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3.幸せな日々

 俺は初めて会った日以来何度目かの彼女とのデート――この言葉を絶対に口にはしない。顔から火が出そうになるからだ――のために、再び街へ来ていた。いや、本当は俺が仕事で街に来る日に合わせて会っているんだが、彼女に会えるのが嬉し過ぎて順番が逆になる勢いである。別に手を抜くつもりは無いが、代金を誤魔化されでもしたら村の皆に迷惑がかかるので、今朝見送ってくれた村長にも浮かれすぎるなよと釘を刺されてしまったぐらいだ。俺の仕事は家業である小さな牧場の経営と、村の特産品なんかを街で卸したり街でしか買えない物を村に持ち帰ったりすることだ。月に二、三度の街と村の往復は、途中魔物や野盗に襲われる危険性があって以前は少し嫌いだった。でも今は彼女に会えると思うと俄然やる気が出て来る。まさか自分がこんな風になるとは夢にも思わなかった。

 俺は家畜を家族に、仕事を恋人にして生きて行くんだと思っていた。異性として意識すると途端に恥ずかしくて接し方が分からなくなるせいだ。22歳の現在では村中に奥手で初心という認識が浸透し、見た目の凶悪さに反して可愛いなんて言われる始末。最早俺を異性として扱ってくれる村の女性はいない。可愛い弟、面白い友人、面倒見の良い兄。そのどれかにしか俺はなれなかった。

 でも、彼女だけは違った。敬語を止めて、愛称で呼ぶようになって、友人関係から――恋人になった彼女だけは、俺を本当に愛してくれた。

「リオ! 遅くなってごめんなさい。今日の服に悩んでいたら、いつの間にか時間になってしまったの」

「いや俺も今来たところだ。・・・えっと、今日も、その、セレスは、―――――きれい、だな」

「ふふ、ありがとう。出来れば目を見て言ってほしいけれど」

 俺と会うことを楽しみにしてくれる。好きだと言ったら恋愛の意味で受け入れてくれる。気の利いた言葉もまともに言ってあげられないのに、喜んでくれる。誰もが振り向くような美人の隣に、汗と泥で汚れた俺が立つのは不釣り合いだ。それなのに嫌な顔一つしないで、あまつさえ、

「恥ずかしくても、私のために褒めてくれる。リオほど優しくて素敵な人はいないわ」

なんてことを、言ってくれるのだから。俺はもうこれ以上何もセレスに望めない。こんな良いひとに、これ以上何を望むと言うんだ。

「幸せすぎて死にそう・・・」

「まあ! それを言ったら私なんて何度天に召されたか分からないわよ。さあ行きましょう、もっともっと幸せな時間を過ごすために」

 この時間が永遠であってほしいなんて我儘を、こんなに幸せな俺が願うことは贅沢すぎるような気がする。


 今日のお目当ては街の広場で行われる移動サーカス団のショー。私はリオと一緒に居られるだけでも十分ですが、彼が私を喜ばせようと一生懸命考えて連れて行ってくれる場所は興味深いものばかりでした。今日のサーカスも私は小さい頃からもっと規模の大きいものを何度か観てきましたが、今までで一番楽しんでいました。

「見て、リオ! あの芸って私も練習したらできないかしら?」

「さすがに練習しないでくれ、危なすぎる。・・・セレスは良いとこのお嬢さんなのに、あんな事をしたがるから驚くな」

 私の家は少し前までそれなりに栄えていた貴族の家柄です。今となっては全盛期の面影は無いものの、過去の栄光にしがみ付きプライドだけは高いままでした。父はその典型で、兄や姉も一族の血を色濃く受け継いでいました。唯一外から来た病弱な母だけが、一族の虚栄を嫌悪した私の味方。しかし床に臥せっていることの多い彼女を困らせたくはありません。だから私は不満を燻らせながらも、表立って反抗することはありませんでした。唯一父に逆らったのは、年頃になった貴族家の娘の義務として、他の貴族家へ嫁ぐよう縁談を持ちかけられた時だけでした。家を継ぐのは兄だけで十分なので、私は財力や権力のある貴族との繋がりを作るためだけの道具でした。幸いダンスパーティなどで私に興味を示してくれる人はいたので、選択肢には困りませんでした。

「あら、貴族らしくお澄まししている方が良いの?」

「まさか。セレスが一番楽な態度で居てほしい」

 愛の無い結婚。容姿だけしか見てくれない夫。お金には困らずとも、心は不自由な生活。それらに私が耐えれば良いだけの話でした。実際はお察しの通り、淑やかさとは縁の無い私にはとても受け入れられるものではありませんでした。言い寄る人々を悉く煙に巻き、わざと淑女らしからぬ態度を見せ、婚約の話を持ちかけづらくなるよう必死で工作してきました。当然父は怒りましたが、愛する母が私の援護をしてくれたため、これまではどうにか有耶無耶にすることができていました。しかし20歳の秋、母が気候の穏やかな異国で療養することになり、状況は再び悪くなってしまいました。唯一の味方が傍に居なければ、父は強引に結婚まで進めようとしてくるでしょう。

「良かったわ。私、大人しくしているのって苦手なの」

「・・・家に戻ったら、また大人しくしないといけないんだろ。だったら、俺と居る間だけでも羽を伸ばしてくれ」

 この国に私が居られるのは半年間。春になったら故国に戻り、それまでに結婚相手が見つかっていない場合は、父の決めた相手と結婚する。その条件が父の最大の譲歩であり、この半年が私に与えられた最後の自由でした。

「リオ、私ね・・・あなたと居られる今が、一番幸せよ」

 これが私の最初で最後の恋になるでしょう。こんなにも愛してくれる人と出会えただけで、私は十分幸せ者でした。今この時が永遠に続いてくれれば良いのにと願うのは、我儘が過ぎると言うものです。


 いつか終わる恋の歌。その全てを幸せという音で満たせるのなら、それでも良いと二人は歌う。無情に過ぎ行く時間を惜しむかのように、彼は彼女に逢いに行く。幸せの全てを逃すまいとするかのように、彼女は彼を見つめ続ける。

 二人が願う永遠を、叶える手段は見えている。けれどもそれを手に入れるには、多くの対価が要求される。彼が支払う犠牲は大きすぎて、彼女が失うものは尊すぎた。互いにそれを課すことは、愛し合うが故に出来なかった。

 幸せな日々の終わりまで、二人は今以上を求めない。幸福の音を一つでも多く並べることで、来たるべき終焉まで不幸の音など混ざらぬように。自らの手で不協和音を作るなど、この時は欠片も考えることは無かった。


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