尻軽女は誘いを受ける
「ちょっとお話いいかしら?」
表面上は何事もなく部活を終えた後、裾をひかれながら高梨さんに声をかけられた。
いつも鷹揚な高梨さんにしては珍しく人目を避けたそうにしている。
「いいよ。どこかに移動する?」
「それなら帰りにうちに寄って欲しいな」
高梨さんのおうち……学校の近くにある生垣に囲まれた大きい敷地だよね。
生垣と門で直接中の様子は見えないけれど、門柱横にある案内板に載っている母屋は立派なお屋敷だったと思う。
家そのものが地域の歴史的建造物とかでこの辺りの小学生は見学に行ったりするらしいよ。
「わかった、すぐ片付けるね」
案内されてお屋敷に着くと、高梨さんが言うところの「小さな部屋」に通されて、今は緑茶と水無月をいただいている。
小さいどころか修学旅行だったら男子を両手分くらいは楽に押し込めそうな広さだけれど。
「この部屋には耳も目も無いから安心して」
他の部屋にはあるんだろうか。
旧い家だから、きっとあるのだろうな。
「それから、まどろっこしいやり取りはしないでおきましょう。誤解を招く元だわ」
「人に聞かせたくない話を私としたいってことだよね?」
「そういうこと。単刀直入に聞くけれど、前世でこの世界のマンガを読んだことは?」
私の中を射貫くような視線を向けながら、高梨さんはそう言った。
……確かに違和感はあったかもしれない。
高梨さんはおっとりしているけれど、思考が読めないタイプのキャラクターではなかったから。
だけど私と同じように生まれ変わった人間が高梨さんを演じていたと考えたら腑に落ちる。
「連載当時に流し読みして、死ぬ少し前にも」
「思ったより近い年代なのかしら。あまりにも鹿波っぽくないからてっきりマンガ自体は読んでないのかと思ってたけれど」
「役を演じるより、前とは違う生き方をしてみたくて」
「まあ優先順位はあるわね。私だって私のためのハッピーエンドを目指して絵麻を演じてるんだもの」
ハッピーエンド……高梨さんはストーリー通りなら、婚約者を振り切って、北原君に告白して、振られて、後から加わるヒロインのアイラさんと一緒に海外へ渡るんだっけ。
「私は前世で男だったの。小さいころに前世を思い出してから、今でも自分を男だと思ってる。ここはそれが通用する世界観ではないから女として生きていくつもりだけど……私の婚約話が出る来年の秋まで山崎さんと北原君を付き合わせるのは待って欲しいの。今このタイミングじゃ、私はまだ逃げられないから」
想像するしかないけれど、それはとても窮屈で苦しい気がする。
自分が男に生まれていたら、女っぽい恰好をしてみたり性転換の手術をしても、本当に女だった記憶があるせいで、どう頑張っても満足はできないだろう。
「そういうことなら、頑張ってみるよ。確約はできないけれど」
「ふたりを急かせないだけで充分よ。それで、これからは鹿波さんって呼んでもいい? 物語を知っている者同士、きっと協力できることもあるでしょう?」
「協力?」
「私が鹿波さんのサポートをしたり、鹿波さんにサポートを頼んだりね。実際今困ってること、あるんじゃない?」
困っているというか、放置していいのかわからない状態にはなっている。
絵麻さんがどこまで現状を把握してるのかは知らないけれど。
箇条書きにすると、
・北原君が私を下の名前で呼び始めた。結構頻繁にうちに来て、現在は恋愛相談のできるセフレ状態になってる。
・唯花ちゃんから一歩引いてみたけれど気付かれてない。北原君と私が仲良くなったと喜んでいる。天使かな。
・麦野さんと唯花ちゃんに距離ができてる気がする。先月のバレッタ破損に麦野さんが関わっているようなことを北原君がちらっと言っていたからそのせい?
・謎の熱については依然原因不明。北原君のお陰で都度解消できているのでひどい状態にはなってない。
と、現状を掻い摘んで話したら、絵麻さんが頭を抱えた。
「思ってた以上に北原が最低だった件」
「でもそれは身勝手なお願いしちゃった私が悪いから。実際助かってるし」
「仕方のない部分や選択ミスはあるし、美人に頼まれたら断りにくい気持ちもわかるけど、好きな人がいるなら流されずに断るべきだし、その後は自主的に来てやることやった上で恋愛相談? ちょっとありえない」
「生前もベッドの上で恋愛相談なんてよくあることだったよ?」
「前世どういう生き方してたの」
絵麻さんが北原君に憤慨しながら口調を荒くしている。
こっちが素なんだろうか。いつもより自然な感じだ。
「想像してたより状況が酷かったし、まずは物語の軌道修正より先に火種の始末をしよう。同級生の間で傷害事件とか勘弁してほしいからね」
確かに血が流れるラブコメハーレムマンガって嫌だ。
そういうのもあるかもしれないけれど。
「それで、確認するけど鹿波さんは北原のこと好きなの?」
「普通に友達かな」
「体を重ねて情が移ったりは?」
「してないと思う」
「他の人とすることに抵抗は?」
「既婚者と彼女持ち以外なら大丈夫」
「おーきーどーきー。あとでうちのSPから希望者を募って、鹿波さんに貸すわ。必要なときに使ってちょうだい。北原のほうはいきなりシャットダウンすると良くないかもしれないから、頻度を減らしていく方向で」
それは今より気が楽かも。
ビジネスライクに付き合ってもらえるなら、こちらとしてもやりやすい。
「それから原因のほうも調べよう。信頼してるお医者様紹介するわ」
「検査したらわかるのかな?」
「どうかしらね。少なくとも外れれば外れるだけ目星を付けやすくなる気がするけれど……原因がわかったら北原にも一応教えたほうがいいかもね。最初は巻き込まれた被害者だったわけだし」
「そうするよ」
これからのことを色々話して、帰る頃には絵麻さんがぐったりしていたのが印象的だった。
私との価値観の相違が大き過ぎたらしい。きっと男だった頃の絵麻さんは性的に至極真面目な方だったのだろう。
とりあえず、言われた通りに血液検査や脳波測定とかをして、原因を突き止めよう。
「鹿波ちゃん、鹿波ちゃん。髪結んで!」
「いいよ。どんな感じにする?」
「一緒に作ったヘアクリップ持ってきたから、それ使って大人っぽい感じにして」
麦野さんと距離ができたせいなのかなんなのか、最近唯花ちゃんは休み時間になると一緒に居たがるようになった。
長かった前髪も横に流したり、カチューシャで上げるようになったので、美少女独占状態が丸わかりになり、あちこちから視線を感じる。
視線を集めていることに気付いた唯花ちゃんが何故か得意げな顔をしている。可愛い。
相変わらず指通りのいい長い髪を触らせていただく。
大人っぽい感じというとハーフアップかな。ボリュームはどうしよう。
技術と時間があればお花っぽく見せるやつやりたいよねえ。できないけど。
あれから少し気持ちに余裕ができたのか、教室で息がしやすくなってきた。
来月、前期末のテストが終われば夏休みだし、唯花ちゃんと一緒に遊びに行くような機会もあるのだろうか。
先日絵麻さんに紹介された病院で血液検査を行って、今は結果待ちだ。
夏休みに入るなら短期入院で一気に色々調べることも勧められたけれどちょっと気乗りしない。
今のところ特効薬や予防方法がないのに、行動を制限されるのもねえ。
病室に人呼んで対処していいならするけど。
おっと、メールだ。
ポップアップ通知だけ見ると、絵麻さんから紹介されたSPさんから親しげな文面で今日の帰りは迎えが必要か確認するメールが入ってきた。勿論誰かに見られても怪しまれないように親しげな異性を装ってもらっているだけで実際は極めてビジネスライクなお付き合いをしている。
紹介されてからはまだ症状が出てないから今のところ清い関係だ。いずれすると思うけれど。
対外的には、絵麻さんの家で働いている男の人と知り合って、まだ付き合ってないけれど良い感じで、何度か遊びに行ったり家まで送ってもらったりしている、ということになっている。
なのでスマホの通知を気にした私に気付いて、唯花ちゃんが目を輝かせていても問題ないのだ。
「お返事返さなくていいの?」
「これが終わってからでも大丈夫よ。帰りまでまだ何時間もあるもの」
「彼氏さん心配しない?」
「まだ付き合ってないってば」
恋愛話が好きなのは恋をしているからなのかしら。
私は唯花ちゃんのほうの話を聞きたいよ。そんなに進展はしてないらしいけれど。
明らかにこちらを気にしている北原君は、次の土曜辺りに家に来そうだ。
一応言ってあるけれどね。どちらかに恋人ができたらこういうことはもうやめるし、そうじゃなくてもお互いのために頻度を減らしていこうって。
伝えた状況的に話半分だったかもしれないけれど。
誰にも聞かれず、ふたりきりで話す場面がどうしても限られてるからねえ。
「よし完成。今日もめちゃくちゃ可愛いよ」
「ありがとうー」
「こんなに可愛くなっちゃたら、男子がほっとかないと思うけれど大丈夫? 変な人来てたりしない?」
「全然ないよ。絵麻ちゃんが教えてくれたんだけど、校内に鹿波ちゃんよりかっこいい人はそんなに居ないから、鹿波ちゃんと仲良くしてれば変な人は滅多に寄ってこないって聞いたの」
「理解しがたい」
絵麻さんなりの理論なのだと思うけれど、同性同士が仲良くしていて異性が寄ってこないということがあるだろうか?
近いうちに詳しく聞いてみたい。
「まあ、それで唯花ちゃんが守れるならいいけどさ」
「やったー鹿波ちゃんだいすきっ」
現状を知ったら好きだなんて言ってくれなくなるんだろうな。
どうしようもなく私の自業自得だけど。
自分から変に避けたりしないように、と絵麻さんに言われたから今は普通に接している。
いつか知られて私の初めての女友達は離れていってしまうだろうけれど、その日までは今日みたいに楽しく過ごせたらいいな。
思ったより現状が酷くなっていたので高梨さんが焦っています。