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創世神話Ⅰ 女神たちが紡ぐ三千五百年物語  作者: ゆみとも
第一章 神婚の儀

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第87話 漢中


中国の中央部——山々に囲まれた自然の要塞、それが漢中である。


北にそびえる秦嶺、南に連なる大巴山。四方を険しい山脈に守られたこの盆地は、古来より軍事と物流の要衝として知られてきた。


漢江が流れ、肥沃な土壌が広がるこの地は、戦乱の時代には兵糧の供給源となり、平和の時代には文明の穀倉となる。


中原と蜀を結ぶこの地を制する者は、天下の流れを握る——そう言われるほど、漢中は中国史の心臓部に位置している。


そして今、建安二十二年(西暦217年)。

曹操は魏の大軍を率いて漢中の防衛を固め、劉備は蜀から侵攻を開始した。

定軍山の戦いを前に、両雄がこの盆地を巡って激しく火花を散らしている。


漢中は、ただの土地ではない。

それは、戦の行方を左右する鍵であり、文明の未来を決する門でもある。


その門を、誰が開くのか——


長江を制し、黄河の開発に乗り出した夢咲もまた、静かにその門を見つめていた。



◇◆◆ 浮島夢咲大会議室(建安二十二年七月) ◆◆◇


早朝から始まった会議の最初の議題は、黄河の開発状況についてだった。

円形に並んだ会議テーブルの中央には、黄河の立体ホログラムが投影されている。


私は、ホログラムの前に立って説明を続ける曹英の顔を見つめていた。


(結局、曹英は曹操からも曹真との婚約書状を取り付けて、天下三分の計を盤石にしたのよね)


そんなことを考えながらも、耳は曹英の報告に向いていた。

彼女の話はすでにまとめに入っていた。


「現状、黄河の河口にある東営、そして洛陽には、機動艦隊で例えるなら三艦隊が停泊できる埠頭が完成しています。交易は、いつでも可能な規模です」


周瑜が腕を組み、満足げに頷いた。

「曹英様は、相変わらず仕事が早いですな」


曹英はその言葉に微笑みを返す。


(そういえば、洛陽の宴席のあと、“想い人がいる”って言ってたけど……誰なのかなあ)


――「星愛、私の話は終わったわよ」

曹英が怪訝な表情で私を睨む。


「あっ、ごめんなさい。次は、長安の港の開発か、それとも開封の開発でしたわね」


私の困った顔を見て、荀彧が穏やかに話を引き継いだ。


「さよう。次の議題と深く関わってまいりますな……。

漢中。この地を夢咲の穀倉地として拠点を置くか否かで、次なる開発地が決まります」


徐庶が静かに頷く。

「漢中を穀倉地とするならば、黄河の玄関口となる長安に拠点を置く。

置かないのであれば、洛陽と東営の中間にある開封が候補となりますな」


私は深く頷き、言葉を紡いだ。

「では、次の議題——漢中に拠点を置くかどうかを決定したいと思います。

その結果により、黄河流域の次なる開発地を定めましょう」


こうして、漢中をどうするかについての議論が始まった。


口火を切ったのは荀彧だった。

「エミリア先生、少し3Dホログラムの映像を引いてもらえますか」


エミリアのホログラムが頷くと、長江と黄河を含む広域映像が投影された。


「ご覧ください。中央に位置し、南に長江、北に黄河。

この地を巨大な穀倉地として築けば、夢咲の小麦粉やチーズで全土を潤すことができるでしょう」


周瑜が渋い顔で反論する。

「しかしながら、物流はどうするのだ。

北にそびえる秦嶺、南に連なる大巴山に阻まれ、人一人が通れる桟道を通って運ばねばならぬ。

これでは、我らの食材で潤すことはかなわぬと思うが」


魯粛も同調する。

「漢水が流れているとはいえ、渓谷を抜ける急流は船を拒む」


荀彧が鋭い眼差しで二人を見据えた。

「我らには星馳があるではないか。キャタピラ星馳なら、40度の坂も登り切れるぞ」


孫瑜が首を振る。

「今使われている道にキャタピラ星馳を走らせてみると、どうなる?」


徐庶が腕を組み、答えた。

「道が踏みしめられ、街道として機能する。すなわち、行軍が楽になりますな」


孫瑜は深く頷く。

「そして、夢咲が作った街道は、大軍の移動を容易にする……

言い換えれば、その国に与したと、言いがかりをつけられるであろう。

中立を保つ夢咲らしからぬ行動と、諸国には映るでしょう」


今日の荀彧は、引くことを知らないようだった。

「中原と蜀を結ぶこの地に夢咲の拠点を置く。

すなわち、天下の流れを握る。物流の流れを握ることになるのです」


琴葉が頭の後ろに両手を回しながら、気楽に問いかけた。

「じゃあ、新しい道を作ればいいんじゃない?

碧衣はどう思う?」


銀の鉄扇を操り、地質を操る碧衣が答える。

「そうですね、それは可能だと思います。

ただ、新しい街道を“通れないようにする”のは、難しいかと」


私も碧衣に同意した。

「そうよね。まさか街道沿いに、いつも見張りを立てるわけにもいかないし……

何もしなくても通れない道じゃないとね」


「じゃあさ、キャタピラ星馳が移動できる40度の坂道を選んで街道を作るのはどう?」

琴葉が笑いながら提案すると、徐庶が言葉を継いだ。


「確かに、40度の坂は、そうやすやすと登れるものではありませんな。

ましてや、大軍の行軍は不可能。桟道を歩いた方が、効率が良い」


「でしょ? これなら見張りだっていらないよ」

得意げな顔で私を見る琴葉。


「確かに、琴葉の言うことには一理ありますね。

仮に街道を通すとしたら、漢中ではどのような事業を行うのですか?」


荀彧が立ち上がり、ホログラムに映る漢中盆地を指し示した。

「漢中は、ただの盆地ではありません。

肥沃な土壌と温潤な気候を備え、四季の変化が穀物と牧草を育む。

ここを夢咲の穀倉地とすれば、小麦を大量に収穫でき、パンや麺の原料を安定供給できるのです。

さらに牧草を育てれば乳牛を養い、チーズを生産できる。

加えて葡萄は酒を、紅茶は嗜好品を生み、夢咲の文化を全土に広げることができるでしょう」


周瑜が眉をひそめる。

「だが、秦嶺と大巴山に囲まれた盆地だ。物流はどうする?

穀物もチーズも、山を越えねばならぬ。

桟道を通るだけでは、兵糧輸送と変わらぬ苦労だ」


魯粛も頷き、声を重ねた。

「葡萄や紅茶を育てるにしても、渓谷の急流は船を拒む。

水路が使えぬなら、産地としての価値は半減する」


孫瑜が腕を組み、冷静に言葉を投げる。

「加えて、夢咲が街道を整備すれば、大軍の移動を容易にする。

中立を保つ夢咲が、特定の勢力に与したと見られる危険もある」


荀彧は一歩も退かず、声を強めた。

「だからこそ、夢咲なのです。

キャタピラ星馳があれば、急峻な坂も越えられる。

街道は軍のためではなく、穀物と文化を運ぶために築く。

小麦粉とチーズは人々の食卓を潤し、葡萄酒と紅茶は心を豊かにする。

物流の流れを握ることは、天下の流れを握ることに等しい!」


その時、植物学に詳しい劉明が静かに口を開いた。

「荀彧さんの言葉は理にかなっています。

漢中の土壌は石灰質を含み、牧草の育成に適している。

葡萄も酸性土壌でよく育ち、紅茶は湿潤な気候を好む。

つまり、漢中は自然条件そのものが、これらの作物の産地として理想的なのです」


周瑜が唸り、魯粛が目を細める。孫瑜も沈黙した。

彼らの反論は、荀彧と劉明の論理に押し返され、会議室には新たな可能性の重みが漂い始めていた。


荀彧と劉明の言葉に、会議室は一瞬静まり返った。


その沈黙を破ったのは徐庶だった。

「劉備が漢中を狙うのは、穀倉地としての価値ゆえです。

しかし、それだけではありません。

もし中原へ打って出るなら、この地の価値は跳ね上がる。

漢中はただの盆地ではなく、軍事と物流の要衝。

ここを制する者は、蜀から中原へ進む道を握るのです」


周瑜が唸り、魯粛が目を細める。孫瑜も腕を組んだまま沈黙した。

彼らの反論は、徐庶の冷静な言葉に押し返されていった。


長く沈黙を守っていた龐統が、やがてゆっくりと口を開いた。

その声は低く、しかし確かな重みを帯びていた。


「劉備と曹操が争っている漢中……。この地は両者の力が拮抗し、決着がつかぬまま膠着している。

だからこそ、夢咲にとっては漁夫の利を得る好機なのだ。

両雄が睨み合う間隙を突けば、我らは抵抗なく進出できる。

漢中を拠点とすれば、穀倉地としての価値はもちろん、軍事的にも中原へ出る道を握ることになる」


龐統はホログラムに映る漢中盆地を指し示し、さらに言葉を重ねた。


「劉備が狙うのは穀倉としての力、曹操が欲するのは中原への門。

だが、夢咲はその両方を手にできる。

小麦と牧草は食を潤し、葡萄と紅茶は文化を広げる。

そして物流の流れを握れば、天下の流れをも握ることになる。

中原に経済圏を確立するには、漢中なくして語れぬのだ」


龐統の言葉が響くと、会議室は再び静まり返った。

周瑜は唸り、魯粛は目を細め、孫瑜も沈黙したまま思索に沈む。

反対派の声は次第に弱まり、夢咲の進出が必然であるかのような空気が漂い始めていた。


(そうか……魏と蜀の軍師は漢中の重要性をよく知っている。

だが、長江を中心に栄える呉の軍師たちは、その重みをあまり強く感じてはいないのね)


「皆の意見はよく分かったわ。漢中に進出するのは、今が好機ということね」


私が皆を見回して言うと、紗良が腕を組み、問いかけてきた。


「黄河の洛陽はまだ開発の途上、長安の開発は未着手。

巴東(重慶周辺)から劍閣を経由して漢中に入る道が一般的だけど……他に道はあるのかしら?」


私はミレイアのホログラムに声をかけた。

「ねえ、人が登れないような斜度を持つ道は作れないかしら?」


ホログラムのミレイアは得意げに微笑み、答えた。


「巴東から北へ進むと、大巴山の急峻な斜面に取り付くことになるわ。

ここから始まるのが、夢咲が独自に切り拓いた尾根コース」


ホログラムが拡大され、斜面の映像が浮かび上がる。


「尾根は幾重にも連なり、平均斜度は十五〜二十五度。

けれど要所には四十度を超える急斜面が待ち受けているの。

通常の軍勢や馬車では到底通れぬ道……でも、キャタピラ星馳なら登ることは可能よ」


映像が三百六十度ゆっくり回転し、人の道ではないことを会議の出席者全員が理解した。


「尾根を縦走すると、やがて標高二千メートル付近に広がる平坦な台地に至るわ。

山岳の中に突如として現れるその広がりは、古来より人々に畏れられてきた。

夢咲の記録では、この大地を『玄冥原(げんめいげん)』と呼んでいる」


台地のホログラムを見た龐統の顔が曇ったのを、私は見逃さなかった。

澪が話を続ける。


「玄冥原は霧に包まれ、昼なお暗い。伝承によれば、大きな霊道があり、そこに邪神が潜み、尾根を越えようとする者の魂を喰らうと言われているわ」


龐統の顔は、苦虫を噛み潰したように歪んだ。


「夢咲の探査隊も、この地を避けて通ることはできず、必ず玄冥原を横断しなければならない。

玄冥原を抜けると、尾根は再び険しさを増し、秦嶺南麓の稜線を越えて漢中盆地へと下る。

出口は南鄭。そこは豊かな穀倉地であり、小麦、牧草、葡萄、紅茶の産地として、夢咲が開発を進める拠点となるでしょう」


この尾根コースは、他国が桟道や谷道に縛られる中、夢咲だけが切り拓いた道。

物流の流れを握ることは、天下の流れを握ることに等しい。

しかし――玄冥原を越えるには、邪神の影をも受け入れねばならないのだ。


龐統がゆっくりと口を開いた。

「以前、劉備様の下にいた頃、今と同じ議題を話し合ったことがある。

いかにして、一気に漢中へ大軍を送り込むか――それが問題でな」


「龐統さん、もしかして玄冥原のことをご存じなのですか?」

先ほど玄冥原の名が出た時に顔色を変えたことを思い出し、私は問いかけた。


「いかにも。この玄冥原は、大軍で山越えをするには野営地としてうってつけの広さを持つ。

ゆえに、ここを中継地として街道を築く計画があったのだ」


「で、その玄冥原で何かが起きた……」


私は龐統を見据えながら問いを重ねた。


「玄冥原に百人の調査隊を送り込んだが、誰ひとり帰って来なかった。

そこで儂自ら、五百の兵を率いて出向いたのだ。

そして――亡霊の軍団と遭遇した。

その中には、先に送り込んだ百人の調査隊の姿もあったのだ」


現実主義の曹英が龐統を睨みつける。


「そのようなこと、あるはずがありません……。

ですが、龐統さんが言うのであれば、信憑性は高いのでしょう」


心なしか、曹英の顔は青ざめていた。


「奴らは八門金鎖の陣を張っていた。

私は撤退を決意し、正門から入り、開門を抜ける策を立てた。

だが――本来中央は空洞で誰も居ぬはずが、そこに“奴”がいたのだ」


その瞬間、大会議室のドアが開き、足音が響き渡った。


カツ、カツ、カツ―――


「あら……見つけたわよ。古代秦の宦官、趙高。うふふ」」

視線が一斉に足音の主へと集まる。そこに立っていたのは――華蓮だった。


「いたのよね、宦官が」

華蓮は龐統を見やり、龐統は静かに頷いた。


「ちょっと待って……その宦官が趙高っていうことなの?」

私は華蓮を見つめ、彼女の言葉を確かめた。


(宦官の趙高……始皇帝の時代の宦官で、悪事で名を馳せた人物じゃない)


「いいわね。探していたのよ、趙高を」

華蓮は嬉しそうに微笑んだ。


「華蓮様は、趙高をご存じなのですか?」

私が問いかけると、華蓮はまっすぐに私を見つめた。


「知らないわ。でも――断絶をもたらす邪神でしてよ。だから、私もあなたたちの開発陣に加えなさい」


ホログラムのミレイアが頷いた。

「相手が邪神なら、あなたたちでは手に余るでしょう。辛うじて星愛だけは助かるかもしれないけれど」


華蓮は目を細め、私を見据える。

「あなたはまだ自分の力を知らない。でも、邪神と対峙できるだけの力は備わっているのよ。

その力を私が使ってあげるから――私を連れて行きなさい」


こうして、巴東から南鄭を結ぶ道の開発に華蓮も加わることになった。

邪神という新たな敵の影に、不安を覚える星愛だった。


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!

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更新は偶数日の朝7時過ぎを予定しています。

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