1
橙里と出会ったのは中学に入学してすぐのこと。
その印象を言葉で表現するのは少し難しいけど、月並みな言い方をすれば「大人っぽい」だった。
中学一年なんて子供も子供で、自分なりの考え方、思想や価値観なんてないに等しいそんな年頃なのに。橙里はそんなガキんちょの群れの中で、明確に自分というものを持っていた。好きな男性のタイプは自分を持ってる人! なんて軽々しくて安っぽいもんじゃなくて、ちゃんと心と体の中に一本芯が通ってるような、そんな子供だった。
仲良くなるのに時間は掛からなかった。声を掛けたのは確かあたしの方だったと思う。勇気を振り絞って話しかけたとか学校の行事を利用して自然を装って、みたいなのはちっともなくて。ただ普通に教室で雑談を持ち掛けただけ。橙里も普通に応じてくれた。
橙里と交わす会話は心地が良かった。
ゲラゲラと口を大きく開けたり手をパンパン叩きながら笑うこともないし、人の話を遮ることもない。悪口も言わない。自慢話もしない。こんな奴いる? ってくらい落ち着いた少年。話も合うし、気も合う。これで付き合わなきゃ嘘だよねってくらいあっという間に「親友」と呼べる間柄になった。周りから勝手にカップル認定されたりなんて日常茶飯事。否定しても意味はない。だからあたしは堂々と言ってやったのさ。
「好きだよ」って。
まあ盛り上がったね。あんたらの思う「好き」とあたしが言った「好き」は似て非なるものだよとは思っても口には出さなかった。理解できると思わなかったし、この年頃の子たちはそんなの理解しようとすらしないだろうしね。勘違いしないでほしいけど、あたしだって橙里と出会ってなかったら多分クラスメイト達と似たような価値観、感覚だったと思うよ。
でも自分自身がそれを経験しちゃったらね。そりゃね、多少なりとも考え方は変わるよ。
世の中はまるでそれが真理であるかのように「男女間に友情はあり得ない」と言うけど、実際あたしと橙里の間には友情が成立してる。言っとくけど、橙里に対しては異性としての魅力をちゃんと感じてる。だっていい男だもん。そもそも魅力を感じない奴を好きになったりしないでしょ。ただあたしの場合はそれが恋愛感情とイコールになってないだけ。男は女なら誰にでも下心を持つ。だから友情は~ってのもね。男が持つ下心ってどっちかっつうと感情じゃなくて本能寄りだよね。それ、どうしようもなくない? むしろ男はそのオスとしての本能を抑えて接してくれてるわけだからさ。下心を隠して近づいてくる男は論外だろうけど、抑制して接してくれる男は十分信頼に値するとあたしは思うわけ。
実際に橙里は信頼できる男だよ。だからあたしはあさぎに、大切な幼馴染に橙里を紹介したんだよ。橙里は絶対あさぎを大事にしてくれるって確信があったから。
引っ込み思案で口数が少なくて、自分の意見を口にするのが苦手で困った時は周りに合わせるクセがあって、自分というものが薄弱な、小さい頃からいつも一緒にいるあたしのもう一人の親友。
橙里と付き合い始めてからのあさぎは、明らかにそれ以前より明るくなった。口数も増えたし、オシャレやメイクにも気を遣うようになって、シンプルに可愛くなった。それでいて妙にはっちゃけるようなこともなく、その辺りはこれまで通りのあさぎで、本当にいい方向に変化しているのが傍目にも見て取れて、橙里を紹介してよかったと素直に思ったもんだ。
二人が楽しそうに笑いあっているのを見るのは、二人の親友としてただただ嬉しい。きっとそんなわけにはいかないと分かってても、いつまでも今のままの三人でいたいって、あたしは心からそう願うよ。
願うだけならタダだしね。
と思いながら目を開けたらそこは見知った天井でした。
つーかあたしの部屋でした。
充電ケーブルをぶっ刺した枕元のスマホを手に取って時間を確認。朝八時。うーん、なんと健全な夏休み初日の朝だ。よく寝た。寝すぎてちょっと頭がボーっとするぐらいだ。口ン中がねちねちする。
ベッドから降りて壁際の姿見の前に立つと、そこにはパジャマ代わりの大きめサイズのTシャツにショートパンツ姿で、寝ぼけ眼と伸ばすとちょうどいい感じにうねってくれる天パを携えた絶世の美女が一人。
うーむ、今日もええ女やで、あたしよ。
……喉乾いた。多分今あたしは口が臭いね。でも周りに誰もいないから言わなきゃバレないからオケオケ。
下に降りると母さんが食器を洗ってた。父さんはいない。確かゴルフとか言ってた気がする。
おはよう、と挨拶をすればおそようと返ってくる。休日の朝八時は別に遅くない。遅くないよな?
とにもかくにもまずは喉と口ン中を潤さねば、と冷蔵庫から麦茶を出してグラスに注いで飲む。くぅ~っ、キンキンに冷えてやがる…………!
つって、麦茶は普通に美味しいよね。悪魔的とまでは行かんけど、日本の夏には欠かせん飲み物よ。
「あんた、朝ごはんどうすんの? 食パンぐらいしかないけど」
「あー……そうね。じゃあ「どぼん」でモーニングにしよかな。お金ちょーだい」
「あほ、自分の小遣いでなんとかしな。あ、橙里にたまにはご飯食べにおいでって言っといて。最近顔見てないからあたしゃ寂しいぜ」
「飯に呼ぶならゆかりんもね。来るかはともかく」
「あぁ妹さん? ええよええよ。とにかく言っといて」
へーいと返事をしてリビングを出る。さて、外出るなら軽くシャワー浴びるか。どうせ移動してる間に汗はかくだろうからってそのままで出かけられるほどあたしはズボラじゃないのさ。
部屋に戻って着ていく服を準備して、いざお風呂へ。
――――はいすっきりした。
軽くメイクをしてほんまいい感じにウェーブしてくれてる髪をポニーにして、さて行くべ……おっと、日焼け止めもお忘れなく。
玄関を開けながら電話を掛ける。相手はあさぎ、だけどしばらくコールしても出る気配がない。うーん、最後にあの子の声を聞いたのはいつだっけ。しばらく会ってもいないしなぁ。
ふむぅ、まあひとまずいいか。メッセージだけ送っとこう。
外はやっぱり暑い。我らが太陽様は朝でも容赦がない。日焼け止め塗ってなかったら外へ出た瞬間にこんがり黒ギャルになってたところだネ。というわけで中学時代から愛用しているママチャリにまたがっていざ出発。
目的地である「喫茶・どぼん」は我が家から自転車で十五分くらいのところにある繁華街の一角、美條通りのさらに一本奥にあるなにやらマニアックな店やら怪しげな店やら営業してんのかどうかも分かんない店(?)が立ち並ぶ「裏美條」と呼ばれる通りにぽつんと佇む個人経営のカフェである。
場所が場所だから常連しか来なさそうな感じだけど、周辺のお店の人とかマスターの友達なんかがちょこちょこ来るらしい。
マスターが作る料理とコーヒーがそれなりに人気だったそうだけど、最近はちょっと違ってて橙里目当てのお客さんも増えてきてるとか。まあ確かにねぇ。橙里の料理、おいしいからね。ひょっとするとマスターより上手いんじゃないかしら。コーヒーの良し悪しはよく分からんけど、まあおいしい気はする。あたしらの年頃ってのはコーヒーをブラックで飲めるってだけで何故か勝ち誇る奴がいるような世界なんでね。とりあえずおいしそうに飲んでおけば勝ち組なのさ。
シャツに汗染みを作りながらきーこきーことママチャリ漕いで目的地にご到着。ブラ透け対策してなきゃ男どもの視線を独り占めしちまうところだったぜ、へっ。
鐘の音を鳴らしてドアを開ければほどよく冷えた空気とコーヒーのいい匂いがお出迎え。
店内には三人のお客さんと、カウンター席の向こうに我が親友がいた。
「いらっしゃい」
「来てやったぜ。モーニングを食べに」
言いながらカウンター席親友前に座る。
「今マスターいないから俺が作ったので良ければメニューはこちらになります」
よく見知ったメニューを指し示されたがしかし、あたしはもうすでに注文を決めている。
「チーズオムレツセット。ホットコーヒーは食後で」
はい毎度、と橙里が調理の準備を始める。
とろ~りチーズが中に入ったオムレツにウインナー二本、サラダにスープ、ライスのセット。このチーズオムレツがまたうめえんだ。チーズ苦手な人はもちろん普通のオムレツも選べるよってね。
テキパキと作業する橙里を見ていると、なんとも唐突に感慨深くなってしまう。
「すっかりプロだね、橙里くん」
「んー? そりゃまあ、一応二年近くやってるからな」
「あの初々しくてかわいかった橙里はもういないのね。もうマスター要らないんじゃないの?」
「経営についてはまだ全然だよ。料理はそれなりに自信ついてきたけど」
おやおや? なにやら引っかかる物言い。経営についてはまだ、ですと?
「ひょっとして独立する気満々デスか?」
「いやぁ……まだ決めてはないけど、まあそれもアリかなとは。そうじゃなくても経営の勉強すること自体は無駄にはならんだろうし」
「なるへそねぇ。ま、もしあんたが店持ったら、そん時ゃあたしがお客さん第一号になったるよ」
そりゃ頼もしい、と返された。そうだよ、あたしは頼もしいんだよ。
「ゆかりん元気? しばらく会ってない気がするんだが」
「今日は部活仲間と元気に遊びに行ったよ。部活引退したからってハメを外さないか兄として大変心配をしている」
「あの子は大丈夫じゃない? あんたのこと一番近くで見てんだもん。部活は中学で終わりっつってたから、高校入ったらわたしもバイトするって言いだすよ、多分」
「俺としてはバイトより部活してほしいんですけどね」
「そりゃ部活は、ものによるだろうけどお金掛かるからねぇ。あの子なりに気にしてんでしょ。かわいい妹じゃん」
あまり納得してない感じでふーむと言いながら調理を始める橙里。
これ以上邪魔をしてはいけないので手持無沙汰対策にスマホを見る。家を出る時にあさぎに送った「どぼんに行くけど来ない?」というメッセージに一言「ごめん」とだけ返信があった。
なんかおかしいなぁ。でも橙里は別にあさぎのこと話題に出さないし。いや、こいつのことだからあえて話題にしてない可能性も無きにしも非ずんば的な。喧嘩か? いや違うなぁそれはないな。橙里とあさぎは喧嘩なんかしない、とかじゃなくて、喧嘩したところでなんかこんな風になるか? って疑問。
あたしの考えすぎだったらいいんだけど、うーん。聞けばいいじゃんって思うじゃん? 一応はね、あたしは橙里とあさぎの友達なわけで、でもって橙里とあさぎは恋人なわけで。やっぱりある程度の遠慮はするわけよ。友達だからってなんでもかんでもずかずか踏み込んでいいわけでもなし。その塩梅がこれまた難しいんすわ。
ま、話題に出すにしてもその前に腹ごしらえよ。時計を見ればもうすぐ九時。そろそろ空腹が限界に達する頃合い。橙里がコンロの上でフライパンと菜箸をガシャガシャ振ってオムレツ作ってるの見てたら腹が鳴った。母さんのオムレツと明らかに作り方が違う。なんかプロっぽい。そしてフライパンをとんとんしながら形を整えて、お皿に盛る。
「お待ちどうさん」
出てきたのは焦げ目もなけりゃ白い部分もほとんど見当たらない、真っ黄色のオムレツ&セットメニュー。前に一度、白身使ってないの? って聞いたことあるんだけど、卵を混ぜる段階でお箸とかフォークで白身を切るんだって。そうすると黄身ときれいに混ざって火の通り方も均一になってうんぬんかんぬん。
いやぁ、料理って本当に奥が深いもんですね。家庭科以外でしたことないけど、料理。
「いただきます」
早速オムレツを一口。半熟オムレツの熱で溶けたチーズがみよ~んって。うめえ。
ふがふが言いながら一生懸命朝ごはんを頬張るあたしを横目に、橙里はさっき使った調理器具やらを洗ってる。その所作に特段変わったところはない。表情もいつもと変わらない。あたしがよく知る藤崎橙里の顔だ。
逆に怪しい……ッ。
なんて、名探偵の真似事できるほどあたしの脳みそは高性能ではないのである。残念である。
「あれ、そいやマスターはどこ行ったの?」
「今日は用事があるから昼から店に出るっつってたよ。なんの用事かは知らん」
「サボってパチンコでも行ってんでねーの。ここの経営も道楽なんだしあの人にとっちゃ」
資産家だしね、あの人……資産家ってパチンコ行くのかな。
正体不明の謎のおいしいドレッシングが掛かったサラダを口に運んでいると、橙里がじーっとこっちを見てるのに気づいた。
「…………ぽっ」
ぽっ。
「な、なんですか。俺、よく食べる女の子って好きなんだ、とでも言うつもりですか?」
そんな安っぽい口説き文句になびくほど軽い女だと思わんでくださいよ。
「それはまあ否定しないけど、そんなん言うつもりはなくて」
レタスが口の中でパリっと鳴った。
「さっきからなんか聞きたそうな顔してんなと思って」
ぎくり、と口から出そうになったのをすんでで止めた。
「あさぎのことだろ」
「ぎくり」
止められなかった。
「あー、いやね。あの子電話しても全然出ねーし、ラインもなんか一言しか返ってこねーし。さっきなんかどぼん行かない? って送ったらごめんしか返ってこねーし。ひょっとしたら橙里と喧嘩でもしたんかなーって」
「ってことはやっぱりあさぎからなにも聞いてないわけか」
「ええ、はい。そうですよ。なにがあったんでございますかね」
「別れた」




