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私という名の赤の他人


 「えー? これは断然美姫推しでしょ」


「いや、麗子だろ! 麗子マジ可愛いって!」


「猫耳推しなだけでしょ?」


「バレたか。ラノベは夢があるから良いんだよ。リアルにこんな女いねぇだろ? ……あ、お前がいるか。猫耳着ける?」


「着けるわけないだろっ、バカ!」


 男どもの笑い声。熱くなる頬。……思い出すな。やめろ。過ぎ去ったことなんだから。

 今更そんなものに縋ってどうする?

 もう、助けてはくれないのに。


 ――柑橘は片親で、しかも柑橘本人がホストクラブで浪費しまくってるせいで、母親はキャバ嬢として働いてる。けど、歳のせいでかなりイタイことになってるらしいww

 まぁ、柑橘の話によれば、アイツのクラス最低らしいから仕方ねぇかww

 ――ウソ! そんなこと言ってたなんて……実は私、柑橘さんのクラスメイトなんです。あの、彼女のお知り合いですか?

 ――そう。俺、アイツの彼氏。でももう別れるよ。ホスト通いの女なんてごめんだしな。


 思い出すな! ……お願いだから。

 でも、少し思い出すと芋づる式に出てくるのが思い出というもの。


 ――小寺さん、ホスト通いらしいよ。

 ――男好きもあそこまでなるとおしまいだよね。


 あぁ、私が何をしたと言うの?

 男好き? むしろ男は嫌いなんだけど。クラブ通い? 片親? お母さんがキャバ嬢? ……バカじゃないの? どうしてそんなこと言われなきゃいけないの?


 本好きをライトノベル好きだと勘違いした数人の男どもを憎む。あのサイトにいて、噂を広げた築地久子とかいうクラスメイトも憎む。そして誰よりも、「象潟」という男を。私の彼氏を名乗ってデマを流したアイツを憎む。

 私は、奴を許さない。


◇◇◇


 お母さんは私が10の時にガンで亡くなり、それからはお父さんと2人で生活してきた。

 お父さんは小さな工場で働いていて高給取りとは程遠く、ささやかな生活ではあったが、それでも幸せだった。遊ぶ暇もお金も、テレビさえもなくて、同級生の話に付いて行けなくても。

 本はずっと好きだった。好きな時に読めたし、借りればお金も掛からないし、何よりも、同じく本好きなお父さんと、感想を語り合う時間が好きだった。

 なのに時々、1人の女性がウチに遊びに来るようになった。硬派なお父さんが女性を連れてくるなんて……そう思ったが、お父さんが連れてくる人だから、と、信じることが出来た。


 「時々遊びに来る」が「時々泊まりに来る」に変わるまで、そんなに時間はかからなかった。

 その女性は徐々に毎日居座るようになって、働き詰めのお父さんが、更に帰って来られないくらいになった。

 私は怒っていた。どうして働かない、それも知らない女の面倒まで、余裕のないお父さんが見なきゃいけないのか。でも、お父さんには言わなかった。言えなかった、という方が正しいかも知れない。お父さんの必死の努力を否定することになると思ったから。

 でも、それは間違いだった。

 早く私が言えば良かったんだ。出ていけ、と。


 お父さんは亡くなった。

 原因は過労。

 当たり前だ、と思った。

 そして、当たり前のように私の隣で泣いている女を恨みもした。

 お前のせいだ。そう言ってやりたかった。

 この女とお父さんの間に子どもが出来ていなかったのが、せめてもの救いだった。


 心も体もギタギタになっていた頃、「象潟」の書き込みがあった。クラス全体からの「いじめ」が始まった。

 私の気持ちは、いとも簡単に折れた。

 否定をする気力もない。そもそも、両親やその他のことについて語らなければならない筋もないと思った。


 「象潟」の書き込みで変わったのは、クラスだけじゃない。今まで仲が良かったはずのサイトでの執筆仲間もキレイさっぱりいなくなった。誰も疑ってくれなかった。

 私の周りには、誰もいなくなった。


 周りの人が皆、私をそういう目で見ていると思うと怖くて、何より、罪のない作品たちがそんな目で見られるのが嫌で、アカウントを消した。

 書きためていた小説も、闇に葬った。

 悔しくて悔しくて、周りを、あの「象潟」を見返してやりたくて、私は賞を狙った。毎日毎日、必死に文章を紡いで、ついに書き上げた。学校には行きたくも無かったから、ちょうど良かった。


 その作品は、見事賞に入った。

 しかし、私の気は晴れなかった。

 私の人生を狂わしたあの男を、殺してやろうと思った。


 賞を取った私には、授賞式を筆頭に、たくさんの取材の申し込みがあった。

 素性を知られたくなかったから、それを同居の女に相談した。女は快く言った。私が直子ちゃんのふりをしてあげる、と。



「ただいまー」


「おかえりなさい」


 玄関からの声に、声だけで応える。

 部屋に入ってきた女は、ドカッと腰を下ろし、箱を取り出す。駅前のお洒落なケーキ屋さんの箱。


「直子ちゃん、生クリーム好きでしょ?」


 違う。私が好きなのは、モンブラン。……でも、そんなのはどうでもいい。

 この女にとっては、善意でしかないのだから。例えそれを、私が稼いだお金で買っていたとしても。


「後で食べる」


「あら、そう? 冷蔵庫入れとくわね?」


「行って来ます」


「遅くならないのよ~?」


 チョコケーキを頬張りながら言う女は、やけに幸せそうだ。家族ごっこでもしているつもりなのだろう。

 カセットテープと、イヤホンが付いたままのプレーヤーをポッケに突っ込むと、スニーカーを突っ掛けて家を出た。


◇◇◇


 ――はじめまして。甘木です。よろしくお願い致します。え? 若い? 32歳って資料にある? ……いえ、私が本当の作者です。あれは母です。あー、説明は面倒なので、割愛させて頂きますね。最初で最後の、本当の甘木依都が受けるインタビューです。

 そういえば記者さんって、レコーダーか何か持ってらっしゃるんですか? だって、大変ですよね、全部メモするの。……あぁ、やっぱりそうなんですか。それ? もしかして、カセットテープですか? イマドキ珍しいですね。


 何故私、本人が今日顔を出したか? 簡単ですよ。あなたに会いたかったから。この日を待っていました。私がアカウントを消した後もご丁寧にご自分のプロフィールやら日記やらを上げているあなたを、あなた自身と突き止めるのは簡単でしたので。『森の図書館』ですよ。覚えてますか?

 あなたの出来心のせいで私がどんな目に遇ったか……全てがあなたのせいでないとは言え、あなたのせいだとしか思えなくなっちゃうんですよ。どうしてでしょうね。分かりません。

 さて……高崎良和さん、あなたが「象潟」さんですね? 名字を逆から読むなんて、センスのないお名前ですね。私ですか? あー……、取材に来ていながら作品は読まれてないんですね。読まれてたら、あなたは危機を回避出来たし、私もこんなことしなくて良かったのに。残念です。

 え? 結局私が誰なのか? 少しはご自分で考えてみたらどうですか?


 …………死に際は頭が冴えるって本当なんですね。ええ、正解です。甘木衣都は、柑橘。詳しくはご自分で頑張って。

 では、このカセットは頂いて行きますね。まぁ、せいぜい最後の時を楽しんで。



 カチッという音と共に、再生が止まる。

 イヤホンを外すと、水の流れる音がした。

 川、か……。

 少し歩くと、橋が見えた。


 川に全てを流すのも良いかも知れない。カセットテープを流して、私も飛び下りる。

 あの日使った刃物は、とうに捨てた。でも、手に残った人間を刺す感触は、全く消えなかった。捨てようが無かった。あんなに何度も刺さなければ良かった。


 カセットテープを、プレーヤーごと宙高く放る。

 真っ暗な中、薄暗い街灯を反射して鈍く光り、そのまま川に落ちた。


 ――ヴー、ヴー、ヴー、


 電話? 誰?

 尻ポケットから携帯電話を取り出すと、……晴海。

 こんな時に何だろう。でも、もう関係ない。電話に出る必要だってない。だって、象潟の「アイツのクラス最低らしい」をわざわざ女子全員分の悪口に歪めて伝えたのは、晴海だから。

 彼女が私を嫌いなことは、随分前から知っている。先生から「よろしくね」と言われて嫌々私といることも、全部知っている。

 私には誰もいない。だから、私はもういらない。

 まぁ、あの女はちょっと困るかも知れないけど、新人賞の賞金を駆使してなんとかやっていくだろうし。


 橋の欄干に手を掛ける。

 吹き過ぎる風邪が気持ち良い。


「直子!」


「……晴海」


 どうしてここに晴海が?

 何しに来たの?


「何で電話出ないの! 心配したよ!」


「……そう」


「直子」


「晴海、もう良いよ」


「え?」


 何残念そうな顔してるの? 面倒くさい。教室とここは違うんだよ? 「いじめられっ子の相手をしてあげてる素敵な私」を見せ付ける相手もいないでしょ?


「もう良い」


「……直子……」


「何?」


「いつから気付いてたの?」


「随分前」


「そっか……」


 短い髪を靡かせ、彼女は私を見た。


「じゃ、遠慮しない。……さっき警察に通報した」


「なんで」


「私が調べたんじゃなくて、あんたんちのお母さんがウチに電話してきて全部勝手に喋っただけだから。電話切る直前の言葉が、罪に苛まれた私の娘を助けてくださいって、あんたのお母さんも災難だよね。まぁ、自殺されるより刑務所で過ごして貰った方が、私としては気味が良いしね」


 私の娘……。

 その言葉のせいで、パトカーのサイレンの音さえ霞んで聞こえる。


「ほら、もう時間がないね。残念。あんたがさっき投げたカセットテープはここにある。私ってば運が良いからさ。あんたの運が悪いのかな? ま、そういうことで」


 橋の両側にパトカーが1台ずつ。


「バイバイ、直子」


「うん。もう会えないかもね」


「残念。会わない、かな? もう、先生から面倒な押し付けも無さそうだし」


 晴海は、今まで見た中で1番楽しそうな笑顔で言うと、軽く手を振って去って行った。


「小寺直子だな? ご同行願う」


「……はい」


 お父さん、お母さん、ごめんなさい。

 女も、ごめんね。

 あ、ショートケーキ食べ損ねちゃったなぁ……。届けてくれるかな? いや、自分で食べてそうだな。

 妙に生クリームの甘さが恋しくなって、少しだけ涙が零れた。


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