第98話 玄冥原の戦
出陣の時が近づき、陣幕の周囲は慌ただしさを増していた。
魂を抜かれた兵士を乗せるための星馳が、生門前に横付けされる。
救護班の医師や看護師は白の神軍の衣をまとっている。
学術院の生徒も混じっていたが、皆、真剣な眼差しで機敏に動いていた。
(たしかに……私が星馳に同乗すれば、足手まといになるだけね)
私は紗良に声をかけた。
「救護班は無防備だから、神器の神軍の衣を着ているのね」
紗良は静かに頷き、答える。
「うん。許都遠征の頃は兵も少なかったから、皆に支給していたけど、今は救護班と幹部だけなんだ」
「ふうん……もう“誰も傷つかない兵士”というわけにはいかなくなってきたのね」
その時、陣幕から小喬と周妃が姿を現した。
私たちに気付いて手を振る。周妃はロックモービルに乗り込み、小喬だけが近づいてきた。
「星愛さま、これが今日最後の出陣になりますね」
小喬は笑顔で声をかける。私も笑顔で頷き、救護班の様子を尋ねた。
「怪我をした者や、魂を抜かれた者はいませんか?」
小喬は静かに頷いた。
「神軍の衣のおかげで、皆無事です。怪我もなく、魂を抜かれた者もいません。精一杯頑張っています」
「それは……良かった」
その時、モーターの甲高い回転音が響き、ロックモービルと星馳が休門へとゆっくり動き出した。
周妃が笑顔でこちらを振り返り、手を振る。私たちも笑顔で応えた。
手を振りながら、小喬が小声で漏らす。
「本音を言うとね……笑顔を見るのがこれで最後かもしれないって思うの。だから、この瞬間が一番嫌なの」
私は何も言えず、小喬の手を握ることしかできなかった。
小喬がロックモービルに跨り、離れていく周妃を見てぽつりと言った。
「ホントに嫌なものね。こうやって送り出して、目の前で周循が戦い、周妃は命を救うために走り回っている……。
何度、一緒に戦えたらどんなに楽だろうと思ったことか」
小喬と繋いでいる手に力が入る。
「私も、戦場で手伝いたいと何度思ったか……。
武器を持って戦ったこともないし、足手まといとまで言われました」
小喬が私の肩に頭を預けてきた。
少し身体が震えていた。そっとつないだ手を離し、肩に手を回した。
「でも、小喬さんには医師としての役割があり、私にも灯をともす役があります。
辛いけど、私たちは戦場に立つことは許されないのです」
私の肩で頷くだけの小喬だった。
私は、この空しい戦を一刻も早く終わらせたいと思った。
やがて、左右に張られている陣から大きな声と足踏みが響いた。
声と足踏みは周りの山々に反響し、空気を震わせる。
小喬がぽつりと呟く。
「嫌な時間の始まりよ」
一瞬の静けさの後、兵士たちの鬨の声が上がり、モーターの甲高い音が戦場に響き渡った。
先端が鏃の形を成したジャイロバイクの集団が突き進む。
風に靡く『徐』の旗印が休門側の敵陣に突き刺さり、切り裂いていく。
その後に槍を持った歩兵が列を成して続き、切り裂かれた敵陣の残兵を掃討していく。
後方には救護班の星馳とロックモービルが控え、それを囲むように槍部隊が展開し、まるで矢の羽根のように後方を守り固めていた。
華蓮の銀糸を仕込んだ剣や槍に斬られた冥迷邪鬼たちは英霊へと戻り、やがて銀の粒子となって天へ昇っていった。
鏃の先鋒が次の生門で構える冥迷邪鬼の陣の後方を切り裂いていく。
「まだまだー!」「押せー!」「うぉー!」
生門で陣を張っていた冥迷邪鬼たちが、結界の外から見ていた私たちに一斉に背を向け、自陣へ切り込む先鋒の鏃に向かって動き出す。
目の前で繰り広げられる混戦。
私たちがいる生門の陣前の結界の中は、土煙と兵の声が空気を震わせ、地を揺らす。
灯火から溢れる蓮の香りに、風に乗ってきた土煙が絡み合い、鼻を突いた。
小喬は私に身体を預け、震えながら戦況を見守る。
孫尚香は切り込みたい衝動を抑え、朱纏の槍を握る手に力を込める。
紗良の月弓を持つ手は震え、碧衣と琥珀は手を繋ぎ、真剣な表情で戦況を見守っていた。
皆が静かに戦況を見守っていた。
冥迷邪鬼の槍が兵を貫くと、血ではなく魂が抜け出る。
膝から崩れ落ちた肉体が、混戦の戦場に散見された。
自軍の兵と冥迷邪鬼の間をすり抜けるように走る救護班のロックモービルとジャイロバイク。
白い神軍の衣を纏い、戦場を駆け抜けながら倒れた兵士を救い、星馳へと搬送していた。
そしてまた、混戦の中、救護班のロックモービルとジャイロバイクが倒れた兵へ向かって駆け抜けていった。
「あっ、周妃!」
思わず声をあげる小喬。
ジャイロバイクにぴたりと張り付き、周妃が操るロックモービルが続く。
右へ左へと体重を移し、車体を傾けながら乱戦の兵を躱し、倒れた兵へ近づいていった。
両手を胸の前で祈るように組み、じっと見守る小喬。
ジャイロバイクとロックモービルが兵の横に停車すると、近くの兵が援護に入った。
周妃と兵士が飛び降り、二人で兵を抱え後部座席に縛り付ける。
その時、援護の兵の守りをすり抜け、冥迷邪鬼の槍が周妃の胸へと伸びてきた。
「しゅうひー!」
声を張り上げる小喬。手を伸ばし走り出そうとする肩を、私は抑えた。
槍が周妃の纏う神軍の衣に届くと、衣はほのかに輝き、槍を弾き返した。
すかさず援護の兵が冥迷邪鬼へ槍を突き刺す。
その瞬間、冥迷邪鬼は英霊の姿へと変わり、やがて銀色の粒子となって消えた。
周妃は再びロックモービルに飛び乗り、星馳を目指して混戦の中へと消えていった。
小喬は娘の背中を目で追い、唇をかみしめていた。
「進軍を止めるな、押せ、押せー!」
ジャイロバイクの上で剣を振りかざす徐庶の姿があった。
混戦の中、徐庶の旗印は一本も倒れず、堂々と前進を続けていた。
やがて鏃が開門に構える敵陣へ届き、激しくぶつかり合う兵士たち。
死門の前で構えていた敵陣が、開門の混戦に加わるように動き出す。
その動きを見て、徐庶がニヤリと笑った。
「いいぞー!このまま死門の兵を引き寄せ、一気に抜けるぞ!我に続け――!」
「ウォー!」
徐庶の鼓舞に応えるように兵士たちが声を上げる。
一方、池を挟んで構える生門の敵陣では、浄化された数だけ冥迷邪鬼が静かに湧き出ていた。
湧き出た冥迷邪鬼は、休門、傷門、開門へと静かに移動していく。
その数を数えていた兵が声を上げた。
「千を超えました!」
私たちは顔を見合わせて驚いた。
「片道で千の兵を削るなんて、往復だと二千ね」
私が言うと、紗良が続けた。
「今日は往復の突撃が四回、今の突撃を合わせると九千の兵を削った計算になるね」
碧衣が驚きの表情を浮かべる。
「この後の総攻撃で少なくとも一万は削れると思う……今日一日で二万前後の冥迷邪鬼を浄化することになりそうね」
私は生門から生まれ続ける邪鬼を見ながら口を開いた。
「敵は五万の冥迷邪鬼がいるみたいだから、一日で四割を浄化することになるのね……」
そんな話をしていると、遂に徐庶隊の鏃が開門を突破した。
「ウォー!」
玄冥原を震わせる徐庶隊の鬨の声だった。
しばらくすると開門から、負傷者を乗せた星馳が到着した。
先ほどまで私に寄り添い戦況を見守っていた小喬の表情が変わる。
「星愛さま、ありがとうございました。もう大丈夫です」
そう言って星馳を迎え入れる小喬。そこには母ではなく、医師としての小喬が立っていた。
星馳からは次々と戦場で倒れた兵士が運び出されてくる。
「ねえ、華蓮が言っていたことは本当ね。怪我はないのに、みんな人形みたいに動かない……」
私がそう言うと、紗良が頷いた。
「うん、目は見開いているけど、胸は上下しているから呼吸はしているね」
簡易の寝床に運ばれる兵士へ駆け寄り、身体を維持する処置を施す小喬と救護班。
私たちは邪魔にならぬよう端の陣幕へ移動すると、中から劉明が現れた。
「あ、星愛さま!」
劉明が抱きつき、頬を寄せてくる。
紗良が咳払いをして諭すように声をかけた。
「劉明、ここは戦場です。そのような行動は……」
劉明は驚いた顔で珍しく反論する。
「でも、私は星愛さまの側使いとして働いていた時から、いつもこうやって挨拶していました。紗良様が一番ご存じでしょう?」
戦場の空気がそうさせているのか、二人のやり取りはいつもと違って見えた。
「ねえ、劉明、周りには苦しんでいる人が多いの。少し控えた方がいいと思う」
私がそう言うと、劉明は渋々離れた。
碧衣が頭を抱え、愚痴をこぼす。
「星愛の周りの女性ときたら……ここに曹英がいたらどうなることやら。紗良はさっきの小喬さんの行動が気になっているのかな?」
(えっ、碧衣もいつもより攻撃的になっていない?)
紗良は頬を朱に染め、言葉を失っていた。
(碧衣も戦場で不要だと言われたことが心に残っているのかもしれない)
私は自分の心のしこりを確かめるように胸に両手を当てた。
(うん、しこりはない……大丈夫。そういえば華蓮様はどうしたのかしら、天空の銀龍もいないし……)
「ねえ琴葉、華蓮様はどうしたの?」
誰にも聞かれぬように耳元で囁く。
「華蓮様は仕事が残っているって言い残して、襄陽に帰ったよ……ああ見えて、襄陽のことをしっかり取り仕切っているんだ」
私は驚いて琴葉を見たが、これ以上騒ぐと問題の種になりそうなので胸の奥にしまった。
やがて徐庶隊の兵の入れ替えが終わり、休門と開門から鬨の声が上がる。
「ウォー!」
七千の兵士の声が山々に反響し、空気を震わせた。
左側の休門前の龐統、右側の開門前の孫瑜と徐庶の手が上がると、兵士たちは静まり返る。
玄冥原の台地には蜩の声だけが残っていた。
左から龐統の太く低い声が響く。
「今日が最後の出陣だ。鶴翼の陣で奸臣趙高を包み込み、英霊たちの無念を叩き込むぞ!」
「ウォー!」
龐統が剣を抜き天高く掲げると、一斉に静まり返った。
右からは孫瑜のやや高く、落ち着いた声が戦場に広がる。
「最後の出陣だ。英霊の無念を背負い――奸臣趙高を討ち果たす!」
「ウォー!」
孫瑜が剣を抜くと、傾きかけた陽が剣に反射した。それを合図に、両将が同時に剣を前へ突き出し声を上げる。
「「押せー!」」
「ウォー!」
いち早く動き出したのは両翼に配置されたジャイロバイク隊だった。
甲高いモーター音を響かせ、土煙を巻き上げながら瞬く間に趙高の陣を取り囲む。それを見た趙高側の死陣が、孫瑜側の鶴翼の翼めがけて動き出そうとした。
刹那、徐庶の渋みのある声が戦場を震わせた。
「これが決戦だ。奸臣趙高に、我らの刃と英霊の魂を刻み込め!
我に続け――!」
「ウォー!」
先鋒の陣の鏃がいち早く、翼と陣の間へ切り込んでいく。
龐統と孫瑜の声が響き渡る。
「押せ、押せ――!」
槍を構えた兵で構成される鶴の胸が、中へ中へと押し出していく。
徐庶は長年の軍師としての経験から、その様子を背中で感じ取り、声を張り上げた。
「八門金鎖が崩れたぞ!我に続け――!」
先鋒の矢が縦横無尽に死・景・杜・驚の陣を切り刻んでいく。
やがて龐統隊と孫瑜隊の二羽の鶴の翼が固く結ばれ、羽根を閉じるようにその範囲を狭めていった。
そして孫瑜が声を張り上げる。
「孫瑜隊は我に続け――!」
五本の『孫』の旗印が左右に広がり、死・景・杜・驚の陣へ向かって横並びになり、兵たちも列を揃える。
「押し上げろ――!」
孫瑜の声が高らかに響き渡り、列を乱さずゆっくりと押し上げ、冥迷邪鬼の掃討にかかった。
前方では徐庶隊の矢が敵陣を乱し、『徐』の旗印が駆け巡っていた。
龐統の隊は生の陣を取り囲み、湧き出る冥迷邪鬼の掃討にかかっていた。
赤く波打つ結界に夕陽が照らし、さらに赤みを増していく。
結界の中では銀の粒子が砂嵐のように舞い上がり、夕陽を受けて赤く燃え立っていた。
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