第97話 戦場での役割
青い空に、標高の高い山からの爽やかな風が白い陣幕を吹き抜け、清々しい午前のひと時を運んでいた。
その下で、女神たちはお茶会を楽しんでいた。
そして、私と紗良と碧衣は、橋梁下の戦の行方が気になっていた。
琴葉は、前に座る新たな女神たちが気になって仕方ないようで、両肘をつき、にこにこと女神を見つめていた。
妃良が私の方を向いて声をかける。
「星愛は理解できないと思うし、理解する必要もないけれど、あなたがいたおかげで今回の策は成功したわ。ありがとうね」
私は疑問を口にした。
「ゼウスっていう叔父さんが、私のこと姉って言っていたけど……本当なのですか」
芳美が静かに近づき、首に手を回して私の頭に頬を寄せながら呟いた。
「本当に困った叔父さんよね。
星愛は、たった一人の私の大切な子。他に兄弟なんかいないわよ」
私は静かに頷いたが、もう一つの疑問を尋ねた。
「でも、ゼウスって妃良様の夫であり、理沙様の夫でもあるのでしょう?」
妃良は優しく諭すように答えた。
「男神にはね、妄想という神能があるの。
妄想を百回繰り返せば現実になると信じているのよ」
芳美が私を後ろから抱きしめながら教えてくれた。
「その妄想は、私たちのような高位の女神には通用しないの。
それに、星愛は私が作り上げた、大切な人の子。私の子供は星愛だけよ」
理沙が最後に付け加えた。
「女神はね、特別なの。
一人でも子をなすことができるし、触れた物から子を成すこともできるのよ」
妃良が頷いた。
「男なんかは不要の長物。争いの種にしかならないわ」
私にとって母は絶対の存在で、その母の温もりを感じ、安心からか話をすべて受け入れた。
「そうなんだ。神能の妄想があんな発言をさせたんだ」
私の言葉に紗良、碧衣、琴葉は顔を見合わせ、静かに頷いた。
―――――
私は橋梁の下に広がる戦場へと目を移した。
華蓮の話では、先鋒の陣で休門と開門の間を往復しながら突撃を繰り返すという。
そうして冥迷邪鬼の数を減らし、陽が落ちる前に最後の突撃を仕掛ける。
崩れた敵陣に、休門前と開門前で鶴翼の陣を敷いた龐統隊と孫瑜隊が突撃をかけ、敵の傷門・休門・生門・開門を囲み、大方の冥迷邪鬼を掃討する作戦だ。
「わあ、敵の生門からどんどん冥迷邪鬼が湧いてきているよ」
琴葉が感心したように声を上げた。
華蓮は橋梁下の戦場を見ながら頷いた。
「これで良いのよ。見たところ、趙高が一度に動かせる冥迷邪鬼は一万ほどね」
ペルセポネが言葉を継ぐ。
「玄冥原の霊道を経由する魂で冥界に現れていない数は五万……。
恐らく、その数を下回らぬ限り、正門から冥迷邪鬼が現れてくるでしょうね」
妃良の表情が消え、冷たく言い捨てた。
「たしか、玄冥原の霊道の魂の転生を担当していたのは男神だったわね……。
管理がずさんだと思わない?」
同意を求めるようにペルセポネへ視線を移す。
「私も驚きました。ハデスにはきつく言っておきました。
それと、冥界への案内の統括はエレシュキガルとヘカテの二人に任せましたわ」
華蓮は忌々しげな顔で毒づいた。
「まったく、ヘルメスときたら余計な仕事を増やして困ったものよね」
(ちょっと待ってよ、目の前の女神様が戦場に降り立てば事が済むのでは……)
華蓮がニヤリと笑い、視線を私に移した。
「うん、それは簡単よね。
でも、趙高の神能が分からない今、私たちが戦場に出れば地球を吹き飛ばしてしまうかもしれませんわ。
地球を吹き飛ばして終わりにするのと、冥迷邪鬼を浄化し趙高を断絶するのと、どちらが楽か分かるかしら。
星愛はそれでも良いと言うのかしら」
両肘をテーブルに突き、組んだ指の上に顎をのせ、薄笑いを浮かべて私を見つめる華蓮。
(華蓮様はいつも私に突っかかってくるのよね。それに人の心を読むの、やめて欲しいわ)
芳美が私の頭を撫でながら話を続けた。
「いずれ、冥迷邪鬼の数が減れば神能を発動してきます。
その時が勝負ですね」
理沙が大きく頷き、口を開いた。
「それに、夢咲は中立を通している生活府だから、実戦の経験が少ない。
水上ならこの星で一番の強さを誇ると思うが、陸の戦は未知だ」
紗良も頷く。
「お母上の言う通りです。学術院では陸の戦は卓上の議論と模擬戦だけなので、今回は良い実戦経験になると思います」
新たに女神となった扶美が我慢できずに口を開いた。
「是非、我らも戦に参加したい」
恬香が両手をテーブルに突き、立ち上がる。
「左様。我らとて趙高には深い怨嗟がある」
美優は微笑みながらも、目は笑わずに秦の女神たちを見つめた。
「女神ともあろうものが、男言葉を使い、所作もなっていないわね」
元は秦の将軍・蒙恬であった恬香が、美優を鋭く睨みつけた。
その瞳には、積年の無念と怒りが宿っていた。
「主は分かっておらんのだ、我らの無念を!」
その言葉に、美優の聖女である孫尚香が反応し、四人を鋭く睨む。
尚香の神威に気圧され、秦の四女神の額には汗が滲んだ。
孫尚香の神威を直に受け、彼女たちは女神としてはまだ赤子同然だと痛感したようだ。
扶美が深々と頭を下げて謝罪し、続いて残りの三女神も深く頭を下げた。
美優は諭すように言った。
「あなたたちはもう女神なの。これでは女神失格ね。
しっかり、夢咲学園で学ばなければなりません。
まずは星蓮の下について、女子としての所作や言葉遣いから学びなさい……いいわね」
美優に見つめられ、委縮する秦の四女神。
自分たちが未熟であることを思い知らされた。
華蓮は薄笑いを浮かべ、言葉を付け加えた。
「ただ、浮島夢咲に行くのはこの戦が終わってからですわよ」
(秦の四女神、寂しそうな顔しているな……)
下からは、今日二度目の突撃だろうか、鬨の声が上がるのが聞こえた。
私は何気なく生門に設置した竈に目を移すと、救護班の星馳が停車し魂を抜かれたのだろうか、動かない兵士が降ろされ、竈前の臨時の寝床に搬送されていた。
夢咲学術院の学生たちだろうか、必死の処置をしているようだった。
どこも戦場なのに私たちは優雅にお茶会をしている。
(戦場に出て何か手伝いをすることできないかしら……例えば魂を抜かれた兵士の搬送の手伝いとか)
華蓮の鋭い目が私を見つめた。
「星愛、余計なことは考えないの。
あなた、兵士の搬送ぐらい私にもできる、手伝いをしたいと思いましたわね」
いつも私の心を読んでいる華蓮に腹を立てたためか、不機嫌な声で答えた。
「はい、魂を抜かれた者や、怪我をした者の救出や搬送ぐらいは私にもできると思います。
華蓮様、私に何か手伝いをさせてください」
紗良と碧衣も声を合わせて、「私にもやらせて下さい」と訴えた。
琴葉は戦場での伝令役を行っているので、小さく頷きながら私たちを見るだけだった。
華蓮が頭を小さく左右に二回振り、口を開いた。
「星愛が思うほど甘くはないわよ、皆ここに来るまで何度も自分の役割を演習して、戦場に立っているのよ」
私たちはハッとした表情になり、それを見た華蓮が話を続けた。
「はっきり言って足手まとい。
星愛と碧衣は武器を持って戦えるの?私は二人が戦っている姿を一度も見たことがないわ」
紗良が私と碧衣をかばうように言った。
「そんなことはありません。剣だって二人は毎日欠かさず修練を重ねています」
華蓮の目がさらに鋭くなり、私たちを睨んだ。
「戦場は遊びの場ではないのよ。
優等生の良い子ちゃんにも分かるように、言い方を変えるわね。
星愛は躊躇なく人を殺めることができるのかしら?」
「……」
私は俯き、自分の膝を見ることしかできなかった。
「それぞれ役割があるのよ。
紗良は弓での攻撃や援護。
琴葉は蜘蛛の姿で、各陣の大将への伝令」
複雑な気持ちで、やっとの思いで声を絞り出した。
「華蓮様は、私と碧衣は戦場には必要ないと言いたいのですか」
華蓮は腕を組み、頭を左右に一度振って話を続けた。
「星愛は昔から優等生でしたわね。
どこに出ても持ち上げられ、今度は戦場でも中心に立ちたいのかしら」
ペルセポネが苦笑を浮かべて割って入った。
「まったく、昔から口論ばかりね……。
水と油というより、水魚の交わりって感じかしら。
でも星愛は、今は人の子でしょ。華蓮の睨みによく耐えたわね」
「あら、ペルセポネさん、私厳しいことを言いましたか」
珍しく華蓮が腕を組み、頬を膨らませていたのを見て、私は心の中で思った。
(あら、華蓮様もそんな顔をするのね。多分こっちが素なのかしら……)
キッとした顔で私を睨む華蓮だった。
妃良が碧衣の横に立ち、肩に手を置いた。
「ほんと、この二人は見ていて飽きないわね……。
ねえ、碧衣。あなたには銀の鉄扇があるでしょう。
戦場では守りの時に役立つ能力だけれど、今は攻めの時。
それより、あなたにもしものことがあったら、リニアモノレールの計画が頓挫してしまうわ」
碧衣は妃良に寄り添い、静かに頷いた。
妃良は我が子の頭を撫でながら、皆に聞こえるように話し始めた。
「夢咲には不要な人は一人もいません。
星愛に華蓮、二人の仲が良いのは分かっています。
いい加減にいがみ合うのは止めなさい……。
新たに女神になった秦の四女神が、すっかり委縮してしまっているわ」
私と華蓮が秦の四女神に視線を移すと、彼女たちは目を逸らした。
芳美が私の手を取り、優しく皆に聞こえるように諭した。
「星愛は華蓮と協力して炎の結界を作ったでしょう。
そして今も冥迷邪鬼たちは結界の外に出られず、触れた魂は冥界へと旅立っているのよ……。
十分すぎるくらいの貢献をあなたはしているの」
華蓮は腕を組んだまま、そっぽを向いて言葉を継いだ。
「まあ、私も言い過ぎたかしら……。
結界が消えれば、この戦は私たちの敗北よ。
銀の鉄扇の使い手がいなくなれば、夢咲長巴道計画は頓挫する。
二人とも何よりも優先して果たさなければならない役割を持っているの。
だから、少しでも危険を避けなければいけないのよ」
(なによ、最初からそう言えばいいのに)
そう思った瞬間、華蓮が私に視線を移した。
私も華蓮を見ると、先ほどの鋭さはなく、いつものようにニヤリと笑みを浮かべただけだった。
妃良が皆の様子を見て、安心したのか優しく微笑んだ。
「さて、ここに高位の五人の女神がいると、趙高もなかなか姿を現さないでしょうね」
華蓮が戦場に目を移し、頷いた。
「そのまま、何千年も身を潜め、逃げる時を待つかもしれませんわ」
琴葉が驚いて声を上げた。
「嘘でしょ、何千年も!?私たち、もう亡くなっているわよ!」
美優が琴葉を抱きしめながら答えた。
「琴葉ちゃん、無限の命を持つ神には、そんなことも時折あるの。
でも、夢咲は必ず勝つわよ」
「お母さん、もっとギュッとして」
母に甘える琴葉を横目に、芳美が口を開いた。
「さて、私たちは、そろそろ浮島夢咲に帰りましょうか」
理沙も同意するように頷いた。
「そうですね。神威を少しでも抑えないと。
さっき男神三人が強力な神威を放ったから、趙高も警戒しているわ。
今日は、多分姿を見せないでしょうね」
「でも、これで夢咲での転生の申し送りの許可は得られたし、良かったと思うわ。
では、私たちは帰りますね」
そう言い残し、妃良は宙に浮かんだ。
芳美、理沙、美優がそれに続く。
刹那、東の空へ光の線を残し、四人の姿は一瞬で消えた。
―――――
私たち竈隊は陽が落ちる前の最後の出陣後に、竈と灯花の灯の様子を見に行くため、生門前の池で待機していた。
今日最後の出陣は先鋒の徐庶隊が休門から突撃をかけ、一気に開門へ抜けて敵を混乱させる。
その後、龐統隊三千と孫瑜三千が鶴翼の陣を敷き、傷・休・生・開門の敵を丸め込み掃討する。
徐庶隊は死門から押し出す隊を抑える役割を担っていた。
私たちが生門で待機していると、孫瑜が魂を抜かれた兵の様子を見に来た。
「まるで人形のように動かないな……。
命を繋いでいるのは、この点滴とかいう液体か。主らの魂は我らが必ず取り戻す」
私たちは黙ってその様子を見ていた。
孫瑜がこちらに気付き、振り向いて微笑んだ。
心なしか、目が潤んでいるようにも見えた。
そして、結界の中に張られた敵陣へ鋭い眼を向けた。
「見事な布陣だと思いませんか」
私は静かに頷いた。
孫瑜も頷き、言葉を続けた。
「この大地に用意された池や岩。
八門金鎖のためのものとすぐ分かる。分かれば攻略も容易い」
孫尚香が言葉を継ぐ。
「そして、八門金鎖のために用意された自然物は動かせないから、陣容を変えることができない。
これでは本来の八門金鎖の陣の意味をなさないですね」
「左様ですな。本来は各門を入れ替えることでその意味が発揮されるのが八門金鎖陣。
趙高とやらは実戦経験が薄いのでしょう。
我らの戦の鍛錬にもならず、配置された英霊たちが嘆いていそうです。
まるで素人ですな」
最後の言葉は、孫瑜が吐き捨てるように言った。
(珍しい、こんな攻撃的になる孫瑜さんは初めて見た)
私と紗良、碧衣、琴葉は真剣な表情で孫瑜と孫尚香の話に耳を傾けていた。
「竈と灯花の灯を絶やさないように、お守りください」
そう言い残し、孫瑜は自陣へと足を向けた。
周りの蝉の鳴き声が蜩の声に変わる。
左の休門前の陣営には『龐』と『徐』の旗、右の開門前の陣営には『孫』の旗が、一日の終わりを告げる陽に焼けた風に靡いていた。
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