幸せという罠 領地の娘たち
村一番の器量よし、アンネ。
金髪の巻き毛と大きな青い目、色白で豊満な体つきは皆が彼女のとりこになる。私……ニナの好きな人も彼女に夢中、兄貴もそうだ。そして母も「アンネちゃんを見習いなさい」が口癖だ。
村の人気者アンネ。だけど、私しか知らない裏の顔がある。
「ニナ!! これとこれ、やっといてね」
「え。でも、前の織物がまだ残っていて……」
「お願いね」
アンネは私をいつも召使のように扱う。もちろん人のいないところで。どんくさい私はいつもアンネの言いなり。
一度、反抗したことはあったが、アンネが泣いて母たちに訴えたらこっぴどく怒られてしまった。
そんな辛い日々を送っていた私にある転機が訪れた。
この村の領主さまのお嬢様が丘の上の屋敷に滞在されることになり、村長さんが使用人の募集をかけたのだ。私はアンネから離れたい一心で手を挙げた。
村長さんからは泣いて感謝され、父母や兄は別の意味で泣いていた。
「お前、考え直しなさい」
「そうだぞ、今からでも取り消せ! 村長。妹は辞退させるからな」
「ちょっと待ってくれそれは困る。人手不足なんだ!」
村長と親の押し問答が続く中、私はアンネに呼び出された。
「あんたバカねえ。丘の上に滞在するのは性悪女で有名なマリアお嬢さまよ。嫡男のルードルフ様がいらっしゃればよかったのに、なんであの性悪女がくるのかしら」
アンネはぶつくさと言う。
「性悪女?」
「ええそうよ。我らの領主さま、アークランド侯爵家の唯一の汚点。マリアお嬢さまはとっても悪い女なの」
「アンネはマリアさまが嫌いなの?」
「そりゃあね。あの女がいると私がルードルフ様の妻になったときに困るでしょ?」
アンネの言葉にびっくりする。
ここまで野心家だとは思わなかった。身分違いの結婚は許されているから、法律上問題はないけれど、高望みしすぎではないかと私は思った。
そして、私の嫌いなアンネが嫌いと言うことは、もしかしていい人かもしれないとも。
私は親の反対を押し切り、村長さんが用意した馬車で丘の上の屋敷に行った。報酬は金貨一枚。騎士の日当分に値するほどの高額だった。
どんな恐ろしい命令が来るのかと覚悟したが、噂の悪女、アークランド侯爵令嬢マリアは普通の人だった。美貌以外は。
アンネの容姿がかすむほどマリアお嬢さまは美しかった。
「どうかしたの?」
私が惚けているとマリアお嬢さまが訝し気に首をかしげる。
「あ、あまりにもお美しいので見とれてしまって……」
私が慌てて言い訳するとマリアお嬢さまは楽しそうにほほ笑む。
「ニナは正直な方ですね」
専属侍女のコニーさんが嬉しそうな顔をする。
「よくわかるよ。僕も未だにマリアの美しさになれなくてよく見惚れるんだ」
力強く肯定するのはマリア様の婚約者、クラウス様だ。
お二人はとても仲睦まじく、とくにクラウス様の溺愛ぶりはこっちが熱くなってしまう。
つまり、私はこんな和やかな場所で騎士様と同じ日当を貰う、最高の職場を手に入れたわけだ。
楽しい日々を過ごす私だが、一つだけ気になることがあった。
「コニーさん。お嬢様はなぜこんな辺境の土地に来られたんです? 美味しいものや特に名産があるわけではないのですが」
「ここで作られる布織物がお嬢様のお気に入りなんですよ。どんな場所で作られているのか見てみたいと仰ったのがきっかけですね」
コニーはワードローブを開き、見慣れた生地のドレスを見せた。忘れもしない、アンネに押し付けられて寝不足と戦いながら必死に作った織物だ。
私は思わず涙がこぼれた。
ぽろぽろと声も上げずになく私をコニーさんは驚いた顔で見た。
白いハンカチを私の目に当て、何も言わずに付き添ってくれる。
何かが報われた気がした。
「ニナさん。ニナさーん!! すぐに応接間に来てー!!」
家政婦長のザビーネさんの声が響く。
私は涙をぬぐってコニーさんにぺこっと頭を下げ、廊下に出て応接間へと向かう。
着いた先には、父母と兄がいた。
「ニナ!! ニナ!!」
母は憔悴しきった顔で私をみると駆け寄って抱きしめた。母は泣いていた。
「お願いです。お願いです。どうか娘を返して下さい。わたくしどもにできることなら何でも致します」
そう必死に願い出るのは父だ。兄も同じように頭を下げている。
「と、父さん、母さん。一体どうしたの?」
私が驚いて声を上げると、私を抱きしめたままの母が泣きながら答えた。
「帰ろう。母さんたちが何とかするから、お家に帰ろうね。もう大丈夫だからね」
母は私の頭を撫でながらそう言った。母の体は震えていた。父も兄も震えていた。
そんな中、抑揚のない声が響く。
「ニナが戻りたいというのなら引き留めるつもりはありませんわ」
表情のないお嬢様の顔は迫力があり、どことなく怖さを感じる。
数日間一緒にいてわかったことだが、これは困ったときの表情だ。
しかし、迫力のある美貌のせいで本心の言葉でも何か裏がありそうに感じてしまう。例えば『引き留めるつもりはないけれど、罰は与えるぞ』という幻聴が聞こえてきそうなのだ。
「わかっております。いかような罰もお受けする覚悟です」
「罰? 褒美の間違いではなくて? ニナはよく働いてくれましたわ。コニー、わたくしの宝石箱を持ってきて」
お嬢さまの声でコニーさんが宝石箱を開いて持ってくる。
色とりどりのアクセサリーが綺麗に整列されている。
「ニナ。数日間、とても楽しかったわ。どれでも好きな宝石をもっていってね」
マリアお嬢さまはそう言って私に微笑む。
お嬢さまの柔らかいこの微笑が私は大好きだ。美しくて気高くて、とても優しい。
「お世話になりました。私もとても楽しかったです」
お嬢さまの厚意を無下にすることはできず、私は小さいブレスレットを一つだけ頂戴した。
家族は呆気に取られていた。
きっと、私がお嬢様に虐められていると勘違いして助けに来てくれたのだろう。それが誤解だとしても、なんだかとても嬉しかった。誤解は帰り道においおい解くとして、ここにいては迷惑になる。
私は家族の背中を押し、応接間から退室した。
帰りの馬車、私はお嬢様がとても優しい方だったと家族に説明した。家族は顔を青くさせ、お嬢様に謝らなければと大慌てだった。彼らを宥めたあとはお屋敷での楽しい話を聞かせた。
「落ち着いたらまたお嬢様の下へ行くわ。私が織った織物を好いてくださっているの。とてもよいものを作ってお嬢様にお届けするわ」
私が言うと母は目を丸くした。
「お前、織物なんてできたのかい? いつもアンネにやってもらっていたんじゃあ……」
「あれは全部私が織ったの」
やっと言えた。
母さんは目を丸くしていた。
父さんは腑に落ちたような顔をした。
「なるほどな。お嬢様がお前の働きを認めてブレスレットを下さった。お前の実力の高さの証明だな……。悪かった。お前の能力を親の俺たちは気付かなかった」
父さんが私に頭を下げた。
母さんも涙目で謝った。
兄さんは真っ赤な目で私を見つめた。
家に帰って母の手料理を堪能した後、私は織物の製作に取り掛かった。美しいお嬢様に似合う織物をイメージして手を動かす。喜んでくれると嬉しいな。
次の日、アンネがやってきた。
「ニナ! 無事だったのね! あんたがいなくてとっても苦労したのよ。これとこれ、あれもやっといて」
「無理よ。私は自分のことでいっぱいなの」
私は初めてアンネに反抗した。
アンネは目を丸くした後、醜悪な顔で私を睨んだ。
「私に逆らう気? おばさんに言いつけるから!!」
アンネはそう叫んで去っていった。
壁を隔てて彼女の泣き声が聞こえる。
「おばさん……私、ニナに嫌われたのかもしれない。手が痛いから、これ以上は織物を手伝えないと言ったら怒られてしまったの」
「アンネ。うちのニナは今大事な織物を作っている最中なんだ。あんたの手伝いは金輪際いらないから集中させてやっておくれ」
母はぴしゃりと言った。
それがとても嬉しかった。
ただ、私は一つだけ忘れていた。
アンネがひどく執念深いことを。
アンネの取り巻きが私の家に押し入った。ちょうど、家族が不在の時だった。
「おい、ニナ。アンネを泣かすとはどういう了見だよ!」
「お前、あいつの織物を奪ったんだって? さっさと返せよ!!」
彼らは家を乱雑に荒らし、作りかけの織物を機織機から引っこ抜いた。止めようとした私を押しのけて。
「ん? なんだこれ?」
「すっげ綺麗な石だ。こんなもん見たことねえ」
「もしかしてこれもアンネのもんじゃねえか?」
取り巻き達はお嬢様がくれたブレスレットをまじまじと見つめた。
「やめて!! それは私のものよ!! お嬢さまが私にくれたの!!」
私が叫ぶと取り巻き達は眉間にしわを寄せた。
「アンネを陥れるお前の言葉を誰が信用するか!!」
男の一人がそう言って私を蹴とばす。
織物とブレスレットを持ち、彼らは家を後にした。
悔しい。悔しい。
家族は味方でも、村の人間はアンネの味方。
村八分にでもなったら、家族に迷惑がかかる。
私は声を殺して泣いた。
■
華やかな柄を目の前にして、金髪の少女ーーアンネはほくそ笑む。
織物をようやく手に入れた。
ブレスレットの存在は知らなかったけれど、こんなきれいなものはニナが持つべきじゃない、私にこそ相応しい。
「それにしても、性悪女がブレスレットを平民に贈るなんてありえないわよね。一体何があったのかしら」
疑問に思ったアンネはさっそく村長のところへ行き、マリアの他に誰が滞在しているか聞いた。
「小公爵閣下……ギレスベルガー卿がいらっしゃってるよ。とても優しくて温厚な方でわしらも助かっている」
うっかり者の村長はマリアの婚約者という言葉を付けるのを忘れていた。
「へえ、そんなに優しい方なのね。しかも公爵家……」
アンネはにやりと笑う。
自分ほどの美貌があればどんな身分の男も自由自在だ。
『なるほど。ニナにブレスレットを渡したのも小公爵閣下ね。あんな味噌っかすに優しくするんだもの、私相手ならすぐに落ちるわね』
アンネはさっそく村長に館のメイドとして雇ってもらえるよう頼んだ。
「ああ、わかった。ニナが抜けて空きがあるからな」
村長は二つ返事で了承し、アンネは笑いが漏れそうだった。
その時である。
「村長!! 大変です!! 小公爵閣下がお見えです」
「なんだって?! すぐに応接間に御通ししろ!! ああ、誰かお茶を入れて……」
「村長さん。わたしがしますわ!!」
アンネは意気揚々と言った。
邪魔されずに小公爵と会える機会に恵まれたと彼女は喜んだ。
きっと、小公爵はアンネの美貌に一目ぼれし、彼女を妻にしたいと言い出すだろう。アンネはもちろん了承し、たくさんの宝石と豪華なドレスを纏って結婚式を挙げるのだ。
アンネは夢を描いた。
「小公爵閣下、お茶をお持ちしましたわ!!」
応接間に入ると目が眩むほどの美貌の青年がいた。柔らかな茶髪、凛々しい目元。逞しく日引き締まった体。そしてうっとりするような品格。
アンネはしばし時を忘れた。
しかし、彼はアンネに興味を示すことなく、むしろ邪険に扱った。
「すぐ帰るから茶は要らない。はやく下がれ。村長。ニナはいつ戻ってくれるのかな?」
「す、すぐに本人を呼びます!! アンネ、お茶なんかいらないからすぐにニナを呼んで来てくれ!!」
村長と小公爵の言葉はアンネのプライドをぐしゃぐしゃに壊した。彼女はぷるぷると震え、しばらく身動きが取れなかった。
「アンネ!! 小公爵閣下のご要望だ。早くいけ!!」
村長の声が一段と激しくなる。
ふだんのクラウスなら、『女性相手にそこまで言わなくても』と優しさを見せるだろうが、今のクラウスにアンネを気遣う余地はなかった。
なにしろ彼の最愛の婚約者、マリアが「ニナがいなくなって寂しい」とため息を吐いているからだ。
アンネは屈辱に顔を染めながら走った。
その辺に投げ捨てた茶器が大きな音を立てて壊れる。
アンネはニナの家に向かった。
『ニナが悪いのよ。ニナが悪い。きっと私の悪口を小公爵閣下に言ったせいよ!!』
激高した彼女はニナの家に入った。施錠する習慣のないこの村は、だれでも自由に出入りで来た。
「ニナ!! あんた小公爵閣下に何を吹き込んだのよ!!」
アンネは怒鳴った。
怒りのあまり、ニナしか目に入らず、他の人間がいるなんて思いもよらなかった。
「ニナさんを痛めつけたのはあなたですか?」
薄い茶色の髪を肩口で切りそろえた少女がアンネを睨む。彼女はニナに肩を貸していた。
「あんた誰よっ!!」
「質問に答えて下さい。ニナさんを痛めつけるように指示をしたのはあなたですか?」
「うるさい!! ニナが悪いの!!」
アンネの声はさらに激しくなる。
彼女の声は人々を引き付けた。
「アンネ、どうかしたのかい?」
「ニナがまたやらかしたのか!?」
人気者のアンネを心配した村人がわらわらと入って来た。ここでようやくアンネは落ち着きを取り戻した。
「ニナが私の悪口を小公爵閣下に吹き込んだの……。そのせいで私は小公爵閣下に嫌われてしまったわ」
ぽろぽろと泣きながらアンネは現状を訴えた。
村人はアンネの泣き顔にすっかりほだされ、口々にニナを非難した。
「いくらアンネが羨ましいからって陥れるようなことをするな!!」
「今すぐアンネの名誉を戻せ!!」
村人はニナの腕を掴んで引きずった。
「何をするんですか!! ニナに触れるのは許しませんよ!!」
止めたのは茶色の髪の少女だった。
「なんだお前! ニナの味方をする気か!?」
激高する男を少女はきっと睨みつけた。
「彼女は私の友人です。そして私はアークランド侯爵令嬢マリア様の専属侍女です。無礼な真似は許しませんよ」
少女の言葉にその場の全員が息を呑む。
アークランド侯爵令嬢マリアの悪名は彼らも重々承知していた。
それと同時に、悪女マリアとニナが可愛いアンネを陥れたのだと確信した。
「そちらに非がないというんなら、小公爵閣下の前で白黒つけようじゃあないか!!」
可愛いアンネと性悪女たちを見比べれば、小公爵閣下もきっと真実に気づいてくれると彼らは思った。
「いいでしょう。望むところです」
茶色の髪の女は怯むことなく言った。
アンネはか弱そうな女を演じ、涙をぽろぽろ流していたが、心の中では舌を出していた。
『性悪女が背後にいたからニナが強気だったのね。ああ、もしかして私の悪口を吹き込んだのは性悪女の方かも。私の評判に嫉妬したのね』
アンネは自分の勝利を信じて疑わなかった。
自分の美貌があれば、性悪女が何を言っても無駄だと思ったのだ。そして何よりも村人が味方だ。アンネが誰よりも気高く優しいことを彼らが証明してくれる。
アンネは村人に慰められ、ニナたちは村人から逃げられないようにぐるりと囲まれて移動した。
小公爵……クラウスが待つ応接間にアンネたちが入ると村長は目を丸くする。
「お、お前たち! 小公爵閣下の御前だぞ!! 無礼な!!」
「無礼は承知! 小公爵閣下、お聞きしたいことがあってまいりました。どのような処分も覚悟の上です」
男気のある村人がクラウスの前に跪く。
だが、クラウスは彼を無視した。
「ニナ!? どうしたんだこんなにボロボロになって……!! コニー、一体何があったんだ?! 村長、早く医者を手配しろ」
クラウスは痛々しそうな顔でニナを見つめた。
茶色の髪の少女……コニーは怒った顔で答える。
「館に戻ってもらえないかと思って自宅を訪ねたら、ニナさんが倒れていたんです!! きっとあの女が黒幕ですよ。恐ろしい顔で私たちを罵りました!!」
コニーが指をさしたのはアンネである。
か弱い女性を演出するため、目に一杯涙をためていたのだが、唐突に視線を向けられて目が真ん丸になる。
「君、一体どういうつもりでニナとコニーを罵倒したんだ?」
目を吊り上げてクラウスはアンネに詰め寄る。
「わ、わたしは何もしていませんわ……」
アンネは演技を続けた。ぽろぽろと涙を溢し、大きな目でクラウスを見つめる。
だが、クラウスにそんなものは効かない。
「君が絡んでいるから大勢の村人がここに押し寄せてきたんだろう? 簡潔に聞かれたことだけ答えてくれ」
軍人らしい気の短さでクラウスは威圧的に言った。マリアやニナの前で見せる顔とは全くの別である。
「そ、そんな……私は被害者です。それに、ニナが暴行を受けたことも初めて知りました」
「嘘です。勝手に入るなりニナさんに怒鳴り散らしていました」
コニーの指摘にクラウスの顔は険しくなる。
「閣下、嘘じゃあありません。その女性は悪女マリアの専属侍女です!! きっと私に嫉妬して陥れようとしているんですわ!!」
「悪女マリア?」
クラウスの声が一段と低くなる。
だが、アンネは気が付かない。
「そ、そうですわ。人を人と思わない悪女なのです。我々領民はそれをよく知っております。嫉妬深く、陰湿で傲慢。そんな人の侍女を信じないで下さい!!」
「その通りです閣下!!」
村人たちがアンネに同調する。
しかし、クラウスの表情は相変わらず冷たいままだった。アンネたちの言葉を無視し、置物と化している村長に声をかける。
「村長。ここにいる全員を牢屋に入れろ。僕の婚約者を侮辱してただで済むと思うな」
「か、かしこまりました!!!!」
村長は縮みあがって返事をした。
「こ、こんやくしゃ?」
アンネは思わず聞き返した。
「アークランド侯爵令嬢マリアは僕の最愛の婚約者だ。都から遠いと情報が思うように入って来ないらしいな。そのくせマリアの悪口は蔓延しているとなると……誰が言ったんだろうな?」
クラウスは刺すような目でアンネを見つめる。ぞくりと背筋が凍った。
村人たちも顔を青くさせた。
だがもう何もかもが遅く、彼らは村長が呼んできた守備隊に拘束された。
アンネたちを牢屋にぶち込んだ後、クラウスはニナたちの傷を見て涙を溢した。
「ご、ごめん!! こんなことになるのなら、護衛をつけるべきだった……」
項垂れるクラウスは先ほどの怖さは全くない。
「こ、こんなの平気です。それよりも、お手数をおかけしてすみません」
ニナはクラウスに謝罪されて戸惑った。その肩をコニーが優しく擦る。
「ニナさんが謝ることはないです。ところで、あの女が織物がどうとか言っていましたけれど、ニナさんが織ったものをあの女が奪った……ですよね?」
コニーの指摘にニナはこくんと頷いた。マリアお嬢さまのために織ったものです。とニナは小さくつぶやいた。
「クラウスさま。ニナさんのことは私に任せて下さい。害虫駆除をお願いします」
「承知した!!」
クラウスはそう返事をするとすぐに飛び出していった。
後日、アンネは窃盗罪と侮辱罪、虚偽風説流布罪で逮捕、複数の村人が侮辱罪と暴行罪で逮捕された。処罰はクラウスの怒り具合を如実に表していて彼の温厚さを知っているニナは驚いた。
アンネが処罰されたことはすぐに村に広がったが、それ以上に村人を驚かせたのは、未来の公爵がニナの家にやってきたことだった。
奪われたブレスレットと共に自らお詫びの品を届けに来たため、村人は誤解していたことを知った。さらに、アンネたちから取り戻した織物と、新しい機織機を「完成をマリアとともに楽しみにしている」という言葉とともにプレゼントした。
村人はニナを誤解していたことを思い知り、頭を下げてニナに謝った。ニナは条件を一つつけて受け入れた。
「アンネに騙されていたことはもういいわ。でも、お嬢様の誤解は解きたいの。アークランド侯爵令嬢マリアお嬢さまは女神のように優しくて美しい方なの。アンネはその方に嫉妬して悪評を振りまいていたのよ。それをきちんと覚えておいて」
ニナの約束を村人たちは忠実に守った。
都から遠く離れた田舎の村。
そこだけは、悪女マリアの噂がなくなり、代わりに「女神のようなお嬢様」と呼ばれるようになった。
当のマリアが耳にするのは大分あとになってからなのだが、悪女呼ばわりに慣れきった彼女はすっかり照れてしまい、顔を真っ赤にしてしばらくソワソワしっぱなしだった。そんなマリアをクラウスは可愛い、大好き、愛してると連呼するのである。
シリーズ1作品目「幸せという罠」、一迅社様(ZERO-SUMコミックス)でコミカライズ致しました。電子配信が8/1より開始です。よろしくお願いいたします!