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ぁ〜〜〜〜〜

作者: ゑいすけ
掲載日:2025/12/31

怖くない怖い話。

新居から仕事場までは電車で三駅。

ちょうど繁忙期に入ったこともあり、残業続きだった。

夜になると、自宅最寄り駅の通路には滅多に人がいない。


駅から家までは歩道が続いていて、途中に信号はあるものの、深夜は車もほとんど走っていない。

防犯のためなのか、白っぽく塗られた通路はやけに明るく、俺はスマホをいじりながら帰る癖がつき始めていた。


SNSには、友達や見ず知らずの人たちが、それぞれ夕食やペットの写真を上げたり、仕事で疲れただの呟いたり、どうでもいいニュースに突っ込んだりしている。

一人暮らしの俺にとって、それは実家のリビングで家族の会話が耳に入ってくるような、妙な心地よさがあった。


〜〜〜〜〜〜ぁ


帰ったら何を食べようか。

冷蔵庫に何かあったろうか。

酒はまだ一、二本残っていたはずだが、何かつまみたい気分だった。


……〜〜ぁ〜〜〜あ〜〜〜〜〜


考え事をしながら歩いていて、ふとスマホから顔を上げた。

長く続く通路の向こうから、女が、どこか緊張感の抜けた声で叫びながら走ってくる。そう思った。


あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


だが、何も見えない。


姿がないのに、音だけが近付いてくる。

さすがにおかしいと思うほど近くまで来て、ようやく身体が動いた。

金縛りが解けたみたいに、俺はまたスマホを見下ろす。


気付いていない振りをしないといけない。

理由は分からないが、そうしなければいけない気がした。


「晩飯、きんぴらか……」


友人が載せていた、山盛りのきんぴら牛蒡の写真を見ながら呟く。

歩き続けると、声は少しずつ遠ざかり、通路を抜けてしばらく歩く頃には全く聞こえなくなっていたが、俺は前を見て、スマホを片手に持ったまま足を動かした。


周囲には明かりのついた民家があり、どこからかテレビの音や笑い声が聞こえる。

家の近くで犬が吠え、子供の笑い声がしたあたりで、ようやく呼吸が楽になる。

疲労による幻聴だったのかもしれない。


帰宅して、冷蔵庫の有り合わせで飯を食い、風呂に入る。

シャワーを浴びながら、さっき調べた「疲労 幻聴」という言葉を、都合よく頭の中で並べる。


頭を洗い始めた頃、微かに、声が聞こえた気がして手が止まった。


シャワーの音と換気扇の音に混じって、人の声がする。

さっきの今だ、物音がそう聞こえるだけだろう、と自分に言い聞かせ、鼻歌を歌いながらシャンプーを泡立てる。


それでも、声は近付いてきた。


〜〜〜〜……ァ。


換気扇の向こう、外の空気に乗って、確実に距離を詰めてくる。


ァ〜〜〜〜〜〜ァァ〜〜〜。


目を閉じる。

シャンプーが沁みる。

指に力を入れて頭を擦る。

泡が、顔や背中を伝って落ちる。


ァァァアアアアア〜〜〜〜〜〜!


風呂場に女の声が響いた瞬間、身体が強張った。

目は開けられない。

シャワーも止められない。


「……ん、ん〜〜〜♪」


震える声で鼻歌を歌い、最近よく耳にするCMの歌まで、無理やり続けた。

頭からシャワーを被った頃、声が消えていることに気付く。



終わった、のか。



指に絡む短い髪から手を離し、振り返ろうとした瞬間。





「聞いて」





耳元で、女の低い声がした。


俺は情けない声を上げて、その場にへたり込んだ。

それきり、何も起こらなかった。




あの声を聞いたのは、その夜だけだ。

翌日も、その後も、帰り道でも家でも、同じことは起きていない。


それでも、換気扇の音が少し変わった時や、夜の通路を一人で歩く時。


またどこかから、あの声が聞こえてくる気がして、今でも、無意識に身構えてしまう。

アパートに1ヶ月しか住めなかった人と、同じ人かもしれないし、そうでないかもしれない。

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