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事故か事件か

「涌井くん、なにを惚けているのかしら」


 我に返ると、目の前に絹旗の顔があった。男性としてはやや背の高い俺と容易に目が合うのだから、彼女は女性としては相当背が高い。肩にかかる程度の髪の毛は美しい漆黒で、切れ長の目はクールな日本人形を思わせる。それなのに、だ。彼女は相変わらずニヤニヤと笑っている。


「ここは現場なのだから、しっかりしなさい」


 そうは言うが、彼女が俺に何一つ期待していないのは、これまでの現場からも明らかだった。少なくとも、彼女は俺に捜査のイロハを教えようとするようなタイプではなかった。彼女は一人で十分なのだ。仲間も部下も、求めていないのだ。

 だから、俺はそんな彼女から必死に技を盗もうとしていた。教えてもらえないのなら、自分で確立させるしかない。今だって、惚けていたわけではない。懸命に頭を回転させていただけなのだ。


「ですが、絹旗さん。これは、単なる事故なのでは?」


 もしも事件だとすれば、そして彼女を出し抜ければ、自分の手柄にできるかもしれない。そう思って頭をひねってみたが、どう考えてもこれは事故だ。

 ここは、嶋内という家族が住んでいる一軒家である。死体はキッチンのすぐ横で発見された。嶋内敬太、十一歳。小学五年生の少年だった。足元にはダンボールの箱が落ちていた。どこからどう見ても、彼はこの箱に躓いて転び、不幸にもキッチンの角で頭を打って亡くなったのだ。

 そんな現場であったとしても、警察は事故かどうかの確認をしなければならない。世の中は休日だというのに、警察官にそんなものはほぼない。


「そうね。そうかもしれない」


 絹旗は曖昧に頷くと、キッチンに近寄った。角には真っ赤な血痕が残されている。コンロには大きな鍋が鎮座し、ほのかにカレーの匂いを漂わせていた。


「まずは、第一発見者の話を聞きたいわね」

「そうですね。第一発見者は嶋内かなみ。被害者の母親です」


 かなみには現在、別室で待機してもらっている。警察が来た時は多少取り乱していたらしいが、今は落ち着いているらしい。

 かなみの元を訪れると、彼女はソファに座っていた。俺たちに反応して、顔を上げる。やや丸顔だが、なかなかの美人だ。


「あなたが敬太くんを見つけたんですか?」

「ええ、そうです。家に帰ってきたら、敬太が倒れていて、すぐに救急車を呼びました」

「失礼ですが、あなたはどこへいっていたのですか?」

「ただの買い物です。近所のスーパーに」


 彼女が出かけていたのは、午後一時から二時の間だという。


「敬太くんの足元には、段ボールの箱が落ちていました。あれはなんですか?」

「あれは、親戚が送ってきたものです。中身はジャムと蜂蜜だといっていました」

「どうして床の上に?」

「単純に、重かったからです。特に深い意味はありませんでした」


 箱を持ち上げた時、それなりに重かったのを思い出す。敬太の足が当たったことを逆算すれば、箱はキッチン横の通路の隅に置かれていたことになる。当座の間何かを置いたとしても、そこまで不自然な場所では無い。


「ご主人は、今どこに?」

「康太——もう一人の息子と一緒に近所のO山に遊びに行っています。病院に向かったはずですが、そろそろ帰ってくると思います」

「わかりました。ありがとうございます」


 最初の聴取はあっさりと終わりを告げた。絹旗はさっさと部屋を出て行く。俺はその後を慌てて追いかけた。


「息子を亡くしたっていうのに、随分落ち着いていましたね」

「そうね」

「ショックが大きすぎて、まだ飲み込めていないのでしょうか」

「そもそも、悲しくなんてないのかもしれないわよ」


 俺はムッとして、彼女の背中を睨みつけた。


「しかし、それ以外に変わった点はありません。これはやっぱり事故ですよ」

「まあまあ、そんなに慌てないの」


 彼女はまったく動じていないようだ。そして、家の中をあちこち回り始めた。

 まず彼女は玄関に向かった。かなみのものと思われる女性用の靴と、敬太のものだろう、子供用のスニーカーが置いてある。玄関横に棚が付いており、その中にはいくつか靴が置いてあった。大きめの革靴に、ピンク色の高いヒール。子供用の靴もある。特に変わったものはなさそうだ。

 次に彼女は、各部屋を回り始めた。

 ダイニングには、木製の立派なテーブルと椅子が置かれている。テーブルの上には花瓶が置いてあり、俺の知らない花が活けてあった。リビングはダイニングと繋がっており、隅に三十インチほどのテレビが置いてある。どちらの部屋も特に変わっているようには見えない。

 絹旗はそのまま、夫婦の寝室に向かった。ここも特に変わったようには見えないが……。


「あら、これは何かしら」


 それは、ベッドサイドチェストの中にあった。プラスチック製のリングファイルだった。かなり新しいもののようで、傷一つ入っていない。タイトルは、「敬太用家事ファイル」とある。

 絹旗は躊躇いなくファイルを開いた。中にはルーズリーフが何枚も留められてあった。一番上のルーズリーフには、手書きで「敬太用家事ファイル」ともう一度書かれていた。絹旗はそれをめくった。


カレーの作り方


材料

カレールー一箱

豚肉四百グラム

玉ねぎ二つ

じゃがいも二つ

にんじん二本

水(煮込む時に鍋に入れます)

サラダ油適量

 

野菜を洗います

玉ねぎを切ります

じゃがいもとにんじんを一口大に切ります

フライパンにサラダ油を入れ、豚肉を炒めます→A

豚肉をフライバンから取り出し、玉ねぎを炒めます

3分後、玉ねぎの入ったフライパンにじゃがいもとにんじんを加えて炒めます→B

次のページへ


AとBを合体させます


 この文の下には、部首でいう「かんにょう」のようなもの——おそらく鍋のつもりだろう——にAとBを加えるイラストが、ページの最後まででかでかと載せてあった。


次のページへ


玉ねぎがしんなりしたら、水を加えます

中火で二十分煮込みます

その間、あくを取ります

火を止めて、カレールーを加えます

カレールーが混ざったら、弱火で十五分煮込みます

完成!


 これは、どこからどうみてもカレーの作り方である。敬太が料理をするときのために、わざわざ作ったのだろうか。

 その後も、いくつかの料理の作り方が書いてあった。そして、その後には別の家事のやり方が載っていた。例えば、

 

床の掃除の仕方


準備するもの

掃除機

雑巾二枚


掃除機をかけます

雑巾を一枚水道水で濡らし、水滴が出なくなるまで絞ります

絞った雑巾で床を拭きます

もう一枚の雑巾で、からぶきします

終了!


とか、


お風呂掃除の仕方


準備するもの

洗剤A

洗剤B

キッチンの下の収納に入っています


お風呂の扉を閉めます

次のページへ


お風呂の換気扇をつけます。

AとBは決して混ぜてはいけません

普段はAを使います。

鏡を洗います

壁を洗います

浴槽を洗います

排水口を洗います

終了!


 とか、様々な家事について記載されていた。


「これは一体、なんなんでしょう?」

「家事の指南書、なんでしょうね」


 絹旗はそう言うと、再び最初からめくり始めた。


「何か気になることがあるんですか?」

「そうね……」


 にやけた目の中に、一瞬だけ真剣な光が見えた。これは、何か重大なことを見つけた時に見せるものだ。しかし、こんなものから一体何を? 敬太の死と何か関係があるのだろうか。

 その時だった、表から何やら声が聞こえてきた。寝室から出ると、一人の男と子供が部屋にトボトボと入ってきたところだった。


「かなみ」

「あなた」


 男は無言でかなみの元まで向かうと、膝から崩れ落ちた。そして、大声で泣き始めた。


「どうやら、旦那さんが帰ってきたようね」


 ファイルを片手に、絹旗も寝室から出てきたようだ。


「すごい泣きっぷりですね。奥さんとは真逆です」

「そうね。病院で敬太君の遺体と対面してから、茫然自失で帰ってきたんでしょう。奥さんの顔を見て、ようやく涙が出てきたってところじゃないかな」


 旦那——嶋内拓郎が落ち着くまで、だいぶ時間がかかった。


「私と康太は、休日を利用してO山にハイキングに行っていたんです。敬太は運動が得意じゃないから、今日は家で留守番していました。まさか、こんなことになるなんて……」


 ショックのあまり、顔面蒼白だ。焦点の合わない目をこちらに向けてくる。


「事故だなんて、そんな……!」

「いえ、事故と決まったわけではありません。それを今調べているところです。拓郎さん、事故以外の可能性について、何か考えはありませんか?」

「そんなの、あるわけがないじゃないですか!」


 どうやら感情の起伏の激しい人物らしい。家族を失くした人には仕事柄よく会うが、感情を失ってしまう人もたくさんいる。拓郎は、そういうタイプではないようだ。

 相手が激昂したとしても、絹旗凛は動じない。


「これについて、お聞きしたいのですが」


 そう言って彼女は、先のファイルを夫婦に見せた。

 反応したのはかなみの方だった。


「これが、何か?」

「いえ、敬太用と書かれていたので、一応」

「……そうですか。これは、敬太でも生活ができるようにと作ったものです」

「と、言いますと?」

「敬太は、所謂発達障害でした。発達障害は人によって特性が大きく異なるのですが、敬太の場合は対人コミュニケーションが取れなかったり、こだわりが強すぎたりするというものでした。そういう子でしたので、生活するだけでも周りのサポートが欠かせません。ですが、私たちもいつまでもサポートし続けることはできません。だから、せめて家事だけでもできるようになったらと思って、このファイルを作ったのです」

「製作者は、奥さんだったんですね」


 そうだろうとは思っていたが、俺は得心がいったというふうに大きく頷いた。


「では、このファイルに沿って敬太君が家事を行うこともあったと」


 しかし、かなみは首を横に振った。


「実は、このファイルは作ったばかりなんです。だから、敬太がこれを使うことはありませんでした」

「そうですか」


 絹旗の横顔を伺うが、そこからは何も読み解けない。このファイルが一体なんだっていうのだろうか。

 二人への聴取は、一旦終わりらしい。絹旗は、二人から離れると再びキッチンに向かった。


「絹旗さん。さっきの聴取ですが」


 聞いちゃいない。彼女は無言でキッチン下の収納を開いた。そこにはいくつかの容器が入っていた。


「ふうむ」


 一言そう言うと、彼女は何かを収納から取り出した。それは、二つの台所用洗剤だった。パッケージに被せるように紙が貼ってあり、それぞれ「洗剤A」「洗剤B」と書いてある。


「さっきのファイルに書いてあった、洗剤ですね。間違えないように、わざわざABまで書いてある」

「そうね。キッチン用の洗剤も入っているけれど、紙が貼ってあるのはこの二つだけね」


 彼女は紙をピラリと捲った。そこには、当然だが洗剤の名前や会社名などが書いてあった。


「Aは塩素系の漂白剤。Bは酸性の洗剤ね。涌井君、知っている? この二つはね」

「混ぜちゃいけないんですよね。有害ガスが発生します。それくらいは知っていますよ」


 塩素系の洗剤と酸性の洗剤を混ぜると、人体に有害な塩素ガスが発生する。この手の事故で亡くなる人も少なくない。人の死に関わる捜査一課の刑事としては、常識と言えるだろう。


「あら、思っていたよりも博識ね」

「勉強していますから」


 あなたが何も教えてくれないから、そう言外に込めたのだが、伝わっているかどうか。もっとも、仮に伝わっていたからといってどうとも思わないに違いないが。

 絹旗は二つの洗剤を収納に戻すと、今度はコンロに置かれている鍋の蓋を取った。そこに入っていたのは、茶色いおなじみの食べ物だった。


「やっぱり、カレーね」


 冷めているとはいえ、カレーの匂いは強烈だ。すぐにあの脳を震わせる匂いが漂ってきた。


「市販のルーですね」

「わかるの?」

「だいたいは」

「変わった特技を持っているわね」


 感心されてしまった。


「……この状態じゃ、何もわからないわね」


 彼女はそう言うと、あっさり蓋を閉じた。


「何もわからない? どう言うことですか?」

「どう言うことだと思う?」


 いつもこうだ。彼女は最後に全てを開陳するまで、自分の考えを教えてくれない。仕方がない。自分で考えてみよう。


「味とか、そういうことじゃないですよね。それなら舐めればわかる。だとすれば、なんでしょうか。材料とか?」


 彼女の口角が僅かに上がる。いい線を行っているのだろう。しかし、結局俺には彼女の考えはわからない。仮に材料だとしても、なぜそれを知る必要があるのか、全く思いつかないのだ。

 その間に、絹旗は敬太が転んだと思われるあたりに向かって行った。件の段ボール箱以外に特に何もない。しかし絹旗はその周りを入念に調べている。彼女が気にすると言うことは、なにか手がかりがあるのだろうか。

 しばらくすると、絹旗はパンと手を叩いた。


「さてと、それじゃあもう一人に話を聞きましょうか」

「もう一人?」

「いるでしょう? 小さいのが」

「まさか、康太君から話を聞くつもりですか?」


 さっき彼の姿を見たが、小学生になったかならないかくらいに見えた。そんな子から、一体何を聞きだそうと言うのだろうか。


「それは聞いてからのお楽しみ」


 そう言うと、彼女は再び別室に向かった。そして、夫婦の間でちょこんとしゃがみこんでいる少年の元へと向かった。彼と目線を合わせるためだろう、自身もしゃがみこむ。


「康太くん。お話を聞かせてもらえないかな?」


 返事をしたのは拓郎だった。


「刑事さん! 子供にまで何を聞こうと言うのですか!」

「まあまあ、大したことじゃありませんよ。お二人にも聞いてもらって構いません」


 康太は、目を潤ませていた。この歳で、兄の死を理解しているのかもしれない。


「どうかな? 康太くん」


 康太は小さく頷いた。両親もそれを見て、引き下がってくれた。


「今日は、どこに行っていたの?」


 おおよそ敬太の死とは関係のなさそうなことだが、きっと康太が喋りやすくなるように尋ねたのだろう。


「……お山に行ってきた」

「楽しかった?」

「うん」

「お父さんとは、よく遊びに行くの?」


 康太は首を横に振った。


「お父さんは、忙しいからあんまり遊びにいけないの」

「そうなんだ。お兄ちゃんも、お父さんとはあんまり遊びに行かなかったのかな?」


 康太が、ちらりと父親の方を盗み見た。しかし、拓郎は明後日の方を見つめている。


「お兄ちゃんとは、よく遊びに行っていたと思う。だからね、今日はお父さんと遊びに行けて嬉しかった」


 絹旗は満足そうに頷いている。


「どんなことをしたのかな?」

「えっと、お山に登って、ヤッホーした。お父さんが、一番上で抱っこしてくれたの」

「なるほどね」


 絹旗のにやけ面がさらに広がる。そしてゆっくりと拓郎の方へ向き直る。


「私もO山には行ったことがありますが、あそこの頂上は柵が低くて危ないんですよね。よく抱っこする気になりましたね」

「別に、その方がよく見えると思っただけです」

「そうでしょうとも」


 再び康太の方を向く。


「お兄ちゃんは、どんな子だったのかな?」

「お兄ちゃんはね。ちょっと変わっていた」

「変わっていた? どんな風に?」

「えっとね。頼まれるまで何もしないの。だけどね、頼んだらなんでもしてくれるの」


 拓郎が割って入る。


「さっきも妻が言いましたが、敬太は発達障害でした。空気を読むと言ったことが全くできなかったのです。ですが、指示したことは完璧にこなしてくれました」

「言われたことは、その通りにできると」

「はい。言われた通り、とにかく忠実に」

「康太くんは、お兄ちゃんのこと、好きだった?」


 康太は再び、小さく頷いた。


「本当のお兄ちゃんじゃないけど、好きだよ」

「こら、康太!」

「本当のお兄ちゃんじゃない?」


 俺たちは、夫婦の方へ向き直った。拓郎はバツの悪い顔をしている。


「敬太は、私の連れ子なんです」

「ということは、奥さんとは血の繋がりはないと」


 かなみの方を見ると、こちらは少し青ざめていた。


「そうです」

「それで、康太くんはお二人の子だということですね」

「刑事さん、それがなんだって言うんですか!」


 拓郎が大声を出したため、康太はビクッと体を震わせた。


「事故とは関係ないでしょう!」

「まあまあ落ち着いてください。何がどうなっているのか正確に知らなければ、事故かどうかの判断も下せないのですよ」

「適当なことばかり言って! もうあなたたちに話すことはありません! お前たちも、もうしゃべるな!」


 どうやら本気で怒らせてしまったらしい。こうなっては話を聞くこともできないだろう。


「そうですか。それでは失礼」


 あっさりと引き下がった絹旗は、そのまま部屋を出て行った。俺は軽く三人に礼をして、絹旗を追いかける。


「どうするんですか。あんなに怒らせてしまって。これじゃあ何も聞き出せないですよ」

「聞きたいことはだいたい聞けたから、とりあえず問題ないわ」

「とても関係のある内容とは思えませんでしたが」

「確かに、なんの関係もないわね」


 俺は思わず、彼女の顔を覗き込んでしまった。


「関係ない? だったら意味ないじゃないですか」

「そうかしら?」

「当然でしょう! もしかして、また関係のないことを引っ張り出して、家庭を壊そうとしているんですか?」

「ひどい言われようね」

「だってそうじゃないですか! 前だって……」


 俺がどれだけ強い口調で話そうとも。彼女はまるで気にしない。どこ吹く風のまま、彼女はずんずん進んで行く。


「さてと」


 彼女が立ち止まったのは、風呂場の前だった。絹旗は風呂場の換気扇と電気のスイッチを入れた。


「中身の確認っと」


 なんの変哲も無い風呂場だった。大きめのバスタブに、シャワーに洗面器。どうと言うこともない。どこにでもある風呂場だ。


「普通じゃないですか」

「普通ね」


 だが、絹旗は満足したようだ。ニヤリと笑って風呂場から離れる。

 次に彼女が向かったのは、子供部屋だった。二人の小学生男子の部屋である。どれだけ散らかっているかと思っていたが、実際に入ってみると、

「綺麗だ」

 という感想しか浮かばない。物自体は年相応に多いのだろうが、それらがきちんと整理されている。子供用の勉強机が二つあり、教科書やノートがその上に並んでいる。本棚には子供向けの小説や辞書がぎっしりと詰まっている。なかなか教育熱心な家庭のようだ。

 その中でも絹旗が興味を持ったのは、机の上に並んだノートだった。彼女は机からノートを引っ張り出し、中を開いた。


「なるほど」

「なにかわかったんですか?」

「もしこっちもそうだとしたら……」


 俺の言葉には反応せず、彼女は近くにあったノートを何冊も開いた。


「だとすると、やっぱりそうなのかしら」

「だから、何がわかったんですか!」


 振り向いた絹旗は、まるで俺の存在に初めて気づいたかのような顔をしていた。


「あら、何かしら?」

「何かしら? じゃなくて」

「ここまでくれば、あなたにだってわかるでしょう?」


 そう言われると、挑戦しなければならないという気になってくる。


「わかりました。ノートを見ます」


 俺は一冊のノートを机から取り出した。さて、中には何が書かれているのだろうか。この事件だか事故だかよくわからないものを、解決へと導いてくれるのだろうか。

 俺は唾を飲み込むと、ノートをゆっくり開いた。そこには……、


「……白紙じゃないか!」


 俺は思わずノートを床に叩きつけそうになった。ギリギリで踏みとどまれたのは、この女の前で醜態を晒したくなかったから、それだけである。

 彼女はコロコロと笑っている。


「それじゃあ、そろそろお仕事をしましょうか」


 その声は、それはそれは楽しそうで、美しい小川のように澄み切っていた。

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