閑話 それは歓迎会とは名ばかりの
相変わらず不思議な芳香を漂わせているその部屋の中で、ゆっくりと前後に揺れ動くロッキングチェアが小さな軋み音を立てている。
火の入ったパイプを口から離して、ニアはふーっと煙を言葉と共に吐き出した。
「……歓迎会、か」
右の人差し指の上でパイプをくるりと弄び、視線を頭上に向ける。
「歓迎会って普通は来てすぐにやるもんなんじゃないのか」
薄れて消えていく煙草の煙の中に、息子たちがえらく気に掛けている人間の少女の顔を思い浮かべて、失笑する。
「どうせ、歓迎会ってのは単なる口実だろ。お前らはあの娘を大っぴらに甘やかすための大義名分が欲しかっただけだろうが」
アホか、と独りごちて、パイプを咥えてひとふかし。
ぷかりと輪を描きながら広がっていく煙を何となく目線で追いながら、先日息子たちに譲渡した髪飾りのことを思い返す。
あれは、そのうちちゃんとした形で作り直そうと思って保管していたものだった。息子たちが特別な贈答品が欲しいと騒ぎ立てるから何の気なしに渡してしまったが、改めて考えると、あんな粗末な作品を見栄えだけは良いからという理由で譲ってしまったのは良くなかったなと反省する。
かといって、今更「やっぱり返せ」と言うわけにもいかない。
そんな真似をするのは一流の魔道具職人としてのプライドが許さないし、何よりそのためだけに一度捨てた家に顔を出すなどという真似はできないからだ。
表向きはイヴという名前で占術屋を営んでいる竜人ケテル種の少年の正体がアヴィル家当主ル・ニア・アヴィル・ケテルであることを知っているのは、息子のナギとウルの二人だけである。他人に自分の正体を口外するなと口止めしているから、あの二人の口からは他の息子たちには漏れていないだろうが──実際に顔を合わせれば、容貌から見抜かれる可能性は十分にありうる。自分の顔は、息子のセトによく似ているのだから。
自分がこんな近くで暮らしてた、なんて事実が家に……特にファズに発覚しようものなら、騒がれるのは目に見えている。
あの何処までも真面目一辺倒な長男の愚痴と説教を延々と聞かされるのは御免だった。
勿論、理由はそれだけではない。自分としてはこちらの理由の方が重要なのだが──
はぁ、と溜め息を漏らしてかりかりとこめかみの辺りを指先で掻いた。
「……ま、ひとまずはいいか……後で同じデザインのちゃんとしたやつを作ってやりゃ。寝てる時にでもこっそりすり替えればバレないだろ」
割ととんでもないことをさらりと言っているが、それを周囲に気付かれることなく平然とやってのけてしまう知恵と力があるのがこの男である。
それが、ル・ニア・アヴィル・ケテル──現王の実の息子、次期国王と称されていた竜人なのだ。
「アリステア。今日、ル氏族のアヴィル家でパーティーが開かれるそうだよ」
学校にて。生徒たちが帰宅してすっかり無人となった校舎の廊下をのんびりと歩きながら、リソラスは自分の左斜め後ろを歩いている妻へと語りかけた。
彼の言葉を聞いたアリステアは、あらあらと口元に左手を添えて微笑んだ。
「誰かのお誕生日会でも開くのかしら? あそこのお家はいつも楽しそうで羨ましいわね~」
「何でも、ミラ・ユッタ君の歓迎会をするそうだよ。彼女がル・セト君と婚約してアヴィル家に引っ越してきて、今日で丁度一カ月目なんだってさ。そのお祝いなんだとか」
「ほんと、セト君たちはあの子のことを大事に想ってるのね~」
女として嫉妬しちゃうわ、と冗談めいた言葉を零すアリステアに、リソラスは苦笑する。
「そう言うけれど、君も随分とあの子のことを気に掛けているんじゃないのかい?」
「ええ。勿論」
彼女はにこりと返した。
「私の手作りのケーキを、あんな風に美味しいって心から喜んで食べてくれた人間の子は初めてだもの。今までの子はみんな、私が竜人ってだけで出したお料理をろくに味わいもしないで『美味しいです』って答えるだけだったわ。私の顔をちゃんと見てもくれなかった。とっても寂しかったわ……私はただ、相手に喜んでもらいたくてお料理を御馳走しただけなのにね」
それは、人間側の立場からしてみれば当たり前の対応の仕方だったのだろう。
出された料理が不味かろうが何だろうが、それを提供したのが竜人ならば「美味しい」と返す以外に選択肢が存在しないのだ。
竜人の機嫌を損ねれば己の首が飛ぶ。そればかりに気が行ってしまい、純粋に料理の味を堪能する余裕が心に残っていないのだから。
「こんなことを言ったらセト君に怒られてしまうかもしれないけれど、私は、あの子のことが大好きよ。もう、実の娘にしちゃいたいくらい。うふふ、また色々と作って御馳走してあげたいわね~」
「あはは、流石にそれはル・セト君も困ってしまいそうだね。でも、君の自慢の手料理を御馳走してあげるくらいなら、彼も許してくれるんじゃないかな。そのうちお茶会でも開いて、招待してあげたらどうだい」
「そうしようかしら」
作り甲斐があるわ~、と呟きながら料理のことを考え始めるアリステアの様子を横目で眺めながら、リソラスは肩を竦めた。
やれやれ。竜人は誰もが彼女に夢中だね。まるで彼女がアイン様の象徴みたいな扱いじゃないか。
アイン──とは、この世界の創造主たる竜神の名である。
アインによりこの世界は創られ、竜が、そして人間を含む多くの生命が誕生した。その後竜と人間がまぐわい竜人が誕生し、竜が去りて現在に至る。
竜人は、己が祖先たる竜を、そして竜とこの世界を創った創造主を絶対的な父たる存在として崇拝している。
現代を生きる竜人たちがミラ・ユッタを『素質』を全く持たぬ人間であるにも拘らずに溺愛している様は、竜人が竜神を崇拝する姿によく似ている……とリソラスは思ったのだ。
一体彼女の何がそれほどまでに竜人を魅了しているのだろう? アリステアの言う通り、種の隔たりを感じさせない自然体の振る舞いが竜人にとっての魅力になっているのだろうか?
リソラスはしばし思考を巡らせて──幾分もせずに、考えるのをやめた。途中で追及するのが馬鹿馬鹿しくなったのだ。
まぁ、真実が何であれ、今目の前にあるものが現実の全てさ。他に隠された理由があったのだとしても、それが直接僕たちに害を為してないのならわざわざ今暴く必要もないよね。
くす、と笑って、アリステアに自分たちも帰ろうと促して歩をやや早めた。
──他人のゴシップが何よりも大好物なこの男だが、収穫時はある程度見極めるという慎重で計算高い一面も持ち合わせているのだ。
無駄な労力の消費はなるべく抑えたい、というのも無論あるのだが──何よりも、闇雲に嗅ぎ回ってあの娘を泣かせようものなら即座に飛んで来るであろうアリステアの鉄拳制裁が何よりも恐ろしいから、である。




