6.近くて遠い
「セレスティア。あなた最近元気が無いわね。何かあったの?」
「何でも無いわ、お母様。もうすぐこの国ともお別れだから、少し感慨に耽っていただけよ」
私はあの日以来、滅多に街へは出ていません。偶然リオと会ってしまう可能性が、無いとも限りませんから。あんな別れ方をしておいて、彼にどんな態度で接すれば良いのでしょう。
「あら、なんだか玄関の方が騒がしいわね。お客様かしら」
母はそう言うと部屋から出て行ってしまいました。あの街の郊外に建っているこの屋敷は、この国で療養する母のために父が購入したものです。父は母のことを愛していましたから、遠い異国の地で不便が無いように様々な条件を考えてここを選んだようです。街の喧騒は届かない距離でありながら、欲しい物があればすぐに使用人を遣わせられる立地。故国の実家に比べれば小さいものの、十分貴族の住処として立派な屋敷。母への気遣いと自身のプライドを両立させることが出来るなら、娘の望む幸せにも気づいてほしいものです。
父の考える私の幸せは、立派な貴族の男性と裕福な暮らしを送ることでした。そこに愛があろうと無かろうとどうでも良いみたいです。私にとっては、そちらの方が重要なのに。愛など後から芽生えると考えているようですが、私の容姿にしか興味の無い人をどうして好きになれるでしょうか。自分は母の容姿だけに惹かれたのではないでしょうと、泣きながら訴えたこともありますが、終ぞ父の私に対する考え方を変えることは出来ませんでした。
リオが貴族であったなら、何も問題は無かったでしょう。私が貴族でなかったなら、何の懸念も無く彼の腕の中へ飛び込めたでしょう。もしもを考えれば考えるほど、気分は落ち込んで行きます。もし、こんな性格でなかったなら。もし、私が愛を求めなかったなら。もし、
(リオと出会わなければ、全てを諦めて帰れたのに)
彼と過ごした日々は幸せすぎて、失った今は心にぽっかりと大きな穴が開いています。その穴を埋められるものは、もう一生手に入らないのです。手の届かない場所で輝きを放ったまま、ただ焦がれることしか出来ません。何度流したか分からない涙と共に忘却の彼方へと消えてくれたらと、私は窓の外へ視線を向けたまま頬を濡らし続けました。
だから、今の私はきっと酷い顔になっています。だから、誰にも見られたくないのです。
「なんで泣いてるんだ。・・・笑ってくれよ、セレス」
遠い所に行ってしまったはずなのに、いつのまにかそこに居た、太陽の王子には特に。
「なあ。明日と、あと一応明後日の二日間、俺の牧場を頼んでもいいか?」
「構わないけど、どうしたんだ?」
「街に行って、人攫いしてくる」
「はあ!? ――おい皆大変だ! とうとうリオが犯罪者になろうとしてるぞ!」
いつも街に行く時には、牧場の世話を村の人に頼んでいた。それは仕事が理由だから、自分の都合でお願いするのは初めてだ。いつになく真面目な顔で頼みに行ったら、言い方が悪かったせいで変な騒ぎになってしまった。
セレスに求婚しに行くのだから、意味としてはだいたい合ってると思う。彼女を親元から連れ去って、俺のものにするのだから。どんなに邪魔されても拒まれても諦めないつもりなので、あちらからしたら俺は相当な悪者だ。昔から俺は負けず嫌いで、手を引くということが出来なかった。今回だって、負けたくない。
「というわけで、俺は絶対帰らないからな!」
「ええい、いい加減にしろ! 面会の約束も無い庶民を、お嬢様に会わせるわけがないだろう!」
ただ今俺はセレスの屋敷の門まで来て、使用人と壮絶な戦いを繰り広げている真っ最中だ。あれこれ考えたけど、馬鹿な俺では正面から乗り込む以外の方法が思いつかなかった。案の定門前払いされたがとにかく粘る。門にしがみ付く目つきの悪い男なんて、まさに犯罪者そのものだが知ったこっちゃない。そんな俺のプライドも何もないやり方を見かねたのか、運は俺に味方してくれた。
「まあ、騒がしいと思ったら。どなたかしら?」
現れたのは銀髪の女性。セレスに良く似た容姿のその人は、話に聞いていた母親に違いなかった。
「俺はリオって言います! すみません、セレスと会わせてください!」
突然の登場に使用人たちが狼狽えている隙に、俺は自己紹介と要求を簡潔に叫ぶ。目を丸くしていたその人は、少し考えるような素振りを見せた。使用人たちは奥様の登場にとうとう実力行使を決意したのか、裏から回って来た数人が俺を引き剥がしにかかる。羽交い絞めされてもなお門を掴んだ手は離さない。更に俺はその人へ畳みかけた。
「伝えなきゃいけないことがあるんです! 国へ帰る前に、もう一度会わせてください!」
必死で訴える俺をその人はじっと見つめて来る。いい加減手が疲れてきた頃、ようやく口を開いてくれた。
「リオさんを中へお通しして。その伝えるべきことを、まず私がお伺いします」
奇跡としか言いようが無かった。使用人たちは奥様の命令には逆らえず、苦い顔をしながらも素直に俺を解放し、門を開けてくれた。
あと少し。ほんのすぐ近くの見えない所に、月の乙女はいるんだ。