元の儀」が、中央の小さな広場で行われる。
ヤギの縄に結びつけられた紙をお炊き上げするのだ。
炎は高く上がり、煙は空へと吸い込まれる。
空気が一段階軽くなる。
風が少しだけ優しくなる。
すると驚くことに、誰かの肩が軽くなる。誰かの頭痛が消える。誰かの涙が止まる。
みんなが大喜びしている。
……なぜか、ヤギは静かに一歩後退する。
それは偶然かもしれないし、そう見えるだけかもしれない。
けれど毎年、必ず同じように一歩下がるように見える……らしい。
祭りの最後、町内会長が高らかに宣言する。
「今年も、ヤギ様は、我々の穢れを引き受けてくださった」
パチパチパチパチ! 割れんばかりの拍手と大歓声!
そして安堵。
ヤギはもう何も食べない。
ただ、いつの間にかヤギの隣に立った神主さんと共に、ガラス玉みたいに澄んだ目で、彼らを見ている。
【そして、来年へ……】
こうして今年もハッピーに祭りは閉幕した。
……境内のヤギが一頭、いなくなっている……、毎年の事だ。
翌年の準備が始まるころ、境内の片隅で、看板のヤギが《《ひとり》》増えている。
一ミリも目が笑っていなくて、どこか見覚えのある誰かの顔に似て――、気のせいだ。
「ああ、今年も無事に回ったな」と、一人の老人が言う。
そして皆が笑って頷く。
祭りはそういうものだと、決まっているから。
・・・
今年の「やぎまつり」も、みんなで厄を押し付けよう。
さあ、今年の主役はだあれだ。
ー了ー




