二章
〜きっと
逢えなかった時間を
飛び越える
白い奇跡を
信じていたの
「しかしまー……、あのメールはないと思うぞ。返事聞く前に場所だけ伝えて」
「う〜、あの時は焦ってたの! そんなに言わないでよぅ」
「ヘイヘイ」
久し振りに再会した和泉は、ほとんど変わっていなかった。その、子供っぽさというか、あどけなさというか。
見ていて俺はホッとした。
とりあえず、長く寒さに当てられていて、体調が悪そうなんていうことはないらしいから、一安心でもある。
「……ひーちゃん」
「ん?」
「元気に……してた?」
だから、人の心配するよりなぁ……って、それはもういいか。
長く顔を見れなかった後で、会う時に必ず和泉の言う決まり文句がこれだ。
文句なんて返せる訳ない。白い毛糸の帽子の下で、少し潤んだクリクリの瞳に見詰められた日には、な。
「当たり前だろ」
そして、そんな一言でも顔をほころばすのが、和泉。
何か気恥ずかしいような、暖かい感情が満ちて行く。
「あ、それでさ。今日は何で呼び出したんだよ?」
「え?」
「……え、じゃなくて。用件だって」
俺は、吹いて来た風に首元をすくめながら言う。
そしたら。
「え、え〜!? よ、用件っ?」
そうだよ。用件だよ。
何なんだよ? そのリアクション。
和泉は不意を突かれたように口調から何からが慌て出すけど、驚いたのは逆にこっちの方だ。
用件?
言ってお終いじゃないのか?
この時の俺はそれが皆目分からなくて、ただうつむいてブツブツ何かを言っている和泉に首をかしげるしかなかった。
「どしたよ?」
仕方ないから、顔をのぞき込んで言葉をかける。
「ひゃわっ?! な、何でもないよ、何でも」
和泉がそう大声を出したもんだから、数少ない通行人は訝しげにこっちを見る。
ま、ただでさえこんな夜中にホテルの前にポツンといる二人な訳だからな。
当の和泉は、また顔を真っ赤に赤らめてキョロキョロする。
俺はマジマジとそれを見ているしかないんだけれども、和泉は大きな深呼吸を一つ二つして、ようやく。
「……あ、あの、ね? ひーちゃん、聞いてほしいんだけど、」
そして、わざわざ背伸びをして、俺の顔をじっと見上げた。
いきなりのことで、俺の心臓はドキリと飛び上がる。
「わ、わたし、ね? ひーちゃん、の、ひーちゃんの、こと、が……」
その言葉につれて、周りに聞こえる雑音がフッと姿を消す。
イルミネーションが更に輝き出す――。
それで、まさにそんな時だった……クルルルルルル〜。
「……ぁ……」
和泉の語勢が、ふと止まる。と同時にすぐ背伸びから直って後ろを向いてしまう。両手は……丁度腹の辺りを押さえてるんだな。
「腹、減ったのか?」
後ろを向いたまま、無言で、コクリ。
何だかな……、緊張して損した感がある。真剣になったかと思うとこれだ、と俺は少し笑いがこぼれた。
「……笑わないでよぅ」
いかにも恥ずかしげに、半分振り向いて言う小さな声。
まあ、仕方がない。
寒い中一時間近くも立って待ってれば空きもするか。
「いいよ、んじゃ何か買って来てやっから」
和泉はまだ、半分うつむき顔でいる。
「何がいいんだ、」
その質問には、
「……ピザまん」
とだけ返って来た。
「あいよ。いつもの、な」
そこまで言うと、うつむき加減でよく見えないけれども、控え目な笑顔が見て取れた。
それを確認して、俺はイルミネーションの樹々の下を、ホテル裏にあるコンビニへと駆け出して行く。
数分後。
「あ〜、和泉ー、あったぞ、ピザまん」
裏のコンビニから、俺はビニール袋を提げて走って来る。
和泉は、角の半二階エントランスから細い通り側へ入った方の、庇の下で柱に寄り掛かって待っていた。
「遅いっ! 遅いよ、ひーちゃん」
「そんなに経ってねーだろ。ほれ、例のヤツ」
すっかり元気になって、そんな文句を飛ばして来る和泉にビニール袋を渡す。
そして、ふぅ、と一息つくと和泉と同じ柱に寄り掛かった。
石の柱は、丁度和泉と俺の二人が寄り掛かると一杯になる幅で、自然と肘の辺りがくっついた。
外は、さっきに比べて若干冷えて来たようだった。
空も、薄曇りから暗い雲が出て来始めている。雪でも降るんだろうか。
「あれっ? もう一つあるよ」
「それは俺の。丁度あんまんあったから、食いたくて買って来た」
「あんまんかぁ、ひーちゃんも好きだよね」
「和泉もな。ピザまん」
俺が袋からあんまんを出している間に、和泉はいつの間にかもう下の薄紙を剥いでいる。
食い意地の張ったヤツだ。
「ん〜! おいふぃ〜」
「食べながら言うなよ」
和泉は幸せそうな顔でピザまんを頬張っている。
俺もあんまんをかじり出す。
「そんなに美味いか? ピザまん」
「む、おいしいに決まってるでしょ? 特にあそこのコンビニのピザまんは絶品!」
どこのコンビニのピザまんも大して変わらん気がするんだが。
和泉は、小さい頃からの大のピザまん好きらしい。俺は、中学校で一緒になってからそれを十分思い知らされている。
「そうかぁ? あそこのコンビニはあんまんが美味い気がするけどな」
しかし、俺は違う。
「あんまん? もう、ひーちゃんっていつもあんまんだよね?」
「悪かったな、俺はあんまん派だ」
そう言いつつ、俺もあんまんにかぶりつく。
何を隠そう、俺は何を差し置いてもあんまんファンなのである。
「え〜、そんな甘ったるいよ」
和泉が口を尖らすのに対し。
「そっちこそ、甘いんだか辛いんだか酸っぱいんだか分からない味だろ」
と、応戦してみせる。
「あ〜っ、言ったねっ!? それならひーちゃんのあんまんの方が、甘ったるくてベタベタして食べてられないよっ」
「何だよ、口の周りピザソースだらけにしてるヤツに言われたかない」
む〜、と唸りながら、和泉は手で口を拭って膨れっ面になる。
和泉は、怒った所で剣幕も何もなく、全く怖くないんだが、なぜか俺はいつもムキになった。
このまんじゅう論争だって、かれこれ何年も続けている。
「大体、ピザって洋風の代物に中華のまんじゅうは似合わないって。文化的に近い日本の小豆餡だから合う」
「そんなのヘリクツ! ピザまんって言ったらピザまん!」
「いーや、絶対あんまんだって。あんまん」
んで、いつの間にか俺もしかめっ面で睨み合いしているんだから可笑しい話だ。
そして。
「「それに大体!
あんまん
ピザまん
っていうのは……」」
大概、こうして言葉が重なるかどうかするのも、不思議、って言ったら不思議だ。
二の句が継げなくてポカンと見合わせる、顔と顔。
その時……改めて見た和泉の顔は、昔とほとんど変わっていなかった。
それは少し貌が細くなりはしたけれども――丸っこくて、人懐っこそうな、いつまでも子供っぽい表情。
短く切り揃えた黒のショートカットだって昔のままで。
途端、二人でいたあの頃のイマージュが、ドッと胸の内に温かく湧き上がった。
「フフフッ。変わってない」
少し吹き出し気味で、顔をほころばせながら、和泉。
エクボのできる可愛らしい微笑み方も、昔のままだった。
俺も、ああ、と返事をする。多分、和泉と似たような表情で。
「……ヘー、獣医科ってそんな感じか。激励会ん時も聞いたけど」
「うん、結構大変なこともあるけど、楽しいよ! 夏もあれこれ忙しかったけど、冬も予定盛りだくさん! ……それに、」
「それに?」
「ずっと行きたかった所だったから。嬉しいんだ」
和泉らしいや。
そう俺が言うと、本人はピザソースがまだ少し付いた顔で、エヘヘ、と照れくさそうに笑った。
「ひーちゃんは?」
「げ、聞くなよ……。予備校で浪人生活」
多分俺がそう返すのを知ってたんだろう。
知ってるもん、なんてすますと、
「それなら後もう少し! 頑張ってねっ」
と千パーセントの笑顔を見せてくれる。
このスマイルを見たからには、明日からまた頑張らない訳には行かないな。
「っていうか、頑張るも何も。メールもらった時俺、勉強の最中だったんだぞ。知ってるか?」
「うん! 予想は付いてた」
……確信犯め。
舌をペロッと出して、悪びれる素振りもないコイツは、タチの悪いイタズラ坊主か何かなのか。
俺は青息吐息をつかざるをえない。
「……でも。それだけ来てほしかったってこと、」
「ん、何か言ったか」
「えっ、あ、別に! なーんでーもない!」
まんじゅう論争の後、和泉と俺はそのままお喋りを続けていた。他愛もない近況報告、といった所か。
そばで、空はいよいよ曇りが厚くなる。天気予報は見てないけれども、これは大方雪だな、とアタリは付いた。ホワイトクリスマス、か。
風はそんなに入って来はしなかったけれども、屋外だから代わりに結構底冷えしていた。
俺達が寄り掛かっていた柱は、庇、つまり例のエントランス脇から建物伝いに横に伸びた通路の真下にある。丁度、石造りの回廊を一部だけ切り取ったような感じだ。
壁に、ランプはともっている。でもそのセピアに褪せた光はただの明かりにしかならない。
和泉は、一時間近く待ちぼうけした後でやっぱり寒いのか、元から寄せていた体をギュッと近付けて来る。まだ頬を赤らめながら。
「んじゃ、そしたら忙しいんじゃないのか? 新入生ってことで」
「うん。ほんとのこと言っちゃうと、目が回るくらい。明後日だけど、先輩方からクリスマスコンパに誘われてるんだよ」
「ヘー、コンパね。大丈夫か? あがり性のくせに」
俺は、驚き半分、からかい半分でそう突っ突いてみもする。
「大丈夫っ! もう大学生だもん!」
そんな口調の大学生はいないんじゃーないのか。
子供じみた胸の張り方をする和泉に、俺はちょっと複雑な笑みをこぼしていた。
「あ、ってことは和泉のお兄さんもコンパか」
「そうそう! 今日だったんだけどね。お兄ちゃん、彼女の一人二人軽く作って来てやるって意気込んでた」
毎回成功しないのに、と和泉はいつになく明るく笑いながら喋っていた。
そうか。
和泉が、コンパね。
流石大学一年生、と俺は独り合点していた。
「そんじゃ、家はお母さん一人か」
「あ、ううん、お母さんもママさん友達とお食事に行くって言ってた」
なるほど、だからこんな夜中に出て来てもお咎めなし、っていう訳だったのか。
和泉の家は、随分前にお父さんが亡くなってずっと母子家庭だった。
小さい頃、俺達が小学生ぐらいの頃は、和泉のお母さんが働きに出ている間、俺は和泉と一緒にお兄さんに随分遊んでもらったものだった。
そのお兄さんが忙しくなってからは……和泉はずっと、俺に引っ付いていた。
そこまで来ると。
和泉を見ていて、俺は考えた。コイツとは、どれくらい長く付き合って来たんだろう。
「……それでね、先輩達みんな言うんだ、高校生? 中学生? って。先生方も、大学生にしては可愛過ぎるねぇ、って。わたし、立派な十九歳の大学生なのにっ」
その後も和泉は得意げに、多彩な大学生活を話してくれた。少し長かったが。
俺は、和泉が折角嬉しそうに喋っているんだから、と相槌だけで茶茶も入れなかった。
……けれども、なぁ。
和泉は結構、多忙でも楽しんでいるらしい。話の合間にこんなグチを言ってはいるけれども、顔はキラキラとしていて、一言一言が弾んでいるように感じる。
俺は、隣りでその姿を見る程に、コイツがどれだけ新鮮な毎日を送っているかが手にとるように分かっていた。
……よかったな。
和泉。
俺は、相槌を打つ一方で、柱に背中を寄り掛からせた。振れた肩胛骨の辺りから、石の無機質な冷たさがシンと広がる。
俺は少し疲れて来て、ふと目をつぶった。
「それで…………あれ、ひーちゃん? え、ひーちゃん、どうかしたの?」
……と思ったら、和泉に袖を揺さぶられていた。
何故か知らないけど、夢見の悪い夢でも見ている錯覚がする。
「ん。何でも」
とだけ、俺は返事を呟いた。
目は和泉の方を見ていない。目の前の、イルミネーションの樹々をぼんやり眺めている。電飾を施されて並ぶ数本きりの街路樹。夜空に広がるその枝には、近くから見たら、まばらにしか電球が付いていなかったのが分かった。今更だが。
「……ねぇ、ひーちゃん? どうしたの、何かポヤーってしてるけど」
和泉は、相変わらず俺のこととなると、いかにも心配そうな声をかけて来るようだった。
多分隣りで、俺の方を穴が開く程見詰めているんだろう。
「…………今夜は」
だからだ。
「……今夜は、何でこんな場所で待ち合わせたんだ? イルミネーションなら、あっちのケヤキ通りでもよかったのに」
和泉の声を遮るように、それでただの気まぐれな独言のように。
えっ、という和泉の声が隣りに聞こえる。
ポソッと洩らした言葉のつもりだったのが、車さえ通らなくなったホテル周りの空気にはよく透って響いた。
「な、何で……って……」
いきなり無口になって、ようやく口から出た言葉がこれなもんだからか。
和泉の声は戸惑いそのものだった。
俺は、別段何も思わず正面の景色を眺めているだけだ。今日も後数時間を切ったからか、ヤケに周りが静かで暗い。
「それは……ホラ、ケヤキ通りって、イチャイチャしてるカップルの行く所だもん」
戸惑った結論、和泉の答えはそれだった。
焦った笑い方してるよな、和泉。
俺はその時、質問の答えが聞きたかった訳じゃなかった。むしろ、質問の答えなんて求めていたんだろうか?
俺は、夜空を見ていた目を細める。
和泉もとうとう、口をつぐんだ。