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3.秘密の恋と悲しい恋

 夜会の事件から一週間、私は王宮の部屋から出ることを許してもらえなかった。マイロ殿下と世話をしてくれる侍女としか顔を合わせていない。お義姉様が心配で不安が拭えない。せめてヒューズ公爵様に手紙を渡して欲しいと預けたが、返事がこない。手紙は届いていないのかもしれない。

 朝、マイロ殿下は上機嫌で部屋に入って来た。


「ルーシー。喜んでくれ。私とルーシーの婚約が無事にまとまった。愛し合う二人が結ばれるのは当然のことだ」


「そ、そんな……お義姉様は? 殿下の婚約者はお義姉様のはずです」

 

 愕然とした。どうして私が? 殿下を愛したことは一度だってない。でもそれを口には出せなかった。


「オフィーリアとの婚約はすでに解消した。これで私たちを引き裂く者はいない」


 マイロ殿下の満面の笑みに背筋が凍る。私は殿下に対して距離を置いて好意を抱くことなく接したつもりだった。それなのに彼は私と相思相愛だと信じている。


(殿下が……恐ろしい……)


 私は殿下を好きじゃない。だって愛している人は他にいる。





 ******





 私には恋人がいる。これは秘密の恋。そして今は側にいない。彼は遠く離れた場所にいる。


 私の恋人の名はジャック。ヒューズ公爵家の馬屋番だ。もちろん平民だ。私は貴族令嬢のたしなみとして乗馬を習い始めたが、最初は馬も馬上の高さも怖くて仕方がなかった。でもジャックが馬の素晴らしさを物凄く熱弁するので恐怖心は和らいだ。そして次第に馬を可愛いと思えるようになった。ゆっくりと馬に乗れるようになるのと同じ速度でジャックと親しくなった。


「ルーシー様。すっかり上手になりましたね」


「ふふふ。そうよ。馬はもう怖くないわ。お友達になったのよ」


 ジャックが私に向ける笑顔が眩しくて、でもその顔を見ていたいのに恥ずかしくて、その思いを馬の鬣を撫でて誤魔化した。彼の逞しい腕も豪快な笑い声も優しい目も好きだ。

 私は公爵令嬢になってしまったが平民として生まれ平民として生きて来た。ヒューズ公爵家の人たちを除いて他の貴族と過ごすよりも使用人や平民と過ごす方がしっくりくる。きっと私は貴族に向いていない。


「私、ジャックが好き!」


 普通の貴族令嬢なら恥じらうのかもしれないが、私は湧きあがる思いのままに彼に告白した。胸の中も頭の中も彼のことでいっぱいだった。その思いを仕舞っておくなんて出来ない。ジャックは一瞬嬉しそうな顔をしたのに、すぐに困った顔になり視線を落とした。


「私は平民です。ルーシー様とは身分が釣り合わない。お気持ちだけで十分です」


「嫌よ。私は十分じゃないわ。もともと平民だったのだから私が平民に戻れば問題ないわよね? 私はジャックを諦めたくない。あなたは私が嫌い?」


 ジャックは熱っぽいそれでいて苦しそうな目で私を見る。


「私の思いは口に出してはいけない。分かっているんです……。でもルーシー様が好きです。優しい心も太陽のような綺麗な髪も新緑の瞳もあなたの全てが愛しい。まるで女神のようなあなたは私には手の届かない人だ」


「女神って、大げさよ」


 好きな人に誉めてもらえるのは嬉しいがいくらなんでも女神はないだろう。


「いいえ。その美しさゆえに王太子殿下はあなたに会いに来ている。気付いていなかったのですか?」


「まさか……」


 私は困惑した。マイロ殿下はお義姉様の婚約者としか思っていない。お義姉様が不在の時に屋敷に来るので仕方なく相手をしているがそれだけだ。私には殿下に対して恋心を抱くことはない。殿下はきっと元平民が珍しいからだと思うようにしていた。

 ジャックは恐れ多いと言って引き下がるので私は辛抱強く説得して秘密で付き合うことにした。二人でいる時だけは軽口で話して欲しい、彼は眉を下げながらとうとう受け入れてくれた。少しだけ頬を染めるその顔が可愛い。


 付き合うと言っても一緒に休憩を取ってお茶をするのと乗馬の時間を増やすくらいだ。

 いつかお義姉様に相談しようと思っていた。「平民に戻りたい」と。そうしなければジャックと一緒になれない。それは公爵様やお義姉様を裏切るようで辛かった。でもこの恋も諦めたくなかった。結局、私は根っからの平民だ。貴族としての義務の結婚など受け入れられそうもない。


 もともと公爵家が私を養女に迎えた本当の理由は『魔女の力』を隠す為だった。王家に知られれば搾取される。貴族に知られれば利用される。公爵家は秘密を守るための盾となってくれた。

 私は出来れば当初の目標通りお義姉様の侍女になりジャックと一緒にヒューズ公爵家で働きたい。なんとなくお義姉様も公爵様も反対しない気がした。でも言い出すタイミングが分からない。


 ある日、ジャックはお使いで一人王都の外れの店まで馬を走らせた。なかなか帰ってこないので従者が探しに出た。彼は賊に襲われ瀕死の怪我を負っていた。複数の剣で切られた傷に殴打の痕。私は泣きながら彼に縋りつきその腕を掴んで祈った。そして隠して来た『魔女の力』を使った。


 私の『魔女の力』は体から何かを取り出す力だ。幼い頃は母の体の中にある黒くて嫌なものを取り除いた。でも発生する病を治す根治的な治療は出来ない。悪いものが出来ては取るの繰り返しで病状の進行を留めていた。だから私のこの力は治癒能力ではない。


 私はジャックの刀傷、打撲の傷をその手に吸い取った。どれほどの時間がかかったのか分からないが彼は目を開きそして回復した。傷は跡形もなくなり綺麗になっている。ただ切られて流れた血液は戻せないので安静が必要だ。


 私は力を使い過ぎて意識を失い二日間ほど眠り続けた。彼の怪我はそれほど酷いものだった。背中から心臓に目がけて剣を刺した傷があった。ところがそれは切りつけた痕こそ鮮明にあるが体内は切られていなかった。内臓に到達していなかったのだ。本来ならあり得ない。もしその傷があったら彼は即死だったはずだ。そうなれば私の力では何もできない。


 致命傷を与えられていながら無事だったのはジャックが『加護の石』を身につけていたからだ。石が彼の命を守った。

 ジャックが回復すると公爵様は彼を領地に行かせた。傷は治したのに領地に行く必要があるのかと疑問に感じた。何より彼と離れることが悲しかった。


「領地の馬屋番が急病だから臨時で行って欲しいと言われたんだ。でもその人が元気になれば戻ってこられる。それまで待っていてくれるかい? ルーシー」


「もちろんよ。ずっと待っているわ。絶対に待っている。でも浮気は許さないわよ」


「俺に言い寄る女なんてルーシーしかいないよ。それよりもルーシーもな。ルーシーは綺麗だから離れるのが心配だ」


 そしてすぐに領地に行ってしまった。彼が戻ってくるまでに公爵様とお義姉様に平民に戻りたいと思っていることを相談しなければ。お義姉様の結婚式が終わる頃にはジャックは戻ってくるはずだ。


 ジャックが助かった理由の『加護の石』はお義姉様が作りだしたもの。お義姉様もまた『魔女の末裔』だった。彼女の体にも真っ赤な花の痣がある。

 見せてもらったが右脇腹だった。お義姉様の力は『加護の石』を作り出すこと。

 両手を握り祈ることでその手の平に琥珀色の石がコロリと生まれる。


 古の魔女なら奇跡を起こし対象者を無傷で守れるのかもしれないが、現在の魔女の末裔にはそこまでの力はない。『加護の石』とは持つ者を決定的な命の危機から一度だけ守る。そういうものだと教えてもらった。


 ヒューズ公爵家は正当な魔女の末裔の一族だった。これは秘されているが時折『魔女の紋章』を持った女児が生まれる。

 そして私もまたお義姉様から『加護の石』を頂いていた。だから階段から落ちても命が助かったのだ。


  



 ******





 私はマイロ殿下と交流が続き憂鬱な日々を送っていた。

 ジャックは領地に行ってしまった。その寂しさの中、お義姉様と話をする時間が取れない。学園の卒業を前に社交界にデビューをすることになってしまった。平民に戻りたい私にとっては気の進まないことだがジャックのことを話せない上に、これほど良くしてもらっているのに嫌だというのは我儘だと思った。

 私が社交界デビューをするとマイロ殿下が都度ダンスに誘うようになった。もちろんお義姉様と踊った後ではあるがこれには驚きを隠せない。


「ルーシーは家族になるのだから問題ないよ」


「ですが……」


 マイロ殿下自らの誘いを止めることが出来る人はいなかった。私は毎回お義姉様に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 そんなある日、お義姉様を見ていてあることに気付いた。たぶん誰も気付いていない。お義姉様を思う私だけが気づくことが出来た。


 お義姉様にも密かに思う人がいる……。

 現国王陛下の歳の離れた王弟殿下ウイリアム様だ。王太子殿下より四歳年上でお義姉様とは六歳離れている。ウイリアム殿下は陛下の勅命で普段は辺境伯と共にその土地を守っている。王太子殿下の政敵となることを危惧して王都から遠ざけられた。王太子殿下の評判は貴族間では上々だが、平民や辺境領では最悪だ。逆にウイリアム殿下は辺境領や平民の間では人望があり口にこそ出せないが「ウイリアム殿下にこそ次の王になってほしい」と望むものは多い。私はご挨拶したが大らかな雰囲気で誠実そうな印象の方だった。


 私はお義姉様の側でいつも見ていた。


 ウイリアム殿下は式典や大きな行事の時に王都にお見えになる。その時二人は一瞬だけ視線を絡ませるがすぐに逸らしてしまう。だけど別々の方向を見ていても全身がお互いを意識している。


 二人の立ち位置はいつも近いのに目を合わせることも微笑みを交わすこともしない。儀礼的な挨拶だけ。

 でもそれが一層、言葉を交わすことなくその存在だけを抱き締めているように見える。見ているだけでも切なくて苦しい。二人はもっと苦しいはずだ。もちろん誰も気付いていない。気付かれてはいけないからだ。


 私はお義姉様にその気持ちを確かめたことはない。言葉にすることの許されない想い。叶わぬ悲しい恋。二人はお似合いなのに。身分だって釣り合っている。お義姉様付きの侍女リリーがポツリと言った。「お二人は幼馴染でオフィーリア様は大層ウイリアム殿下をお慕いしていました。ウイリアム殿下もオフィーリア様をそれはそれは可愛がっていました」と。幼い時に一時過ごして芽生え育んだ気持ち。でもその恋の花は咲くことが出来ない。きっとリリーも悲しい恋に気付いて見守っている。私たちにはどうすることも出来ないから。



 後に知るのだがヒューズ公爵様が私を社交界に出したのはウイリアム殿下に嫁がせ王都から離れたところで安全に暮らせるようにするためだった。万が一『魔女の紋章』の秘密が漏れても守れる力のある人と縁付かせるために。

 お義姉様はそれを知っていた。一体どんな気持ちだったのだろう。想像するだけで胸が引き千切られそうになる。





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