恋と都合とタイミング
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短編、恋と罪の続きの話となりますが、そちらを読まれなくても単独で問題なく読める内容となっておりますのでご安心ください。そして読者様が苦手とする、または不快になるような何かしらの要素が含まれている可能性がありますので何でもOKという場合に限り読み進まれることを推奨させていただきます。
「アヤさん!急いでください!そろそろ出ないと遅れてしまいます!」
私は待ちに待った飲み会の時間に遅れないよう先輩同僚の着替えを急かしていた。私が勤めている会社では制服の着用が定められているため終業後は私服に着替えなければならないのだ。
「はいはい。で、どうする?駅までバス?それともタクシー?一応徒歩でもギリ間に合いそうだけど化粧崩れが心配よね?」
「アヤさん、そんなことより私今日は珍しくヒールなんです。これで駅まで歩くのは豆が出来そうで嫌なんですけど‥‥」
普段は愛用のぺったんこ靴を履いて通勤しているが、今日は新調したパンツに合わせて足元もきれいに見えるヒールの靴で出勤している。
「そうよね?じゃあそのとっても素敵な靴のヒールがダメになったら大変だしバスでいこう?」
私たちは帰りを急ぐ従業員らの作る長い列の最後尾につきバスを待った。
そして人間がびっしり詰め込まれたバスはやがて駅に到着し、私とアヤさんは駅の歩道橋を渡って反対側に下りた。
「えっと‥‥確かこの辺だったはず」
予約している店の場所をあらかじめチェックしてくれていたアヤさんの先導により迷わず到着することができた。緊張しているのか少し鼓動が激しくなった胸に手をやると一度深呼吸をした。そしてその様子を見ていたアヤさんがよしよしと言って私の頭をやさしく撫でてくれた。
そんな彼女に軽く背を押されながら店内へと足を踏み入れると店員の「いらっしゃい!」という元気なあいさつが私たちを迎い入れてくれた。予約の旨を伝えるとすぐに奥のほうへどうぞといって座敷部屋へと案内された。
「あ~どうも!こちらも少し前に来たところなんです。今ちょうど時間ですね」
扉をスライドさせ開けたその先でこちらを見ていた男性の一人がそう告げるとちょうどこちらに背を向ける形で座っていた女性が振り向きながら軽く手を振った。
「お久しぶりです?でもお互い顔は見ているけれど、話すのは初めてになりますよね?」
そんな言葉を口にしながらどうぞどうぞと自分の横に座るよう促した。
「こんばんは?確かにスキー場で見たことのあるメンバーですが話はしませんでしたから今日が初になりますね?どうぞよろしくお願いいたします」
今日のこの集まりは三週間ほど前に会社の先輩同僚らと行ったスキーで出会った別の会社のグループの人たちとの飲み会ということになっている。出会いの切欠は私とあちらの会社の男性一人が衝突してしまい、無様に転倒した私を彼が助け起こしてくれたことなのであるが、その後いろいろとあって翌日再開して会話をした際、偶然会社が同じ駅にあり、近いということが判明したため今度皆で飲みに行こうという誘いがあったことから今に至るというわけである。
だが実際、よくある社交辞令の誘いの可能性もあるわけで、本当に誘いのメールが届くまでの二週間はどうか社交辞令ではありませんようにと祈るような気持ちで待っていた。
「今日は都合がつかなかった人もいて、残念ながら全員は揃いませんでしたがこのメンバーで楽しく飲みましょう!」
そしてその後は軽く自己紹介なるものをして、互いの仕事や会社の話をして盛り上がった。今日はこちらサイドの参加者として私とアヤさんの女性二名、あちらサイドの参加者として女性一名と男性三名の六名のみだが座敷の部屋で全員と話せる人数としてはギリギリだったかもしれない。
あちらの女性の方はマノさんといってとてもフレンドリーで明るく話しやすかった。なので私たちともすぐに打ち解け仲良くなることができた。男性らも同じで会社が違うだけの同じサラリーマン同士、仲間意識のようなものもあり、会社と仕事に関する話は興味深く本当に面白かった。
それから話題はやはりスキーの話に移り、今年行ったスキー場の情報やその際に起きたハプニング話などで盛り上がった。さらにはその道中にある日帰り温泉で良いところがあるとか、おいしい食事ができる場所の話、冬でも行列ができる名物のアイスクリーム屋の話も出てきてついにはこのメンバーでそこに行ってみようと誰かが言い出した。
「それいいですね?でもそろそろ春スキーになってしまいます‥‥雪の質のことを考えれば来週とか再来週あたりがいいような気がします」
あちらサイドの皆さんがかなり前向きな話をし始め私は少しだけ困っていた。
どうしようかと考えていると横に座るアヤさんが口を開いた。
「私は問題ないのですが、サクちゃんは今年はもうスキーには行かれないので残念ですけど参加は見送ることになります」
「え⁉行かれないってどうしてですか?あっ⁉もしかして前回のあの件で痛めた足がまだ調子悪いとか?」
全員の視線が自身に突き刺さっているのはわかったが、どういえばまるく収まるのだろうと必死に頭を回転させていたせいで言葉が出てこなかった。すると私の肩に手を置いたアヤさんが「こういうのは黙っていると変に誤解を招いて関係悪化にもつながり兼ねないからちゃんと話した方がいいと思うよ」とアドバイスをしてくれた。
私は全くもって彼女の言う通りだと思い、言い訳めいた思考を手放しただ正直に現状を話してみることにした。
「実はあの衝突の時にはわからなかったのですが、そのあと怪我をしていることがわかって救護に行くと縫合が必要だから病院へ行くように言われて近くの病院で縫合してもらったんです。でも一週間後に抜糸に行ったら残念なことにくっついていなくて‥‥それで病院の医師から今は良い塗り薬があるから大丈夫だと言われてなんか皮膚を伸ばす?効能がある薬を処方されました。ということで今年はスポーツ全般、特にスキーには行かないよう注意を受けているので皆さんと行けないんです」
私は前を見ることができず、ずっと俯き加減のまま話していたが、横にいるマノさんに声を掛けられ顔を上げた。
「元気だしてください!でもまさかそんな重傷を負っていたとは驚きました‥‥それでイチジョウさんに病院代の請求もされていないのですよね?なんなら今、目の前に本人がいるってことで直に請求することもできますけど?」
マノさんは苦笑しながらあくまで冗談だとわかる話し方をしていたが、当の本人であるイチジョウさんが真面目な顔で「そうしてください。本当に申し訳ありませんでした」と頭まで下げだしたので半ばパニック状態になりかけてしまった。それでもいつも冷静で頼りになる先輩のアヤさんがつかさず彼にまず頭を上げるように言い、私が黙っていた理由と請求など最初からするつもりがなかったことを落ち着いた口調で丁寧に皆に説明してくれた。
彼と衝突した際、あまりの寒さのため傷みを感じるセンサーが正常に機能していなかったらしく、その後小屋に入り温かい場所で過ごしている間にようやく傷みを感じ始めたことで怪我に気づいたのだ。そして私の足の状態を気にしていた彼からは名刺が渡されていて、今後もし病院での治療が必要になった場合は全額請求するよう言われていた。だがあの場面ではどう考えても彼の不注意ではなく、私の不注意でもあると考えられ、故意ではない偶発的に起きた事故なので誰かの責任を問うことなど考えもしなかった。だから当然請求などするはずもないし、誰かに話すことでもないと思っていたのだ。
そして何よりイチジョウさんが私に対して罪悪感を抱くような状況には絶対にしたくなかった。正直、誰にどう思われようとも怪我を理由にお近づきになることだけは避けたかったのだ。
そう。私はイチジョウさんに恋をしていた。
衝突を切欠に彼と接する機会を得て以来、ずっと彼のことを考えている。
アヤさんの説明を聞いた皆が一名を除き納得してくれたようだが、その納得できずにいる一名に対し、同僚男性たちが「こいつはホントにまじめなやつだから」と笑いながら庇い始めた。そして私に彼の罪の意識軽減のために請求はしなくとも何か別の形で償わせてやって欲しいと頼んできた。
そんな彼らの言葉に困っているとマノさんが「サクマさんはスイーツ好きな人?」と尋ねてきた。私はすぐに頷き「洋菓子も和菓子も大好きで、チョコレートは毎日食べています」と即答した。すると「じゃあサクマさんが好きなケーキか何かを会社にデリバリーしてもらうっていうのはどう?」と提案された。
「お~それはなかなかいいアイデアじゃないか?それくらいなら奥さんが変な誤解するようなこともないだろうしな」
「確かに。下手な贈り物とかしちゃって妙な勘繰りされるのも面倒だし」
彼の同僚男性二人はうんうんと頷きながらそれがいいと彼の肩を叩いている。
「そうですね!じゃあ遠慮なくケーキをデリバリーしてもらうことにします!」
私は意識して無理に作った精一杯の笑顔でそう告げた。
こんな時、よいのか悪いのか私は女優になるのが得意だ。
本心もその時の感情もすべて隠してなんでもないように振る舞えてしまう。
本当は今すぐこの場を離れて一人になりたい。
それなのにこんな演技でこの場に留まり続けている自分が嫌いだ。
「あの、すみません!ついさっき同じ職場の子からメールがあって、できれば家に来てほしいってなんだか困っている様子だったので今から様子を見に行こうと思うんです。それで今からサクちゃんとその子のところに行ってもいいですか?」
皆でケーキの話を続けていると突然アヤさんがそう申し出た。
「えっ⁉こんな時間に?でもそれは心配ですよね?ここはもう大丈夫ですからお二人は気を付けて行ってきてください!また今度皆で飲み会しましょうね!」
マノさんがアヤさんの真剣な表情を見て察したのかそう言ってくれると他の三人も賛同してまた今度飲みましょうと言って快く送り出してくれた。
店を出ると私の腕をとったアヤさんは駅方面に向かって歩き出した。
そしてタクシー乗り場で彼女は私を先にタクシーに押し込むと自分も乗り込み自宅へ向かうよう住所を告げた。そして「とりあえずうちにおいで」とやさしく囁いて私の肩を抱いた。
私はその時アヤさんが私のために嘘の話を作ってまで連れ出してくれたことを理解した。それでもすぐにはお礼の言葉さえ出ず、黙したまま窓の外を見続ける私に何も言わずただ寄り添ってくれていた。
アヤさんの家に着くとまだ起きていたらしいお母さんが迎い入れてくれた。
彼女の部屋がある二階に私を連れて行くとすぐに戻るといって彼女はまた階下へと戻って行ってしまった。私はまるでインテリアデザイナーがコーディネートしたかのようなおしゃれな部屋を見渡しながらなぜこんな日に初めて訪れることになったのだろうとちょっとだけおかしくなってしまい笑った。
「サクちゃん、今日は泊まっていくでしょ?てか、泊まっていきなさい」
アヤさんは下から私の布団セットを運んできてくれた。
彼女の後ろから枕や毛布を抱えたお母さんも続き、部屋の隅にそれらがまとめて置かれた。
その後アヤさんのやさしさに甘え実家に連絡して泊まらせてもらうことを伝え、お風呂にも入らせてもらった。そしてお酒が必要かと問われ、こんな時間ですけどチョコレートがいいですとおかしな返答をした私に突っ込みを入れることなく普通にチョコレートを持ってきてくれた。
「まあこんな深夜にチョコレートとか間違いなく眠れなくなるけどお話するにはちょうどいいか?」
「アヤさんは頭も良くて面白くてやさしくて親切でとってもきれいでさらにはお金持ちのお嬢様だったなんて漫画の世界でもなかなか出てこないスーパーレアキャラだったんですね?もうお願いですから私をお嫁にもらってください!」
「ちょっとサクちゃんさすがにそれは褒めすぎ。それにこの家は確かにちょっとデカいけどお金はないからね?あとお嫁にならいつでも来てくれていいのよ」
本当にこの姉さんはどこまでもかっこよくて憧れてしまう。
私はようやくこの辺りで落ち着きを取り戻し、まずは先ほどの礼をと正座をして手をつき、頭を下げながら「あの場から私を連れ出すために嘘までついてくださってありがとうございました」と告げた。アヤさんからは迷ったけど連れ出してよかったとほっとしたような声色が返ってきた。
それからしばらく二人でチョコレートを食べながら飲み会の話をした。
私もアヤさんもイチジョウさんが既婚者であったことには驚いていた。
記憶ではスキーの時も今日も薬指に指輪は見当たらなかった。何か理由があるのかもしれないが、それが既婚か未婚の確認ができる判断材料になるのは確かだ。
「でもサクちゃんは相手が既婚だとわかったからといってすぐに好きを止められる?」
「‥‥‥止めるべきだし止めた方が楽になりますよね?でもぜんぜん変わらないこの気持ちを持て余しています‥‥」
「人の気持ちなんてそんなものでしょ?理性だけでどうにかなるものではないんだからさ。ただできるならいつでも堂々としていられる恋をしていたいとは思ってしまうよね?それでもそんな都合よく好きになった人がフリーっていうこともないだろうし?まあお見合いみたいに最初から相手の状況がいろいろわかっている上での恋愛以外は今日みたいなことなんてた~くさんあるのかもしれないね」
私は一方的に恋をしている状態で相手に告白もしていない。
相手の気持ちも状況も何もかもがわからない中で、結婚していて奥さんがいるという事実だけがはっきりしてしまった。だから単に諦めて忘れてしまえば何も問題はないというのにそれができないのだ。
これまで私は不倫という形の恋愛に関してずっと嫌悪感のようなものを持っていた。自分は絶対にあり得ないとも思ってきた。でも今の私は不倫ではないが、そうなり得る対象の相手を好きになってしまったことでずっと抱いていたソレに対する印象に揺らぎが生じ始めていた。
恋愛に罪となる形なんて存在するのだろうか?
そんな疑問が頭の中を巡った。
「アヤさん、結婚っていうのは契約ですよね?だからどちらかにその契約違反が認められた場合には罪になるということなんですよね?私はずっと結婚というものに憧れていたんですけど、今急激に冷めてしまいました。よく考えれば人の気持ちを契約で縛り付けた挙句に罪にまで問うというのは私には虚しさしか感じません‥‥」
「それでもこの世は結婚が正義のようになっているんだからそういう世論が変わることはないでしょうね。でも私はサクちゃんの言ってることもよくわかる。別に結婚っていう形を選択しなくてもずっと一緒にいたいもの同士が一緒にいることはできるわけだしね?まあこういうのは大体お国事情ってやつでそういう制度ができたんだと思うけれど、確かに人の気持ちを制度に組み込むのはどうかと思っちゃうわよね~」
これまで恋愛は自由だと思いつつ、結婚すればそうではないという考えでいたのは確かだ。でも人の気持ちなんてどんな契約で結ばれようとも繋ぎとめることも消し去ることもできない。そんなことは不可能だ。そしてこんな風に考えるのも自分が好きになった相手が既婚者であったからというわけではなく、自身がずっと憧れていた結婚という形に突然違和感のようなものを覚えたからである。
だからといって何か納得できる正解が導き出されたわけでもない。
その後は結局朝まで眠ることができず、日が昇ってから昼過ぎまで寝ていた。
そしておいしい遅めのランチをいただいてからようやく自宅へと戻った。
そして何もせずぼ~っとして過ごした週末休み明けの月曜。
いつものように受付の仕事についていると貿易部のオオシロさんが入館手続きに訪れた。そして従業員と来客用のIDカードを渡すと彼からはメモ書きが手渡された。
「⁉‥‥‥」
なんだろうと思って確認しようとしたが別の訪問者が現れたのでとりあえずそのままポケットに押し込んだ。オオシロさんもいつも通り軽く会釈をしてその場を離れていった。
ランチ休憩の時間になってからふいにそのメモのことを思い出しポケットから取り出してみた。内容は食事の誘いと彼のメールアドレスが記されていた。
私はすぐに断りのメールを送ろうと思ったが、なぜかその操作を行えずにいた。彼は以前から出張先のお土産を持ってきてくれるような気遣いのできる感じのよい人であったため、断ることにどこか罪悪感のような気持ちを抱いてしまったからである。そんな中、ばったり会ってしまった社内売店で直接「突然ですがよかったら今日はどうでしょうか」と尋ねられてしまった。そして私は意を決し、申し訳ありませんがと口を開こうとしたところで彼の言葉に遮られてしまう。
「あの、本当に短時間でいいんです。コーヒーだけでも付き合っていただけませんか?」
その表情があまりにも真剣でとても断ることができなくなった私は結局コーヒーを飲みに行くことを了承してしまった。職場に戻りながら頭の中でコーヒーを飲むだけだし同僚としてそれくらいはいいだろうとなんだかよくわからない言い訳を並べ自分に言い聞かせていた。
そして終業後着替えを終え、門に向かって歩いていると後方からちょうど彼が追い付いてきた。そのまま一緒にバスに乗り、駅で降りるとそこから見えるベーカリーに併設されているカフェスペースで話をすることになった。
「今日は急に申し訳ありませんでした。でももうあまり時間がなくて‥‥‥実はそろそろ公示されると思いますが、私は海外に転勤になります。赴任先はアメリカで恐らく数年はそのままになると思われます。それでサクマさん、私と一緒にアメリカに行ってもらえないでしょうか?今日はそのお願いをしたくて急にも関わらずお誘いしました」
「‥‥‥‥‥‥」
コーヒーの誘いも急だが、その海外への誘いもあまりにも急すぎはしないだろうか?私は混乱する中、その彼の言葉の意味を理解しようと頑張って頭をフル回転させていた。
「それでこれははっきり言うと結婚してくださいというプロポーズです。付き合いの承諾もなく、段階も踏まず、すべてを飛び越してふざけているのかと怒鳴りたくなるかもしれませんが、冗談でもおふざけでもなく真剣なプロポーズです。それから返事はゆっくりと言いたいところですが、アメリカ行きが迫っており、本当に勝手で申し訳ありませんがすぐにでもというのが正直な気持ちです」
プロポーズ?
生まれて初めてされたプロポーズは想像していたものとはだいぶ違っているが、私は今、確かにその返事を待っている相手を目の前にしている。
「あの‥‥オオシロさんのような方にプロポーズをしていただけて大変光栄なのですが、申し訳ありません!お断りさせていただきたいと思います。本当にごめんなさい!」
私は今度は悩むことなく素直に出てきた言葉を口にすることができた。
さすがに仕事上でしか接したことがない相手と結婚、しかも海外暮らしなんて無理である。そう単純に答えが出たので躊躇いなく返事ができたのだ。
だがなんとオオシロさんはそこからすぐには引かず、もう少し話をさせて欲しいと言い出した。自分は元々結婚に興味がなく、仕事さえうまくいっていれば満足な人間だった。だが初めて本社以外の場で一人商談相手を接待することになり、先輩同僚たちの協力が得られない中、窮地に陥った。そして自信を失いかけ、商談どころではない状態だった自分を私がいろいろ手助けしたことが切欠で意識するようになった。
それでも好意は確かに認めるものの、恋愛という意味かどうかまでははっきりしていなかった。しかしこのタイミングで海外赴任の話が持ち上がり、そこで改めて私を連れていきたい、一緒に暮らしたいという思いに駆られた。そして結婚という形が今の自分にこそとても都合がよいのではと考えた結果、すべてを飛び越した結婚の申し込みに繋がったのだと先ほどまでとは違う極自然な笑顔でそう告げた。
「なるほど?タイミングと都合だったんですね?なんか恋愛漫画や小説のようなロマンティックさがない分、かえって現実味があってよいかもしれませんね?では私も正直にお話しますが実は私、好きな人がいるんです。そんな状態で他の誰かと恋愛するとかましてや結婚なんて考えられません。なのでやはりお断りさせていただきたいと思います」
私はそう答え頭を下げた。
同時に彼も頭を下げ、急だったのにも関わらず、会って話を聞いてくれたことに対し礼を述べた。そしてこれまで仕事とはいえ、毎回丁寧に依頼したことをこなしてくれたことがうれしかったと感謝までされてしまった。
その後駅の上りと下りのホームに分かれた互いの姿を目にしていた。
私が右手を上げ軽く手を振ると、口元を緩ませとてもやさしい表情をした彼が上げかけた右手をそっと下ろして頭を下げた。そして彼が頭を上げた時、構内へと入ってきた電車がその姿を遮った。
もしもイチジョウさんと出会っていなかったら、一月後にはアメリカで主婦なんてやっていたりして‥‥‥そんなことが一瞬頭をよぎった。だって彼は曲者ぞろいの営業や貿易部に属する人たちの中でも異質だ。誠実でとても気遣いのできる珍しい普通人なのである。
やっぱり恋にもタイミングってあるものなのね‥‥
そして今回私は都合のよい女になりそびれたか‥‥
などと自嘲しながら目の前で開かれたドアに向かい足を一歩踏み出した。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
続きは別の短編として執筆中です。
またお付き合いいただけますと幸いです。




