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可能性の物語

「みなさん、お話があります」


 絹旗は、部屋に入るなり三人にそう言い放った。


「話? もう話すことは無いと言ったはずだ!」


 相変わらず拓郎の機嫌は悪いらしい。


「大丈夫ですよ。私が話すだけですから」

「ということは、事故かどうか分かったのですね」


 かなみの方も、相変わらず顔色が悪い。視線も伏し目がちだ。


「そうですね。おそらくはそうでしょう」

「そんな、もったいぶらないでください」


 俺は絹旗が何をいうか予想していた。彼女が何を調べたかったのかはわからないが、彼女なりにこの家の中に薄暗いものを感じ取ったというのはわかる。となると、俺には全く理解できなかったが、きっとあれは事故ではなく……。


「あれは事故です」

「へ?」


 思わず間抜けな声が口から漏れた。


「敬太君の死は、事故です」


 それを聞いた嶋内家のものたちは、どこか安心したような、それでいて辛そうな、複雑な表情を見せた。


「なんだ。刑事さんがよくわからないことを聞くから、事件なんじゃ無いかって不安だったんだ」

「私も、もしかして殺人なんじゃないかって」

「だけど、そうじゃないってことですよね」


 絹旗はうんうんと頷きながら、彼らの言葉を聞いている。そして、


「公式の発表はもう少し先になりますが、まず間違いなく事故ですよ」


 そうあっけらかんと言い放った。

 それに対し、俺は黙ってはいられない。


「絹旗さん! 本当に事故なんですか?」

「そうだよ」

「だとしたら、あの捜査は一体なんだったんですか!」

「……本当に涌井君はせっかちだなあ」


 その顔に浮かぶ笑顔には、どこか巨大な毒グモを思わせるものがあった。


「というわけで、皆さん、ここからが本題ですよ」

「本題?」


 拓郎と康太はぽかんとしている。しかし、かなみだけは青白い顔を背けているので表情が読めない。


「皆さんには、私の妄想に付き合っていただきます」

「妄想? そんなことをしてなんになるというんだ?」

「さあ、何にもならないかもしれません。ですが、やめるわけにもいきません。これはある種の警告でもありますから」

「警告って、誰に?」

「聞いていただければ、わかりますよ」


 納得はしていないのだろうが、とりあえず拓郎は引き下がった。


「では、改めまして、始めさせていただきます」



「最初から一つずつ行きましょう。まず私たちがこの現場に来た時のことです。そこには、敬太君が躓いたのであろうダンボール箱と、キッチンに残った血痕がありました。これを見た段階で、十中八九事故だろうと思いました。ダンボール箱が置かれていたのも、別段不自然とは言えない場所でしたし、仮に悪意を持ってあの場所に置いたとしても、躓いて亡くなる可能性は決して高いとは言えません。これらのことから、今回は事件ではなく事故だと思われます。

 ——ここからが本題です。捜査ということで、この家の中も簡単にですが調べさせていただきました。それで、出てきたのがこれです」


 それはもちろん、あのファイルだった。


「このファイルは先ほど教えていただいた通り、敬太君用の家事ファイルです。ここには、敬太君への指示がたくさん書かれている。実にわかりやすい言葉で、敬太君にも伝わりやすいように書いたのでしょう。私が読んでも家事が楽にできそうな、そんな風に感じました」

「それが、なんだっていうんですか?」


 拓郎の言葉に困惑が混ざっていることに俺は気づいた。言葉は上ずり、表情はキョトンとしている。

 拓郎の言葉にを意に介さず、絹旗は先を続ける。


「ですがこれ、所々不自然な点があるんですよ。まず一つ、なぜリングファイルなのか」

「そんなの、たまたまじゃないんですか?」

「そう、たまたまかもしれない。そう思って私は、子供部屋を確認しました。そこには、たくさんのノートがありました。それも、未使用のね。今回のファイルの内容を見る限り、ノートでの代用は十分可能です。それなのに、どうしてかなみさんはリングファイルを選んだのでしょうか?」


 全員がかなみの方へと目を向けるが、かなみは無反応だった。大きな目は虚ろになっており、どこか人形を思い起こさせる。


「リングファイルとは何に使うでしょうか? 当然ながら、資料をまとめるのに使います。そしてリングファイルなら、その資料の順番を簡単に入れ替えることができます。

 さて、その観点を忘れないでください」


 全員の前で、ファイルは開かれた。


「不自然な点二つ目、それはファイルの中身です。例えばここです」


カレーの作り方


材料

カレールー一箱

豚肉四百グラム

玉ねぎ二つ

じゃがいも二つ

にんじん二本

水(煮込む時に鍋に入れます)

サラダ油適量


野菜を洗います

玉ねぎを切ります

じゃがいもとにんじんを一口大に切ります

フライパンにサラダ油を入れ、豚肉を炒めます→A

豚肉をフライバンから取り出し、玉ねぎを炒めます

3分後、玉ねぎの入ったフライパンにじゃがいもとにんじんを加えて炒めます→B

次のページへ


AとBを合体させます

(合体の図)

次のページへ


玉ねぎがしんなりしたら、水を加えます

中火で二十分煮込みます

その間、あくを取ります

火を止めて、カレールーを加えます

カレールーが混ざったら、弱火で十五分煮込みます

完成!


「これが何か? ただのカレーの作り方にしか見えませんが」

「その通りです。これはカレーの作り方なんです。ですが、やはりおかしい。なぜ肉と野菜をAとBに分けているのでしょうか? 普通分けずに同じ鍋やフライパンで調理すると思うのですが……。もちろん分ける方もいるでしょうけれど。さらに言えば、このイラストもおかしい。こんなに大きくする必要はないはずです。これのせいで残りの文章が次のページに押しやられています」


 俺は絹旗がカレーを調べた時のことを思い出していた。彼女が知りたかったのは、あのカレーがどうやって作られたかだったのだ。本当に、AとBに分けて作っているのか、それが知りたかったのだ。

 拓郎は訝しむような表情を浮かべている。


「言われればそうかもしれないが……」

「では、続きです」


 絹旗は別のページを開いた。


お風呂掃除の仕方


準備するもの

洗剤A

洗剤B

キッチンの下の収納に入っています


お風呂に入り、お風呂の扉を閉めます

次のページへ


お風呂の換気扇をつけます。

AとBは決して混ぜてはいけません

普段はAを使います。

鏡を洗います

壁を洗います

浴槽を洗います

排水口を洗います


「これが何か?」


 久々にかなみが発言したが、あまりにも弱々しい声だったので、一瞬聞き取れなかった。


「これに至っては明らかに矛盾しています」

「……どこが矛盾しているって言うの?」

「簡単なことです。このファイルの通りに作業をするなら、敬太君はお風呂場に入り、ドアを閉めた後、換気扇をつけることになります」

「それが?」

「この家のお風呂場の換気扇のスイッチは風呂場の外にあるんですよ。風呂場の中にいる敬太君がどうやって換気扇をつけると言うのです?」


 かなみはがっくりと肩を落とした。何が起きているんだ?


「では、なぜこんな不自然なことになっているのでしょうか? ここで重要なのが、先ほど申したリングファイルの利点です」

「確か、ルーズリーフの入れ替えが容易にできる……」

「そうです。では、実際にやってみましょうか」


 絹旗はそう言うと、ファイルから資料をごっそり取り出した。そして、彼女はそれらを組み合わせ始めた。


お風呂掃除の仕方


準備するもの

洗剤A

洗剤B

キッチンの下の収納に入っています


お風呂に入り、お風呂の扉を閉めます

次のページへ


AとBを合体させます

(合体の図)

次のページへ


「これが一体、なんなんですか?」


 どうやら拓郎は事の重大性に気づいていないらしい。それに対し、かなみはもう諦めたのだろう。全身から力が抜けている。


「この家にある洗剤Aと洗剤Bを調べました。Aは塩素系、Bは酸性のものでした。これらを合体させるとどうなるでしょうか?」


 俺は思わず呟いた。


「有毒なガスが……」

「そう、しかもわざわざドアを閉めている状況で。このイラストも、カレーのところで見れば鍋かフライパンにしか見えない。だけどもしこれがお風呂掃除のところにあったら?」

「そうか、洗面器!」


 風呂場に行った時、絹旗は洗面器があるかどうかを確認していたのだ。


「敬太君は発達障害で、言われたことを忠実にこなすとおっしゃっていましたね。その特性を考えれば、この文章がどれほど危険なものかわかりますよね。しかも、事が終わった後にルーズリーフの順番を元に戻せば、疑われることはほぼありません」


 満面の笑み。


「こんなところかしら、私の話は」



 一瞬誰も動かなかった。いや、動けなかったと言うのが正しいか。あまりの衝撃に、俺も固まってしまっていた。それを打ち破ったのは、拓郎だった。


「かなみ、お前まさか」

「何を言っているの? 私が敬太を殺そうとしていたとでも言いたいの? そんなわけ、ないじゃない!」

「だけどこれは、どう考えてもお前が」

「まあまあ落ち着いてください」


 絹旗が、例の笑みを浮かべながら仲裁に入る。


「今語ったのは、あくまでも可能性にすぎません。証拠も何もない、ただの私のたわごとです」

「そう、なのか? しかし」

「それにしても、私も随分と複雑な殺人計画を思いついたものです。こんなやり方じゃ、実際はすぐに逮捕されてしまうでしょうね」


 絹旗は拓郎に顔を近づけた。


「やるんなら、崖から投げ下ろす、とかじゃないとね」


 再び一瞬の静寂。しかし、それは一度目よりも遥かに短いものだった。


「あなた、まさか康太を?」

「まて、誤解だ。俺はそんな事しない。愛する息子にそんなこと……」

「嘘よ! あなたが可愛がっていたのは敬太だけ。康太のことはいつも二の次だったじゃない! あの子のことも可愛がってって何度も言ったのに!」

「それを言うならお前だって、康太のことばかりだったじゃないか! 実子が可愛いのはわかるが、敬太だってお前の息子なんだぞ! ……まさか、それが原因か? 敬太がいなくなれば俺が康太の方をよく見るようになるからって!」

「あなただって一緒でしょう! 康太がいなくなれば、私が敬太の面倒を今以上にみるようになる、どうせそう考えていたんでしょう!」


 二人はヒートアップしていく。間に挟まれた康太は、身をすくめて怯えている。

 そんな光景にも、絹旗凛は動じない。


「さてと、それじゃあ私たちは行こうか」

「これを置いてですか?」

「そう。私たちの仕事は終わったのよ」


 彼女は颯爽と嶋内家から出ていった。俺も必死で追いかけた。



「絹旗さん、どういうことですか! やっぱりまた家庭を壊すようなことをして! しかも、今回は真実じゃない、ただの可能性じゃないですか!」

「ええ、そうよ。ただの可能性。そもそも、実行されなかった殺人に証拠も何もないわ。証明なんてできっこない。まあでも、あの喧嘩具合だと本当かもしれないわね」


 彼女はことも無げに答える。その態度を見て、俺は愕然とした。


 何が『真実を盾に人間を暴く』だ。彼女がそんな殊勝な人間なわけがないと、どうして気づかなかったのか。「ただの可能性」それだけで、彼女は一つの家庭を崩壊させたのだ。


「本当に、悪魔じゃないか」



 不意に、彼女が振り向いた。


「証明してみせてよ、私が悪魔だって」


 どこまでも楽しそうな声で、顔で、彼女は笑い続けていた。

                                 了

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