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国民主権!?

作者: 十夢
掲載日:2026/02/02

選挙期間中に相応しいのかどうかもアヤフヤです……

日本国憲法(前文)には国民主権と書いてある!


日本国憲法

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。(以下省略)



明治憲法だった頃……


明治憲法には臣民の権利は存在したが、「法律による留保」が付せられていた。これにより法律によっていかようにも制約できるないようであった。


国民は守りたい!


与えられた権利は、守りたいもの。積極的に守る姿勢が無いと気づかないように奪われる。憲法の条文にもそれがある。

 

日本国憲法

第三章 国民の権利及び義務

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。


自分たちの有る筈の権利と義務!?


 さて、私たちは、いつでも、与えられた権利と義務について知っているだろうか?または、それを意識して生きている?

 もしも、こんなふうに誰かは生きているとしたら、きっとそれは、変わった人だと思われていることだろう。それくらい、これらのことは考えられずに生きている。それはむしろ、そうすることを推奨されているのでは?!と思わされるほどに空気以下の存在になっているんだろう。

 でも、ちょっと思い出して……。私たちには守るべき自由と権利があることを。


選挙のたびに思い出そう!


 選挙では、いろいろな候補者が出て、いろんな意見を聞くだろう。その時に、美事麗句ほど聞きたくは無いものだ。それは、先の大戦に限らず、どの戦いにだって、人々を煽り、心を焚きつけるのは、耳に心地よい美事麗句。言う者が、聞く者が、気持ち良くなる言葉に嬉々として乗せられるからだ。


候補者を選ぶ基準


 きっと、投票をする人は、相手が自分にとって欲しいものを与えてくれる者を選びたい筈だろう。あの人は、私たちに何をしてくれる、どうしてくれる。手と足となって働いてくれる……。その欲しいをもたらす基準は、人それぞれの中で。

 かつては自分もそうだっただろう。自分の場合は、「頼まれたから」という理由が一番多かった筈だ。相手に喜ばれたいから。相手を喜ばせたいから。そこには、自分だけの人間関係の基準しかないのだが……。


失ってはいけないものを守るための投票だ!


 投票権を得てから早くも30年は経つだろう。ここまで来るとさすがに、候補者が話す言葉、声を聞けば何となく分かるようになる。その候補者が何として、そこに居るのか?それは、相手の人生であって、こちらが選ぶ権利など持って居ない。それでは、なぜ、ここで候補者と投票する者が出会うのか?

 それは、この国の主権は、国民が持つからだ。それを、国民たる本人がまったく意識しようとしまいとも。そんなことはお構いなしに、権利と義務が存在する。それは、ちょうど、敷地の境界線が目には見えなくても、当然の意識として認められると同じようにして。見えなくてもある。


決めることは、ただ一つ!


 一票を託す相手を決めること。自分がそこに求めることは、ただ一つ。主権を奪う者は居ないか?ということだ。言葉巧みに主権を奪おうとする。それは、どの国、どの時代だって、支配者たちが行って来た甘い誘惑。それは、時として、善い顔をしてやって来る。弱い立場となってやって来る。人の良い国民は、それが気の毒になって、それらを完全に許してしまう……。その為に、自らの首がはねられようとも……。

 ここに書いた例は、どこの国にある神話でも良い……。どこの国にある戦記でも良い。例えとして書くならいくらでもある例だ。誰だって、昔話を始め、英雄伝、武勇伝を聞くだろう。そうして語られる話には、いつだって、どこかに何か違和感を感じるように作られているように。その違和感は、敗者の言葉。伝承には何かしら真実へ気づいてもらえるようにと願いを埋め込まれる……。そうでもしなければ、有ったことさえ無かったことになれるから……。そうやって、守られて来たことがこの国にもたくさんある。


大地が記憶する心


どの国にも大地が存在して、地上で人々が暮らしている。その大地は、何も語らない存在である筈がない。人々がそれを知らぬ顔をしてみたところで、人間の心がそれを無意識のうちに感知する。人間の存在は、自意識だけで生きられる訳では無いと伝える……。

 いま、日本国憲法がこの国にある。この前文から条文を読む中で、自分は、遥か昔の、この国の大地がまだ人もまばらで、国としてもまとまりのない集落だった頃を想う……。そこから始まるこの国上の大地での人々の営み……。侵略され、降伏し……何度も何度も……繰り返された大地を。そこから続く人々は、どう思ったのか?何を守らせたかったのか?

 これは、この国と大地との対話。そして、それは、ここに生きる人間が、いま、この国の国民となって守ること。

 それは、国民が主権者である国づくり。そのことは、与えられて作ることには出来ない。その為には、学ぶことを放棄するのはやめよう。何が行われているのかは、知る努力をしよう。分かりやすいのは、お金の流れにあるのだが……。

 だけど、一番忘れないで欲しいのは、この国にはいつだって、国民が幸せになることを絶対に諦めないで伝えようとした存在達があるということ。どこの誰かも明かさない、誰に知られなくても問題ない。支配され続けたことだけが、この国の歴史ではない。

 国民が主権を守ること。この意識に目覚めたら新しい国になる。その一瞬を今か今かと待ち続けられている、この国は……。


寿ぎ 


日本国憲法

 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。(以下省略)


どうせ……なんて思わずに

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