第7話「ド下手」
食物調理室へと移動した。この教室は僕たち、心壁部がある特別棟の一階にある。家庭科などでクッキーなどを作るらしい。そして、家庭部の部室でもある。特別というか、巫が先生に許可を得たらしい。さすが、学年1位。先生との関係性も良好みたいだ。もしも僕が先生に許可を得ようとしても、即座に却下されるだろう。そこは、巫花に頭が上がらない。
「よし、作りましょう」
巫花がエプロン姿で言ってきた。
エプロン姿とはなかなか新鮮だ。エプロンと三角巾は家庭部から借りたものであるが、春は勿論着けると思っていたが、僕までつけるとは思っていなかった。ただ、見ているだけだろうと思っていたのが、外れてしまう。僕に何を手伝えというのだ。
巫は冷蔵庫から卵やらバターやらを取り出す。他にも秤やらボウルやらよくわからない謎の道具を取り出し準備を始めた。
やはり、料理は簡単と言ったほどはある。料理の腕は半端じゃない。
「あのー。風——じゃなかった。沢良木君は料理出来る子ってどう思うの?」
「ベツニいいんじゃない?」
しまった。突然すぎてこれが裏返ってしまった。
「男子的には嬉しいんじゃないか? むしろ、憧れっていうか、そんな感じ」
「そっか…」
春は安心したかのように頬を赤く染め微笑んだ。
「がんばろっと!!」
やる気はあるみたいだ。制服の袖をめくり上げ、卵を黄身と白身に分け、ミキサーで混ぜ、さらに、グラニュー糖を入れる。
料理を日頃しない僕でもわかる。春の料理は異常なほどに、過剰なほどに、ド下手だった。
卵を割る時点で殻が入っているし、黄身と白身に分けようと必死にしているのだろうけれど、黄身が破れて白身の方に黄身が入ってしまっている。
ミキサーで混ぜる単純な作業をミキサーを浮かしすぎたのか、黄身が少し混じった白身が飛び跳ねる。
次に、グラニュー糖を入れるのだが、なんということでしょう。感覚で入れてやがる。普通は秤を使うだろ!!
春が作っているのはマドレーヌである。最初はクッキーを作ろうということになったが、マドレーヌの方が簡単だと巫がいうものだからマドレーヌを作ることになった。
ふと巫を見ると、顔が青ざめている。それに、右手をおでこにあて、世にも奇妙なものを見て脱力している。無理もない、こんな春をみて脱力しないのはどっかの元幼なじみぐらいだろう。
「よっし、うんうん」
そう言いながら春はフライパンに火をかけ、バターを溶かしていく。
「そういえば、巫さんって普段料理とかするのかな?」
「そうね。普段はしないけれど昔はしていたわ。簡単なものだけれども、例えばオムライスとか」
逆に桃瀬さんはりょうりするのかしら? と桃瀬春に聞く。
「あんまりしないかなー」
オムライスは簡単なものではないきがするが、気のせいか? 僕だったらチキンライスができても、それを卵で巻くことは絶対に出来ない。オムライスを簡単ということは日頃からもっと難しいことをしているのだろう。よし、聞いてみよう。
「今まで難しかった料理といえばなんだ?」
「そうね、一番難しかったのはカップラーメンかしら」
「…………は?」
「だって線までお湯を注いで3分待つのよ」
「それがカップラーメンの取り柄だろ」
そう、それが利点——カップラーメンの。
「線まで注ぐのはいいのだけれど、3分待つのが大変なのよ。どうして3分なのよ。2分59秒じゃだめの?」
「ぇ、そこはいいんじゃないの?」
春が言う。急に言って来たからびっくりした。マドレーヌ作りの方に集中しなくてもいいのだろうか。このままじゃ失敗するぞ。いや、もう失敗だ。
「そうなの?3分と書いてあるならその時間通りにしないと思っていたのよ。遺憾だわ」
「桃瀬さん、真面目なんだねー」
そんなことないわと巫花。
ん? なんだ、この匂いは——なんか臭いぞ。なんだろう、例えるなら何かを焦がしたような匂いだな。ふと、フライパンに目がいく。
「おい!春!焦げてるぞ!!!」
「え!? あ! ど、どどどどうしよ。えっと、えっとー」
「取りあえず火を止めたら?」
春がものすごいテンパっている中で巫は冷静である。これが、大人の余裕と奴か。
舐めてはいけないな。巫は大人ではないのだけれど、僕らと同じ高校生であるのだけれど——やはり、大人に見えるというか、僕らとは何かが違うような気がする。
取りあえず火は止めたのだが、バターがまっくろくろすけみたいに丸焦げだ。もうバターは使い物にならない。さようなら。バターさん。
君は無意味に死んでなんかないさ、君の死は無駄でなかったよ……多分。
「あら、丸焦げじゃない。バターが無駄になったわ」
バッサリ切られた!? やっぱり無駄だったのか。バターよ、すまぬ。
「大丈夫大丈夫ー。このままで大丈夫だから。元々焦がすつもりだったから。なんていうかーー隠し味みたいな?」
そう言いながら春は卵の白身で作ったメレンゲに入れ始めた。僕の方へと目線を向ける。すると、なんということでしょう。焦げたバターが全て入ってしまった。
「隠しきれてないじゃねーか」
「大丈夫ー。隠し味は隠さない方がおいしんだから」
もうそれ、本当に隠し味じゃないじゃん。ふと巫の方に目線をやると、もう具合でも悪いのかと間違うくらいに顔色が悪い。こんなお菓子作りをみたことない。もう、使われていく具材や調味料を思うだけで、涙が出そうだよ。
春と理科の実験はしたくないな。失敗して、人を殺めてしまいそうだから。
あれをマドレーヌと言っていいのか悩むけれど、一様マドレーヌと言っておこう。桃瀬春特製、マドレーヌが完成したようだ——だが、真っ黒だ。匂いからして苦い。
「完成ーー!!あれ、れれ? 真っ黒だぁ」
「どうしたら、あんなにミスを続けてできるのかしら…理解に苦しむわ」
巫が呟く。春にも聞こえるほどに呟いている。
春は真っ黒い物体を皿に盛り付ける。
「大丈夫だよー。見た目はあれだけど……味なら、大丈夫なはずだよ!」
春は僕に皿を差し出してきた。
「僕に食えと?」
笑顔でうんと頷く。もうその笑顔は悪魔がニヤリと笑っているだと思ってしまう。こんな物を食って死にたくない!
沢良木風屋、15歳、女子が作ったお菓子を食べ死亡。
いやだいやだいやだいやだいやだ、絶対にいやだ。
「おい、マジで食うのかよ。死にたくないんだけど……」
「大丈夫よ。食べられない物はつかっていないから問題ないわ。たぶん……」
巫は耳打ちしてくる。
だが、大丈夫大丈夫と連呼した春は全然、大丈夫ではなかった。まぁ、おいしくないことは確定してるな。食べれるか否や、それは食べてみないとわからない。恐る恐る、黒い物体を口の中に入れる。
一口だけ齧ったが、何か固形の物がガリガリっと音を立てる。焦げたバターにちがいない。マドレーヌはケーキのスポンジみたいに柔らかいはずなのに、そんな音を立てることはないだろうに——だがしかし、桃瀬春が作ったマドレーヌは違った。
「ぐぇ!!!!!!!」
確かに死にはしない。でも、美味しくもない。思わず変な声を上げてしまった。それにビクッとびっくりした春と巫がこちらを見ている。春は心配そうに。
「急に遠吠えを上げないで」
「僕は犬かよ!!」
「それでどうだったー?」
春が作ったマドレーヌはギリギリ食べることはできる。吐くまでないが、強烈だ。
「えっと…自分でも食べてみろよ……巫もほら…地獄を……味わえ」
「仕方ないわね。私も食べてあげるわよ。これで死んだら沢良木君が責任を取りなさいよ」
「大丈夫だよ……僕が死ななかったから」
巫は心配そうに僕を見つめて、真っ黒の物体を食べる。一瞬で真っ青になってしまった。無理もない。
こんな物食べたら、正気を保ってはいられ——
「普通に美味しいじゃん!」
!!!??? えーーー!!!!! 正気なやついたぁーー!!
自分の作ったお菓子を食べる春。お菓子というよりケーキかな。
「お前の味覚はどうなってるんだよ。こいつ舌が機能してないんじゃね?」
「え? 美味しくないの? 普通に美味しいと思うけど……」
パクパクと食べ続けているのが、衝撃的すぎる。なぜ、そんなに普通に食べ物みたいに食べれるのだ。
「桃瀬さん。あなたどうかしているわ。一度病院を受診したほうがいいわよ」
「なんだろう! ものすごく心配されてるだろうけど、ドン引きされてる気がする!」
「桃瀬、とりあえずこれは失敗だ」
大きくため息吐く。巫は僕の横で。
「失敗じゃないわ」
「本当!? やっぱり! 風ちゃ……えっと、沢良木君はわかってないなー」
違わと巫。春のほうを向き、腰に右手をあて言うのである。
ナイフのように鋭く、心に突き刺さる言葉を。
「大失敗よ」