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自称女神がくれた奇跡みたいな俺の一日

作者: 神経水弱
掲載日:2026/02/27


「大野くんはどう思う?」


 高校ニ年生最後の登校日の朝。ホームルーム前の俺はいつも通り、自席で他者との境界線をはり、ステルスモードに入る。そんな地味男な俺に、今日も話しかけてくれる高嶺の花の彼女。

 切れ長の美しい瞳を俺如き地味男に向けながら、艶やかな黒髪を朝陽に輝かせて、時にはにこりと天使のように微笑む。

 そんな高嶺の花の彼女、京野きょうの美桜みおに俺は今日も見惚れていた。


「大野くん!聞いてる?」


「ご、ごめん。話、聞いてなかった」


 ため息を一つ吐いた後、高嶺の花の彼女は唇をむっと尖らせた。


「もういいっ。大野くんに訊いたのが間違いだった」


「ご、ごめん。本当にごめん」


 君に見惚れて、声が耳に入ってこなかったなんて言えるわけがない。


「……はあ。大野くんは私のことなんて興味ないもんね。お話しする時、大野くんいつも上の空だし」


「そ、そんなことはないよ。ただ…」


「ただ?」


 京野さんの純白の美しすぎる顔が、無防備な距離まで近づいてくる。

 無理だ。直視なんてできるわけがない。


「え…えと…」


 俺の頭の中は真っ白になり、言葉が霧散する。

 そんなはっきりとしない地味男に当然だが、彼女もまたはっきりと呆れたようだ。


「はあ……大野くんにはっきりと言って欲しかったのに」


 え?そんな重要な話を!?


「も、もももう一回聞か──」


 焦るほど舌がもつれる。普段から喋らないツケだ。


 引き留める間もなく京野さんはくるっと踵を返し、甘いシャンプーか香水かの香りを残していつメンの輪の中に入っていった。


 一体、どんな重要な話だったのだろうか。

 それなのに俺は…サイテーだ。


 結局本人から答えを聞き出せるわけもなく、その答えを導くのに一日中頭を使うことになった。そしてその答えにありつけたのは放課後。

 昇降口で京野さんのいつメンの女子二人の話を素知らぬ顔をして、盗み聞いた結果だった。


「みーちゃん(京野さんのあだ名)でしょ?やっぱり彼氏になるなら隣りのクラスの飯島くんしかいないでしょ」


「だ か ら!その飯島くんとみーちゃんが明日デートするんだってば!」


「ええっ!?ま、ままま」


 まじかよおおおおおおお!!


「オエエエエエッ」


 帰宅後。


 二階建て学生寮アパートのとある六畳ワンルームでショックのあまりお腹をさすりながら青ざめる地味男が一名。あ、俺ね。


 こうなったのも俺が京野さんに見惚れて、肝心の彼女の話を聞いていなかったのが原因なわけで。

 どこからか間抜けすぎー!馬鹿すぎー!キモすぎー!など罵声が聞こえる気がするが、そんなものに構っている余裕はない。

 今はただ、今朝の京野さんとのやり取りを脳内で無限再生し、後悔のループに沈み続け、ベッドの上でのたうち回る。


「オエエエっ」


 内容物は出てこないけど、嗚咽と共に後悔を止めどなく吐き出してる感じだ。

 ストレスを極度に感じるといつもこんな具合になってしまう。


 気づいたら部屋も真っ暗だし。


 これが高嶺の花に少し撫でられただけで全身がチンコになってしまう地味男の顛末てんまつだとでも言うのか。

 まあ妥当だろう。順当だろう。因果応報だろう。


 いや!それでも、そうだとしても!そんなこと分かり切っていたことじゃないか!堂々としていよう。

 ほら、口の隅に残った唾液を拭いて……


「オエエエエエエエエエエエエエッ!!」


 ドンッ!!バリバリバリッ!!


 大きな嗚咽と同時に形容不能な大きな爆発音とカーテンを突き抜けるくらいの白光が部屋を満たし、視界が真っ白に焼き切れる。


 あ、俺、失恋のショックで死んだんだ。失恋のショックで大きな嗚咽を出して死んだんだ。


 そう確信した。次の瞬間。


 ガタガタガタガタ!!バンバンバンバンッ!!


「開けろおおおお!!」


 ベランダの鍵のかかった窓激しく叩いたり、無理矢理引こうとしたりしている音と同時に誰かが叫んでいる声に俺は耳を疑った。


「早く開けろって!!いるんだろっ!!居留守使うなああああ!!」


 乱暴な口調の……女子の声?


 しかもここ二階だぞ!?


「おいっ!居留守使ってんのはわかってんだよっ!!昔から昔から……よしっ!五つ数えるから、その間に出てこないと…」


 カウントダウン!?待て!待ってくれえええ!!


「あ、あ゛げま゛ずううう!あ゛あ゛…オエエエエエッ!!」


 嗚咽を出しながらも、なんとか震える手でカーテンを開けると、唖然とした。


「お!やっとかー!危うくペナルティ一おかしちまうとこだったぜえ」


 窓ガラス越しに視界に入ったのは、月光により明らかになった声の正体。


 毛先がくるっと内側にカールした白銀のショートヘアの同い年くらいの美少女だった。


「全く…ほら!早く開けてくれ!」


 月光により、大きな瞳の中は蜂蜜みたいに淡く輝かせている。長いまつ毛と柔らかそうな純白の頬も印象的だ。

 いや、それよりもっと印象的なところが彼女にはあった。


「え…羽?」


 月光のせいか、ほんのり青みがかった白い巫女服に似た長袖の神衣、その背にあるぱっと見、片翼で一メートルくらいあるだろう白銀の翼。


 コスプレ女子?


 バンバンバンバンッ!!

 

 小首をかしげる俺に口をはっきりと開け、窓ガラスを容赦無く叩きつける彼女にはっとする。


「おいっ!何わからねえフリしてんだよ!!いい加減これ開けろよっ!!」


「あ、す、すいません」


 反射的に謝りながら窓をガラガラと開けると彼女は膨れっ面で俺を睨んだ。


「やっとかよ!」


「すいません……」


 って!なんで俺謝ってんだ!

 不法侵入されてんだぞ!?


「まあいいや」


 よくねーよ!!と心の中ツッコんだ瞬間、さっきまで怒鳴っていた同一人物とは思えないほど、彼女はふわりと柔らかな笑顔を浮かべた。


「あたしの名前はスズノ…ん、んんっ。ごほんっ!あたしの名前はスズラン。二十四時間限定で天界から舞い降りたあんたの専属女神ですっ!」


「へ?」


「だ か ら!」


 びしっと指を突きつけられる。


「あたしは、めちゃくちゃ徳を積んで、大野おおの善平ぜんぺいのもとに二十四時間限定で派遣されることを許されたあんたの専属女神だ! 天王様てんおうさまの遣い! それにほら羽!ついてるだろ?女神の証!あと、あたしのことはランちゃんって呼べ!わかったか?」


 ……。


 ん?


 んん?


 何言ってんだこの人は?


 不法侵入しておいて、急にキレ気味にこんなこと言われたって、理解できるわけがない。


 わからないものわからないし、当然返す言葉も見つかるわけがない。


 とにかく目で訴えるしかない。


 怪訝な眼差しを向けて情報を引き出そうと沈黙の中訴える。


「おーい、ちゃんと聞いてたか?もしもーし!なんか言えよー」


 自称女神は俺の顔の前で手をひらひらさせる。


「あ!もしかしてあたしに見惚れてんのか?全く相変わらず可愛いやつだなあ」


 いやいやいやいや!!

 意味不明で言葉が出ないんだよ!!


「いや、あのー…それは設定ですか?」


「せってい?なんだそれ」


「そういうごっこ遊びというか、フリをしてるのかな…とか」


「あー、そういうことね!」


 彼女はぱちん、と指を鳴らし、突然、俺の手を掴む。


 小さくて、柔らかくて、ほんのり温かい手。


 ……って、え?


「触って確かめなよ」

 

 一瞬、そのふくよかな胸の元へ掴まれた手が導かれるのかと思ったが、そんな上手い話はない。


 俺の手は胸元を通り越して、彼女の背中へと導かれた。


「あ!羽毛の部分だけだからな!奥までは触んなよ!」


 ふわりとした羽毛の感触。

 想像通りの柔らかい羽。

 コスプレとしてはかなり精巧だ。


 それにしても落ち着くというか、触り心地がいいというか。高級羽毛布団ってこんな感じなんだろうか。

 

 俺の指はその奥へ、羽の根元へと無意識のうちに進んでいく。


 どくん。


 微かな鼓動のような振動が、指先に伝わった。


 温かい。柔らかい。


 羽の芯にあたる部分だよな。でもこれって皮膚?


「ちょっ……やめ……」


 びくっ、と羽が震える。


「んっ…いやっ…」


 エッチなアニメやゲームでしか聞いたことのない甘声で頬を赤らめたエッチな女子の顔を見た俺は勢いよく羽から手を抜いた。


 心臓が爆音を立てる。


 やばい。これはやばい。いろんな意味でやばい。


 全身の汗腺が一斉に仕事を始めた。俺は震える手を見つめる。


 エッチな声をあげさせてしまった背徳感もあるが、さっきの感触を思い出す。


 柔らかくて、温かくて、かすかに脈打っていて。


 どう考えても、人肌だった。


「え、ほん…もの?」


「あ、当たり前だろ!てか、女子の羽の中心をまさぐるなんて、スケベ!変態!」


 頬を赤らめたままこちらを睨みつけるが、俺は後退りする。


 こわい!


 え、てことはガチの地獄からの使者?女神の姿した鬼?


「あ、そうだ。あたしに余計なこと言わせないでね?あと質問もなし!」


「なんでですか?」


「あぁ、いやペナルティ食らうから。ペナルティ一回につき一時間減って──痛っ!!」


 頭痛か?急にこめかみを抑えた彼女は、痛みが治るやいなや夜空に向かってじだんだを踏んだ。


「これもだめなのかよ!てかこれくらいいいだろう!!あたしの大切な一時間返せ!!」


「あの…」


「あ?」


「一体どういう設定なのですか?」


「だからごっこ遊びじゃねーつってんだろ!」


「ひっ!」


 怒鳴られて思わず肩が跳ねた。


 こんな乱暴な口調の女神がいてたまるか!やっぱり女神ってのは嘘で地獄からの使者なんじゃないのか?

 とにかく人間ではないことはわかったけど。


 そんな怪訝な感情を読みとられたのか、目の前の使者はため息をつくと呆れ顔で口を開いた。


「もういいや。とりあえず先に言っとく」


 彼女は指を四本立てる。


「あたしがあんたに言っていいことは四つだけ」


「は、はあ」


「一つ目。あたしはあんたの専属女神スズラン。専属だから、あんたにしか見えない」


「……」


「つまり、あたしが触る物、持つ物、着てる物は――他の人間からは宙に浮いて見える」


「は、はい…」


「二つ目、あたしは天王様の遣いとして天界からやってきた」


「それはわかってます」


「三つ目、あたしがこの下界にいれるのは二十四時間」


 ここまでは一つ目以外は全部さっき聞いた話だし、あんまり大したことじゃない。


 ということは、四つ目も大したことじゃないだろう。


 俺は半ば聞き流す気分で次の言葉を待った。


 すると彼女はにやりと笑った。


「四つ目、明日あんたは駅前のでぱーと?だっけな。そこで京野美桜をいいじま?ってやつから引き剥がす!助ける!!…でなければあんたは一生、後悔することになる!以上!」


 以上か。


 って、え?


「四つ目は作り話ですか?」


「なんでこのタイミングでそんなこと言うんだよ、あたしが」


「なら、たぶん訪ねる人を間違ってると思います」


「そんなわけねえだろ!だってあんた大野…善平だろ?」


「はい…」


「なら間違いねえ。大野善平!あんたは明日、京野美桜を助けるんだ!大丈夫、心配すんな!胸を張れ!」


「いや、そういう問題じゃなくて…」


「だから明日はそのでぱーと?に行くぞー!」


「無理です」


「無理じゃねえ!だから心配すんなって!それにあたしが一緒に行って、手助けもしてやるから!どうだ?鬼に金棒だろ?」


「だからそう言うことじゃ……オエエッ」


「おい!大丈夫か!?」


 京野さんをあのカースト一位超絶イケメン王子の飯島くんから引き剥がす!?

 正気か?そんなことしたら京野さんからも、周りの人達からも軽蔑されて、ボコボコにされて、丸められてゴミ箱にポイだぞ?そんなの……


「オエエエエエッ」


「吐くのか!?ちょっ、ちょっと待て!ええと、なんか…なんか桶かなんか…」


 あがりこみ、部屋中を物色し始める自称女神。


「てかなんでこの部屋暗いんだよ!灯は?ろうそくかなんかあんのか?」


「あ、灯は…オ、オエエエッ」


「あー!動くなって!あたしが探すから…くそ、灯り…ろうそく──」


 この後、なんとか電気をつけた俺は、落ち着きを取り戻すまで自称女神に背中をさすってもらった上に泊まり込みで食事まで作ってもらった。

 晩御飯、朝食ともに美味しいというか、とても懐かしい味だった。いや、実家の母ちゃんの味付けとはまた違うんだけど。とにかくとても良かった。


 あと、初めて年頃の女の子と一夜を過ごした。


 あー語弊があるな。自称女神とは寝床を別にして一夜を過ごした。自称女神はベッド、俺は床。もちろん何もない。


 最初はそれだけでストレスだったし、俺は外の公園で一夜を明かそうとしたが、自称女神に止められた。脅された。


 そんなこんなで一夜を六畳の部屋で過ごしたわけだが、感想としてはめちゃくちゃ安心した。


 たぶんだけど、専属ってくらいの女神だから母性的なオーラが滲み出てるのかもしれない。

 床だったけど、とにかく久しぶりにぐっすり眠れたよ。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


 翌日、午前十時。京野さんたちよりも一時間早くデパートに着いていた。


 自称女神…いや、もうこの呼び方は申し訳ないからランちゃんって言うよ。


 ランちゃん曰く、このデパートで“俺自身の意思で”京野さんを飯島くんから引き剥がさないと、いろんな意味で終わるらしい。


 ちなみに京野さんたちは午前十一時にこのデパートにやってくるらしい。だから入店するところから彼女らをつけて、引き剥がすタイミングを伺おうと一足早く開店と同時に来たわけだが。


「すっげえええな!!このでぱーと?っての!」


 ランちゃんは思いっきり楽しんでいた。


 興奮しているのか、まるで子犬が喜びのあまりにしっぽを振るように、折りたたんでいた羽をばたつかせ、少し宙に浮いたところで目を輝かせながら辺りをせわしなく見回している。


「初めてなんですか?デパート」


「初めてだよ!…あ!善平!見てみろよこのお洋服!すっげえ綺麗……って高っ!?五千円って……家、何軒建つんだよ!?」


「さすがに家は建たないと思いますよ」


「いや余裕で建つだろ?」


「その計算なら僕は豪邸に住めちゃいますね。一か月にアルバイト代でその十二倍はもらってますから」


「善平めちゃくちゃ金持ちじゃねーか!!」


 天界の貨幣価値って戦時中くらいの貨幣価値なのか……って、天界も貨幣は円なのか!?

 そもそも天界ってたぶん死後の世界だよな。     

 嫌だなあ。死んでも貨幣経済から逃げられないのか。


 まあそれはそうと。


「ランちゃん」


「ん?」


「もしよかったら買いましょうか?そのお洋服」


 ランちゃんは目を丸くしたあと、すぐにそっぽを向いた。


「いや、いいよこんな高いもん。それに持って帰れねえし。そもそもあたしは女神だから今着れないし」

 

 あ、そっか。着ることはできるけど、服だけが浮いてるように見えるんだっけ?


「なら、ランちゃんの行きたいとこいきましょう!」


「ダメだろ。そんなことしたら京野美桜はどうなるんだよ」


「いいんです」


「いいわけねえだろ」


「いや、だから…」


「だから?」


「俺、久しぶりに安心感を得れたっていうか、ランちゃんのおかげでなんだか心に元気が湧いたんです」


「はあ?ただ飯作ってやっただけだろ?」


「それでも…小心者で普段から怯えて過ごしている俺にとってはありがたいことなんですよ」


 実家を離れてから、ずっと帰ることも許されず、弱音を吐く相手もいなくて。唯一の生き甲斐の京野さんからの信頼も失ってボロボロだった俺にとって、昨晩の彼女との時間は間違いなく救いだった。


「だからお礼がしたいんです。別に京野さんから逃げてるわけじゃないです!ランちゃんに元気をもらったから、必ず…必ず自分で解決してみせます!できますから!」


 俺がそう言った瞬間、ランちゃんは目を見開き、きょろきょろと辺りを見回すと地に降り立ち、すっと俺の耳元に顔を近づけきた。


「善平。周りの人たちから独り言をぶつぶつ言ってる変なやつがいる、みたいな目で見られるぞ」


「へ?」


 恐る恐る辺りを見回す。

 すれ違う何人かがこちらを見たり、隣りを歩く友人や家族に耳打ちしているのが目に入った。


「オエエッ」


 嗚咽と共にランちゃんからもらった元気が口から溢れおちていく。とほほ。


「あーあ。しゃーねえな」


 ランちゃんは呆れながら俺の背後に回り、背中をさする。


「だから気をつけろって言ったろ。話す時は小声かジェスチャーにしとけ。あと…」


 言葉を途切らせると、柔らかくて温かい感覚が背中全体を覆う。


「余計にうらやましくなるだろ…」


 不意に耳に入ってきたランちゃんの甘えたような、しかしどこか寂しさも感じられるような彼女らしくない声だった。


「善平に好かれてる…京野美桜のことが」


 心臓が、どくんと鳴る。


 俺は思わず振り向いた。


「なーんてな!冗談冗談!」


 いつもの調子で笑うランちゃんはくるりと背を向け、先を歩いていく。


「てか善平のくせに一丁前なこと言ってんじゃねーよ。ほら、行くぞ!」


 今のは、なんだったんだろう。

 胸の奥が、少しだけ締めつけられる。

 京野さんのことで苦しくなるのとは、違う感覚。


 ランちゃんといると、気づかないうちにいろんな感情が湧いてくる。


 安心とか。


 寂しさとか。


 懐かしさとか。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


 午前十一時ちょうど。

 俺はランちゃんの指示通り、デパートの入り口付近にあるベンチに顔がわからぬように、着ているパーカーのフードを深く被って俯いて京野さんたちを待っていた。


「きたぞ」


 ランちゃんの声に反射的に顔を上げかけた瞬間、ぐいっと彼女に頭を押さえつけられる。


「バカ!顔を上げたら気づかれんだろ!声だけ聞いて、本人達か確認してくれ。合ってたら頷け。いいな?」


 俺は小さくこくりと頷き、再び俯き、耳を澄ませる。


「京野さんはなにか見たいものある?例えば服とかさ」


 爽やかで、余裕のある男子の声。そして──


「服かあ…そうだね。付き合ってもらおっかな」


 いつも自分に向けてくれてる聞き馴染みのある澄んだ優しい声。


 頷くのも忘れて、顔を上げる。


 淡いベージュのトレンチコートに白シャツ、細身の黒パンツと足元は軽やかなローファー。

 まるでモデルみたいな男子。


 そして隣には薄いラベンダー色のカーディガンに、白のブラウスと膝丈の淡い花柄スカート。そして小さなショルダーバッグを肩に掛け、艶やかな黒髪をゆるく巻いて、楽しそうに笑っている京野さん、

 

 楽しそうに笑う二人の間には、自然に絡められた手。


「あ…あああ…」


 むりむりむりむりむりっ!


 もう出来上がってんじゃん!

 てか、え?俺今からあの二人の間を引き裂くの!?あんなに指を絡ませてるのに!?


 いやいやいやいや…一言いいですか?ランちゃん……


「オエエエッ」

 

 あれから三十分ほど尾行したが、ついに耐えきれず俺はデパートから飛び出し、入り口前にある小さな噴水広場のベンチでグロッキー状態にある。かれこれ一時間くらいこうしてる。


 「おい〜。しっかりしてくれよ〜。京野さんたちもう店から出ちまったぞ?」


 そういえば、たしか五分前だったか。デパートから出てきた京野さんたちが俺たちの数メートル先を歩いているのが視界に入った。しかも飯島くんの腕が京野さんの腰に回されて、二人とも満面の笑みで春が満開みたいな幸せなオーラで満ち満ちていた。


 それが俺にさらなる追い討ちをかけた。


「も゛う゛や゛め゛ま゛ず〜」


「は?京野美桜はどうなんだよ?」


 幸せになります。はい。

 それでいいです。それが一番です。


 そんなことを考えていると背中をさすっていたランちゃんの手を止め、俺の前に回り込み、しゃがみ込んだ。


 そして両手で、俺の手を握る。


「おい!しっかりしろよ!このままじゃ、一生後悔することになるぞ!」


「そ…そんなこと…言われても……」


 無理なものは無理だ。


「ごめん…ごめんなさい…」


 さっきの決意表明はどこへやら。

 ああ、俺はまた女の子を失望させるんだなあ。


 俺は恐る恐るランちゃんを見る。

 瞳がかすかに揺らいでいるように見えた瞬間

、下唇を噛みしめ俺をきっと睨んだ。


 ああ、めちゃくちゃ怒ってる。何か言わないと。


「あー…あ、明日!明日から頑張るから……」


「明日はないんだよ!!!こうたろおおおお!!!──いつっ」


 聞き覚えのない名前はどうやら俺に向けて彼女の口から出たようだが、なぜだか違和感がない。それどころか自分の名前のように思えたりしている。


 不思議な気持ちに呆気に取られていると握られた手の力が痛いと感じるまでにどんどん強くなり、その痛みで、ようやく彼女の言葉がはっきりと耳に届いた。

 

「いや……善平!よく聞けよ!」


 声が震えている。


「今日を変えなきゃさ…明日なんて…明日なんて結局ないんだよ!!」


「ランちゃん…」


「善平、い、いまはよ…」


 少しずつ瞳に溜まっていた宝石のように透き通った涙を次々とこぼしながら俺に語り続ける。


「今はちげえんだ!あんな時代みたいに選択肢が限られてるわけじゃねえ!決めれるんだ!…だから……」


 顔を伏せ、両腕で乱暴に涙を拭うがそれでも目尻に残った雫は消えない。それでも彼女は、精一杯の笑顔を浮かべた。


「この時代でなら、善平が諦めなければ、絶対京野美桜を…愛する人と幸せに一緒にいられるってさ!あたしはわかってるから!!」


 なんだろう。俺は彼女の涙も、こんな熱意のある言葉も、新鮮に感じるべきなのに。


 どうしようもなく、懐かしくて、温かくて……まるで何十年も無くしていたピースがようやく見つかって、それがはめられたような気分だ。


 じんわりと彼女の言葉が魂の芯に染み込んでいく。


「俺、やっぱりちゃんと伝えたい……」


 さっきまでの弱気が嘘みたいに消えていた。

 不思議と今ならなんだってできる気がする。


「伝えたい。いや伝えに行く!今から!」


「その意気だ、善平!さすがあたしのしゅ……専属!」


「……で、ランちゃん」


「なんだ!?」


「京野さんたちがどこに行ったかわからない…です」


 ずこーっ。

 ランちゃんは盛大にずっこけた。


「はあ……しゃーねえな」


 立ち上がり、ふらつきながら指を指す。


「あの建物に続く一本道──痛っ」


 頭を押さえながらランちゃんが指した建物とは、このデパート前の県道を真っ直ぐ進んだ高台にそびえ立つピンク色の中世のお城をイメージした……ラブホだ。

 

「ま、まじか…」


「わかったんなら、早く行けよ…いってえ……」


 ランちゃんの額には汗がにじんでいる。

 顔色も、なんだか少し悪い。


「体調大丈夫ですか!?昨日も、今朝も…頭痛そうにしてたし……薬買ってきましょうか?」


「いいから早く行け!!」


「は、はい!!」


 俺はランちゃんに怒鳴られながら、ようやく駆け出していく。

 数メートル走ったところで彼女の気配がないことに気づき、後ろを振り向くと彼女はベンチに座ったまま、春風に白銀の髪を揺らしながら、目を閉じている。


 やっぱりしんどかったのかな?

 なのに俺のためなんかに体力も気力も消費して。


 ランちゃん。結果はどうであれ、そんな君が言う事だから、俺は信じるよ。


 ようやくそんな気持ちになれた具合で、数メートル先に見覚えのある男女二人の背中が見えた。

 

 近くになるにつれて心拍数が上がっていくのがわかる。歩幅も小さくなっていく。


 引き返したい。だって、俺みたいな地味男……


『今日を変えなきゃさ…明日なんて…明日なんて結局ないんだよ!!』


 脳裏に、ランちゃんの叫びが蘇る。


 逃げるな。


 こんなどうしようもない俺でも、ランちゃんは応援してくれた。見捨てなかった。


 だったら俺が自分を見捨てるな!


「ぉ、ぉぉぉぃ……」


 そうそう気づかれないように小さな声で、そろりそろりとって、あほか。


「ぁ、ぁあ…あの〜、きょ、きょう…きょうのさん」


 まるで鳥のさえずりのような力のない声だ。俺らしいが。


 そんな俺らしい声に、二、三メートル先を歩く二人のうち、京野さんだけがゆっくりと振り向いてくれた。


「え」


 目が合い、心拍数が余計に早くなっていく。


「ぁ…ああ、いや、あ、あの…」


「ん?どしたの美桜」


 京野さんに、俺の高嶺の花に馴れ馴れしく下の名前呼びだと!?!?


 いや、イケメンだからその資格はある…か。くそっ!!


 すっと通った鼻筋に、涼しげな二重。軽く流した黒髪が春風に揺れる。


 同じ高校生とは思えなくらいで、俺は無意識に一歩、距離を取っていた。


「誰、この人?」


「同じクラスの大野くんだよ」


「あぁ……」


 飯島くんは俺を上から下まで一瞥いちべつする。


「ひょっとしてさ、美桜が言ってたさ──」


「え……」


 潤んだ瞳を大きく見開く京野さんの横で、飯島くんは片方の口の隅をぐいっと上げる。


 そして鼻で笑った。


「美桜がむかし好きだった人…だろ?」


 え?

 

 え?


「え?」


 京野さんは否定をしない。それどころか顔を真っ赤にして伏し目で下唇を軽く噛み締めている。


 え?ん?……


 んんんんん!?!?


 まままままさ、まさかの……両想い!?


「って、なわけねーよな!あはははははっ」


 飯島の高笑いが、春空に響く。


 次の瞬間、飯島はぐいっと距離を詰め、威圧するように言った。


「ごめんなあ!……ええと、田中くん?俺たちさ、彼氏彼女の関係なわけ。水入らずでデート楽しみたいんだよねぇ。意味わかるよね?」


 飯島は一瞬、顎をくいっと例の建物へ向ける。


「てことで俺たち行くから。あ!間違ってもついて来んなよー」


 そう言いながら踵を返すと京野さんの肩を抱き、前へと歩き出す。


 顔だけこちらに振り向かせている京野さんの表情からは暗澹あんたんたる気持ちが滲み出ているようにしか見えない。


「ほら、美桜。前見ないと危ねーぞ。ちょっと言い過ぎたけど、あれくらい言わねーとストーカーは勘違いすっからよ。それよりさ──」


 あいつの声に俯き気味に肩をすくめる京野さん。


 行ってしまう。言わなきゃ、止めなきゃ、、頭の中では痛いほどわかってるのに。


『今日を変えなきゃさ…明日なんて…明日なんて結局ないんだよ!!』


 だよな。


 ありがとうランちゃん。魔法の言葉みたいでやっぱり元気出る。


 俺はごくりと生唾を呑み込むと深呼吸をした。そして目をぎゅっとつぶり声に出した。


「す…すきだっ!!京野さんっ!」


 少しの沈黙。恐る恐る目を開けると、ぽかんと口を開ける飯島と、真顔で真っ直ぐ見つめてくる京野さんが視界に映る。


「大野くん……」


「おいおい。なんの茶番なんだよ。人の女に告るとか……って美桜!?」


 飯島の隣りには既に誰もおらず、京野さんはこちらに走ってきた。真顔で。


 あれ?怒ってる?怒ってるのか!?


 だって真顔なんだもん。

 ひいぃぃ、てかいつの間にか目の前にいいい!


「遅い…」


「え…」


「今まで私なりにアプローチしてきたのに、なんで今…」


「ごめん、なさい。遅かった…よね」


 一瞬の沈黙のあと京野さんは破顔した。後ろの飯島に背を向け、その宝石の光沢のような笑顔を俺にだけ向けて。


「それでもやっぱり嬉しい…嬉しいよ」


 そう言うと、くるっと飯島に向き直り、顔の前で手を合わせた。


「ごめんっ、飯島くん。私、これから大野くんと用事ができたから帰るね」


「は??」


「あと…」


 俺の隣に並ぶと、京野さんは俺の手をぎゅっと握る。


 温かい。


 そして京野さんは笑顔で飯島を追撃した。


「私ね、飯島くんみたいに人を馬鹿にする人よりも、人を大事に想う大野くんの方が好きみたい。……ううん、大好き」


 飯島の顔が固まる。


「だから、もう恋人でいるの、やめるね。ごめん」


 京野さんがそう言った次の瞬間だった。


「何がごめんって?」


 飯島とは違う低い男の声が飯島の背後から飛んできた。


「おせーから来てみたら、誰だよその男」


「美桜のストーカー。邪魔されてんだよ」


「なになに〜。え?飯島っち、振られたん?だっせー」


 飯島の知人と思われる背が高くがたいの良い男と鼻ピアスをした金髪で、目の下にくまを作った男。

 明らかにうちの高校のやつらじゃないがちの不良二人が飯島の横に並ぶ。

 そしてがたいの良い不良男が手をゴキっと鳴らすと、片方の口の隅をつり上げた。


「とりあえず、その男をボコボコにすりゃあいいんだろ?」


 飯島は舌打ちし、俺たちを睨む。


「ああ。芋男のくせにうぜえんだよ。あと美桜、あとで覚えとけよ?」


 金髪の男が下卑げびた笑いを漏らす。


「早くやっちゃおよ。俺もうチンコぱんぱんだってー。あぁ、早くあの女にぶちまけてえ」


 こいつら、さっきから俺をボコボコにするだの、京野さんをどうにかするだの…やべえ。


 いや、まじでやべえぞ!


 とにかく逃げるか…でも相手は三人。確実に逃げれるかわからない。


「ねえ…大野くん」


 手をぎゅっと握り、京野さんは無理矢理に笑顔を浮かべた。


「大野くんは逃げて」


「え…」


「だってこうなったのは私が悪いんだもん。私が大野くんへの片想いを忘れたくて、飯島くんと遊んだから…」


「そんなこと今言ってる場合じゃないよ…とにかく逃げなきゃ…一緒に」


「おーい。何コソコソやってんだよ」


 飯島たちがさらに一歩近づく。


「早く来いよ、美桜。無視すんなら、田中くんやっちゃうよ?」


 飯島ら三人は、まるで獲物を追い詰めた肉食獣のように不適な笑みを浮かべて少しずつにじりよる。


「みーお。はーやーくー来いってさ…言ってんだろおがあああ!!」


 飯島の怒号にビクッと肩がはねる。同時に足震えが止まらなくなる。息の仕方かさえ忘れてしまいそう。


 ああ、だめだ。怖い。本気で、怖い。


 足が動かない。声も出ない。


 お願い…助けてランちゃん……


「善平の幸せをおおおおお!!邪魔するなあああああああああ!!!」


 奴らの背後。三メートルほど宙に浮かぶランちゃんの姿が視界に映る。


 白銀の翼を大きく広げ、逆光の中で輝いている彼女の手には、光の弓。そして矢尻がハート型の矢がつがえられている。


 弦が鳴り、放たれた二本の光が二方向へ一直線に走る。


 矢はそれぞれ一本ずつ飯島の取り巻き二人に命中した。命中した瞬間、二人はバタンと倒れ、アスファルトの地面に伏した。矢は霧のように消えた。


「おい!お前らどうした!?」


「…クゥゥゥ…クカアアアア!」


 豪快にいびきをかく二人。


 ランちゃんは指を飯島に向けて叫んだ。


「京野美桜を守れええええ!ぜんぺええええい!!」


 その瞬間には飯島が鬼の形相で殴りにかかってきた。


「くたばれええええ!芋やろおおおおお!」


 逃げるもんか!


 俺は一歩、前に出て京野さんを背にかばう。

 そして右拳を、力いっぱい握りしめる。


 震えてる。


 それでも。


「俺の大切な人に──」


 息を吸い、俺は思いっきり右拳を前に突き出した。


「手ェ出すなあああああああああ!!!!!」


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


「今日はありがとうね」


「いやあ、まあ。相変わらず格好つかなくてごめんだけど」


 そう言いながら、産まれたばかり子鹿のように震える脚をさすりながら誤魔化すように笑ってみせる。


 一時間前、殴りかかってきた飯島に突き出した右拳は偶然、彼の鼻にヒット。鼻血を垂らしながら、仰向けに倒れた。


 その隙に京野さんの手を引いて、走り、電車に乗り、そして彼女の家の前にいるのだが…やっぱり今だに怖いものは怖い。


「大野くん大丈夫?」


「大丈夫大丈夫!ちょっと…頑張りすぎただけ」


 すると京野は俺の手を取って、指を絡めるとぎゅっぎゅっと小刻みに力を入れる。


「えいっ、えいっ」


「何してるの?」


「怖い思い出がなくなるおまじない。こうやってぎゅっぎゅって、力を入れて握ったら怖い思い出が消えて愛が生まれるんだって」


 愛が生まれる…か。


「お、俺…はっ!…京野さんからの…愛……いっぱい、もらったよっ!」


 自分で言った台詞に顔が火照ってきた。

 そんな俺をしばらくジーッと見つめる京野さん。


「大野くん…んーん……善平くん」


 下の名前呼び!


「は、はいっ!」


「善平くんは……」


「え…」


 次の瞬間には視界いっぱいに京野さんが映ってやわらかい感触が唇に触れる。


 ちゅっ……ちゅっ


「私が誰よりも幸せにするんだから。世界一って思ってもらえるくらい…それくらい大好きなんだからね!」


 そう言うと俺から離れた彼女は夕焼けより、ずっと赤い笑顔を浮かべた。


「じゃあ、また連絡するね」


 小さく手を振りながら玄関に入っていく京野さん。


 俺もぎこちない笑顔を浮かべながら小さく手を振る。


 玄関がガチャっとしまった瞬間、俺は京野さんに告白された余韻に浸る間も無く走った。


「ランちゃん…ランちゃんどこ?」


 時より立ち止まり、辺りを見回しながら京野さん家の最寄り駅まで戻ってきた。


 たぶんうちに先に帰ってるのかも。でもそうじゃなかったら?


 確か今日の二十一時がタイムリミットだったけ?あーでもペナルティで一時間がどうとか言ってなかったっけ?


 色々考えては焦燥感が募るだけ。


 とにかく、お礼を言いたい…ありったけの感謝を。


「礼はいいよ。上手くいったようだし」


 その声に振り向いた瞬間、俺は凍りついた。


「ランちゃん…身体……」


「あぁ、どうやら力使ったり、ルール違反したせいで予定より早く帰ることになっちまったみたいだ」


 ランちゃんの身体中から、光の粒がこぼれていた。

 蛍みたいな、小さな光の粒は風もないのにふわりと宙に浮かび、夕焼けの空へと溶けていく。

 

 そしてランちゃんの身体は少しずつ透けていく。


「待ってくださいよ!まだ俺、ランちゃんに何もしてあげられてないんですよ!?」


「だからいらねーって言ってんだろ」


 ランちゃんは少し困ったように笑う。


「あたしはさ、善平が幸せなら、それでいいんだよ」


 なんで。


 なんでそんな顔できるんだ。


 なんで本当のことを言ってくれないんだ。


「なんで俺なんかのために……あんなに無茶して……」


 喉が詰まる。


「ほんとは、こうたろうさんに会いに来たんじゃないんですか?」


「ああ。そうだよ」


「だったらなんで俺なんかに時間を……」


 光を零しながら。

 消えかけながら。

 それでも優しく微笑んで、小さく首を傾げるランちゃんを愛おしく感じる。失いたくないと。

 

 そう願えば願うほど、魂の奥底から溢れ出てくるものがあった。

 

 それは存在しないはずの記憶だった。


『こうたろおおお!早くしねーと、飯さめちまうぞおおお!』


 髪型は変わらないが、黒髪でところどころ繕った箇所のあるベージュ色の割烹着姿のランちゃん。田んぼのあぜ道からこちらに大きく手を振っている。


『こうたろう!!芋大収穫祭だ!これで当分はお腹空かせなくて済むな!米の配給なんかあてになんないもん』


 顔に土汚れをつけながら笑顔のランちゃん。


『やだ!!あたしは絶対やだ!!幸太郎を戦地に行かせるなんて絶対嫌だ!!嫌だからね!!』


 目尻に涙を溜めながら、赤い手紙を握りしめて子どものように怒る蘭子。


『絶対…帰ってこい。そしたらまたさ……またいっぱい笑って、いっぱい馬鹿言い合って、いっぱい…いっぱい……幸せになろ?』


 最後に見た蘭子。


 いや、厳密に言えば違う……な。


『はあ…はあ……蘭子……幸せを……ありがとう……』


 銃弾や砲弾、仲間の阿鼻叫喚の声を遠くに感じながら、初めて撮った結婚した日の写真。血濡れた写真。最後に蘭子を見た記憶。


 そして俺の意識は途切れた。はず……だった。


「善平、泣くなよ。なあ、最後くらい笑ってみせてくれよ。お前の笑った顔を似てんだよ……」


 蘭子………


「蘭子……」


「えっ……」


 目を見開きながら驚く蘭子。たぶん別人かもしれないが、まさかまた蘭子の顔を見れるなんて。


「善平……じゃないのか?ま、まさか」


 善平?あぁ、そうか。

 俺はたぶん…生まれ変わったんだな。

 

「善平…俺は幸太郎…鈴野幸太郎だ……君は蘭子……鈴野蘭子…だろ?」


 すると蘭子はくしゃっと目を瞑り、何度も頷きながら涙を流している。


 よかった。蘭子だったか。


「あ、あたし!どうしても幸太郎に会いたくて……あ、あたし…ごめんなさい…ごめんなさい……幸太郎の帰りを待てなくてごめんなさい。先に死んでごめんなさい」


「なあ蘭子……」


「はい……」


「幸せにしてくれて、ありがとう。今でも、俺は蘭子のことを愛してる」


 言えなかった言葉をようやく伝えた。


「あたしも、幸太郎の嫁になれて…幸せだったよ。幸太郎……」


 意識が戻り、はっとする。


 一体俺は何を……ってランちゃん!?

 身体がもうほとんど消えかかってる!


「ランちゃん!」


「あたしを幸せにしてくれてありがとう……って、善平か」


 今にも消えてしまいそうなのに、それでもランちゃんは笑顔を絶やさない。


「だめ…だめだランちゃん!まだ俺は──」


「善平。善平は自分の人生をちゃんと生きて、京野美桜とちゃんと幸せになれよな」


 眩い光に包まれるランちゃん。

 まだ何もしてない。

 俺は何もお返しできてない。


 頼む!頼むから!


「行くな!!」


 彼女を抱きしめる。


 だが次の瞬間には空気になって消えた。


 微かな光の粒が、夕暮れの空へと溶けていく。


 それでも、確かにそこにいたんだ。ランちゃんは。


 俺はその場にうずくまり、消えていった一粒の光を抱くみたいに、しばらく動けなかった。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


「でもさ、なんで善平くん、あの日あんなピンポイントで私の場所わかったの?」


「そ…それは……」


「それは?」

 

 学校の帰り道、隣を歩く美桜ちゃんが、じっとこちらを覗き込んでくる。


 女神と過ごした奇跡のようなあの日から一か月が経ち、俺たちの関係はちゃんと“恋人”になった……なった、はずなんだけど。


 そんなふうに近距離で見つめられると、いまだに心臓がもたない。


「え、えと……」


「早く!もったいぶらないでよー。気になるよー」


 あーもう!言おう!正直に!


「つつつ、つけてました……」

 

「え?ほんとに?」


「はい……」


 あの日、飯島が俺のことをストーカー呼ばわりしてたけどあながち間違いじゃないんだよなあ。


 はああ、幻滅するよなあ。


「それってさあ…私のことが気になってたから?」


「はい……」


「ふふっ」


 くすくすと笑う美桜ちゃん。


 次の瞬間、俺は力が抜けて膝から崩れ落ちた。


「え!?善平くん、大丈夫?」


「お、怒られると思ってたから…力抜けちゃって…」


「もー!大袈裟だよー。むしろ私は嬉しかったんだけどなあ」


 や゛さ゛し゛い゛〜!!最高かよ!


「てか、ほら。立って」


 笑顔で手を差し伸べる美桜ちゃん。その手を取って立ち上がると、美桜ちゃんは俺の膝についた土をぱんぱんと払ってくれた。


「み、美桜ちゃん!手汚れちゃうよ」


「いいの。駅のおトイレで洗えば済むし。それより今からデートなんだから、制服汚しちゃだめでしょ?」


 そう言って美桜ちゃんは相変わらず眩しいくらいに明るい笑顔を浮かべる。


「ほら、早く行こっ!」


 夕陽に照らされた長い黒髪が、さらりと揺れる。

 その手に引かれながら、俺は歩き出す。


 幸せだ。

 言葉にできないくらいに。


 でも、この幸せは偶然じゃない。


 俺の専属の女神様がくれたあの奇跡みたいな一日のおかげであることを忘れない。

 いや、忘れることなんてできるわけがない。


 ランちゃん。ありがとう。


 最近、ふと空を見上げることが増えた。


まだまだ未熟者で勉強中ですので、おかしい点や不明な点、また誤植、誤字、脱字があればぜひ教えてください!

あ、友達のように気軽に教えてくださいね!


もし仮に、上記に当てはまらず、純粋に良かったと思っていただいた場合はお星様★★★★★をお願いします。

めっちゃ喜びます(๑˃̵ᴗ˂̵)

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