ぼくらは友達
レストランで食事をしていると、ウェイターがやってきて言った。
「お食事中失礼します。お客様のお連れの方が表にいらっしゃるのですが…」
「ああすいません、すぐに食べ終わりますんで…」
私は料理を味わう事なく、急いで口に流し込むが、ウェイターは、
「申し上げにくいのですが…、他のお客様の迷惑になりますので…」
と、困惑した表情で遠回しに急かした。
確かに、お店に迷惑をかけるわけにはいかない。私は仕方なく食事を途中で切り上げ、「ふう」とため息をついて席を立った。
会計を済ませて店のドアを開けると、待ってましたと言わんばかりにパンダの子供が走り寄ってきた。
それは、ある朝の事だった。目覚めた私の目の前にパンダの子供がいた。
「こいつ、どっから入りやがった」
驚いた私は子パンダを抱き抱え、部屋の外に追い出した。しかし子パンダはドアの前に座り込み、がんとしてそこを動こうとしない。朝っぱらからパンダに構っている暇のない私は出社の仕度を済ませ、家を出た。
駅に向かう私の後をヨタヨタとついてくる子パンダ。放っておけばどこかへ行くだろうと思ったのだが、信号で止まる度、子パンダは私の足にしがみついてくる。いい加減鬱陶しく感じた私は、信号が青に変わった瞬間、子パンダを払い、思いきり駆け出した。必死について来ようとする子パンダだが、所詮はパンダである。人間の足の速さには敵わず、パンダを引き離し撒いた。
子パンダとの追いかけっこに勝利し、駅に着いた私は改札で駅員に止められた。
「あの、お客さん、パンダのご乗車は出来ませんが…」
「え?」
まさかと後ろを振り向くと、そこに、いつの間にか子パンダがいた。
「いや、こいつは私のパンダじゃなく…」
「そのわりには随分なついていますがね、ともかく、電車に乗せる事は出来ません」
なんという事だ、パンダのせいで電車に乗る事が出来なかった。タクシーでの出勤も試みたが、同様の理由で乗車を拒否され、私は足にじゃれる子パンダを恨めしく睨んだ。
もう、会社には間に合わない。とりあえず、遅刻の旨を会社に伝えなければならない。会社に連絡をし、電話口の上司に言う。
「すいません、実はパンダが邪魔をして電車に乗る事が出来ず、遅刻します」
「そうか、わかった。安心してくれ、もう会社に来なくていいぞ。パンダと仲良くな」
そう言うと、上司は一方的に電話を切った。
まあこうなるのは当然である。この世のどこに、パンダに邪魔されたなどという遅刻理由を信じる奴がいるのだ…。私は力なく項垂れ、駅を後にした。
公園のベンチに座り、販売機で買った缶コーヒーを一口飲む。傍らでは、人の苦労を知ってか知らずか、子パンダがゴロンと転げている。
全てはこいつのせいなのだ、こいつのせいで、私は会社での信用を失った。そもそも、一体何故こいつは私の許に現れ、付きまとうのだ。
ふつふつと沸き上がる怒りを抑えきれず、持っていた缶を子パンダに投げつけ怒鳴った。
「いい加減にしてくれ!! 俺が何をしたっていうんだ!! お前なんか、どっかに行っちまえ!!」
子パンダはビクッと私を見上げると、缶の当たった額を触り、とぼとぼと私の前から去っていった。
これで良い、これで私の平穏な日常が帰ってくる。
それから、子パンダが私の前に現れる事はなかった。それまでの暮らしが戻り、時々、あの朝の出来事を思い出すが、きっと子パンダも元気に暮らしているだろう…。
「おーいパンダ君、君暇だろ? 使い頼まれてくれるか」
あの電話以降、パンダ君と私を呼ぶ上司が、私に完全な私用を頼んできた。正直、それぐらいは自分でやれと思ったが、相手は上司であり、パンダの一件で頭が上がらないというのもあった。
会社を出て、オフィス街を抜け、郊外を行く私の足は、あるゴミ捨て場の前で止まった。
そこに、どこかで見覚えのある、薄汚れたパンダのぬいぐるみが捨てられているのを見つけたからだ。私は衝動的に、その汚いパンダのぬいぐるみを拾い上げ、尻尾の下にあるタグを確認していた。
『たなか ゆうすけ』
タグにマジックインキで書かれた下手くそな字。これは、紛れもない私のぬいぐるみだ。
父親を早くに亡くし、女手一つ、仕事に暇がない母が、寂しくないようにと幼い私に買い与えたパンダのぬいぐるみ。
初めて買って貰ったぬいぐるみに喜び、それから私は、食事の時も、寝る時も、ぬいぐるみといつも一緒だった。抱き抱えたパンダのぬいぐるみに、私は言った。
「ぼくたちは、ずっと友達だよ」
ある時、近所のいたずらっ子が私のぬいぐるみを指差してからかった。
「お前、男のくせにパンダのぬいぐるみなんかで遊んでんのかよ、かっこわりー。俺のスカイサンダーロボ、かっこいいだろ」
確かに格好良く、羨ましかった。それに比べ、自分は男なのにパンダのぬいぐるみ…。もう、そんな歳でもなかったのだ。
いつしか、パンダのぬいぐるみで遊ぶ事もなくなり、気付けば、あんなに大事にしていたはずのパンダのぬいぐるみを、どこかになくしていた…。
そうだ、そうだった。何故、私は今まで忘れていたのだ…。
「ぼくたちは、ずっと友達だよ」
目から、大粒の涙がこぼれていた。
「ごめんな、待っただろう。中々一緒に入れるレストランがなくて…。今度は一緒に入れる店にしよう。出来たら、笹の葉がメニューにある所が良いな」
と、私は子パンダを抱き抱え、笑いながら言った。