8.眠れる獅子
「ノイル様、先ほど宰相様がお見えになりまして、国王陛下が面会をご希望されているとのことです。いかがされますか?」
聖女の力に目覚めてから三日後の朝、ニアが朝食の準備をしてくれながら確認してきた。
いかがされますかと言われても、この国の国王陛下が会いたいと言えばもう会うのは決定なんじゃないだろうか……。
そこまで考えたところで、昨日の授業を思い出す。
昨日は、聖属性魔法の前に基本的な聖女の歴史や立ち位置について細かいところまで教えてもらえた。
ウィングルド王国の最高権力者は国王陛下なのか、というと実はそうでもなかったりする。
この国にはまず王族がいて貴族がいて、基本的な政治を執り行うのだが、その権力に侵されない領域に神殿がある。
神殿は独立した組織で独自のシステムで運営されており、この国では完全に政治と宗教が分けられているのだ。
そして、そこに百年ごとに現れるのが聖女という存在である。
最初の頃こそ聖女を取り合って王族と神殿が泥沼の争いを繰り広げたそうだが、そういった過去の経験を元に現在では聖女というのは第三の力として位置づけられるのだそうで。
国王、大神官、聖女。
この三者の立ち位置は同格という扱いになるのだそう。
故に、今回の面会も謁見ではなく面会で、こちらにも選ぶ権利が与えられているのだ。
(そんな、急に国王と同格です、とかって言われてもねえ……)
前世の知識が入ったおかげで王族に対する意識が薄まったノイルだが、それでもお偉いさんであることには変わりがないので同格に扱われると思うとどうしたらいいのかわからなくなってしまう。
それだけ、聖女という存在が重要視されているということか。
デビュタントもしていない身であったので国王陛下と直接会ったことはないが、絵姿などでその容貌は知っているし、治世も見事で賢王と名高い。
悪い方でなければよいのだが。
「今了承の手紙を書くから、宰相様に届けていただけるよう手配をお願い。」
最高級のレターセットを使用して失礼にならない文章を考え、返事を書きニアに託す。
封筒に光るのは、聖女の紋章を使用した金の封蝋。
「ニア、申し訳ないけどさっき言ってた服は今日は駄目ね。
非公式のものであると思うけど、聖女らしい最高級の装いにしてほしいわ」
*****
「ノイルと申します。この度は面会の機会をいただき、誠にありがとうございます」
「なかなか時間が取れず申し訳ない。
本当は、選定の儀の直後にでも時間を取りたかったのだが……聖女殿を休ませろと、いろいろうるさくてな」
一時間後、ノイルは国王の応接室にて面会を果たしていた。
立場としては同等かもしれないが、国王は五十代で年長者。
人生の先輩であるので、そこはノイルの方が礼を尽くす。
本日の装いは、わずか数日で仕立てられたノイル専用の白いドレスと白いローブだ。
一応国王陛下との面会とのことなので、聖女らしい服装にしてみた。
「休ませろ……ですか?」
疑問に感じて国王の方を向くと、すこし決まりの悪そうな顔をして頷く。
「まあ、内輪の話だ」
意味ありげな視線は、ノイルの真横に縫い留められた。
「ノイル様にもいろいろと心の準備というものがございます。
数日前までウィングルト王国の公爵令嬢でしたので、聖女としての国王に対する立場というものをお教えするのにもお時間が必要です。
教育係として配慮させていただいただけですよ」
ノイルの横には、さわやかな笑顔を張り付けてウェアハルトが立っていた。
魔導士団長であることを示す黒いローブをしっかりと着込み、春の暑さも感じさせずに涼しい顔で笑っている。
(ウェル様、なんで居るんだろう……?)
純粋な疑問だが、国王陛下と面会するために不安がなかったわけではないので、見知った顔があって安心したのが正直な話だ。
国王陛下の斜め後ろには、困り顔の宰相が立っている。
そのまま促されて豪華なソファに座った。
「話というのは、そなたの正式な任命式のことだ。
一か月後に決まった。
それまでは聖女としての勉強期間という事で離宮にて教育を受けてもらうが、一か月後の正式任命式後、改修が済んだ聖女宮に移ってもらい、王宮と神殿での職務にあたってもらうこととなる」
なにしろ聖女が決まったのが百年ぶりのことであるので、前回の情報もなかなかない。
文献にはあるが、時代背景に即さなかったり聖女の人権の問題など、いろいろあるらしい。
「かしこまりました。異論ございません。この国のために尽くさせていただきます。」
聖女としての職務は主に二つ。
王宮からの派遣と、神殿での奉仕だ。
王宮からの派遣は、王宮の依頼に従って各地を回り、瘴気のもととなる魔物を狩ることにある。
そして、神殿での奉仕とは、神殿から依頼された怪我人たちを癒すことである。
「聖女の浄化の力、癒しの力、どちらもみな期待しておる。
魔物に手や足を食われて職務が果たせなくなった優秀なものたちもいるからな」
「魔物を浄化……ですか」
学園で魔法の訓練はしたことがあるが、実戦経験はない。
不安な声が思わずこぼれる。
それに反応してくれたのは、ウェアハルトだった。
「ご安心ください、ノイル様。
教育期間が終了した後も、魔導士団長の職務として各地の魔物討伐任務に同行させていただくこととなりました。
ノイル様には傷一つ付けないことをお約束いたします」
「ウェル様が……」
やさしく微笑まれて、先ほどまで重く胸を沈めていた不安が霧となって消えた。
魔導士団長という事は、この国のどの魔導士よりも強いという事である。
そのウェアハルトが付いてきてくれるのだから、これほど心強いことはない。
その様子を、国王と宰相が信じられないものを見るような目で見ている。
「あ――……
聖女殿は、運命の番、という言葉を聞いたことがあるかな?」
「?運命……の番、ですか?聞いたことはございません。
何かの神話などでしょうか?」
ノイルは気づかないが、ウェアハルトが冷えた視線を国王に刺した。
「知らないならよいのだ。聖女としての職務を全うするにあたり、いずれ知ることもあろう」
「?はい……?」
「できる限りの助力はさせてもらう。宜しく頼んだ」
「かしこまりました」
必要な会話が終わったらしく、ウェアハルトが立ち上がり、ノイルに手を指し出す。
「ノイル様。お手を」
ウェアハルトはノイルには意味の解らない目配せを国王と宰相にし、礼をして執務室を出た。
ノイルもエスコートされる形でそれに続く。
ノイルは一介の公爵令嬢であるため知らなかったのだ。
『黒』の名を冠する魔導士団長が、この国の政治権力下において唯一国王陛下に助力を乞われる存在であることを。
扉の向こうに消えた二人の姿、それを確認した少し後、詰まった息を吐きだすように宰相が呟いた。
「恐ろしいですね、『黒』を骨抜きとは……」
「下手なことを口にしようものなら今にも牙を向かんばかりだったな。肝が冷えた」
「遠征も、自らが同行できるよう各所に手を回したようです」
「眠れる獅子をどこかの阿呆が起こさんことを祈るばかりだな」
国王は、二人が消えた扉をしばし見つめていた。