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後編


 自分の家でウィスキーをあおっているリンツに、電話が入った。サイラであった。


 「やあ、デートは楽しかった?」

 「ちょっと聞いてよ」


 サイラは怒っていた。リンツのことを話したところ、ギドーが話が違うと怒り出したというのである。


 「だってぇ、何であの人と付き合うからって、あなたと付き合うことが、自動的に終わる訳? 勝手に決めないで欲しいわよ。自分だって、さんざん女と遊んでて、本命っぽい彼女いるのに」

 「あ、居るの?」

 「そうよ、居るくせに!」


 リンツの間の抜けた声は、ますますサイラの怒りを掻き立てたらしい。ひとしきり、ギドーに対する悪口雑言が繰り広げられた後、サイラは言った。


 「と、言う訳だから、これから行くわよ」

 「今、11時だよ」

 「明日はそこから出勤するわ。お酒とつまみを用意しておいてね」


 リンツが答える間もなく、通話は切られた。リンツは電話を見つめ、それからいそいそと部屋を片付け始めた。自然と笑みが浮かんだ。



 2、3日経って、リンツは課長に呼ばれた。


 「この間、私が出張の時に君がやってくれた仕事なんだけどね」

 「何か、見落とし等、ミスがありましたか」

 「いやいや、それどころか」


 上出来だった、と課長はリンツを褒めた。にこにこしている。


 「先方が、すっかり君のことを気に入ってね」


 このまま担当になってもらうことにした、と課長は言った。早速、引継ぎの書類を山ほど渡された。


 「ま、頑張ってくれたまえ」


 リンツの肩を、ポンポンと叩いた。課長の思考は複雑で、そのリンツを妬む思いはリンツを自己嫌悪に陥らせた。それでも、課長の思考によって、書類の理解はとても早かった。徐々に薄れていく課長の支配力を、反比例して強まりつつあるリンツの自我が逃すまいと追いかけた。


 大きな仕事を任されるのは、嬉しくもあるが、不安でもある。失敗すれば、損失も大きい。たとえ失敗しても、取り返しのつく程度に抑えておきたかった。


 一通り書類を確認し終わると、自分の方の仕事に区切りをつけ、リンツは再び課長の席へ向かった。そして、細かい点について質問を始めた。


 内線電話が鳴った。受話スイッチを入れた課長は、一瞬リンツを見つめてから、一通り挨拶を交わし、再びリンツを見た。


 「早速きたよ。次回の打合せについて、日取りを決めたいそうだ。転送するから、席に戻りたまえ」


 リンツは席に戻り、転送された電話を受けた。ギドーが出た。


 「先日は、お世話になりました」

 「いいえ、こちらこそ」

 「この度は、うちを担当されるようになったそうで、今後とも、よろしくお願いします」

 「こちらこそ、一層ご贔屓に、よろしくお願いします」



 正式な担当者として、ギドーとの初会合の日がやってきた。リンツは書類を揃え、秘書に飲み物について指示し、応接室で待機した。前夜、サイラと飲み歩いたので、少し眠気がさしていた。


 「明日、ギドーと会うんですって?」


 サイラの声が耳に蘇る。リンツが肯定すると、サイラは、ギドーとは二度と連絡取りたくない、と伝えて欲しいと言い出した。ギドーはサイラを独占することに執着し始めたようなのだ。


 「あたしのこと、わかってないのよねぇ」


 リンツの髪を掻き毟らんばかりに梳きながら、サイラは呟いた。ギドーはサイラの恋人がリンツであることを知って、一層独占欲に支配されたらしい。


 「取引材料に使ってくるかもよ、どうする?」

 「公私混同するような人かな」


 未だ、有効な対策は立てていない。ギドーの良心あるいは仕事に対する姿勢を信じるほかなかった。


 「やあ、遅くなりました」


 ギドーが入ってきた。後から、秘書がコーヒーを盆に載せて続く。とりあえず時候の挨拶など済ませて、それから本題に入った。


 「御社の新しいキャンペーンキャラクターについてですが……」

 「当社は、C案を強く推します」


 打合せは、初回としては順調に進んだ。一度、代理として会ったことがあり、お互いの呼吸を呑みこんでいる所為かもしれなかった。ギドーは、サイラについて一切触れず、まして取引材料に使うそぶりも見せなかった。


 リンツは打合せの間、ギドーに触れないように細心の注意を払った。相手の思考に同調できないのは不便だが、課長との一件の例もあり、念には念を入れる必要があった。机を挟んでの対談のため、触れないようにするにはさほど苦労しなかった。


 「じゃ、次回は、同じ時間に」

 「今日は、ありがとうございました」


 ギドーが立ち上がり、リンツは秘書を呼んだ。隣室に控えていた秘書は、ギドーが応接室の入り口に辿り着くまでに、迎えに来ていた。


 「お客様をお送りしてくれ」

 「はい」


 秘書が先に立って歩き出した瞬間、ギドーはパッと振り向き、リンツの肩を掴んだ。


 「サイラは、もらう」


 殺気を残して、ギドーは秘書の後についていった。リンツは、ギドーの強烈な意識に支配されて、痺れたように部屋の入り口に立ち尽くしていた。


 ギドーの計画によると、リンツは今回の取引でミスを犯し、それを気に病んで、1、2ヶ月後に自殺するのであった。1、2ヶ月待つまでもなく、ギドーの頭の中を占めているのは、強烈な殺意であった。リンツは、応接室へ戻った。テーブルに広げられた書類には目もくれずに、窓へ向かう。


 やや特殊な開け方の窓を、苦労して開けているうちに、ギドーの意識が薄れてきた。だが、リンツが窓を乗り越えるのを止めさせるには至らなかった。


(サイラが居てくれたら、な……)


 己を取り戻しかけた意識の中で、リンツは考えた。

 それが最期だった。

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