9. 配慮なき執착と孤独な記憶
「タミアに会ったそうだな」
タミアは余計な火の粉が降りかかるのを恐れ、図書館での出来事を全てマダットに報告していた。 報告を受けたマダットは不愉快そうな顔をしたが、対するセレンの顔には一片の動揺もなかった。彼女は平然とした顔で事実だと認める。 顔を赤らめたり、言葉を濁したりしないところを見ると、他の女性たちのようにタミアの整った容姿に惹かれたわけではなさそうだった。
「友人について話したそうだが」
彼はやや寛大な風を装って尋ねた。 普通の人間なら気を利かせて、死んだ友人についての話など持ち出さないだろう。だが、彼には配慮や同情心など微塵もなかった。ましてや、卑しい「おもちゃ」に施す温情などあるはずもない。 彼はただ己の好奇心を満たすために、躊躇なく問いを重ねた。
「どんな奴だった?」
馴染みのない感情だったが、マダット自身も気づかぬうちに、相手のことを知りたいと願っていた。彼女が誰に好意を抱き、何があったのかを知りたいという自然な欲求。 しかしそれは、相手への配慮が欠落した自己中心的な独占欲でもあった。
幸いなことに、セレンは最初から彼に何も期待していなかったので、失望することもなかった。ただ、ぼんやりとした記憶を辿らねばならないことに困惑するだけだ。 友人が死んだのは、あまりにも昔のことだった。もう、十年以上は経っているだろうか。
『お姫様が羨ましい』 『私は、お姫様じゃないよ』
鮮明に覚えているのは、鉄格子の中にいた「その子」との短い会話くらいだ。 名前さえ知らず、まともに呼んだこともなかった。それを親友と呼ぶには語弊があるかもしれないが、セレンにとってはそうだった。両親以外で、唯一心を許した存在。
「私を羨ましがっていました」 「どうしてだ?」 「……自由だから、と」
その子は狭い空間から出られず、いつもセレンを羨望の眼差しで見つめていた。幼い頃のセレンには、それがよく理解できなかった。共感能力が欠けていたせいもある。 マダットは、その友人が奴隷の身分だったのだろうと推測した。貧しい平民であれば、奴隷と親交を持つことも不可能ではないからだ。
彼は次の言葉を待ちながら彼女を見つめた。セレンは何故か意識が遠のくような感覚を覚えながら、口を開いた。
「そして……、いつも私を待っていたと言っていました」 「男だったのか?」
マダットは、突如湧き上がった苛立ちを隠そうともしなかった。セレンは首を横に振り、「女の子でした」と答えた。 その言葉通り、その子はセレンと同じ黒い髪と黒い瞳を持つ少女だった。
「なら、何故そんなに君を待っていたんだ?」
マダットは心底不思議そうだった。セレンは真実の一部を巧みに隠し、自然な口調で告げた。
「私のお話を聞くのが、好きだったからです」
(……そして、その子が耐えられないほどの孤独の中にいたから)
セレンはその後の言葉を飲み込んだ。時折、胸がチクチクと痛む。彼女は長い時間の中で、それが「罪悪感」という名の感情であることを学んでいた。
「どんな話だ?」
男はしつこく尋ねてくる。セレンはその執着を理解できず、ぼんやりとマダットの顔を見つめた後、持ってきた本に視線を落とした。
「大抵は私が読んだ童話の内容でした。その中でも、その子が一番気に入っていたのは……人魚の話です。その子も、黒い髪と黒い瞳をしていたから」
人魚――。 マダットは黙ってセレンの頭を撫でた。この世には存在しないとされる異界の存在を思い浮かべ、セレンとの共通点を見出す。 黒い髪に、黒い瞳。伝説によれば、人魚もまたそのような姿をしていた。そして人魚は長い間、不幸の象徴と見なされてきた。この帝国の民が、黒い髪と黒い瞳を忌み嫌う理由でもある。
「黒い髪に、黒い目か」 「はい……」
人魚を連想して、自分を不気味に思ったのだろうか。セレンはこれまでに浴びせられた数々の罵倒を思い出した。マダットが本当に嫌だと言うなら、髪を染める手間くらいは惜しまないつもりだった。 しかし、彼は特に気にする様子もなく、「どんな話だったのか」と聞き返した。
今日は特に多く喋らされている。 実はマダットは、セレンが長く言葉を紡ぐのを聞くのが楽しかったのだ。質問を浴びせるのも、そのためだった。
「母が聞かせてくれたのです。この世のものではない珍しい……。人々を美しい歌声で誘い出し、死へと導く人魚のような妖精の物語を」
セレンは、遠くの隣国の伝説だと思われる、と付け加えた。 カンダルの伝説では、人魚は往々にして優柔不断で弱く、誤った選択をする存在として描かれる。だが、マダットは力なく引きずられる存在よりも、誰かを破滅に導くその妖精の方が気に入った。 陸に引き上げられ、力を発揮できぬ人魚と、目の前の女が重なって見えたからだ。彼はセレンにもそれなりの胆力があれば面白いと考えながら、問いかけた。
「君が言っていたそれ、名前は何と言うんだ?」
興味深げな顔。 セレンは一瞬、彼の顔に「人魚に似た妖精の話をして」と強請ったかつての親友が重なる幻影を見た。 短い沈黙の後、少し乾いた唇が静かに開かれる。
「――セイレーン(Seiren)」
彼は「そうか」と頷いた。 そして、話をたくさんしてお腹が空いたから食事にしよう、と笑った。 セレンは感情の読めない顔で、ただ頷くだけだった。
いつものように、従順でか弱い姿のままで。




