6.名前
能力が目覚めた翌日から、早速聖女としての勉強が始まった。
主な日程としては、座学で聖属性の魔法を学び、それから実践。
午後からは神殿からの使者が来て、神殿での治療や作法に関することなどを教えてもらった。
前聖女が三十年ほど前に亡くなっているので、すべて文献を用いて学ぶか、直接前聖女と関わったことのある生き字引の方々からの教育だ。
初日だけ、各種手続きを行うために数時間宰相との面会があり、今後に関する要望などを尋ねられた。
かといって、これからどうなる身かもわからないのでこれと言って要望が思いつかない。
宰相に面会するのは初めてだったので少し緊張したが、想像よりはるかに人当たりのいい方だったので話が進む頃にはすっかり解れていた。
なぜか面会の間も、魔導士団長様が同席しているのは疑問だったが、いぶかしげな視線を向けるととてもいい笑顔を返された。
教育係と言われたが、私の面倒をみる世話役のようなことも含まれているのだろうか。
ノイルは不思議に思いつつも、選定の儀で味方になってくれた見知った顔がある方が落ち着いたので、そのまま話を進めた。
「そういえば、公爵家のタウンハウスで私の専属だったマリサという侍女をこちらに呼んでもらうことは出来ますでしょうか」
「侍女をかい?理由を聞いても?」
「マリサは私の幼いころからの専属メイドで、私の身の回りの世話をすべてやってくれていたのです。
実家から籍を抜かれ一人になったので、顔見知りが一人でもいるとありがたいですし……マリサには両親がなく、後ろ盾もないのでこの先屋敷での心配もあります。
私についてきてもらえたらと……」
「なるほど、事情は理解した。念のため身辺調査を行ってからになるから数日かかると思うが、なるべく早く手配しよう。
そのほか、公爵家からは必要なものなどはすべて運ばせてあると思うが、もし何かあったら遠慮せず言ってほしい」
「ありがとうございます。あと、これはお聞きしていいかわからないのですが……ギーゼ様はあのあとどうなったのでしょうか」
問題の第二王子の名前を出すと、宰相の隣に座る団長様から黒いオーラが立ち上るような気配がした。
えっ、と思ってそちらに視線を向けると、すでにその気配はなく、先ほどと同じく人のいい笑みを浮かべた彼の姿が目に入る。
「あー……その件なんだが」
「第二王子とノイル様との婚約は、破棄されることとなりそうです。
そうですよね?宰相殿」
「そ、そうだな……」
あれだけ派手に婚約破棄をやらかされたのだ、こちらとしても破棄された方がありがたい。
王家としては聖女との関係を結んでおきたいだろうが、逆に言うと聖女である令嬢に失礼を働いたのはどうなのよ、というところでもある。
ちなみに、聖女は結婚して子を成してもその力が失われるようなことはないので、婚姻も出産も自由である。
「もともと政略でしたし、公式の場で婚約破棄されたこともつらかったので、そのまま破棄の方向で進めていただけると助かります。
公爵令嬢という立場もないので、家のための結婚というものでもなくなりましたし」
「わかった、ではそちらもこのまま破棄の方向で手配を進めよう」
そのあといくつか必要なことを話すと、宰相は応接室を後にした。
数日後には、王との謁見があるそうだ。
その日程もまた追って連絡が来るらしい。
家族との面会を希望するか聞かれたが、それは断っておいた。
昔の自分だったらどうするかわからないが、前世の記憶がもどった今ではたいして愛着もない実家である。
今までそっけない態度をしておきながら、聖女だとわかった途端手のひらを返して便宜を図るようお願いされても困るので今後の面会も必要ないと伝えた。
宰相が出て行った後も、ウェアハルトは部屋に残った。
このまま授業を開始するのだろうか。
「あの、団長様……?」
「ウェル、とお呼びください。
形式上は私が教育係という立場になりますが、本来聖女様のお立場は国王に並びますので」
突然の名前呼び要求に焦ってしまう。愛称を告げたのは、今後仲良くする気がある、という事を示してくれるためだろうか。
「立場なんてそんな、私はたまたま選ばれたというだけなので……」
謹んで辞退するが、立場的なものもあるのだろう、団長様は引き下がらない。
「で、では、ウェル様と呼ばせていただきます」
「……失礼ですが、もう一度呼んでいただいても?」
「?ウェル様?」
「ありがとうございます。そちらで宜しくお願いします。
聖女様は家名がございませんので、私のほうはノイル様、と呼ばせていただきますね」
「?はい、宜しくお願いします」
愛称を呼んでもらえたウェアハルトが、心の中で小さくガッツポーズをしていたことを、ノイルはこの先も知ることはないだろう。
名前を呼んでもらえてうれしかった魔導士団長様。ちょろい。
いつかノイルの前で自らのことを俺、と本来の口調で言える日はくるのでしょうか。