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     二


 暗い倉庫の中、空色の瞳を持つ男は朽ちかけの椅子に腰かけていた。包丁を右手の中で弄びながら、左手の腕時計を眺める。その針は二十一時を指しており、電池式のランタン型懐中電灯が、うっすらと男の顔を照らす。薄暗い部屋の中で、男の浮かべていた表情は、不安、あるいは恐怖だった。


 「あと十秒……」


 緊張した面持ちで、男は自分に言い聞かせるようにつぶやく。じんわりと額を伝う汗を、Tシャツの袖で拭う。


 「大丈夫、大丈夫、うまくいく、絶対にうまくいく、大丈夫、大丈夫……!」


 目を瞑り、呪文のようにささやくと、男は深呼吸を一つ。


 「……三、……二、……一、……」


 そのタイミングと同時。男は目をあけて、自分の後ろ側を振り返る。


 「う……ん……」


 暗闇から、うめき声と、鎖のこすれあうような音。男はすかさず近場に置いてあった懐中電灯をつかむと、その音の主に向けて照らす。


 「やあ、目が覚めたかい? 真咲」











 「う、……う、ここは……」


 目が覚めた直後、光を当てられて、真咲は目を細める。逆光のせいで、話しかけてきた人物を確認することはできないが、少なくとも声の質から男のものだということは確認することができた。


 「誰……?」

 「え、忘れちゃったの? ひどいなあ、真咲は。まあ、それでも俺の気持ちは変わらないけどね」


 努めて明るく話すそんな声に、真咲はわずかに顔をこわばらせる。

 そう、意識を失う前に聞いた声と、同じものだ。その瞬間、真咲は自分の置かれた状況をすばやく確認するべく周囲を見回す。

 暗いけれど、少し広めの倉庫。いや、倉庫だった場所だろうか。頑丈そうな手錠と、鎖。その先は、ぼろぼろになった、恐らく廃車であろう車にガチガチに固定されていた。


 そんな真咲の様子を見守りながら、男は再びおちゃらけた様子で話しかける。


 「ああ、そっか。そういえば、まだ君とは出会ってなかったっけ。初対面だったね。ごめんごめん。勘違いしていたよ」


 突然謝りだす男に、真咲はますます警戒を強める。

 意味が分からない。何を謝っているのか、この状況が何なのか。どうして、私はこんな場所に拉致されているのか。この手錠は何なのか、この男が何者なのか、今は何時なのか。


 何一つ情報を得られないまま、真咲は男の右手に目をやる。


 「……!」

 「ん? ああ、コレ? ただの包丁だよ。といっても、目一杯研いでるから、かなり殺傷力は高いと思うよ。……まあ、護身用ってところかな」

 「な、何が目的ですか……?」

 「……君を守る。それが俺の使命で、役割だ」


 それを聞いて、真咲は目の前が真っ暗になっていくような感覚を覚える。

 この人は、いかれてる。


 「君を守るために、今はここに隔離させてもらってる。でも、一週間したらここから出られるよ。安心して。……まあ、そのまた一週間後に別の場所に来てもらうけど」

 「……」

 「まあ、君も不本意だろうけどさ。こうして一緒にいるのも何かの縁だっていうことで。そうだ、何か欲しいものとかあるかい? なんでも言ってよ。まあ、さすがにテレビだとかエアコンとかって要求されちゃうと俺も困っちゃうけどさ。何が欲しい?」

 「……家に帰してください」


 真咲は、男の方をまっすぐ見て、静かにそれだけを告げる。

恐怖から表情は硬くなり、冷や汗を流しながら震えた声での要求だった。でも、その目だけは、鋭い意志を宿していた。


 「……ごめん、よく聞こえなかったんだけど?」

 「今すぐ、家に帰してください!」


 男は彼女の懇願を聞くと、心底がっかりしたとでも言わんばかりのため息をつく。男は歩きながら真咲に近づき、優しく諭すように言葉を放つ。


 「だからね、真咲。さっきも言ったように、君を守るために俺はこんなことをしてるんだよ。今君を外に出すことだけは絶対にできない」

 「なんで……お願い、お家に帰らせて……」

 「わがままは言っちゃいけないよ。大丈夫、一週間の辛抱だ。そうすれば、君は家に帰ることができる」


 真咲は絶望する。こんなことになるなら、あの薬をあの時に打っておけば……。

 そう思い、彼女はハッとする。


 今からでも遅くはないのではないだろうか。幸い、手錠がついているのは左腕だけだし、それも鎖につながって倉庫の真ん中の車に固定されているだけだ。注射を打つことはできる。彼女はそう考えて、あたりを見回す。確かあれは、カバンに入っていたはずだ。


 「ねえ、私のカバン、どこ?」

 「……それを聞いて、どうするの?」

 「えっと……」


 ここで焦ってはいけない。彼があの薬について、知っていないとも限らない。なるべくなら、気付かれないようにカバンごと手に入れたい。


 「……お薬の時間なのよ。だから、お願い」

 「……へえ? それは知らなかった。そうか。まあいいよ。今持ってきてあげる」


 男は優しい笑みを浮かべながら、さっきまで座っていた椅子のところまで歩いていく。その椅子の足元には、私のカバンが置かれていた。あの中に、注射をしまったんだ。


 真咲の頭の中で、一通り筋書は出来上がっていた。

 自分は糖尿病で、インスリンを定期的に注射しなければいけないのだ、と。

 昔、何かの本で読んだことがあった。といっても、推理小説とかだったような気がするし、内容もうろ覚えだったけど、今真咲が思いつく言い訳は、それくらいしかなかった。


 「はい、カバン」

 「……ありがとう」


 不用心にも、男は何も聞かずにカバンごと私の方によこしてくれる。私はそれを受け取ると、中を探す。

 確か、筆箱の中に入れておいたはず。そう思い、カバンを探すのだが……。


 「……ない」


 そんなはずはない。自分は確かに入れたはずだ。もしかしたら記憶違いで、カバンの横のポケットの中にしまったのかと何度も探すのだけど、あの金属の注射器がどこにも見当たらない。


 「どうしたの? 薬、飲まないの?」

 「えっと……見つからないの……どこかに落としたのかも……」


 それを言い訳に、もしかしたら外に出してもらえるかもしれないと思い、真咲は口を開きかけた時。


 「探してたのって、もしかしてコレかい?」


 そういって、男が見せびらかすように持っているのは、まぎれもなく自分が小百合から受け取ったものだった。真咲は焦り、何かを言わなくてはと思うが、なかなか言葉にならない。


 「真咲。嘘をついちゃいけない。うそつきは、よくない」

 「あ……う……」

 「これは、君が思っているような代物じゃないんだ。君も、君にこれを渡した子も、何もわかっていない」


 何を、と口を開きかけたが、真咲は理解する。


 この男は、小百合のことも知っている。


 小百合がこの男を知っているかどうかは問題じゃない。問題は、このいかれた男が、真咲だけでなく、小百合のこともすでに知っているということ。

 その気になれば、私のように小百合のこともどうにでもできたという点だ。


 「……残念ながら、彼女は適性が高いわけじゃない。二日後あたり、発症しているだろう」

 「? な、何を言っているの?」


 男は少し目を伏せて、それから真咲の方を見てこんなことを言い出す。


 「俺にできるのは、君を助けることだけだった。可能なら、彼女のことも何とかしてあげたかったんだけど……すでに、だめなんだ。手遅れなんだ。彼女はもう、打ってしまった。もう、俺じゃあどうすることもできない」

 「さっきから、何を言っているの? サユが手遅れって、どういうことなの!?」

 「彼女が打ったのは、薬なんかじゃない。それに、ここにあるコレも」


 そういって、男は注射器を睨み付ける。

 意味が分からない。彼は、何を言っているのか。真咲は困惑する。それに、小百合がもう手遅れとはどういう意味なのか。


 「コレは薬なんかじゃない……」


 男はもう一度そういう。では、それはいったい何なのか。その注射はいったい。


 「コレは、……ウイルスだ。『ルーイン・バイラス』という、ウイルスなんだ」


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