尻軽女はチャンスを狙う
知っているストーリーの通り、私の手には学級日誌があり、この場に北原君は不在。
入学3日目なのでまだ授業はないけれど、朝から姿が見えないというのは困りものだ。
本来であれば怒りをためながら淡々と日直をこなし、日誌を書き終わるころ現れる彼に怒りをぶつけたのが暴力系ヒロインとしての始まりだ。
ただ私は何故彼が朝から居ないのかを知っているので、仕方のないことだと流すことができる。
これから私がするのはストーリーには無かったこと。
ぎゅっと拳を握りしめて、帰る準備をしている彼女の席へ向かう。
「山崎さん、だっけ?」
「え、あ、はい」
椅子に座っている山崎さんと、立っている大柄な私。
受ける威圧感は相当なものだろう。
麦野さんほどではないけれど、山崎さんも身長は低い。
その上、豊満な胸を隠すように猫背なのだ。余計に小さく見える。
私はその背を伸ばせば現れるスタイルの良さも、顔を隠すように伸ばされた前髪の奥にある美少女顔も知っているから、隠さずに出せばいいのにと思うけれど。
などと考えていると、明らかに山崎さんが怯えている。
いけないいけない。本題を忘れるところだった。
「北原君を探しているのだけど、どこにいるか知ってる?」
戸惑いながらも視線を動かし、私の持っている日誌を見付けて意図に気付いたようだ。
「ごめんなさい。アキト君がどこにいるかわからないや」
「そう。ありがとう」
「あの、どうして、私に聞いたの? えっと……ごめんなさい、まだ名前覚えてなくて……」
「芦川鹿波よ。よろしくね。山崎さんに聞いたのは北原君と一緒に登校してたし、彼女なのかと思って」
「か、か、か……」
なんとも反応が可愛らしい。いいなあ。
彼女って思われたくらいで真っ赤になるなんて初々しい。
「まだ今は彼女じゃないのね? お似合いだったから勘違いしてごめんなさい」
謝るふりをして追撃をしておく。判断力を低下させておきたいし。
その必要がないくらいさっきから動揺し続けているわけだけど。
意識するだけでこんな風になるなら、付き合うまでの道程が長かったのも納得できる。
「今日この後予定がないなら、北原君の代わりにちょっと手伝ってくれない? 日直初めてだし、ひとりだと心細くて」
返事は待たない。
何故なら今の山崎さんの耳には私のお願いが届いていなさそうだから。
そして練習した笑顔でお礼を言う。
「ありがとー」
へにゃりと気が抜けるような無防備な表情で笑うと、動揺したままの山崎さんの意識が瞬間こちらに向いた。
一体何が、と思っているのだろうけれど、了承されたものとして話を進めていく。
「今日はまだ書くこと少ないし、日誌を書くのはひとりでできるから、その後のチェックをお願いするね」
「うん、それなら大丈夫」
天空から地上に戻ってきた山崎さんは、大したお願いじゃないことに心底ほっとしている。
私が初めて話す人に無茶ぶりをするようなタイプに見えたのだろう。
大したことないお願いの実績を積み重ねて、結果的に無茶ぶりするほうが得意なのに。仲良くなりたい子にはしないけれど。
山崎さんはどっちもうっかり了承してしまいそうで心配だ。
教室からは徐々に人が減っていき、気付けば私の山崎さんのふたりきりだ。
放課後ならば麦野さんが絡んでくることもないだろうと予想していたけれど、その辺りも設定通りで安心した。
漫画の通りなら、弟妹の多い麦野さんは放課後すぐ帰るので、文化祭の前とかそういう特別なときでもないと学校に残らないのだ。
それにしても日誌に書くことが少ない。このくらいの手間ならば、北原君が捕まらなくてイライラしていた鹿波の時間って無駄だったのでは?
さっさと諦めてしまえばよかったのに。
すんなりと諦めていたら物語にならないのだろうけれど。
それとも私に諦め癖がついているだけで、粘るのが普通なのだろうか。
「ねえ山崎さん、もういっこお願いしてもいい?」
私から受け取った日誌に目を走らせている最中の彼女に声をかける。
「えっと、大変なことじゃなければ……」
「そのさらさらの髪の毛、いじらせてほしい」
そう言うと咄嗟に前髪を守るように両手で隠された。
「それはちょっと恥ずかしいので」
「もう教室に私しかいないし、ちょっとだけでいいから」
ぶんぶんと首を横に振っていて可愛い。
こういう反応は予想していたから問題ない。
「これ、使ってみたいから、協力してほしいな」
鞄の中から用意していた『必殺』のアイテムを取り出して机に並べる。
菜の花を模した飾りのヘアクリップ、淡い黄色のシュシュ、水族館の水槽みたいなバレッタ、クリアブルーの雫が揺れるU字コーム……確かパステルイエローと水モチーフが好きですよね山崎さん?
生前、私はこういう小物を作って、ネットショップで小金を稼いでいた。
遺伝なのか元々手先は器用だったし、使えるものはなんでも活用してトレンドを読んで、始めて1年もしないうちにネットショップに新作を並べればすぐに売れるくらいの支持を得ていたと思う。
あくまで小金を得るための手段だったし、アクセサリー作家を名乗るほどではなかったけれど、実際作ったものを見た人の反応が目の前にあって少し面映ゆい。
「これ……素敵なものばっかり……」
手で前髪を隠したままだけど、目の前のアイテムが気になるのかちょっと警戒が解けているっぽい。
「私、こういうの作るのが好きなんだけど、自分じゃ似合わなくて……人が着けてるところが見たいの。山崎さんお願い!」
「でも……」
「やっぱり似合わないかな? 私みたいな子が手芸好きとか、可愛いもの好きとか……」
「そんなことないよ! 素敵だと思う! だから……ちょっとだけでいいなら髪いじっていいよ」
内心でガッツポーズをきめておく。
制限時間は5分程度かな。許可も出たことだしがっつり可愛くしてしまおう。
警戒の残る前髪は後回しにして、まずはおさげにした後ろ髪から。
めちゃくちゃさらさら髪で羨ましいな。鹿波もきれいな髪だけどセミロングだからアレンジ幅はロングほど多くないしね。
これだけさらさらだとコームは引っかからずに落ちそうだし、時間制限もあるので簡単に編み込んでバレッタを使おう。
そのうち軽く巻いてコーム使ったりとかさせてもらいたい。
後ろ髪が終わるころには前髪に添えてあった手も下ろしていたので、遠慮無くいじらせてもらう。
隠されていた美少女顔は予想以上に眩しいな。
私も毎朝鏡を見る度に遠慮の無い美人顔だとは思っているけれど、山崎さんにはヒロイン力も加わっているのかノーメイクなのに輝くようなエフェクトがかかっているような気がする。
確かイメチェン回以降はバッサリ前髪切っちゃってたから、この後はできないかもしれない前髪斜め編み込みをしよう。ファンタジーのお姫様みたいで好きなんだよね。
後ろのバレッタを生かすなら前髪はシンプルなヘアピンを使いたいけれど、どうせここだけなのだし、終わった後どう変わったか見せたいから調和を気にせずお花のヘアクリップを使わせてもらおう。
ちらちらと視線を感じる。
もういいよね? と言っていいのか迷っている感じだ。
そろそろタイムアップだし、可愛くできたと思うのでこの辺りで手を止めよう。
「思った通り、山崎さんにぴったりだった! ほら見て」
手鏡を差し出すと、ちょっと戸惑っていたけれど、興味があるのかおずおずと覗き込む。
「まるでお姫様そのものじゃない?」
「芦川さん、すごい……私じゃないみたい」
「素材が良かったからねー」
山崎さんが鏡に夢中になっているけれど、そろそろ時間だ。
そう、ヒーローは遅れてやってくる。
廊下を走って、ドアを開ける大きな音をたてて。
「ごめん芦川さん! 日直の仕事できなくて!」
「大丈夫。山崎さんに手伝ってもらったから。今度山崎さんに埋め合わせしてあげてね」
息を切らした彼はまだこちらを見ていない。
そして私の横では山崎さんが慌てている。
「え、唯花?」
彼が視線を上げてまず目に入ったのは山崎さんのようだ。いいぞいいぞ。
2メートルも離れていないから、彼の頬がわずかに朱に染まるのも確認できる。
短い時間で頑張ったから沢山見て惚れ直してほしい。そしてそのまま突っ切ってくれ。
「あ、アキトくん、これは、その……」
「人来ちゃったし、すぐ元の状態に戻すね」
慌てているのかなにやらもごもごと言っている山崎さんを遮るように私も慌ててみせ、そのまま手を伸ばすと、ハモるような「え?」という声が聞こえてきた。まあ仲良し。
「いや、その……すごく唯花に似合ってるから、勿体ないと」
「私も、折角芦川さんにきれいに結ってもらったのに勿体ないと……」
「じゃあ北原君、戻す前にこっち来て近くで見てよ。私もすごく山崎さんに似合うと思ってるんだー」
上手くいけば両片思いの男女がイメチェンで至近距離である。
北原君も逡巡している様子を見せたが、なにかを決意したように一歩踏み出した。
そしてそのままこちらに来ると思ったのだけど、慌てながらも状況はちゃんと見ていたらしい山崎さんの小さな悲鳴が背後からした。
ほんの僅かな段差がある引き戸の下レールに足を引っかけた彼がぐらつく。
山崎さんは座っているから間に合わないだろう、なんてことはその瞬間は考えてなくて、思わず体が動いた。
私より小柄だから、受け止めても大した衝撃はないだろうと思っていたけれど、みぞおちよりも少し上の胸骨に結構な衝撃を受けて呻く。一瞬気が遠くなりそうな痛みに耐え、転倒による二次災害を避けるために踏ん張った。
「アキト君! 芦川さん!」
ああそうだ、思い出した。
鹿波が最初に暴力を振るったシチュエーション。
山崎さんはいなかったけれど今みたいにつまずいた彼を受け止め、現在の状況と同じように事故でおっぱいを揉まれたからだった。山崎さんと比べたら大いに控えめとはいえ、揉めるくらいはあるからね。
あのマンガのシチュエーションと違うのは、私はもう事故で乳を揉まれたくらいではなんとも思わない性格になっており、この状況を目撃した山崎さんが代わりに北原君の後頭部を引っぱたいたことか。
状況を把握して反射的に離れた北原君も予想もしていない方向からの攻撃に呆然としている。
「ごめんなさい芦川さん、アキト君が」
「事故でしょ? 大丈夫だよ。北原君も大丈夫? 怪我してない?」
「……っごめん!」
北原君は完全にテンパったまま、この場を離れるように逃げ出した。
なるほど、鹿波からの暴力を受けた場合はこの場に留まり言い訳を並べていたと思うが、山崎さんから叩かれるとテンパるのか。
好きな女の子の前で他の女の子の乳を揉み、それを見た好きな子に叩かれたら、まだ初心な高校生だしパニックにもなるだろう。
なにか遠い昔に忘れてきたものを懐かしむように、逃げた背中の方向を眺めた。
視線を横に流すと好きな男の子を反射的に叩いてしまった山崎さんもテンパっている。この状況は予想してなかった。
引き合わせて照れてる間に私は退散して良い感じの雰囲気になってもらいたかったのに。
「ほら落ち着いて、唯花ちゃん」
「えっ」
さてこのあとはどうしよう。
ぐちゃぐちゃになってしまったけれど、距離を縮めるのには良いチャンスだから利用させてもらうか。
「あ、ごめん。北原君が下の名前で呼んでるからつい」
「ううん、びっくりしただけだから、嫌じゃないよ。その、芦川さんは多分私の気持ちに気付いてて、応援してくれようとしたんだよね?」
「ちょっと余計なお世話だったね」
「いいの。私もこんなに可愛くしてもらえて、アキト君に見せたら、可愛いって思ってくれるかなって……だから全然余計なお世話とかじゃなくて、嬉しかったよ」
「あの、これからも唯花ちゃんって呼んでいい? 同じ中学から入学した子が居なくて、入学してからこんなに話したの初めてだからできれば仲良くして欲しい」
「もちろんいいよ! 私も鹿波ちゃんって呼んでいいかな?」
それは即答できるね。
あとはちょっと押し問答しながら使ったバレッタを唯花ちゃんに押しつけ、部活見学で一緒に手芸部を見学しに行くことを約束して、職員室に寄ってから途中まで一緒に帰ることに成功した。
一部駄目な感じだったけれど、今日の第一目標はまあまあ達成できたんじゃないかと思う。
懸念していたファーストコンタクトで暴力も振るわなかったし、明日からは北原君とも普通のクラスメイトとしてコミュニケーションをとってみよう。
前作と違い、肩と腰をいたわってマイペースに更新するつもりです。