2.黒と白の魂
「それでは、これより聖女選定の儀を執り行う」
卒業式の後、中ホールに女子生徒が集められた。
長椅子に腰掛け、学園長の言葉を聞きながら選定の時を待つ。
ずらっと並んだ長椅子の間には通路があり、扇状に広がる通路は壇上、神殿から借用した精霊水晶のある机に向かって伸びていた。
この世界には、魔法が存在する。
魔法の属性は火、土、風、水、氷の五属性に加え、聖女のみが使える聖属性がある。
精霊水晶は、人の持つ聖属性を感じ取り明るく輝くため、それを用いて選定の儀を行うのだ。
二属性あれば魔導士になれ、三属性あれば王城で魔導士として勤務ができる。四属性もちは王国にほんの数人しかおらず、五属性持ちは奇跡と呼ばれるレベルで、現在王国でもすべての魔導士のトップに立つ魔導士団長その人一人しかいない。
そして、その五属性持ちよりも貴重といわれるのが聖属性を持つ聖女なのだ。
一人、また一人と壇上で手をかざし、しかし精霊水晶は沈黙したまま、光輝くことはない。
いつのまにかノイルの番がやってきた。
ノイルは無駄と知りつつも壇上に向かって歩き出す。
その姿を追うのは、噂好きの女子生徒によるささやきだ。
曰く、苛烈な性格で庶民出の娘をいじめている。
曰く、その庶民の娘に婚約者を取られそうになり嫉妬で狂っている。
曰く、高い能力を持つことが多い公爵家の中で一人だけなんの属性も持たない出来損ない。
そう、ノイルは貴族には珍しく、魔力はあるが属性が定まっていない出来損ないなのだ。
中級以上の魔法を放つためには属性の適応が必要なため、ノイルはどの属性も威力の弱い低級魔法しか打つことができない。
記憶を取り戻すまでのノイルが荒れていたのも、自らのそういった境遇を受け入れられず、また、両親をはじめ兄弟までもがそのことに関して腫物を触るような扱いをすることが原因であった。
貴族で五属性どれにも魔法適応がないというのはあまり聞く話ではない。
適応がなくとも低級魔法であれば使用できるため、授業についていく分には問題はないが、働くにしても結婚して血を残すにしても微妙な存在であり、周囲もその扱いに対して困惑しているようだ。
そして、幼いころに定められた婚約者はノイルの魔法適性のなさをはばからずバカにしてくるクズであるので、最近は三属性持ちの商家の娘と仲良くしているようだから、この婚約は近々破棄されるかもしれない。
やれるもんならやってみろ、こちとらお先真っ暗の政略結婚などご免である。
ヒソヒソ聞こえる笑い声を引きずりながら、一歩一歩水晶に近づいていく。
ふと、精霊水晶の周囲を囲むように座る来賓の中で、黒髪赤目の若い男と目が合った。
壮年以上の来賓しかいない中で、唯一の若者である。年は二十代後半くらいだろうか。
神々に寵愛されて造形されたかのような、美しい配置で並んだ絶妙な大きさの顔のパーツ。
座っていてもわかる、スタイルの良さ、手足の長さ。
通常であれば引きずるような長さのそれは魔導士のローブのようだが、見たことのない艶のある黒色をしていた。
魔導士のローブは濃い灰色が通例だったと思うのだが、彼のローブは色だけでなく質感も違うように見える。
水晶が目の前まで迫り、視線を外さなくてはと思いながら、目を離せない。
無理矢理視線を外して水晶に向き直ると、視線の端で彼が薄く笑った気がした。
(どうせ無駄なんだけどなぁ……)
我ながら前世も今生も清らなる生とは無縁である。
前世はブラック企業で毎日人を呪いながら生きていたし、今生も主に魔法適性に関わる複雑な状況も相まって人様に迷惑をかけながら生きている人生である。
あきらめたように手をかざそうとしたとき、突然ガタンとホールのドアが開かれる音がした。
「ちょっと待ってもらおうか!!」
二人分の足音がバタバタと近づいてきて、壇上で水晶に手をかざそうとしているノイルの姿を遮るように並び、ホールに座る卒業生たちに振り返る。
神聖なる聖女選定の儀でそんなことをやらかす奴はだれかと思って目を見開くと、そこにいたのはクズもといノイルの婚約者であるギーゼ・ウィングルドだった。
その左手は隣に並ぶ件の商家の娘、ユラ・パーウェンをきつく抱きしめている。
「この女、ノイル・バートンは聖女選定の儀にはふさわしくない。即刻、退場を命令する!!」
どこの誰が何様で突然こんな発言をしたのかと思うのだが、なんと何を隠そうこのギーゼ、この国の第二王子なのである。
あまりの事態に目を見開いて固まっていると、それで勢いづいたのか、ギーゼは学生たちに語り掛けるように大声で演説を始めた。
「この女は、自らの魔力適性がないことを恨み、優れた三属性の魔力適性を持ったユラ・パーウェンを数々の方法で陥れ、虐め、挙句の果てに階段から突き落とすという暴挙に出たのだ!神聖なる聖女選定の儀の候補としてまったくふさわしくない。
私はこの女との婚約破棄を宣言するとともに、ユラ・パーウェンとの婚約を宣言する!」
あまりの突然の宣言に、ノイルは音も立てられずぴしりと固まってしまった。
「このユラこそ全き新時代の聖女である!!!」
確かに自分がふさわしくないことはよくわかっているが、いったいこの茶番は何なのだろう。
ユラという女子生徒は、ことあるごとに私の魔力適性を蔑んできた生徒のうちの一人だ。
すれ違いざま、「あら、無能がいるわ」と言われたことすらある。
確かに私もむかついたので足を引っかけて転ばせたり「適正しか能がなく魔法を使いこなせないのね」と彼女に聞こえるように馬鹿にしたり、人の婚約者に粉をかける泥棒猫呼ばわりことはあったが、さすがに階段から落としたりはしない。
けれど、ざわつくホールの中に、ノイルの味方はだれもいない。
生まれ変わる前も、生まれ変わったあとも、誰のことも愛せなかったノイルには愛してくれる人もいない。
いつだってそうだった。
ざわざわと広がる笑い声。
嘲笑。興味。憎悪。
それらの感情を巻き上げたざわめきが耳を覆い、すぐにでも消えてなくなりたい気持ちになる。
くやしさに唇を噛み締めたノイルは、うつむいて壇上をあとにするために一歩さがる――
いや、正確には下がろうとした。
「恐れながら、如何な理由でそのものが聖女であるという確証をもっておられるのですか、ギーゼ殿下」
とすん。
下がろうとした背中が何かにぶつかり、凛とした声が頭上から響く。
「え……」
「無礼者!どの口が王族であるこのギーゼにものを申すのだ?名を名乗れ!」
後ろを振り向くと、その長身でノイルの身を守るように、先ほど目が合った黒髪赤目の青年が立っていた。
「ウィングルト王国魔導士団長、ウェアハルト・フォルスと申します。」
「なっ……!お前が、あの『黒』のウェアハルトか?!」
ギーゼが目を見開いた。
この国で『黒』の称号をもつものは、一人しかいない。
王国で唯一五属性の魔法を究極級まで使役でき、その力の前には国王とて頭を下げて協力を仰ぐと言われた魔導士団長その人である。
黒はすべての色の混ざる果てで、すべての属性の行きつく場所。故に、五属性に適応がある魔導士は建国の時代から『黒』の二つ名を冠した。
言い寄るギーゼを無視すると、魔導士団長はノイルのほうへ向き直った。
「大丈夫です。怖がることはない。『黒』にはわかるのです。『白』の魂がどこにあるのかが。」