転生令嬢は思案する
あまり交流がないので知らなかったけれど、父の後妻さんが男の子を生んだらしい。
つまり腹違いの弟が私にできて、跡取り娘から父の駒へと私の役割が変わった。
そうなると、そろそろあちらでは私の婚約の話も出てくるのだろうか?
夏の旅行で挨拶した未来の婚約者君は、どちらかといえばうちより下の家の人だったので特に嫁がせるメリットは無いように思うが、父の目的はなんなのだろうな?
私はあまり父と親子らしいやり取りをしたことがない。
母が生きていれば違ったのかもしれないけれど、やり取りが必要な場合は父の秘書を介しているし、父から私になにかある場合も同じだ。
父と後妻さんと生まれたらしい弟が家族の1単位で、私はその余りなのだろうと思っている。
支障もないし、制限もないし、親子の情もないので全く構わないけれど。
「絵麻様、加賀から新しい辞職願が届いてますが」
「いつも通り握り潰しておいて」
鹿波さんへの失恋以降、長めの夏休みを与えた加賀から毎週辞職願が届いている。
同情はするけれど職務を超えて想いを寄せてしまったSPが、鹿波さんを見るのが辛いからという理由で退職するのは受け入れがたい。
SPとして見れば優秀な男だったし、まだ手放したくないというのもある。
「ねえ鶴見。私ってひどいことをしているのかしら?」
「そうですね、影響力は無くとも親戚筋の御令息なのですから温情をかけるのも必要かと……そういえば絵麻様、加賀は今は実家に?」
念のため辞職願を読んでいたらしい鶴見が、ゆっくり私の傍に寄り、辞職願の裏にあった小さな紙を隠すように手渡してきた。
「確かその筈よ」
なにも反応しないように気を付けながら受け取った紙をそっと確認する。
……加賀ってば休み中なのに仕事熱心ね。
増々辞職願を受け入れるわけにはいかなくなったわ。
「これから加賀家に伺い、教育係として面談してこようと思います。宜しいですか?」
「鶴見なら説得できるかもしれないわね。お願いするわ」
受け取った紙には加賀から私に向けたメッセージが書いてあった。古典的だが電子メールでは不安だったのだろう。
加賀によると、父の手の者が何故か鹿波さんのことを調べているらしい。
私に対する利用価値が鹿波さんにあるのかを確認しているのかもしれない。
一体私になにをさせようとしてるんでしょうねお父様は。
私の父は他人を利用することに関してなんの呵責も持たない人間だ。
ただ血を分けた娘である私に対しては、世間体もあるので同意の上で協力してもらったという形にしたいのだと思う。
それが多少悪辣であったとしても私の同意があるなら周囲から咎められることは少ないだろうし。
私じゃない本来の絵麻があの父に逆らえたとも思えないので、弟が生まれ駒の役になった時点で色々利用されているような気がする。
そこはマンガでは描かれていない部分だろうからこの先になにが待ち構えているのかはわからないけれど。
マンガのほうで絵麻がヒロインとして躍り出てきたのは1年生の正月以降だった。
その時点ではまだ婚約者とかそういう話はなかったから、私じゃない絵麻が誰かに頼りたいとか寄り添いたいとか心細くなるような出来事が冬休みにあったのかもしれない。
冬休みは周囲に警戒しておくか。
鹿波さんもそうだし、今の私には唯花ちゃんも、アイラもいる。
つまらない交渉材料にされないように私が守らなくては。
そう思っていたのに。
突然父の秘書から連絡を受け、彼岸を過ぎ夜が長くなり始めた道を急ぐ。
受付で教えられた個室へ滑り込むと、痛々しく体のあちこちに治療の跡がある鹿波さんがベッドに座っていた。
「ああ、絵麻さん」
思ったよりは元気そうだけれど、殴られ腫れた頬が痛いのか表情が歪んでいる。
鹿波さんはいつもの通院の帰りに暴漢に襲われ、気絶しているところを通行人に発見されたらしい。
十中八九、襲ったのも病院に運んだのも父の手の者だと思うけれど。だってこの病院は鹿波さんに紹介した高梨家の御用達の個人医院だもの。
いくら広めで現場に近くても救急車がまず最初に選ぶ病院ではないのだ。
「頭を強く打ったみたいでね、様子見で入院することになったけど、心配しなくて大丈夫よ」
「……怖い目に遭わせてごめんなさい。きっと私のせいだわ」
「殆ど気絶してたから、そんなに怖い目には……それに打撲ばかりで骨折もしてないの。文化祭には出られそうでよかった」
嘘だ。
女の子が夜道で襲われて、平気だなんて、そんなことあるはずはない。
「……今日は私だけだけど、明日は唯花ちゃんを連れてくるね」
「連絡したの?」
「まだよ。でも隠すなんてできないでしょ?」
頬は腫れ、頭に包帯を巻き、手首には内出血。制服では隠れない部分にこれだけの暴力の痕跡があるのだから。
見えない部分には一体どれだけあるのだろう。
「やだなぁ……心配かけちゃう」
私はなんて言えばいいのかわからない。
もっと早く警戒できたはずなのに後手に回ってしまった。
その結果がこれだ。
父の秘書から知らされたのも、私の大事なものは把握しているし私なんて簡単に出し抜けるという父からのメッセージだろう。
全くもってその通りだ。
大事なものを守るには私の腕は短過ぎる。
私のせいで怪我を負わせてしまった。どうすれば償えるだろう。
距離を置けばもう手出しされないだろうか。
私が家から一歩も出なくなれば外の友達は見逃してくれるだろうか。
「絵麻さん、そんな思い詰めた顔しないで」
いつの間にか考えながら大きく俯いていたらしい。
はっとして顔をあげる。
「こんなの、生前に比べたら自分で転んだくらいの話よ。なにがあったかは知らないけど、私のことは気に病まないで」
今から距離をとったところで心身を傷付けてしまった現実は消えたりしない。
私知ってるのよ。意識を取り戻した鹿波さんが若い男性看護師を見て一時恐慌状態に陥ったって。
「北原は明日連れてきて大丈夫? きついなら唯花ちゃんだけにするけれど」
「……わからないの。大丈夫かもしれないし、ダメかもしれない」
夏休みに聞いた鹿波さんの前世の話は、聞いているだけで心が痛む苦しくて悲しい話で、それと比べたらこれは大したことないだなんて、転生しても残る根深い心の傷の間際まで深々と刃が刺さっているってことじゃない。
本当に大したことないなら比較対象に持ってこないでしょ。
「鶴見、今の状況は?」
病院からの帰りの車の中で、私の見舞い中に各所へ人を出していた鶴見に問いかける?
「アイラ様の専属SPには今回のことを伝えてあります。ただ御当主様にとっては血の繋がった姪ですので直接なにかすることはないかと。山崎様には極秘で2名女性をつけました」
「ありがとう。お父様からはなにか?」
「今のところはなにも。芦川様への暴行は証拠がなく停滞すると思われます」
「きっと状況証拠以上のものは出てこないでしょうね。あちらは軽い脅しのつもりでしょうし、警戒は続けるけれど、こちらから向こうをつつくのは危険かしら」
「お勧めできません」
これ以上後手に回るのは避けたいが向こうのアクション待ちになりそうだ。
犯人役くらいは用意しているかもしれないけれど。
「お嬢様、今回の件は被害遭われた芦川様には申し訳ないことですが、お嬢様に非があるものではありません」
「いいえ、私が高梨絵麻である限り、私の責任よ」
「お嬢様が思い詰めて病んでしまわれるほうが、芦川様は悲しむのでは?」
それでも仕方なかったなどと思うことができない。
悔しくて悔しくてたまらないのに、それをどうにもできなくて、どうすればいいのかもわからない。
今目の前に犯人役を突き出されたら、私は相手をこの手で八つ裂きにするだろう。
自室に戻ると机に手紙が置いてあった。
父の字で書いてあるが本当に父が書いたものかはわからない。
内容は簡単で、年末に有力者を集めて行われるパーティーにひとりで参加するように、という命令だった。
そこでなにかしら私に無茶をさせるつもりなのだろうか。断ったらまた周囲を巻き込むのかな。
もしかしたら……ふと浮かび上がったのは悪い想像で、流石にそこまではしないだろうと頭を振って追い出す。
常に最悪は想定して準備をするけれど、そんなものは使わないのが一番なのだ。
父にひとかけらの人間性が残っていることを祈りながら、手紙を握り潰した。
最近とても眠いです。
早寝なのでお酒飲めてません。




