天鬼空/5
日は完全に落ち、空は黒き闇が支配している。家には少し帰り辛い状況になってしまった。僕はかれこれ2時間近く町をほっつき歩っている。いちおう美雨を探すという名目ででてきたのだが、僕に捜索の能力なんてものは備わっていなかった。
なんとなしに入った路地裏で見慣れた黄色い傘を見つけた。開かれたまま地面に落ちるそれは誰かの忘れ物といえばそれまでだ。しかし、僕にはこれが美雨のものであることがわかってしまった。名前が書いているわけではない。この傘は、僕の眼だからこそ視ることのできる霊的なものだったからだ。
僕は傘を拾い上げそのはじきを肩に乗せた。美雨が傘を手放すなんて珍しいことだ。質量のほとんどない傘はそれだけで僕を不安にさせた。
路地裏をうめる黒い闇が冥府に続く道のようである。
しばらく歩を進めると黄色い合羽が目についた。かたわらには鴉が1羽事切れている。地に倒れ附す美雨は、苦しそうに息をしていた。
「おいっ、美雨。しっかりしろ」
僕は美雨に駆け寄り抱き起こした。しかし、美雨の顔はただただ歪むだけで返事がない。返事がないのはいつものことだが、これがいつもと違うのは明白だった。
「ほう。人の身でありながら霊体を見抜くものがいるとは珍しい」
気配なんてなかった。まるで、最初からそこにいたようにローブをまとった男は目の前に立っていた。
「お前が、やったのか?」
僕は男を見上げた。深く被られたフードの中はどこまでも闇が広がっているようだ。
「いかにも」
「どうして、こんなことを?」
「どうして? 霊などこの世にはいらぬ産物。だというのに卑しくもこの世にはびこる霊。それらを狩るのは我が魔導師の務め。ひいては《魔導クラスタ》の悲願。そこの河童とて例外ではない」
男の声は重みがあり、僕を威圧するかのようだった。
霊はこの世にいらぬ産物――自分のことを魔導師だという男の言うことはでたらめだと切り捨てるにはおしい問題だった。霊なんてものが視えてしまうことで被害をこうむってきたのは事実だからだ。
それでも僕は――
美雨たち霊の居場所をとってはいけない気がした。
「……ふざけるなよ。僕らの勝手で霊の居場所を取るなんて許されるはずがない」
低い声とともに魔導師をにらむ。どうこうできないことはわかっている。しかし、反発せずにはいられなかったから驚きだ。
「解せぬな。なぜ人の身でありながら霊などの所在を気にする?」
それは、きっと――自分と関係ないとこで自分の居場所がなくなることの不安を知っていたからだろう。
「お前のような人間がいるから、人間は救われない」
魔導師の手がこちらに向けられた。胸の辺りに大きな衝撃が走る。僕は美雨を抱えたまま5mは後方に吹き飛ばされた。
「殺しはせん。一歩でも踏み込もうものなら首を掻っ切られそうだからな」
魔導師がこちらにくることはなかった。
「いくぞ、K。次の仕事だ」
薄れていく意識の中で、組まれた鉄骨の上に立つ秋葉の姿を視た。そして、僕の意識は遠退いていった――
***
目を開くと葉子が泣きそうな顔で僕を視ていた。瞳は黒くいつもの葉子だ。
「空にー、もう起きないかと思ったにゃ」
葉子が僕の胸に顔を押し付ける。胸に痛みはなかった。
どうやら僕は自室にいるらしい。帰りの遅い僕らを心配して葉子が探しにきたか、僕が無意識のうちに戻ってきたのだろう。部屋の中はオレンジ色に染まっている。僕は一日中寝ていたことになるのかもしれない。隣では美雨が寝ていた。
「美雨はまだ起きないにゃ」
悲しそうに言う葉子の奥で秋葉が立っているのに気づいた。
「どの面さげてここにいやがる!」
僕は上半身を起こして秋葉に怒鳴った。秋葉は眉間にしわをよせるだけで何も言わないでいる。
「そ、空にー?」
葉子が戸惑っているのがわかった。
「気をつけろ、葉子。あいつは魔導師とかいうわけのわからない奴とつるんで、霊たちを駆逐しようとしているぞ」
「ち、違うにゃ」
葉子が小さく呟いた。その言葉がどうして否定なのか僕にはわからない。僕は秋葉を睨み続けた。
「バカ天狗は倒れていた空にーと美雨をここまで連れてきてくれたにゃ」
「……どういうつもりだよ」
裏があるとしか思えなかった。葉子に近づくための口実なのか?
「バカ天狗は……」
「いや、いいんだ。バカ狐」
ようやく秋葉が口を開いた。妙に落ち着き払ったその声が、僕を更に怒らせる。
「それよりいいのか? そこの河童。あと2日ももたないぞ」
2日ももたない? それは美雨が消えてしまうということを言っているのか?
「霊性の強い毒だ。自然治癒なんてまずありえない。そこの河童を助ける方法は二つ。術者を殺すか、森の魔法使いにでも霊薬の調合を依頼するんだな」
秋葉はそれだけ言うと部屋から飛び去ってしまった。僕は秋葉の背中をなおも睨み続けていた。
***
自分でもあきれてしまうほどの思考回路だった。いるかもわからない魔法使いを探すために僕は森の前に来ている。さらに、あきれたことに僕は秋葉なんかの言葉より竜の妄想なんぞを信じようとしているのだから、ため息の1つでもつきたくなる。まあ、どちらも同じようなことを言っていたのだが、秋葉の言葉を信じることに僕は不満を感じるらしい。自分が信じるのは秋葉の言葉ではなく、竜の言葉であると必死に納得させている。
一応コンパスは所持したが、地元民でも迷うというこの森に対して、こいつが訳にたつとは思わなかった。
森の中に足を踏み入れる。木々が生い茂り、日の光なんてほとんど届かないのではないかと思った。そんな森に太陽の沈んだこの時間に踏み入れるとは自分の馬鹿さ加減に泣きたくなる。しかし、こっちには時間がない。頼むから僕が迷子になる前に魔法使いさんには現れてほしいものだ。
僕は森を進んでいく。地元民でも迷うというわりには一本道が続いていた。
どれくらい進んだだろうか。いっこうに変わらぬ景色は僕を不安にさせた。まさか、一本道で迷子になったということはないだろう。コンパスは狂ったようにその針を回し、自分の仕事を投げ出していた。
突如脇からのびてきたつるに僕は身体を巻き取られた。一瞬のことで対応する時間なんてなかった。天地が逆転する。僕はわけがわからず宙につるされた。
「な、なんだよコレ」
このまま頭に血がのぼり僕はどうにかなってしまうと思った。
ザンッ――
つるを切り裂く音がすると同時に僕は真っ逆さまに落ちていった。頭からの落下など自分の死を意識せずにはいられず、ぎゅっと目を閉じた。
しかし、いつまでたっても地面に激突する衝撃がやってこない。痛みを感じることなく僕は死んでしまったのだろうか?
目を開けると僕は地面すれすれでふわふわと浮いていた。天地は元に戻っている。目の前には何度か視た山伏装束が立っている。僕は急に不機嫌になるのを感じた。
「どうしてお前が」
「話は後だ。走り抜けるぞ」
秋葉は僕の手を取り、一本道を走り出した。両脇の木々からつたが迫ってくる。しかし、つたは僕らに届くことなく切り裂かれてしまう。その理由を考えてる暇なんてなかった。必死に足を動かさなければ秋葉のスピードについていけなかったからだ。
つまらぬ景色がかわり、開けた場所にでた。そこで秋葉は足を止め、ようやく僕は解放される。肩で息をする僕とは逆に秋葉は涼しい顔をしていた。
目の前には赤い月を背にした西洋風の屋敷が建っていた。空の色に溶けるかのごとく蝙蝠が飛んでいる。
「どういうつもりだ?」
僕は秋葉に話の続きを問う。
「なに、お前を拾ったのは気まぐれだ。私も魔法使いに用事があったからな」
「礼は言わないからな」
秋葉のおかげで助かった。それでも僕はこいつを許すことなどできない。
「かまわぬ」
秋葉は僕からの礼など本当にどうでもいいかのように言った。
「私からも1つ質問がある。お前はどうして森で迷わずにすすめた?」
「はっ? 1本道で迷う要素がどこにあるんだ?」
秋葉の目が丸くなった。秋葉は、なるほど、なんて呟き屋敷へとむかっていってしまう。
僕も屋敷へとむかった。僕にだって魔法使いに用事があってきたのだ。ああ、竜の言葉で言うなら“魔女”っだったか。
重い扉が不気味な音を発して開かれた。
***
扉の中は大広間が広がっていた。数々の装飾がなされ煌びやかである。広間の奥には階段があり、その先のステンドグラスが美しい。
広間に金属音が響いた。
「驚いた。この屋敷に来客があるなんてね。これは結界を改めなければいけないわ。三重にでも増やそうかしら」
ステンドグラスの前に先ほどまではいなかった人影が立っていた。Yシャツにロングスカート。紫紺の長髪は膝くらいまで伸びている。彼女の手にはティーカップがにぎられ、足元にはティースプーンが落ちていた。先の金属音はスプーンの落ちた音らしい。
「黒、片付け」
スカートの中からもぞもぞと黒猫が姿をあらわし、スプーンを回収した。黒猫は再びスカートの中にもどってしまう。この人が例の魔女なんだろうか?
「私は柴崎慧理。魔法使いであって、魔女ではないわ」
今、僕は言葉を発しただろうか? それに魔法使いと魔女は違うものなのだろうか?
「さて、山の主に人間。おもしろい組み合わせね。話ぐらいは訊いてあげてもいいかもね」
疑問はいくつかあるが、用件を伝えなければ。美雨には時間がないのだから。僕は魔法使いに用件を伝えようとした。
「あなたは後よ。私の種族に対する好みは、上から霊・動植物・人間・魔導師。霊より先に発言できるなんて思わないことね。あと、魔導師は屑だから」
魔法使いの視線が秋葉に移る。
「なるほど。あまり気乗りしない内容ね。でも考えるくらいはしてあげるわ」
秋葉は何も話していない。それなのにこの魔法使いは何を理解したというのだ。まるで、電話で話す人を端から眺めるようだった。
「いい答えを期待する。それと、あなたの一つ目の結界は完璧だ。私には何十本にも分かれる道がしかと視えたのだから。彼なくして私はここにはたどり着けなかった」
「そう。するとイレギュラーなのは人間のほうね」
魔法使いの目が僕にむけられる。何もかも見透かすようなその瞳に、僕は好意をいだけない。それでもこの魔法使いを頼りにしなければならないというのは何だかもどかしい。秋葉は屋敷を出て行ってしまった。僕は急に心細くなる。あれだけ邪険にしていた秋葉でもいるのといないのでは違ったのだ。
「あなた霊薬が必要なのね。霊のために奔走する人間。少しは好意がもてそうね」
まただ。僕が言葉を発しなくても勝手に話を読み取っていく。
「どうして私があなたたちの考えがわかるか不思議そうね。でも、そんな野暮な質問はしないでちょうだい。私は魔法使い。それでこの証明は終わりよ」
これはきっと僕の理解を超えている。この理由を訊くことは葉子や美雨にどうして炎や水を出せるのかを訊くのと同じことなのだろう。
「聞き分けがいいわね。黒、薬を2本、人間に渡して」
黒猫が再びスカートの中から姿をみせた。口には2本の薬瓶をくわえている。一瞬のうちに黒猫が目の前にきた。僕は2本の薬瓶を受け取る。片方には黄色いテープがはってあった。
「黄色いほうはあなた用よ。間違っても霊には飲ませないことね。死ぬから」
この魔法使いは僕に死ねといっているのだろうか? 死ぬほうを僕用としたのだから間違いなくそうだろう。それに僕は別に薬を必要とはしていない。
「あなたは少し勘違いをしているわ。あなたにとっての薬が他の者にとって薬になるとは限らない。誰に対しても良い効果を発揮するならそれこそ万能薬というにふさわしい。同じものでも、使用者に良い効果を発揮すれば“薬”逆に悪い効果を発揮すれば“毒”となってしまう。その黄色いテープの中身がお前にとっては薬で、霊にとっては毒だった。それだけの話だよ」
ああ、RPGでゾンビに回復の呪文を唱えるのと同じか。それにしたって僕のどこが悪いというのだろうか?
「私の結界を見抜くわりには、あなた相当鈍感なのね。監視のためのポイントはあなたに着いているというのに」
また、僕の理解を超えた話か。魔法使いは大きくため息をついた。
「いいから、あなたは黄色いほうを飲めばいいのよ」
あきれるような口調に僕はうなずくしかなかった。多少のためらいはあったが、僕はもらった薬を喉に流し込んだ。意外にマイルドな味をしていた。
「用が済んだなら出て行ってちょうだい。ここは私の屋敷。あまり外部から他者を招くのは好きじゃないの」
僕は言われるがままに屋敷を後にした。どいつもこいつも自分の場所を主張する。僕の居場所はどこなのだろう――
***
扉を出ると秋葉が壁にもたれかかって腕を組んでいた。
「まだ帰ってなかったのかよ」
「当然だ。お前がいなければこの森をでれないではないか」
僕は反発しようとしたが、これは僕にも言えることだったから止めておいた。
「この森をでたらまた敵同士だ。だが、森をでるまでは我慢しといてやる」
「強がりか? お前も私がいなければ森を抜けられぬというのに。それに、私の山に無許可で住み着いたお前は、はなっから私の敵である」
ああ、そうだった。なら何でこいつは倒れていた僕を家まで運んだり、宙吊りになる僕を助けたりしたんだろうな。そんなことを考えながら僕は再び森へと入った。