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始まりの日

 『アースガルズ・オンライン』。

 北欧神話をモデルに某有名企業が設計したVRMMORPGである。

 "史上最高のVRMMO"を謳い文句に喧伝されたこのゲームは、賞金設定とテスト期間中の生活補助という大判振る舞いのβテストを経て、遂に今日正式稼働の時を迎えたのだ。


「よーし、やっちゃうぞ~」


 ジャージの裾をまくり、天野(あまの)(あかね)(ひと)()つ。

 ぬいぐるみに塗れた自室は勉強机にクローゼット、ベッドの他にはテレビしかない。

 これまでゲームとは無縁の人生を送ってきた茜にとってアースガルズ・オンラインは未知との遭遇そのものであり、他の多くのネットゲーマーと共に彼女もまたこの日を待ちわびていた。

 自慢だった長い黒髪をヘッドギアに合わせてショートボブに切り揃えるくらい、彼女は期待していたのだ。 


「ヘッドギアを被って目を閉じれてれば勝手に行けるんだよね。むふふ、最初はキャラクリか~胸を盛って髪色も瞳の色も変えて……ああもう、早く始まんないかなあ!」


 準備万端、茜は専用のヘッドギアを装着したままベッドで転げ回る。

 大分身近になったものの、VRMMOは未だ危険という風潮が強い。

 揃えなければならない機材類も学生が手を出せる金額ではなく、高校生の茜が使っているのはβテストへ参加した兄が記念にと企業から寄贈されたものだ。


「でも、二台あればお兄ちゃんと一緒に出来たのになあ……私ばっかり遊んじゃってごめんね、今度お返しするね……」


 ひとしきり暴れ回り、茜は仕事で未だ帰宅しない兄を思う。

 幼少時に両親を亡くし、以降親戚を頼った後、成人してからは茜を守ってくれている唯一の肉親。そんな彼に何かお返しをしようと思うのも、結局忘れ果ててしまうのもいつもの事だ。


「……お? 何か暗くなって――」


 直後、ヘッドギアの内側に星の海が移され、茜は四肢が消えて行く感覚に身震いする。

 浮遊感と共にあるのは宇宙を宛もなく落下しているような不安感。

 ああ、あの鉄面皮の兄も今ばかりは取り乱したのだろうかと、茜は沈む意識の中で一人笑うのだった。



「ふぃー到着……。おおお、これがグラズヘイムってとこですかあ! 良いね良いね、雰囲気出てるよ~」


 数十分を自分の分身であるアバターのクリエイトに費やした茜は転送された後、石畳の街を見上げて嘆息する。

 グラズヘイム。先のβテストでの拠点は、正式サービスが始まった今も始まりの地として堂々たる佇まいを見せていた。

 

「うーん、良い匂い! いや匂いはしないけどなんか空気が美味しい! あ、せっかく髪の色とか変えたんだから鏡だ鏡! どっかにないかなあ!」


 周囲で感嘆の声を上げる他のプレイヤー達を分け入って、茜は迷いなく駆け出していく。

 宛などない。ただ、一心不乱に駆ける事で虚構の世界へ溶け込めるような予感があった。


「ん、走ってもあんまり疲れないなあ。痛みは感じるみたいだけど、スタミナとかどうなってんだろ?」


 とかく身体を動かす事が好きな茜にとって、この程度の疾走は準備運動のようなものだ。

 開始時の職業選択で後衛(ウィザード)ではなく前衛(ナイト)を選んだ事も影響しているのだろう。目まぐるしく移り変わる景色に驚き、ため息を漏らしながら、気付けば茜は淡く光る門へ辿り着いていた。


「む、これは確か――説明書によるとグラズヘイムからイザヴェル草原へ出る為の転送門だったような?」


 周囲を城壁で囲まれたグラズヘイムの東西南北に位置する門。その一つへ知らずの内に到達し、茜は顎に手を当てて考え込む。

 元々鏡を求めて駆け回ったのだ。"外"にあるとは考えにくい。

 しかも草原にはモンスターも存在するだろう。戦闘も未経験、かつ一人きりの自分が今この門をくぐるのは自殺行為以外の何者でもない。


「ん~どうしよ……」


 アースガルズ・オンラインにおいて戦闘不能イコール死ではなく、復活は可能だ。

 しかしそれまでに稼いだ経験値と所持金の半減、加えて三日間ログイン不可というデメリットが存在する。

 レベルが下がる事はないが所持金の半減は痛手も痛手、なおかつ三日間狩りが出来なくなるのは途轍もない出遅れである。

 故に多くのプレイヤーならば踏み止まるこの状況を、茜は朗らかに笑う。


「――よし、行ってみよう! 死んだって三日間ログイン出来なくなるだけだしね!」


 それがどれ程のマイナスか、想像もせずに茜は大きく腕を振って門へ消える。

 物事を深く考えない、呑気過ぎる程の楽天家。茜は考え過ぎる兄とバランスが取れて良いと、そんな自分をいつも誇るのだった。



 光に包まれ眩さに目を閉じた茜が次に目を開いた時、彼女の目の前には青と緑が広がっていた。

 波打つ草原と果てのない蒼空。流れる白雲は強い日差しを時に遮り、時に世界を照らし出す。


「ん~気っ持ち良い~! 何これ凄いリアル! てかもう現実だよ現実! うぉーこの草原は全部あたしのものだー!」


 両腕を広げ、茜は風を胸一杯に吸い込んでくるくると回転する。

 その様は陽光を一身に受け、まるで祝福されたよう。少女の銀髪は太陽の光を受けて輝き、若草色の道着に良く映えた。

 数分後、茜が当初の目的を忘れ小躍りしながら揺れる草と戯れていると、背後から野太い声が響く。


「んっ?」


 上機嫌のまま振り向くと、転送門の前には厳めしい男が二人に気弱そうな青年が一人。


「おいおいマジかよ、俺達より早く草原に出てる奴がいたとはな」

「こいつもβテストの参加者じゃねえの?」


 荒くれ者を絵に書いたような、他者への威圧を目論んだとしか思えない風貌の男達が茜を品定めするように眺める。

 その目に嫌悪感を催して、即席ダンスを止められた事もあり、茜は唇を尖らせて声を返した。


「ふっふーん、残念ながら一番乗りはあたしだ。それとβテストなんて知らないよ、まあうちのお兄ちゃんは参加してたけどね」


 現実世界よりもややボリュームアップした胸を自慢気に張り、茜は鼻の下を擦る。

 彼女にとっていつだって兄は自慢であり、それを語る時に出る無意識の癖が今また発現したのだった。


「そ、そうなんだ。なら、僕らの知り合いだったかもね。ちなみにプレイヤーネームは何て――」

「どうでも良い。それより狩る気がねえなら退けよ。道の真ん中に突っ立ってんじゃねえ」


 愛想笑いを浮かべる青年を押し退け、二人の男は肩をいからせながら進む。

 茜が立っているのは草原に唯一続く街道であり、それを邪魔だと二人は罵っているのだ。


「……ちょっとさあ、そういう言い方はないんじゃない? そりゃ見た目あたしは年下だろうけど、これから同じゲームで遊ぼうっていう相手に退けはないでしょ退けは」


 腰に手を当てて茜は凄む。

 往来の真ん中で踊る自分は確かに障害物そのものだろうが、その注意の仕方が気に入らないと少女は一歩前へ出た。


「ったくうぜえな。暇じゃねえんだこっちは。どうかお願いですから退いて下さいませんか小娘様。おら、これで良いだろ?」

「どこが良いのよ。あんた達さあ、何を急いでるのか知らないけど相手が子供だからって舐め――あれ?」


 ふと、敵意を宿して男達を睨んだ刹那。茜は視線の端に、鈍く輝く光を見た。

 背の低い草が風に揺れる度に顔を出すそれは、茜に発見された事を喜ぶように二度三度と輝き、彼女の目を虜にする。


「ま、まあまあ。ね? この子の言う通り、僕らはこれから協力してクリアを目指さなきゃいけないんだしさ……」


 気弱な青年が必死に仲間を宥める中、茜はフラフラと道を外れ、ぼんやりと草原を眺める。

 それを、道を譲られたと判断したのだろう。二人の男は舌打ちを残し、青年は心配そうに見詰めながら、茜を置いて進んでいった。


「何だろアレ……気になるなあ」


 魅入られたように茜は歩み、程なくして謎を解く。

 鈍い光の正体、果たしてそれは赤く錆びた腕輪だった。


「むむ、おっも――くないや。そう言えばこの世界じゃ装備品の重量はプレイヤーに合わせて増減するんだった」 


 見た目に反して容易く持ち上がった腕輪を眺め、茜は思案する。

 これはフィールドに点在するはずの、所謂宝箱なのだろうか。箱に入っておらず剥き出しではあったものの、仕様的にはそのはずなのだ。


「……って事はこれ、あたしがもらっちゃって良い訳? ――っしゃあああアイテムゲットォォォ!」


 諸手を突き上げて、茜は絶叫する。

 戦果を思えば先のいざこざなど忘却の彼方。彼女は一目散に、取得を確定する為スマートフォンを召喚する。


「ほいっと。出ろっ!」


 気合を入れて腕を振ると、瞬時に生まれたのは青いスマートフォン。そのタッチパネルを操作し、至近距離にあるアイテムの自動索敵を選択した数秒後、茜はめでたく初のアイテムを入手した。


「うわわわ、嬉しいよ~! 効果は何だろ、どうやって見るんだっけ……!」


 電子音を響かせて、暫しの間茜は無言でディスプレイを注視する。

 そして幾度も無関係のシステムに触れた後、ようやくアイテム欄へ辿り着き。少女は、腕輪の意味を知る事となった。


「ええと、"狂戦士の腕輪"……効果は『任意で暴走状態へ突入可能、その間の経験値および(ギア)の取得は不可能』――うぉぉ、カッコいい……」


 再び腕を広げて踊り、茜は歓喜を全身で表現する。……だから、少女がその背へ近寄る影に気付いたのは、肩を力強く掴まれた後だった。


「痛ッ!? ちょ、何よ一体――」

「……なるほどな。こういう事かよ、『エクストラクラス』への成り方ってのは」


 頭上から叩き付けられる羨望に満ちた声色に、茜は驚愕する。

 顔を顰めながら振り向けば、そこには消えたはずの男達。彼らは茜の行動に疑問を感じ、陰から様子を伺っていたのだった。


「なあ、こいつを今すぐ倒せば分捕れるじゃね?」

「何を……そんな事をしても無理だ……」

「そ、それより離して……いたた……」

 

 己の肩を鷲掴みにしたまま問答を始めた男達を涙目で睨みながら、茜は必死に身を捩る。

 開始して間もない今、ステータスに差はないはず。けれど肩口から伝わる痛みが、振りほどく事はおろか呼吸さえ妨げるのだ。


「やってみなきゃ分からねえさ。仮に取れなくてもプレイヤーキルは合法、一人で出歩いてたこのガキが不用心ってだけの話だろ」


 茜の肩を掴む男とは別の男が周囲を見渡し、頃合いだと目配せを送る。それを見て青年が必死で止めようと叫ぶものの、男は握る腕に力を込めた。


「い、痛い、って……やめ――あ」


 途端、遠のいていく意識。茜の脳が、痛みを断つ為の気絶を求めて感覚を遮断していく。


 ――いやだ。

 果てのない闇へ落ちて行く。

 ――こんな理不尽は、許さない。

 青年の悲痛な声。

 ――ああ、なら使っても、良いよね?

 男達の笑い声。

 ――殺しても、良いんだよね?

 脳内に響く、ガラスの破砕音。そうして、少女は舞い戻る――。


「ヒヒ――ヒャアッハッハ――!」


 突如として耳朶を襲った奇声に、男達は瞠目する。

 とりわけ驚愕したのは茜の肩を掴んでいた男だ。彼は瞬きの間に咲いた赤い噴水を認め、息を呑む。

 これは自分がやったのか――ならば今の哄笑は肩をもがれた少女の狂った叫び――。


「いや、俺は――」


 そこまでするつもりはなかったと、弁解を紡ぐ事は許されなかった。

 緋色の瞳を輝かせる銀髪の少女が、肩を掴まれたまま回転したからだ。

 それはさながら竜巻のように男を腕から巻き込んで、全身を粉々に打ち砕く。

  

「はっ……な、こいつまさか――!」


 光になって消滅した仲間を見届けて、残された男は叫ぶ。

 この常軌を逸した力は紛れもなくβテストで猛威を振るったエクストラクラス。ならば今すぐこの場を離れねば、初期レベルの自分達など一瞬で――。


「ヒヒッ!」


 そこで、男の思考は寸断された。

 暴獣と化した茜の振るった腕が、一瞬で彼のHPをかき消したからだ。


「あ、う……!」


 瞬く間に二人の仲間を失い、最後に残された青年は逃げる事すら思い浮かばず茜を見る。

 その姿は言うなれば狂戦士。銀の悪魔。緋の目の獣。

 浮かぶ形容詞の悉くが不吉を孕んでいる事に、青年は冷汗を流す。

 だが、恐らく自分は助かるはずだ。止められはしなかったけれど、自分は彼女を救おうと――。


「キヒャ――!」

「あがッ――!」


 微かな期待は裏切られ、青年は力なく倒れ込む。

 ああ、少女にとっては最早、敵味方の境界などなかったのだ。

 自分を慮った者も、傷付けた者も、等しく死を与える死神。年相応に伺えた無邪気さなど欠片もない、そこに在るのは狂った一体の獣だった。


「ヒアッハッハッ――!」


 空を見上げて獣は嗤う。迷いなく、力の解放に歓喜して。

 かくして少女は縛られる。力の代償、発動すれば強大な戦闘力と引き換えに理性を失う負の極みを。

 ――だが。


「ん~……そっか、こうなるのか。まあ自業自得って事で一つ。うん、特に身体に負荷も掛からないみたいだし、危なくなったらさっさと使おっと」


 少女は理性を亡くしてなどいなかった。

 暴の限りを尽くす己を、身体の内から眺めていたのだ。

 それはどこまでも他人事で、彼女にとっては緊急避難。

 故に受ける謂れはなく、阻む者には躊躇なく解放するだろう。

 

「それにしても、楽しいねVRMMOって! なんかさ、自分が神様になったみたいな感じ! ――ってそろそろログアウトしなきゃ、お兄ちゃんが帰って来る頃だ!」


 大袈裟に騒ぎ立て、茜はスマホを取り出してログアウトを選択する。

 寒々とした蒼空の下、波打つ若草だけが狂戦士の存在を警告するように、折れ寝そべっていた。

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