1.目覚めたら……
今週の残業時間は何時間だったっけ……。
思い出そうとしても、あまりに残業時間が多いので、もう数えることすらできない。
てっぺんを優に超えた時計の針を見ながら、ズキっと走った胸の痛み。
それが、前世で覚えている最後の記憶だった。
「また、あの夢か……。」
大陸の三分の一を占めるウィングルト王国の公爵令嬢、ノイル・バートンは、カーテンの隙間から入ってくる朝日を瞼の裏に感じて、ゆっくりと目を開けた。
彼女には、幼少のころから日本で暮らしていたいわゆる前世と呼ばれる時代の記憶がある。
子供に無関心な父母のもとに生まれ、枯れた青春時代を送り、そして上京してブラック企業に就職してしまった20代後半までの記憶だ。
最後に覚えているのは唐突な胸の痛みだったので、きっと心臓発作か何かで死んでしまったのだろう。
一週間前、高熱にうなされながらすべての記憶を思い出したとき、乱れた髪も整えず思わず鏡をのぞき込んでしまった。
黒髪黒目で平凡だった前世とは違い、色素の薄いプラチナのような銀髪に大きな紫色の瞳。
太くはないが寸胴で貧乳だった体系は、転生によって胸は豊かに、腰はきゅっとくびれ蠱惑的な容貌へと変化していた。
そして、同時に理解したのだ。
「私って、どう見ても悪役令嬢よねぇ……。」
現在は高熱の療養ということで、特にヘアスタイルなどは整えず腰まである銀髪を下ろしたままにしているが、倒れる前までそれはもう気合の入った巻き髪ときつい化粧をして学園に通っていた。
学園は小等部、中等部、高等部とあり、前世の小学校、中学校、高校と入学年齢は変わらない。
唯一異なる点があるとすれば、義務教育ではない点だ。
貴族であれば幼いころから教養が必要とされるため小等部から高等部までしっかりと通うことを求められるが、平民であれば学ぶ義務はない。
読み書きや計算程度はできた方がいい、ということから小等部に通う学生は多いが、中等部に行くとその数は減っていき、高等部まで進学するのは貴族か商家のものくらいになる。
ノイルは、何を隠そうその学園で公爵令嬢という立場を大いに悪用し猛威を振るっていた悪役令嬢なのだ。
前世の記憶が戻ってから己のやってきたことを振り返ってめまいがしたが、そこはそれ、もうやってしまったものは取り返せない。
前向きに気を取り直して、先のことを考えることにした。
ノイルが高熱で倒れたのは、卒業式の一週間前のことだ。
そして一週間後、つまり本日は、学園の卒業式の日である。
王都の学園には決まりがあって、それは卒業式の日に聖女選定の儀を行うというものだった。
聖女というのは、このウィングルト王国にまれに産まれる高い癒しの力を持った女性のことで、清らかな乙女の願いを受けて創世の女神が力を与えたものだとされている。
十八を迎えたすべての女性が神殿の精霊水晶に手をかざし、聖女であるか選定にかけられるのだが、学園に通っているものは神殿から精霊水晶を借り受け、卒業式の後に選定の儀が行われることが慣例となっているのだ。
「心の清らかな乙女というのならば、悪役令嬢である私は絶対になりえないわね」
前回聖女が誕生したのは百年前のことで、その時の聖女はすでに亡くなっている。
最近、王都周辺の森でも魔物が増え始めたこともあり、今代聖女の誕生が待たれていた。
「お嬢様、お時間でございます。」
ぼうっと選定の儀のことを考えていると、控えめなノックと侍女のマリサの声が聞こえた。
マリサは小等部のころからついてくれている専属侍女で、頭もよく気も利きとてもよく仕えてくれている侍女だ。
「おはよう、マリサ」
「お嬢様、わたくしのようなものに朝のご挨拶などもったいのうございます」
マリサは困惑した様子で頭を下げてしまう。
そう、記憶を思い出すまでのノイルはマリサにまで最低な態度で横柄に接していたのである。
嫌われて当然だし、むしろ好きになってもらえる可能性はもう絶望的。
それでも、だからと言って今までのように冷たい態度を取る気にもなれず、一週間前記憶を取り戻した時から普通の人間として感謝をもって接している。
しかし元がアレなので、急に態度が変わるとやはり困惑してしまうようだ。
難しい顔をしながらもてきぱきとこなしてくれるマリサに食事と着替えの準備をしてもらい、本日が最後となる制服に袖を通した。
卒業式の後は選定の儀の後、学園の大ホールを貸し切って大規模な卒業パーティーがある。
婚期を迎えた女性たちは、そこが実質のデビュタントの場となるのだ。
デビュタントで着るドレスと装飾品の確認をマリサにお願いした後、馬車に乗り込み一週間ぶりの学園へとむかった。
初めて小説書かせていただきます。
宜しくお願いします。