尻軽女の死に際を回想する
凍死するときは、きれいな風景を見ることができるのだと昔なにかで読んだことがある。
真偽のほどは知らないし、私の場合はぐっすりと深い眠りの中だったから確かめることもできなかった。
とはいえ、あまり誇れるようなものでもない私の人生で、ベランダで雪見酒を楽しみながら酔って寝落ちして凍死という、風流にも見えなくない死に方ができるとは思わなかった。
万が一私に雪が降り積もって、発見が雪解け時になったら嫌だなあという懸念事項はあるけれど、そればかりはどうしようもない。
ひさしがあるから大丈夫だとは思うけれど、状態が悪いと解凍に失敗したお肉みたいになってしまうからねえ。
生前の私は「清く正しい尻軽女」だった。
彼女持ち、既婚者、初物には手を出さないと決め、特定のパートナーを作らず、気侭にワンナイトを楽しんでいた。
初物に関しては自己申告で嘘を吐かれて、うっかり食ってしまったことは何度かあるが。
身を焦がすようなことはなく、枕を並べたときの耳触りがいい愛の言葉もついぞ響くことはなかったけれど、繋がったときにだけ感じられる相手の人間性を覗き見ることが好きだった。
本来ならばゆっくりと絆を深めてようやく見ることができる一部分をインスタント感覚で摂取するのは趣味みたいなもので、その発見をするためだけに同衾していた部分もある。
クラゲのように男の間を漂って、いずれ自分から海の泡になって消えていくものだと思っていた。
結果は同じだとしても、それなりに陽気な気分で死ねるとは、人生わからないものだ。
そんなことを思い出したのは、届いたばかりの高校の制服を着て、姿見の前に立ったときだった。
なんか、この姿に見覚えがある。
高校入学前にしては高い身長、スカートから覗くしなやかで長い脚。
目つきが鋭く威圧感はあるけれどセミロングの黒髪に縁どられた怜悧な美貌。
制服というアイテムによって、ついさっきまで私をやっていた私じゃない人間の記憶があふれ出した。
前世の記憶、というやつだ。
それなりに品行方正にやってきた身としてはこの前世は幾分刺激が強いけれど、すぐに馴染んでいったのは私自身の記憶だったからだろう。
鏡の前で色々ポーズをとってみたりなどをして、既視感の正体を探す。
ああそうだ、死ぬちょっと前に泊まった男友達の部屋で全巻一気読みした少年漫画「パズルラブハイスクール」のキャラクターだ。
生前の子供時代、買っていた少年漫画誌に載っている漫画は全部読まないと勿体ない気がしていたから、男友達の部屋で久し振りに見たその漫画を手に取ったのは単純に懐かしさからだった。
優しいけれどそそっかしく普段はぱっとしない男の子に、複数の女の子が想いを寄せる。距離が近付いたり離れたりを全ての女の子と行うラブコメやハーレム漫画というジャンルになるのだろうか。
生まれてからずっと名乗ってきた芦川鹿波という名前も、覚えているキャラクターの名前と同じだ。
これで入学後に出席番号女子2番で、男子2番が主人公である北原明人だったなら、漫画の世界に生まれ変わったと見て間違いないだろう。
トラブルや他のヒロインとの兼ね合いで日直当番をサボりがちな主人公を苦々しく思いながら、何故か徐々に惹かれていく。そんな役どころだ。
そして男友達は言っていた。
鹿波は『時代遅れの暴力系ヒロイン』で『パンチラに最も価値がなく』て『人気投票ヒロイン内最下位』だと。
こんなに美人なのに勿体ないことだ。
その評価も仕方ないと思うくらい、この長い脚から放たれる蹴りを頻繁に主人公に食らわせていたわけだが。
さて、ここで問題になるのは、私はその役割を演じる必要があるのだろうか? ということだ。
鹿波としてのここまでを振り返ってみたけれど、クラスメイトの男子を蹴ったことなど一度もない。
キャラクターと定義されたときにつけられた記号なのか、それとも描かれていなかったけれど本当は主人公に一目惚れでもしていてその照れ隠しだったのか。
どちらにしろ誰にも恋しなかった前世の記憶が蘇ってしまったから、これから鹿波として主人公に恋をするとは考えにくい。
求められる鹿波を演じなければならないなら、恋をする演技もしなくちゃいけないのだろうけれど。
折角生前の記憶を持って生まれ変わったのだし、演じなくていいなら今度は違う生き方をしてみたい。
例えば、クラスメイトの女の子と仲良くなって、卒業後も長く付き合える親友になってほしい、とか。
前世の女友達も似たようなノリで生きている本名も知らないような気楽な関係ではあったけれど、彼女たちは私が死んだことなど知らずにいるだろう。
今度は私が死んだら一筋でも涙を溢してくれるような、そんな女友達が欲しい。
物語の都合なのか、両親がそろって数年間の海外出張に行ってしまったから、広い一軒家に住むのは私ひとりなのだし、女の子を呼んでパジャマパーティとかできちゃうじゃない。
それなら暴力の象徴である蹴りなんて封印して、女の子と仲良く高校生活を楽しむんだ。
そうと決まれば入学までにすることは、人を油断させる笑顔の練習と、仲良くなるきっかけ作りの準備。
生前の手先の器用さを体が覚えていますように。
祈るような気持ちで鹿波としては初めて手芸店へ向かうことにした。
知り合う前から相手の好みとかの情報を持っているのは大きなアドバンテージよね。
チャンスは入学3日目。
ターゲットは最初の日直当番で姿の見えない主人公を探すために話しかける本編のメインヒロイン。
主人公の幼馴染である山崎唯花さんだ。
そして迎えた入学の日。私は芦川鹿波バージョン2として、学び舎の校門をくぐった。
初見の威圧感はそのままだけど、笑えばふにゃっと雰囲気が柔和になって、荒事は好まず手芸を趣味とする、ちょっとギャップのある女の子。
この身長で凹凸が控えめな体なら、自分から動かない限り男の子から囲まれることもないだろう。
安心して女の子たちと親交をゆっくり深めて、修学旅行のグループで腫れ物扱いされない充実した高校生活にするんだ。
周囲を見回して名前がわかるのは4人。
主人公である北原君とその幼馴染の山崎さん。
それから山崎さんの親友だけど北原君に横恋慕している麦野鈴さん。
おっとりとしたお嬢様ヒロインの高梨絵麻さん。彼女の従妹で作中屈指のスタイルの良さを持つハーフのアイラさんは後期からの転入生なので今はまだいない。
親しくなるとしたらやはり山崎さんと、あと高梨さんだな。
麦野さんは山崎さんの親友と言っておきながら、正々堂々と恋敵になるわけでもなく、ふたりを引き離すように画策したり、見えないところで北原君へアタックしたりする人なので、あまりお近づきになりたくない。
小柄で無邪気な雰囲気の可愛らしい女の子なんだけどね。
私は北原君が誰と結ばれようが部外者でいようと思うけれど、山崎さんと両片思いなのだから、こじれる前にさっさと付き合ってしまってほしい。
漫画の通りなら最後に選ばれるのは山崎さんなのだから、高校生活でふたりの思い出を沢山作ったほうがいいと思うし。
というわけで、当面の目標としては
・山崎さんと仲良くなる
・山崎さんと北原君を早めにくっつける
・高梨さんとも仲良くなる
・仲良くなった3人で夏休みにパジャマパーティ
そんな感じで、2度目の高校生活をやっていきましょう。