嵐の夜に地図を描く
昼すぎから降り出した雨が、夕方には嵐に変わった。
風の音が建物を揺らす。地図が机の上でめくれ、インクの匂いが濃く漂った。
「古い倉庫の資料、まだ残ってる?」
ロウェナの声が響く。
「はい、奥に王都時代の航路図が」
「こんな日にやらなくても」
「でも、屋根が心配で」
窓の向こうで、古い倉庫が風にあおられていた。
ノエルがすぐに立ち上がる。
「行く。放っておけない」
「私も行きます」
「危ない」
「大丈夫。あれは私の線です」
そう言って、セラは先に外へ走った。
*
倉庫の中は湿った紙と潮の匂いが混じっていた。
ノエルが手際よく箱を持ち出し、セラが受け取る。
雷鳴。梁が揺れた瞬間、ノエルの頭上で木材が崩れた。
「ノエル!」
セラは思わず身を投げ出し、彼を引き寄せた。
埃と雨が混じる中、ノエルがかすかに笑う。
「無茶をする」
「お互いさまです」
二人は泥だらけのまま外へ飛び出した。
*
安全な場所で、セラは箱を抱えたまま息を吐く。
中には古い航路図があった。
「間に合った……」
「どうしてそこまで」
「たぶん、これが“前に進む”ってことだからです」
セラは微笑んだ。
「昔は誰かの後ろを歩く線しか引けなかった。でも今は、自分で描ける」
ノエルは静かに頷いた。
*
夜が明けた。
港には柔らかな光が戻り、濡れた地面が輝いている。
セラとノエルは作業机に向かい、新しい地図を広げた。
ノエルの腕には包帯。セラの手はまだ少し震えていたが、その線はまっすぐだった。
「署名欄、ここに書いていいですか」
「描いたのは君だ」
セラは深呼吸し、ゆっくりとペンを走らせた。
セラ・ミルフォード。
「これで、完成ですね」
「いや、始まりだ」
ノエルの声が静かに響いた。
*
ロウェナがコーヒー片手に入ってきた。
「徹夜?若いわねぇ」
「仕事です」
「“仕事”ね。まあ、いい線引いてるわ」
ロウェナが笑う。
セラは海を見た。朝の風が新しい航路を撫でていく。
その線の先には、確かに未来が見えていた。
――ここからが、私の人生の地図。




