七
七
今までの『経験』では、猿が来るまでには二日ほどかかっていた。原因は、彼女の『ジャーム化』が真咲誘拐から二日後だったためだ。そう記憶している。
しかし、そのタイミングだと必ず『フェンサー』と鉢合わせてしまう。そうなった場合、猿との戦闘で俺が負傷する可能性も少なかったが、同時にフェンサーに事情を説明するのに骨が折れる。というよりは、問答無用で取り押さえられる。
結果、彼らに俺と真咲は五日間ほど拘束されてしまう。『そういう風になっていた』。
「……今回は、時間を短縮できてる。落ち着いて話し合う時間も十分にある。あとは……」
後はどうなるだろう。フェンサーを説得して、真咲の保護を最優先にしなければ。常に彼女の周りに一人見張りをつけてくれるくらい、うまく話が進めばいいが。
そこに関しては一度も成功してない。
「……誤算だったな」
本当に、誤算だった。
俺の知ってる真咲は、強くて優しい、それでいて『ジャーム』が絡むと鬼のように殺意を振りまく女だった。
まだジャーム化しきっていない、『堕ちかけ』の仲間でも、平気で彼女は殺していた。だからてっきり、人が死ぬことに対してさほど強い影響を受けないと思っていた。
だが、それは間違いだった。今回の結果を見れば明らかだ。
彼女は強かったんじゃない。おそらく、あの友人。小百合とかいう少女の死を乗り越えて、初めてあれだけ強くあれたんだ。
俺は、その過程をすっ飛ばした。
小百合の部屋に注射器の予備を置いておいた。彼女はそれで超能力を高めようとして使い。俺の思惑通りまんまと即日ジャームになった。
思惑が外れたことと言えば、予想以上の怪物に仕上がってしまったことか。
「……これで、終わらせられればいいな」
今回で。彼女を助け切れればいいな。そんな風に祈る。
俺自身、もうこのループに耐えられなかった。精神が、持ちそうになかった。記憶も混濁している。理性も、崩壊しかけている。
「……あんなにぐちゃぐちゃになるまで切り刻むなんて……」
俺も、一度堕ちかけたとはいえ。
狂ってきてる。確実に。
今正気を保っていられるのは、最初の目的があるから。
藤宮真咲を助ける。それがあるからだ。
「……俺が彼女を悲しませるなら、意味ないじゃんか」
そんなことをぼやきながら、俺は右腕で頭を掻く。
左腕は肩から千切れてなくなった。
さすがに四回も千切られればもう慣れたもんだ。痛みで気を失うこともなく、何とか猿の隙をついて、ぐちゃぐちゃに刺し殺せるくらいには、慣れた。
「……そろそろか」
俺は地べたから立ち上がり、遠くに見えるビルを眺める。いつも通りなら、あの方角から来るはず。
シズクとワタシが。
俺はポケットから携帯を取り出し、時刻を確認する。
二一時一六分。あと一分。
視線を上げ、俺は倉庫が並ぶ波止場を眺める。結構昔はそれなりに船の出入りがあったけど、最近はめっきり見なくなった。
見慣れた光景を眺めながら、俺は足音を聞く。
あと十歩。それで奴らがそこの角から現れるはずだ。
「……待ってたよ、相棒」
姿が見えた瞬間に、俺はその陰に話しかける。
「……誰だ、貴様は」
見慣れた長髪に、見慣れた刀。全身黒のビジネススーツにそんな出で立ちじゃ目立つだろうに。そう思うと、少し笑えてくる。
「……誰っすか? 返答次第じゃあ……」
「まあおちついて聞けよ近江雫〈オウミ シズク〉、ホントすぐに人を殺したがるよな、お前」
彼女はそんな言葉に、不愉快そうに眉をひくつかせる。
「……何者だ」
長髪の剣士は、柄に手をかけながら俺に問いかける。
「俺の名前は東雲優弥〈シノノメ ユウヤ〉だ。近江雫に、犬神渡司〈イヌガミ ワタシ〉だな? 俺の依頼を聞いてくれないか?」
「……何者だ、と聞いている」
「この返答じゃ納得できない? そっちの要望通りに答えたってのに相変わらずだな……じゃあ、言い直そう」
俺は両手を上げてホールドアップして、無抵抗の意志を表す。
「俺はお前たちと同じ……『ディープブラッド』だ。たぶんそう長くはない。最後の頼みを……我儘を、聞いてくれないか」