慣れとは恐ろしい
結局その日は『婚約などしない!!』と年甲斐もなくごねにごねたかいもあり、婚約を前提にした交流をするという家長命令が下ることで落ち着いた。
エド殿下は「私の腕の見せ所ですね!」と妙に張り切っていらっしゃったが、よくよく考えてみればこれはこれで詰んでいるのでは?という思いもしなくはない。
ちなみにその後ヘレンにはめちゃくちゃ説教された。この歳であんなに説教を受けるはめになるとは。
そしてその交流の第1弾として、王家主催の夜会に参加することが決まった。
元々現公爵である兄は参加することになっていたのだが、父も行くと言い出し「なら家族全員で参加しよう!」というその場にいなかった末の弟を巻き込んでの決定事項となってしまった。
母と姉は「せっかくだから皆でお揃いのドレスにしましょう!」と早々に仕立て屋を呼び楽しそうに準備をしている。
正直夜会など出たくはないのだが・・・
「メンフィス少将、珍しく浮かない顔をされておりますな。」
物思いに耽りながら本日の軍部での訓練を眺めていたら、後ろから声がかかった。
「これはグラーフ中将、お見苦しいところを失礼いたしました。」
私は向きを変え軍式の礼をした。
するとグラーフ中将は私を下から上まで舐めるような目つきで見ながら
「いやいや、若くして少将となった貴女にはいろいろと悩みもあるだろう。憂いを帯びた顔も貴女の魅力を引き出してとても良いものだが、私で良かったらいつでも相談にのるから言いなさい。」
と肩に手を乗せようとしたところをさり気なくかわしながら
「恐れ入ります。」とだけ答えた。
このグラーフ中将という男。侯爵の人間であり歳は初老に入りかけて茶色の髪に白髪が目立ってきている。
軍の人間ということもあり体格も良く、一見人の好さそうに見えるが毎回舐めまわすような視線で私を見る度に不快でいかに上官といえども正直嫌いな相手だ。
他にも「愛人を数人囲っている」「加虐趣味」「金の亡者」などなどの黒い噂が絶えないため―最も表立った証拠など出さない男でもあるから―常に警戒していた。
「ははは、相変わらずメンフィス少将には隙がないな。軍人として素晴らしいことだ。」
軽く笑顔で返事をする。
早く去れ。気持ちの悪いことこの上ない。
「時間があれば私の執務室でお茶などいかがかね?今期の候補生などの話しも聞きたいしな。」
「申し訳ございません。今日中に目を通さねばいけない書類仕事がありまして。」
「それは残念だ。また機会を改めさせていただこう。」
そういうとグラーフ中将はその場から去って行った。
改めなくていいぞ!一体何をしに来たのか・・・下心見え見えの誘いになぞ誰が乗るのだ?
しかしこういった対応には慣れているに、実直な好意に対応する手段が自分にないこと今更ながら気づかされた。
・・・考えていても仕方がないため、気持ちを切り替え訓練の様子を見ることにした。
*****
「姐さん、おかえりー」
自分の執務室へ戻ると、軽薄そうな男が秘書官のアドミラの入れたお茶を飲んで寛いでいた。
「ケルヴィン、戻っていたのか。」
「さっき戻ったところですよ。いやー今回は特に疲れましたわー姐さん人遣い荒すぎ。」
「信用しているからな。」
「ははっ!そりゃこれからも頑張らないと!」
私もアドミラにお茶を頼み席へ着く。
この軽薄そうな男は戦時中の私の小隊の副隊長であり、もう長い付き合いで気心の知れた相手だ。
『ケルヴィン・シュロップ』
男爵家の三男で飄々と掴みどころがないていを装っているが、実はかなりの切れ者である。
私が隊長として着任した時にはいろいろと反発はあったが、なんだかんだと行動を共にしているうちに当時の私を「お嬢」と呼び信用のおける片腕となっていた。
戦争が終わった後も私の片腕として情報収集や諜報活動など「またですかー」と文句を言いながらも私の無茶ぶりに応えてくれている。
当時の「お嬢」呼びはまぁ良かったが、「もうお嬢な年齢じゃないですよねー」と『姐さん』呼びになり、なぜ5歳年上の相手にそう呼ばれることになったか解せなかったのだがもう慣れた。慣れとは恐ろしいな。
「ところで調べて貰っていた件の事だが、何か情報は掴めたのか?」
いくら平和になったとはいえ、裏で暗躍している者も少なからず実在する。
軍の仕事外にはなるが大事になる前に潰しておくのが私の中での鉄則だった。
そのためケルヴィンには常にいろいろな所へと探りを入れてもらっている。
「はい。いや、姐さん・・その前にお聞きしたい事があるんですが。」
「なんだ?私に関係のあることだったのか?」
「いやいやそうじゃなくて、ちょっと小耳にはさんだんですけど・・」
「うん?」
珍しく歯切れが悪いな?
「姐さん・・・婚約したって本当ですか?」
思わず飲みかけていたお茶を吹き出しそうになった。
「していない!なんだその情報は?!どこから聞いた?!!」
「いやだなー俺の情報収集能力舐めてないですか?ちなみに情報元は秘密です☆」
中年の男がそんな可愛く言い放っても全く可愛さの欠片もない。
冷ややかな目で見ていると「え?してないの?本当に?相手がかわいそうー」とケラケラ笑い出した。
この様子だと婚約を申し込んだ相手も知っているな・・・ふっと視線を別にやると、こちらの様子を黙って聞いていたアドミラも驚いた表情をしている。
「婚約などしていないからな!私は私自身が認めた相手以外とは死んでもごめんだ。」
「姐さんそんなことばっか言ってるから行きおくr・・・て!その殺気向けるのやめてくれません??」
「お前も人の事など言えないだろう?!そんなことよりさっさと件の情報を話せ!」
「はいはい。わかりましたー」
ようやく話す気になったのか、真面目な顔をこちらに向けた。
こういった切り替えがすぐに出来るなら初めからそうしろ。と毎度思うのも哀しいことにもう慣れてしまっていた。