第84話 曹英の縁談騒動
建安二十二年(217年)五月。
魯粛の病んだ心臓も、ようやく日常を支えられるほどに回復し、
黄河の河口――東営の開発は着実に歩を進めていた。
(いよいよ、黄河進出ね。
長江と漢水に星環府の拠点を築くのに九年かかった……)
私は静かに息を整え、議長席に腰を下ろす。
(あの頃は妃良様や芳美様の力に頼って拠点を広げていた。
けれど今は、私たち自身と、層を厚くした仲間たちの力で星環府を動かしている)
胸の奥に去来する思いを押し隠し、視線を上げる。
次の一手をどこに打つか――夢咲の未来を左右する会議が、今まさに始まろうとしていた。
議場を囲むのは、紗良、曹英、碧衣、琴葉、荀彧、徐庶、龐統、周瑜、孫瑜、魯粛、そして星蓮。
歴戦の知恵と若き情熱が一堂に会し、空気は自然と張り詰めていく。
私は一人ひとりを見廻し、微笑を浮かべてから前を向いた。
「本日の議題は二つです」
声が会議室に響き渡る。
「ひとつは、洛陽に赴き曹操殿へ開発の挨拶を行うか。
もうひとつは、済南の開発を優先するか――あるいは一気に洛陽の開発へ踏み出すか。
皆の意見を伺いたいと思います」
最初に口を開いたのは荀彧だった。
「洛陽に赴くことは、魏との関係を深める好機となりましょう。曹操殿は黄河の治水に強い関心をお持ちです。挨拶を怠れば、かえって疑念を招きかねません」
徐庶が頷き、言葉を継ぐ。
「ただし、洛陽は政治の中心。行けば必ず政略に巻き込まれる。済南の開発を進めれば我らの独自性を示せますが、魏の警戒を強める恐れもあるでしょう」
星蓮が静かに口を開いた。
「私は洛陽に行くべきだと思います。かつて血統に縛られた者として言いますが、曹操殿は血筋よりも実利を重んじる方。黄河の開発を示せば、夢咲の存在を認めざるを得ないはずです」
曹英が小さく眉をひそめる。
「でも……洛陽に行けば、また政略婚の話が出るかもしれない」
その不安を和らげるように、琴葉が茶をすすりながら笑った。
「まあまあ、私は曹操様や程昱様とは茶飲み友達みたいなものよ。案外、話してみれば悪くないかもしれないわ」
紗良がすかさず口を挟む。
「曹英様が嫌がるのは当然です。ですが、魏との関係を無視するわけにもいきません」
周瑜や魯粛もそれぞれ意見を述べ、議論は次第に熱を帯びていく。
私は皆の言葉を聞き終え、静かにまとめに入った。
「皆の意見を聞きました。結論として――我らは洛陽に赴き、曹操殿に挨拶を行います。黄河の開発を魏に認めさせるために」
その瞬間、場の空気がぴんと張り詰めた。
次なる舞台は、漢王朝の都・洛陽。
夢咲と魏の思惑が交錯する、新たな幕が上がろうとしていた。
「ミレイア、第一機動艦隊の超電導モーター化の改修は終わったのかしら?」
会議室に淡い光をまとったフォログラムが現れ、ミレイアが姿を結ぶ。
「ええ、すべて完了しているわ。いつでも出航できる状態よ」
私はその言葉に頷いた。
「洛陽へは第一機動艦隊で向かいましょう。……長江と違って、黄河は夢咲の勢力が及んでいない。賊が潜んでいるかもしれないから、慎重に行動します」
出席者たちの表情が一斉に引き締まった。
(そう……黄河は夢咲にとって未踏の地。何が待ち受けているか分からない)
「さて、人選ですが――曹英、紗良、琴葉、それに星蓮も同行していただけますか」
名を呼ばれた星蓮は一瞬はっとしたが、すぐに微笑みを浮かべて頷いた。
「もう私は伏皇后ではありません。夢咲連環政府の星蓮です。ぜひお供させてください。
それと……ひとつお願いがあります」
私は首を傾げ、続きを促した。
「はい。私の子、劉星と劉蓮に、もう一度“民”として洛陽を見せてやりたいのです」
その言葉に、徐庶の眼が鋭く光った。
「それはあまりにも危険ではありませんか。洛陽には献帝の子がいる。血を分けた子が二人も現れれば、命を狙われるやもしれません」
周瑜が手を挙げ、徐庶を制した。
「劉星は河口防衛学術院中等部の二年生だ。兵法も学び、実技も優秀。十分に力となろう」
徐庶はしばし考え、私の方へ向き直る。
「……さようか。周瑜殿がそう言うのであれば、異論はありません」
私は頷き、人選を改めて告げた。
「私と曹英、紗良、琴葉。そして外交役として星蓮――星蓮は家族の同行も許します。ミレイア、第一機動艦の各艦に兵を八十人ずつ配置できますか」
「問題ないわ。明日には準備を整える。それと、洞庭湖にいる劉蓮と、夏口の流星を呼び寄せておくわ。明後日の出航でよろしいかしら?」
「ええ、お願いするわ。
それと、洛陽までの所要時間は?」
「私が自動航行を制御するから、八時間もあれば余裕よ」
私は琴葉に声をかけた。
「琴葉、悪いけれど――今から曹操殿のもとへ行って、明後日の夕方に洛陽の港へ入ると伝えてもらえる?」
「うん、お安い御用で」
頷いた瞬間、琴葉の姿はふっと掻き消えた。
「まったく、あの子は気が早いというか……」
会議に出席していた者たちは顔を見合わせ、苦笑を漏らす。
こうして、洛陽行きは正式に決まった。
◇◆◆ 洛陽丞相府 ◆◆◇
琴葉が蜘蛛の姿となり、丞相府の梁に張った巣に現れたのは、ちょうど昼過ぎだった。
「あら、曹操さんと程昱さん、美味しそうなものを食べてるわね」
その声に気づいた曹操が顔を上げる。
「おお、蜘蛛娘か。下りてきて一緒にどうだ?」
琴葉は雲の糸を垂らし、ゆっくりと床へ降りていく。
さすがに十七歳の身体では、昔のように曹操の膝の上に降りるわけにもいかなかった。
「おう、来おった来おった」
茶飲み友達が訪ねてきたかのように、曹操は嬉しそうに笑う。
そんな曹操を横目に、程昱が渋い声をかけた。
「して、人の姿を取って現れたということは……今日は何か用があって来たのか?」
そう言いながら、程昱は給仕を呼び、お茶と菓子を用意させる。
琴葉は程昱が呼んだ給仕に何かと注文を付けた。
「これ、琴葉殿!人の話を聞かんか」
半ば呆れ顔で声をかける程昱。
「ん?何か言いましたか、程昱さん」
とぼける琴葉に、曹操は腹を抱えて笑った。
「よいよい、ぬしは特別じゃ」
琴葉は出された菓子を一口かじり、茶をすすって安堵の息をつく。
「さて、一息つけたか。で、何か用があって来たのではないのか?」
程昱が改めて問いかける。
「そうそう。実はね、曹操さんに――黄河での開発を始める前に、星愛が挨拶したいんだって」
程昱の表情が一変し、真剣な色を帯びた。
「して、いつ来られるのかの?」
「明後日の夕方には着くって言っていたよ」
程昱は顎に手をやり、さらに問いを重ねる。
「ほう……で、星愛殿と共に誰が来るのだ?」
「私と紗良と曹英、それに星蓮親子だって」
「星蓮親子……元伏皇后のことか?」
「そう。民として、もう一度子どもたちに洛陽を見せたいんだって」
曹操と程昱はしばし顔を見合わせ、沈黙ののちに曹操が口を開いた。
「……まあ、夢咲星環府の民として来るのであれば、拒む理由もあるまい」
「私もそう思います、丞相様」
程昱が静かに頷く。
続いて曹操は目を細め、琴葉に問いかけた。
「ところで、琴葉殿はいくつになられたのかのう?」
「え、十七歳だよ」
「ほう、曹英も同じ齢だったな……。曹英も、さぞや美しくなっておるのだろう?」
「私より背が高いし、胸も大きいし、巷では“夢咲の才女”って呼ばれているよ」
曹操と程昱は顔を見合わせ、意味ありげに頷き合う。
今度は程昱が口を開いた。
「曹英は、もう婚姻の儀を済ませておるのか?」
「ううん。みんな夢咲の“五華”のことを怖がって、近づいてきてくれないんだよね」
「さようか……」
程昱は口元に笑みを浮かべ、曹操へと視線を送った。
「曹真様と結ばせれば、魏と夢咲の絆はより強固になりましょう」
「うむ。二人が婚姻を結べば、お互いに安泰であろうな」
琴葉は心配そうに二人へ口を挟む。
「でも、曹英はそれが嫌で、来たくなさそうだったんだよ」
曹操は軽く笑い、安心させるように言った。
「大丈夫だ。儂から妹にはしっかり話しておこう」
そのまま二人は声を潜め、何やら策を練り始める。
話が終わりそうもないのを見て、琴葉は小さくため息をついた。
「……まったく、この二人は」
そう呟きながら、琴葉は静かにその場を辞し、浮島夢咲へと帰っていった。
◇◆◆ 浮島夢咲 執務室 ◆◆◇
「いやーーっ!!」
廊下にまで響き渡る大声。
声の主は曹英だった。
「だから言ったのです……やっぱりこうなった」
慌ただしく扉が開き、周瑜と星蓮、そして貂糜が入ってくる。
「いったい、どうされたのだ」
周瑜が震える曹英の肩を支え、私の方へ視線を向ける。
その場にいた全員の目が、一斉に私へと集まった。
(いえいえ、私はただ……曹英と紗良、碧衣と一緒に琴葉の報告を聞いていただけなのに)
「その……琴葉から洛陽での報告を受けていただけです」
私が答えると、周瑜が不安げに眉を寄せた。
「一体、どのような報告だったのですか?」
私は、明後日の訪問は問題なく受け入れられること、星蓮親子の入城も許される見込みであることを伝えた。
そして、言葉を区切りながら続ける。
「ただ……曹英と曹真を結ばせる、という話が出たことを」
「嫌なものは、嫌!」
再び曹英の叫びが響き、執務室にいた全員が思わず耳を塞いだ。
周瑜はすぐに兵を呼び、水を持って来させる。
「まずは、これをお飲みなされ」
差し出された水を曹英は一気に飲み干し、荒い呼吸を整える。
やがて、幾分落ち着きを取り戻したように小さく頷いた。
「少しは落ち着かれたかな?」
周瑜の問いに、曹英はこくりと頷く。
「曹英殿、曹真との縁談……めでたいことではないのか?」
その言葉に、曹英は激しく首を振った。
「嫌なものは、嫌でございます!」
「しかし、これほど良い縁談はないのではないか。夢咲と魏が強く結ばれるのだぞ」
私は周瑜の方へ向き直り、きっぱりと告げた。
「いえ。曹英が嫁ぐことは、夢咲にとって大きな損害です。魏に理はあれど、夢咲には理がありません」
「二人とも……国や連環府のことしか考えていないのですか?」
曹英の声が震え、涙がにじむ。
その肩に、貂糜と星蓮がそっと手を置き、私と周瑜を鋭く睨んだ。
「お二方とも……女の気持ちはどうなるのですか?
国のために、顔も知らぬ相手に嫁がされる者の気持ちが……分かりますか?」
執務室の空気が一気に張り詰め、誰もが言葉を失った。
紗良が私を見て、静かに言った。
「今のは、星愛が悪いと思うな。私だって、そんなこと言われたら怒るよ」
星蓮が頷き、言葉を継ぐ。
「そうね。星環府は、個人の気持ちを大切にする場所だと思っていましたのに」
貂糜も頷き、真っ直ぐに私を見つめた。
「そう。戦乱の中でも、ここでは心が通じ合った者同士が結ばれてきた。……星愛様ご自身は、曹英がいなくなったらどう思うのですか?」
「それは……寂しいです」
胸が締め付けられるようだった。
「そうでしょう。その気持ちを正直に伝えればよかったのです」
貂糜が優しく微笑み、私に頷いてみせる。
そのとき、曹英がうつむき、頬を朱に染めながら小さな声で言った。
「じゃあ……私を、ぎゅっと抱きしめて!」
(えっ、えー……どうしたの曹英、子供に戻っちゃったの?)
私が困っていると、紗良がすかさず割って入った。
「曹英、それは協定違反だよ」
「ふふふ……あと少しだったのに、残念ね」
曹英の顔に、ようやく笑みが戻る。
碧衣はうんざりしたように手を振りながら言った。
「もう……許都に向かっていた時から、あなたたちは全然変わらないんだから」
「きゃははは!意味は分からないけど、仲直りできて良かったね」
琴葉の笑い声が響く。
星蓮と貂糜は頷き合い、意味ありげな微笑みを私に向ける。
一方、周瑜は状況が飲み込めず、怪訝そうに皆を見回した。
「……まあ、そこまで嫌なら、何か策を考えておいた方が良いかもしれんな」
「そうよ。一流の軍師様が、良い策を考えてください」
曹英がピシャリと言い放つ。
こうして、周瑜は縁談を壊す策を練ることになった。
そして夢咲の軍師たちは縁談を阻むための議論のため、周瑜に招集されるのであった。
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