第8話「マドレーヌの完成」
「もうどうすればいいのかしら」
と言いながら巫は額に手をあて、悩んでいる。どうすればいいのか、それは簡単だ。全くと言っていいほど、簡単である。考え込む巫に向かって僕は少し誇らしげに言った。
「お手本を見せればいいじゃね?」
「……お手本?」
巫は首を傾げ、あ! そっか! と思いついたかのような表情をした。春は未だ自分の作った丸焦げのマドレーヌを食べている。——やっぱりこいつは怪物だ。
「一度、桃瀬に作ってるところを見せたら、出来るんじゃないかって思うだけど……」
「巫さんの作ってところ見てみたーい、食べてみたーい」
小学生かのごとく飛び跳ねる春を横目でみつつ、巫は畏まった様子だ。
「仕方ないわね。じゃ、桃瀬さん? 一度だけ見せるからその通りにやってみて」
「うん!!」
春の大きな返事が聞こえると、素早く準備を始めた巫。
袖をまくり、卵を割って、白身と黄身を分け、ミキサーをかける。あっと言う間にメレンゲが完成した。バターを春と違って焦げないように溶かしていく。メレンゲにきっちり分量を量ったグラニュー糖を入れ、そして先ほど溶かしたバターも入れる。さらに、卵を混ぜこれも投入した。
春との手際の良さが大違いだ。比べ物にならないくらいに。
ささっと、出来上がったものを型に流し込む。オーブンの天板に慎重に乗せると、オーブンに入れる。
しばらくすると、美味しそうないい匂いが食物調理室全体に広がる。
焼きあがったマドレーヌは完璧なほどに綺麗だった。お菓子を見て、綺麗だと思ったことは今まで生きてきて初めての経験である。綺麗にきつね色に焼かれたマドレーヌは美味しそう。
ありがたく、頂戴する。いや、しようとした。
——だが、巫に止められた。
「なんだよ。止める必要性はないだろ」
「そうなんだけれども、やっぱり人に食べてもらうというのは気恥ずかしい部分があるのよ」
恥ずかしそうに巫は言った。初対面でナイフを僕の口腔内に入れ、脅してきた彼女にも少しは乙女っぽいところもあるみたい。あの時は死ぬかと思った。
「安心しろ。まずかったらまずいと言うから」
「言った時はわかるわよね?」
「………………」
怖いな。初対面であんなことをしただけはある。もう本当に、殺されると思うぐらいに怖かったんだから。
とりあえず、頂戴する。
「うまっ! お前、どこのパティシエだよ」
正直、本当にうまかった。
手が止まらず、もう一口食べる。無論、うまい。
「ほんと! おいしい……。私のと全然違う!」
「ありがとう」
巫はニコリと笑った。
「正直な所、これは単なるレシピの通りに作っただけよ。桃瀬さんもその通りにすれば出来ると思うわよ」
「もういっそのこと、これを渡せばいいんじゃね?」
「そしたら、意味ないじゃん!!」
と春。膨らませた頬は赤く染まっていた。そして続けて、恥ずかしそうに話す。
「大切な人にあげるんだから、自分で作ったものじゃないと意味ないよ……」
「さっ。桃瀬さん、それでは頑張りましょう」
「うん」
そして、桃瀬春のリベンジマッチが始まる。
超絶激ウマ、マドレーヌを作った巫に教われるだから、嘸かしうまいマドレーヌが食べられるだろう。
そのはずが……。
「違うわ。ミキサーを使っている時は浮かせてはいけないわ」
「かき混ぜる時は、ボールをしっかりを押さえて。片手だけしていたら、ボールが回転するわ。全然まざってないじゃない」
「火が強すぎよ。バターを溶かすだけで強火にしてたら、地獄絵図よ。焦げるに決まってるじゃない」
あの超絶美人でなんでも出来る完璧美少女の巫花が桃瀬春に頭を抱えている。
どうにかこうにか、オーブンに入れ、スイッチを押す。あとは待つだけだ。巫の額には汗が浮かんでいる。
ピピっとオーブンから焼き上がりを知らせる音が響いた。オーブンを開くと、先ほどとよく似たいい香りが立ち込めている。
だが……
「先程よりはマシなったと思うわ」
食べてみると確かに春が作ったマドレーヌよりはマシ(・・)になった方だと思うが、美味しいとまではいかない。
見た目はマドレーヌになっている。上達したと言っても過言ではない。さっきの魔物ような黒い物体よりかはいいと思う。
けれど、二人は納得いかないらしい。
「もういいんじゃね? 諦めろ。そいつには才能とやらがないんだよ」
「ダメだよ! 巫さんが美味しいって言うまでは諦めたくない!!」
その意気は素晴らしきものだと認めよう。だが、それに似たような言葉を僕は知っている。小学生の時も『私が満足するまでは諦めたくない!!』と駄々をこねていた。
「どうすればいいのかしら? もう手の打ちようがないわ」
困り果てた彼女の顔は少しばかり落ち込んでいる様子。仕方ない、上から目線だがここで俺がアドバイスをしてやろう。
「お前ら、頑張りすぎてもダメなんだぞ」
「は?」
「え?」
二人の声は重なった。綺麗に重なる。
何言ってるこいつみたいな目で見るのはやめてくれないかな。巫さん。
春は首を斜めに傾げている。
「何が言いたいのかしら?」
と巫は腕を組み、僕に挑発してくる。
「簡単だ。別に美味しく作りすぎても駄目なんだよ」
「でも、美味しくないと嬉しくないよ。まずって思われて悲しくなるはやだよー」
「間違っている。それは、自己満足だ」
と。
言い切った。切実に建前も気にせずに。
僕がそういったのには理由がある。男心がわかっていない二人には、僕から説明する必要があるとは言えないけれど、少しもないかと聞かれればはいとは断言できない。
僕は続けて話す。
「美味しくなくてもそんなものどうでもいいんだよ」
「どういうこと??」
「男子っていう者は別に味が美味しくても美味しくなくても、貰うだけで嬉しい。貰うという行動が嬉しいからな。例えばバレンタイン、確かに彼女とか好きな人から貰うと嬉しいが味は別に気にしないんだよ。それに、義理でも貰うやつは期待するし、それだけで満足するものなんだ」
自分的に満足だが、拙劣な話を語る。
「そんなものなの?」
と巫は不思議そうに言う。
「あぁ」
男とは、馬鹿で能天気だ。バレンタインとか、下駄箱とか机の中とか気にしてなくとも入ってないなーって思うことがあるだろう。男子諸君ならわかってるくれるはずだ。
——誰だって期待して、誰だって願う。
「それなら不味いままのいいのかしら?」
「不味いって言われた!? 普通に不味いって言われた!?」
「そういえば、袋に何個入れる気なんだ?」
「んー。今のところ五個かな?」
五個か。まぁー確かにクッキーのように小さいなら未だしも、以外と大きいからな。CDとまではいかないが、コップの下に敷くコースターぐらいかな。そのぐらいの大きさだ。
「確かに不味いままだと本当に引かれる可能性だってあるし、不味くても嬉しいは嬉しいが出来れば美味しい方がいい。だから」
だからを強調して僕はいった。二人に続けて話す。
「五個入りなら、一つだけ桃瀬が作ればいい。残りの四個は巫が作ったやつを入れればいい」
「それだったら意味ないじゃん!」
と頬を膨らめさせながら春は言った。
春は自分で全部作らないと意味がないと言いたいのだろう。しかし、今現状として、全部作って渡すということは、どっからどうみても毒を渡すようなものだ。そんなもの渡したら逆に、嫌われるだろう。
貰うだけで嬉しいとは言ったが、それには限度がある。
「意味はある。一つだけでも自分で作っているのだからな。それにお前はきっかけを作りたいんだろ? それなら、別にきっかけは出来るだろう。渡してそれから仲良くなればいい」
まぁ、別にきっかけを作るぐらいなら不味いままでもいいんだろうけれど、誰が貰うか知らないからな。美味しい方が好感度としては良いだろう。
あれから数十分が過ぎた頃、丁度、春が作るお菓子。
題して『きっかけ作りますマドレーヌ』の完成だ。青色の袋に入ったマドレーヌの出来栄えは、一個だけどす黒い色のマドレーヌがあるけれど、いい出来栄えだ。そのどす黒いのは桃瀬春のだろう。即座にわかってしまうほどの巫との出来の違いさ。
「完成!!!」
春は笑顔を浮かべながら大声で言った。嬉しそうなのがわかる。
「やっと完成したわね。もう二度としたくないわ」
嫌味も含め巫は言った。だが、表情はやってやった感のあるドヤ顔である。
お疲れ様と僕は二人に話しかけた。
「おっと、忘れてた! 手紙手紙ー」
手紙? 告白の文章でも書く気だろうか。
…………あれ、そういえばこいつ、彼氏いるんじゃなかったけ?
僕の後ろの席の東西が言っていたような。あぁ、そうか。好きな人と仲良くなりたいっというのは彼氏のことだったのか。
ふ。リア充め、滅んでしまえ。
「彼氏にでも手紙か?」
「え!?」
春は驚きながらこちらを振り向く。
「違うよ。彼氏なんて……いないし。できたことないし。だってぇそりゃぁかぁれぇ………………」
もじもじしながら段々と声が小さくなっていき、最終的にはほとんど聞こえなくなって独り言をブツブツ言っている。彼氏いないのか。
噂はデマ。
「別にそんなことはどうでもいいから、早く書くんだ」
不服があるのだろう、頬を膨らめせて少しイラっとさせた態度、表情を見せペンをとる。
何を書いてるのか覗こうとすると、ダメと言われながら手で隠された。一体どんな愛の告白を書いているのだろう。気になるお年頃の沢良木風屋です。
「これをいれて完成! できた!!」
笑顔で彼女は言う。そして、巫も笑顔で言うのだった。
「成功するといいわね」
と。
後日談。
これでよかったのだろう。そう、思ってしまう自分がいる。
——単に見ていた僕。
僕は本当に必要だったのか疑問に思うところもあるけれど、完成したのだからこれで良しとしよう。
好きな人に渡すマドレーヌ。その手伝いをした我々、心壁部はこういういったことをこれからもするのだろうか。心なしか嫌で嫌で仕方ない。今日はたっぷり巫に愚痴を言ってやる。
あぁ、そういえばあいつ、渡せたのかな? クラス同じだから聞けばいい話なんだけど、なんせボッチを極めた僕だから、コミュニケーション能力も低い。幼馴染みと言っても昔の話、今では赤の他人だからな。
生徒玄関にて、靴を脱ぎシューズに履き替え、教室へと向かう。窓から差し込む日差しが眩しい。まだ入学して二日目なんだ。教室のドアを開けて入るのは嫌いだ。視線を一気に僕の方へとくるからだ。
自意識過剰ってわけでもない。単なる先生かと思われるだけだ。
教室に入るとやはり、視線がくる。それを気にせぬがの如く、自分席に座り、体を横に倒しながら、荷物を机の横にかけようとする。その時、視線がいったのは机の中だった。
その机の中には、袋があった。
——青色の袋。
それを、右手で取ると、それはマドレーヌ。
五個入りのマドレーヌ。
一つだけ黒い。
その中に手紙が入っていた、手紙というか置き手紙っぽいの。一言だけだったけれど。
『手伝ってくれてありがとう。風ちゃん』
これにて、第1章で完結です。まだまだ第2章へと続きます。