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ダメ係長

作者: 山中幸盛

 名倉憲也の職場に、いかんともし難いダメ係長がいる。彼は明るく生真面目な性格で行動力もあるのだが、いかんせん一生懸命やればやるほど職場を混乱させてしまうのだ。

 憲也は彼のことをアスペルガー症候群と確信している。おそらく、広汎性発達障害(自閉症スペクトラム)の中でも知能が高く、記憶力が優れているから係長試験を易々と合格してきた人なのだ。仮にそう『診断』すれば彼の行動がすべて納得できる。例えば、最近でもこんなことがあった。


 憲也が昼休みに弁当を食べ終えて汁椀とマイ箸を洗いに行くと、彼が弁当箱を洗っていた。すると彼は「どうぞ」と体を横にずらして場所を空けてくれた。そして黙々と自分の弁当箱を洗い続ける。「どうも」と憲也は蛇口をひねって汁椀と箸をお湯で流したが、いかんせん洗剤をつけるスポンジが一つしかなく、そのスポンジは彼の手にしっかりと握りしめられている。普通ならスポンジごと譲って「どうぞ」と言うべきなのに、彼はそのことに気づかないのだ。

 このことは、「相手の立場で物事を考えられない」「相手の気持ちが解らない」という自閉症者の特質に符合する。


 また、同僚の一人からこんな話も聞いた。彼は係長なのだから、部下が余分な超過勤務手当を請求しないように睨みを利かす立場にある。ところが彼は自身の超過勤務手当を臆面もなく請求する。雑談で盛り上がって遅くなった場合など、部下は遠慮して申請しないのに、自分は「定時を過ぎれば残業」とばかりに厚顔無恥に請求する。

 この場合、おそらく彼がまだ駆け出しの若い時代に日本の景気が良くて、上司から「残業は遠慮しないでつけていいよ」と言われたことがあり、それを現在に至るまで律義に守り続けているに違いないのだ。その上司の言葉を邪念なくストレートに聞き入れ、頑なに実行しているにすぎないのだ。

 自閉症を理解するのにしばしば用いられる極端な例として、忙しいから「手を貸して」と言われた際に「はい」と大まじめな顔で手を差し出したり、「ちょっとお鍋を見ててね」と言われて、吹きこぼれる鍋をじっと見つめ続けたりする。いずれも、頑なに言いつけを守っているのである。

 そこで大切なのは、彼には発達障害がある、と認めてあげることだ。例えば、足に障害がある人に対して「もっと早く歩けバカヤロー」などとは誰しも怒らないのだから。

 しかし悲しいことに、彼に障害があることを誰も知らない(もしかしたらご本人も知らない)。よって、彼が職務を果たせない分を他の係長が補わねばならず、部下からも愛想を尽かされて同じ職場に留まることができずに転勤人生を歩んでいる。


 そして三月最後の週に辞令が下りて、やはり彼はまた今年も転勤だ。この人事は半年ほど前に、堪忍袋の緒が切れた所長が本社に怒鳴り込んで行って「あんな役立たずはいらんから首にしろ」と騒いだ結果なのだ。

 普通なら、彼が転勤して行くことを職員に紹介するものだが、所長にそのような「一人前扱い」をする気はさらさらない。ところがご本人はなぜ自分が邪魔者扱いされているかまるで分かっていないので、昼休みに、悪びれることなく話し始めた。

「お食事中のところをすみません。このたびの人事で豊橋工場の製品管理課の方へ移ることになりました。一年という短い期間でしたが、お世話になりました」

 これを見た係長の一人が慌てて所長を呼びに走った。ところが所長は彼の異動のことについてはひと言も触れず、四月から入ってくる新入社員のことを少し話しただけで引っ込んでしまった。この一事だけを見ても、よほど腹に据えかねていたことが推察できる。


 立つ鳥跡を濁さず、という格言があるが、彼は最後の最後に、またアスペルガー症候群らしさを見せつけてくれた。

 これまで職場では一食四百円のAランチサービスから弁当を取り寄せていた。そこにBランチサービスが介入してきて三百五十円で提供するという。三月末日の二日間を試食として無料で食べられることになり、その二食分のレシピが貼り出された。転勤していくその係長がしたり顔で言った。

「豪勢だなあ。『青菜とちくわのオイスター和え』と『白身魚とキノコのタルタル焼き』と『鶏もも肉のスパイス焼き』だなんて、こん調子で毎日出し続けたらすぐに倒産しちゃうよね」

彼は躊躇することなく、注文個数を取るための用紙に、自分の名を堂々と記入したのだった。

                     (文芸同人誌『北斗』同人) 



* 東海志にせの会 「あじくりげ」2011年6月号 『味・ショート・ショート』に掲載

*「妻は宇宙人」/ウェブリブログ  http://12393912.at.webry.info/ 



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