Xmas前の穂波家
「さて、母さん。ここからが本番だ」
深夜零時。穂波家リビング。
明かりは小さな電球一つを頼りに、父親と母親は顔を見合わせていた。
真剣な表情の明人に対し香織は緑茶を片手にほほ笑んでいる。
また父親が馬鹿なことをやって、それに母親が付き合っているということは子供達はキッチリ確認済みなので、わざわざ部屋を暗くして秘密っぽくする必要は既に無い。
「プレゼントは何がいいだろう」
「アラ? サンタさんは実在するんじゃなかったんですか?」
サラリと緑茶をすすりながら香織は尋ねる。
「も、もももも勿論居るとも。しかし、サンタの奴にあらかじめ息子が何を欲しがって居るのか言ってやらないと、サンタの奴は分からないだろう? なんたって、まさちゃんと音羽ちゃんの親は俺達なんだから」
しどろもどろになりながらも、何とか冷静さを保とうと明人はやたらと早口で話す。
基本的に子供に対する姿勢というか、教育方針以外は殆ど全てそつなくこなすデキる男が香織の夫なのだが、今のところはこの欠点も香織の中では萌えポイントとなっているので問題はない。
天は一人の人間に大量の長所を与えることはあるが、欠点を一つ作ることは忘れないらしい。
「音羽ちゃんはまぁいいとして、問題はまさちゃんだ!!」
ギンッと鋭い眼光でとんでもなくしょうもないことを真剣に話す明人。
この目で居抜かれたら、そこらの女は一瞬で墜ちそうだが、墜ちようが墜ちまいが本人にとっては至極どうでもいいことと処理されてしまうらしいので、浮気やら不倫やらを心配しなくていい香織は非常に安心だ。
「母さんは何かいい案はないか? ちなみに俺はプレステ3を買ってやろうかと思っているのだが」
「それなら将人はもう持ってますよ」
「えぇ!? そうなの!?」
重ねて言っておくが、仕事は非常に優秀な男である。
「そうですねぇ……」
一応律儀に、香織は思考を巡らせる。
とはいっても、自分は普通の専業主婦だし、息子の将人も普通の高校生だ。
この年頃の息子と母親はお互いに何を考えているのか分からないのが世の習いだし、その例に漏れずに香織も将人の欲しいものなど知らない。別段仲が悪いわけではないし、将人はどちらかと言うと親に反抗するタイプでもないのだが、異性ということもあって、母親であっても分からないことはあるのだ。
と、ここでふと。香織の頭を何かがよぎる。
そういえば最近、息子がサラリと報告してきたことがあった。
「そういえば、将人、彼女が出来たらしいですよ?」
ズズ~--…っと香織の緑茶をすする音が通り過ぎる。
そして、その後。
「えええええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!?」
流石に深夜の絶叫は近所に悪いので、すかさず香織が明人の口をふさぐ。
明人の口の中で響く音だけでも十分騒音だが、明人が発声する前から香織が口を塞ぎに行く辺り、夫婦の阿吽の呼吸が感じられる。
「ききききききき聞いてないぞ!!?? 何でそんな大事なことをお父さんに報告しなかったんだまさちゃんめ!! そういった大事な報告は真っ先にお父さんにしなきゃダメじゃないかぁぁぁぁぁぁああああ!!!」
あぁ成程だから報告しなかったんだな。という言葉は可哀そうなので香織の胸の奥にしまわれる。
一気に興奮のボルテージが最高潮にまで達した明人は、鼻息荒く香織に「それで!? それで!?」と詰め寄る。
息子に彼女が出来たことはどうやら喜ばしいことらしい。
面倒なので「詳しくは本人に聞いてください」とバラすだけバラして事後処理は息子に丸投げする。
「そうかそうか…ついにまさちゃんにも彼女が出来たかぁ…この色男めぇ…うらやましいぞぉ…ハッ!! 待てよ、もしかするとまちゃんがその娘を連れて家に来る機会があるかも知れないのか!? 母さん!! 結納の準備だ!! 幾らぐらい包めばいいんだっけ!? 給料三カ月分だっけ!?」
「色々と間違ってますよ」
そういえば、この男と結婚するのも大変だったなぁ…と香織はしみじみと緑茶をすする。
香織と明人は社内恋愛から結婚に至ったが、この男ときたら鈍感なクセに社内の女性社員に無意識のフラグを無造作に立てまくるというやたら迷惑な男であった。香織とは純粋な恋愛だったが、なまじ仕事が出来るだけあってフラグを回収しにくる女性社員率が異常に高くその中にはは既成事実を作ってしまえばコッチの者、という過激派も混じっていたので迎撃が大変であった。
ちなみに、既成事実を試みた女性社員もこの男が『鈍』という字を三乗したぐらい鈍感だったので全て未遂に終わり、その後香織の手によって殲滅されている。
願わくば将人にはその遺伝子が受け継がれていないのを切に祈るばかりだ。
父親から造りの良い容姿は受け継いでいるが、フラグ体質やらなんやらは受け継いでいないようなので今の所は安心である。
もっとも、父親を反面教師に子供達はスクスクとしっかりした子に育っているのは父親に感謝だ。
「ん?………ちょっと待てよ母さん」
「はいはい何ですか?」
結婚して二十年近くたっても全く飽きない夫に、妻は優しくほほ笑みかける。
それに対して、アラフォー(40近く)を盛大に通り過ぎてアラカン(還暦近い)の明人は少年のような笑顔で立ち上がった。
「お父さんは良いプレゼントを思いついてしまったぞぉぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!!!!」
「声のボリューム落とせぇぇぇぇええええええ!!!」
二階の将人の部屋から、遠距離の突っ込みが入る。
息子が突っ込み役だと本当に楽だなぁ…とまた緑茶をすする母親であった。
◇◇◇◇
というわけで、クリスマスイブ当日、である。
二十日から四日間、何があったかはこの際将人の記憶から綺麗サッパリ消去したものとして、将人はこの日の朝を迎えた。
クリスマスイブと言えば、幼い頃はその日の朝が最大のイベントであって、サンタさんは何をプレゼントしてくれるのだろうか、と前日の夜からの待ちに待った瞬間がその日の朝と言うことになる。
もっとも、将人は父親には悪いが、全世界子供平均の中では比較的早い段階でサンタさんの存在を看破していたのだが、それでもプレゼントを貰えるということはドキドキワクワクするイベントだったことに違いはない。
とはいっても将人も今年で十八歳。
ベットからゆっくりと起きても、ドキドキもワクワクもするわけではなく、クリスマスイブの朝にこれと言った感想はない。
青年へと成長した将人にとって、クリスマスイブの朝よりも『彼女』と言う存在と一緒に過ごすことができる日中の方が重要度は断然高いのだ。
いつもと変わらず、部屋のカーテンを開けて外の光を取り入れる。
すると、目に飛び込んできた光景は、少し将人の気分を良くするものだった。
「ホワイトクリスマスイブか…」
窓の向こうには、一面の白銀の世界が広がっていた。
辺りの住宅街の屋根は全て真っ白な雪に覆われ、山も空もゆらゆらと降る雪で白く染まっている。
「いい日になりそうだな…」
前日までは色々色々色々とあったが、こうして無事にこの日を迎えることが出来て良かったと思う。
「さて、その前に一つ、やらなきゃいけないことがあったな…」
ハァと、深いため息と共に盛大に肩を落とす。
四日前に父親と約束してしまったがために、将人は今年高校三年生にも関わらずベットの近くにくくりつけられた巨大な靴下の中身を確認して、贈り物を受け取らなくてはいけない。
贈り物自体は嬉しくなくもないのだが、これが友人にでもバレようものならきっと爆笑されて二・三日ネタにされること請負だ。
嫌々プレゼントを貰うというのも珍しい状況だろうに。
ちなみに、ベットの近くに括り付けられた巨大靴下は勿論将人が用意したものではなく、いつの間にか括り付けられていたものだ。わざわざ靴下を吊るすだけなのに、壁に釘を打ち込むのは止めて欲しいと切に願う。
ゴソゴソと、毛糸で出来た靴下に手を突っ込む。
将人の予想に反して、靴下の中に大きな物は入っていない。
「ん~?…よっと」
突っ込んだ手に、小さな紙のようなものが当たったのでそれを取り出す。
「紙? 意外だな…」
取り出した紙はメモ用紙程度の小さな紙。
親父…もとい、我が家のサンタはもう少し子供っぽい贈り物をすると思っていた。
何となくプレステ3とか贈ってきそうだと思っていたのだが、それは将人は既に持っているので流石に親父…もとい我が家のサンタも確認していたのだろう。
とりあえず、二つ折りにされた小さな紙を開く。
『親愛なる将人君へ。残念ながら、今プレゼントを渡すことはできない。だが安心してほしい。明人くんの息子である君には特別なプレゼントを用意してあるよ。楽しみに待ってなさい。 サンタクロースより』
「…うわ~~サンタさん日本語巧いんだね~そんでもって書道でも習ってるのかなぁ?」
感想はだいぶ棒読みになっちまう。
それもそのはず。サンタクロースからの直筆の手紙は漢字も含めた完ぺきな日本語で構成されており、例えそこに目を瞑ったとしても、その直筆の手紙が見事な毛筆で達筆な字で書かれていたら、将人はどう取り繕えばいいのだろうか。
あまりのお粗末さに将人はかつてないほど肩を落としに落とす。
「何で仕事出来るのに、家ではこんななんだ…」
建前上、これはサンタクロースからの手紙であって、父親からの手紙ではない。
しかし、分かってはいても息子として何かこう湧き上がる感情を抑えることが出来ない。
そんな感じでメモ用紙を片手に握りしめながらワナワナと震えている将人の背後で、ガチャリとドアが開く。
そこから顔を出したのは、呆れた顔の音羽だ。
「お兄ちゃん。朝っぱらから隣の部屋から独り言が聞こえるってのは気持ち悪いと思わない?」
「ザックリ刺さることを言うな」
妹の歳に似合わない皮肉っぽい物言いに慄く。
更に肩を落とす将人のもとに、呆れた調子を崩さない音羽は近づいてメモ用紙を取り上げた。
そして、眉間にシワを寄せると深く深くため息をつく。
「…………酷いね」
「分かってくれるか妹よ」
「いや、酷い酷いとは思ってたけどここまでとは…」
「俺、そろそろキレてもいいかな?」
「寧ろ、ここまで律儀に付き合ってるお兄ちゃんが不思議でならないんだけど…」