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     四


 長い手に、その先には鋭い爪。顔と思われる部分には、本来あるはずの眼が欠けていた。

 そう、欠けていた。あるのは深い眼孔のみ。その奥は闇が覗いているが、血のような赤い液体が、粘性をもってどろどろととめどなく溢れ出す。

 口からは醜いながらも獰猛な大きな牙が上下合わせて四本。そして。


 本来、毛が生えているであろう部分は、すべて炎に覆われ尽くしていた。


 再び炎の野獣が咆哮を放つ。鼓膜を破壊しかねないほどの大音量に、思わず真咲は耳をふさぐ。


 「きゃああ!」


 悲鳴を上げながら、耳を塞ぐが、それでも咆哮は脳を震わせるほどのものだった。あまりのことに、真咲は意識を一瞬失いかける。


 咆哮が止んだのを見計らい、男が真咲に触れ、車の下を指さす。


 「俺が君を守る。でも、何かあったら、その下に手錠のカギがある。それで逃げ出してくれ」


 それだけ言うと、男は再び包丁を握りなおす。そして。


 「うがあああああああああああああああ!」


 野獣に対し、同じように雄叫びを上げながら、男は炎の野獣に突進していく。包丁をしっかりと握りしめ、体重を乗せるように、体当たりの要領で飛び込んでいく。


 決死の攻撃は、野獣の腹部に突き刺さる。そして男はそれを引き抜くと、もう一度別の個所に突き立てる。


 「おああああああああ!」


 咆哮が、野獣と重なる。しかし次の瞬間、猿の大きな右手が振るわれて、そのまま男の体を吹き飛ばす。


 「ガホォッ!?」


 男はボールのように弾みながら、倉庫の壁にたたきつけられる。体を強く打ったせいか、呼吸が止まる。


 「く……ッ、は……!」


 男は、真咲に向かって手を伸ばす。それに気が付いた真咲は、彼の方を見つめる。男は伸ばした手を、そのまま玄関の方へと向け、指をさす。そして呼吸がとまったまま、口の形だけでその意思を伝える。


 『ニゲロ』


 その意思を察知した真咲は、車の下を探そうとする。しかし。

 彼女の体は動かなかった。あまりにも常識離れした状況に、思考が凍り付いてしまっていた。彼女は逃げなければと考えるが、行動が伴ってくれない。理解できない状況に、恐怖に。彼女はただ涙を流すことしかできない。


四つん這いになり、なんとか体制を立て直そうとする男。しかし、野獣の方は待ってはくれない。絶叫を上げながら、男の方に駆け出す。

 そのまま野獣は、男の左腕と胴体を掴む。一瞬、男の顔が恐怖と炎の熱で歪む。


 「や、めッ……!」


 声にならない拒絶を口にするが、それは野獣の耳には届かない。

 男はその瞬間を見た。まるで、何かを楽しむかのように、巨大な猿が笑むのを。


 そして。


 「ガアアアアアアアア!!!」

 「ひゃがあああああああああああああああああ!!!」


 ぶちぶちぶち。


 そんな音が真咲の耳に残る。

 今まで聞いたこともないような異質な音。絶対に耳にすることもないような。耳にしたことを後悔するような音を聞いてしまった。


 野獣が、ちぎれた腕を放り投げる。それは真咲を通り越して、反対側の壁にたたきつけられて、そのまま床に落下する。


 男はひとしきり絶叫を上げたのちに、痛みで気絶したのかピクリとも動かなくなる。その様子に野獣は興味を失ったようで、男の体を放り投げる。倉庫の奥の、暗闇の方へと飛んでいく体。そして見えなくなり、真咲から離れたところでぐしゃりという音が響く。


 真咲は震える。


 彼は、きっと死んだ。




 わけもわからないまま、真咲は泣き喚く。

 自分を拉致した誘拐犯。そして、突然なんの前触れもなく現れた怪物。


 何もかもが嫌になった。変なクスリの話から、化け物の話まで、どうしてこんなことに。どうして自分がこんな目に。


 まだ、やりたいこともいっぱいあった。知らないこともたくさんあった。恋人なんていなかったし、恋だってしてない。

 バイトだってしたことないし、働いてみたかったのに。結婚して、子供もできて、それなりな生活をしてみたかったのに。


 なのに、何一つ、もうかなわないなんて。


 彼女はひたすら泣いた。嗚咽を漏らし、小便を垂れ流し、迫る野獣から逃げようと背を向ける。しかし、手錠が彼女にそれを許さない。そしてそのカギが車の下にあることなど、彼女はとうに失念している。


 助からない。もうだめだ。逃げられない。

 死にたくない。


 野獣の手が伸びる。彼女は目をつぶり、震える。


 「……サ……き……」

 「……え?」


 野獣が、しゃがれた声で何かをつぶやく。そしてそれは、真咲の耳に届く。


 「マ……サァ……き……チャア……」

 「……ぁ……あぁ……!」


 真咲はなんとなく、察してしまった。


 薬ではなく、あれはウィルスだということ。

 そして、『彼女』はそれをもう打ってしまったということ。

 彼女の見せてくれた超能力が、『炎を操る』ものだったことを。




 それらから、目の前にいるのが元々は『何』だったのかを。


 「……サユ……なの……?」


 返事はなかった。炎を揺らめかせながら、輝く猿は少女を見下ろし続けていた。


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