4.聖女
気を失っていた間に乱れてしまった髪や化粧(以前に比べたら薄いけど)を整えてもらったあと、クローゼットに用意されていた白いドレスに着替えさせられた。
当たり前だが、自分のために誂えられたものではない。ので、少し胸元がきつい。
けれど白地に金の刺繍のほどこされたその美しいドレスは、しっとりと肌にくっつくような着心地がすばらしかった。
いったい何故に、このような至れり尽くせりの扱いを受けているのだろうか。
覚えのないそれに遠い目をしていると、仕上げに同じく白地に金のローブを肩からかけられる。
もって生まれた銀色の髪の色も相まって、鏡の中の人物はまるで聖女のようだった。
「応接室はこちらでございます」
ニアに案内されて寝室から出ると、応接間に続いていた。
そこにいたのは、倒れる前にお会いした黒髪赤目の――
「ウェアハルト・フォルスと申します。体調はいかがですか、聖女ノイル様」
「聖女……?ノイル?」
回想は耳に入ってきた言葉に遮られた。
聞き間違いでなければ、今この人は聖女と言わなかっただろうか。
「え?誰が聖女って……」
「驚かれたことと思いますが、ノイル様です。
貴女が、先ほど聖女選定の儀によって今代聖女に選ばれました。
このことはすでに国王陛下もご存知で、正式な発表に向けて動かれておられます」
固まっている間に歩み寄っていた目の前の端正な顔が、花開くように笑みの形を作る。
「私は聖女ノイル様の助力となれるよう国王陛下より命を受け、これより教育係としてノイル様のお傍につかせていただきます。宜しくお願いしますね」
全身に黒をまとった長身のウェアハルトが、ノイルの前で片膝をつく。
恭しく取られた手にキスを落とされて、ノイルは本日二度目の思考放棄をしたのだった。
*****
「――という事になります」
「なるほど……」
思考放棄から三十分後、なんとか復活を果たしたノイルはウェアハルトから現在の状況に関する説明を受けていた。
要約するとこうだ。
代々、精霊水晶によって選定された魂は、女神の神力との調和をはかる関係で多重の負荷がかかるらしい。
それは魔力をまるごと入れ替えてしまうようなすさまじいもので、一時的に意識を失うが、目覚めたときには、もともと持っていた聖なる魔力に神力が加わり、膨大な癒しの力を得るそうだ。
昼過ぎの選定の儀で意識を失い、目を覚ましたのは日の沈んだ頃。
すでに公爵家にもノイルが聖女に選ばれたことは報告が行き、それとともに、国王陛下の命によってノイルの籍を公爵家から抜く処理が進められている。
「中立を保つためなのですね……」
「そうです。聖女の出現はおよそ千年前から百年周期で起こっていますが、時の権力の道具として利用されないため、聖女という事が分かった時点で籍は家から抜かれることになります。
そうして、王家と神殿の庇護のもと中立の存在として人々を導く標となっていただくのです」
過去の聖女が政治利用されて悲しい最期を迎えた教訓をもとに、現在の聖女の待遇は手厚いようだ。
しかし未だに信じられない。
自分のような清らかさのかけらもないような人間が聖女。
聖女とは。
「聖女のことについては、これからゆっくり学んでいかれればよいかと思います。」
ウェアハルトが、唸るノイルにやさしく微笑む。
うーん、何度見ても完璧な造形美である。
立て続けに信じられないことが起こるが、こうして正気を保っていられるのはこの顔を見ていられているからかもしれない。
簡単な説明をうけ、ひとまずは休ませてもらえることになった。
ちなみに、現在ノイルがいる建物は離宮の一室で、聖女としての職務が始まるまでの一時的な仮住まいとなる。
聖女が選定されたことで、王宮の一角にある聖女宮の改装が決まったらしい。
聖女宮は代々の聖女が居を構える宮で、先代聖女が亡くなってから管理はされているものの経年劣化で傷みが出ていたため、この際に新しくするそうだ。
ウェアハルトが退室した後ニアにも下がってもらい、寝室で考えを整理することにした。
(聖女か……)
あまりに実感がなさすぎて、考えが全くまとまらない。
そもそも聖女の始まりとは、千年前に魔物の大量発生が起こったことに由来する。
女神ヴェラリサを創造神とするこの世界で、人間と魔物は相いれることのない対極の存在だ。
この世界の人間と動物たちは女神とその夫神により作られたとされているが、その作られた生き物の中に両神を裏切るものがあった。それが現在の魔物である。
魔物はヴェラリサの夫神イズナを殺しその肉を食らい力を得て魔王と化し、瘴気で一部の動物を魔物化させ魔族を作り上げた。
夫神を失ったヴェラリサは嘆き悲しみ、自らの力で魔王を封印することに成功するが、夫神の強大な力を得た魔王は女神の力をもってしても消滅させることはできなかった。
そこで女神は人間の中に自らの力を継承するものを産まれさせて、人間をいずれ復活する魔王や魔族、魔物たちから守る退魔の力と、癒しの力を与えたのである。
それが聖女の始まりだ。
(という事は魔物を倒したり?)
なにせ聖女に関しては一般的な知識しか持ち合わせていないので、実際に聖女になってどういうことをするのか全くわからない。
考えていると、自然と瞼が落ちてきた。
色々あった一日だった。
大事なことを忘れているような気がするが、思い出す前に睡魔に屈服した。
夢の中で、黒髪赤目の青年がやさしく微笑んだ気がした。
次回はウェアハルト視点です。