第83話 夢咲に抱かれし魯粛
夢咲星環府・蕪湖府庁舎は、まだ正式な開庁前だというのに賑わいを見せていた。
魯粛・呂蒙・蔣欽・潘璋・孫皎・張昭らが、それぞれ側近を伴って姿を現したからだ。
私たちはちょうど朝のお茶を口にしていたところだった。
下の階が騒がしいと思っていると、慌ただしい足音とともに衛兵が駆け込んできた。
「星愛様、呉の将校方が庁舎前に到着されました!」
曹英と目を合わせ、頷き合う。
「では、私と曹英が星馳に皆を乗せて案内するわ。
紗良は港湾区、碧衣は学術院の準備をお願い」
「それじゃあ、私は一足先に孤児院へ行って尚香と合流するね」
そう言うと琴葉の姿は煙のように掻き消えた。
(まったく……あの子はすぐに消えてしまう。病院の貂蝉たちに伝えてほしかったのに)
「ミレイア、聞こえる?」
「聞こえているわよ。どうしたの、星愛?」
スピーカーから落ち着いた声が響く。
「病院の貂蝉に、呉の将校が見学に来ることを伝えてくれる?」
「了解したわ」
私は曹英に向き直った。
「さあ、曹英、行きましょうか」
「ええ……でも、曹兄の妹である私が呉の将に会うのは、何とも複雑な気分ね」
「でも、曹英は孫権のもとにいたこともあるのでしょう?」
「そうね。客分とは言え、半ば人質のような立場だったわ」
「けれど、その経験があったからこそ、私たちは沙市で出会えたのよね」
そんな会話を交わしながら、私たちは階下へと降りていった。
庁舎の一階には、すでに三十名ほどの呉の将とその側近たちが整然と待ち構えていた。
「みなさん、おはようございます」
声をかけると、一斉にこちらを振り向く。
「おう、待っていたぞ!」
孫皎が手を振り、大声で呼びかけてきた。
「孫公殿、ここは戦場ではありませんぞ。そんなに声を張らずとも聞こえます」
張昭が苦笑まじりに窘める。
すると今度は呂蒙が、わざと大声で張昭に返した。
「すまぬ、この間まで濡須口の戦場にいたもので、つい声が大きくなってしまう!」
ははははは――。
何人かの将が豪快に笑い、場の空気が和らいだ。
そのとき、魯粛が曹英に気づき、穏やかな声をかけてきた。
「これは曹英さん。もうすっかり夢咲の人になられましたな。濡須口の戦のことは気にせず、今日はよろしくお願いします」
(さすが交渉人の魯粛さん……誰よりも早く曹英を気遣っている)
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
曹英は満面の笑みで深々とお辞儀をした。
張昭も一歩進み出て、真摯な眼差しを向ける。
「曹英さんには一度お会いしたかったのです。建業の発展に大きく寄与していただき、感謝しております」
そう言って、彼もまた深々と頭を下げた。
私は皆に声をかけ、ミレイアに遠隔操作で庁舎前に待たせていた星馳へと案内した。
「おお、これが夢咲の乗り物か……なんとも乗り心地が良い!」
呂蒙が感嘆の声を上げると、他の将たちも口々に感想を述べ、車内は星馳の話題で賑わった。
やがて、窓の外に戦災孤児院の白い建物が姿を現した。
ちょうど学術院へ向かう子どもたちで門前は賑わっており、彼らは星馳に気づくと、歓声を上げながら駆け寄ってきた。
孫皎が小さく息を呑む。
「兄・孫瑜が生前、最も心を砕いていたのも孤児たちでした……」
魯粛もまた、深い眼差しで子どもたちを見つめる。
「もう夢咲の学術院に通っているのですね。呉にとっても未来を担うのは子どもたちです。お互いに力を合わせていきたいものですな」
星馳から皆が降り立つと、あっという間に子どもたちに取り囲まれた。
「うわあ、将軍様がこんなにたくさんいる!」
「わはは、ここは楽しいか?」
「うん、友達もたくさんいるから楽しいよ!」
無邪気な声があちこちから響き、場の空気を和ませていく。
「あなたたち、早く学術院に行きなさい!」
凛とした声に振り向くと、そこには孫尚香が立っていた。
その姿を見て、呉の将校たちは一斉に頭を下げる。
やがて孫尚香の案内で孤児院の中へと足を踏み入れると、将たちは一様に感心した面持ちで見学を続けていった。
孤児院の中を一巡した後、呉の将たちは一様に感嘆の息を漏らしていた。
戦で親を失った子どもたちが笑顔を取り戻し、学び舎へと歩んでいく姿は、彼らにとっても衝撃だったようだ。
「……これが、孫瑜殿の志の結晶か」
孫皎が静かに呟き、魯粛もまた深く頷いた。
その眼差しには、安堵と同時に言葉にできぬ疲労の色が滲んでいた。
――このとき、誰もがまだ知らなかった。
魯粛の胸に迫りつつある影が、すぐそこまで忍び寄っていることを。
学術院の前に立つと、子どもたちの朗らかな声が窓からこぼれてきた。
机に向かい、真剣に筆を走らせる姿や、教師の問いかけに元気よく答える声が響いている。
「これが……夢咲の学び舎か」
呂蒙が低く呟き、張昭も深く頷いた。
「戦に明け暮れる世にあって、知を育む場をこれほど整えているとは……」
魯粛はしばし黙し、やがて静かに言葉を継いだ。
「未来を担うのは、やはり子どもたちですな。呉もまた、学びを軽んじてはならぬ」
その言葉に、将たちの表情が引き締まる。
戦場とは異なる静かな熱気に包まれた学術院は、彼らにとっても新鮮な衝撃だった。
―――――
続いて、私たちは医術院を訪れた。
濡須口の戦いの後、治療を必要とする者が多いため、貂蝉から「見学は少人数で」との申し入れがあった。
その結果、見学に加わったのは魯粛・呂蒙・蔣欽・潘璋・孫皎・張昭の六名に決まった。
清潔で整った設備に、将たちは一様に目を見張った。
病室が一人ひとりに割り当てられていること、治療内容ごとに病棟が分かれていること
――そのどれもが、彼らにとっては驚きだった。
最後に訪れたのは大講堂である。
そこでは呉軍も魏軍も分け隔てなく床を与えられ、静かに療養していた。
「あ……あそこにいるのは小喬様ではないか?」
孫皎が驚き、私に問いかける。
「はい。小喬さんは今、夢咲に移り住み、医師として働いています」
小喬は気づいて軽く会釈を返したが、曹英が呉の将にすぐに声をかけた。
「今は診察中です。お声掛けはまたの機会に」
呉の将たちは静かに頷き、場を乱さぬように引き下がった。
講堂を出ると、潘璋が思わず声を上げた。
「呉も魏も関係なく治療を受けておったぞ……」
「ここは呉の地にありますが、夢咲星環府の医術院です。夢咲は中立であり、武器を持たぬ者には寛容なのです」
呂蒙がそう説明すると、潘璋も納得したように頷いた。
その後、墓所を巡り、施設見学が終わったのは夕刻であった。
(魯粛さん……大丈夫そうに見えるけれど。ペルセポネの手紙も、外れることがあるのかしら)
そんな思いを胸に、私は呉の将たちを庁舎から見送った。
◇◆◆ 撫湖城・宴会の間 ◆◆◇
「琴葉蜘蛛の眼は、いつも見守っています」
琴葉は例のごとく蜘蛛の姿となり、宴会場の梁に潜んでいた。
宴の隅で、魯粛は静かに杯を傾けながら、荊州を託した若き呂蒙に語りかける。
「呂蒙。お前は武に優れ、学にも励んでいる。だが、これからは志を持て。
荊州はただの土地ではない。民の暮らしと未来が詰まっているのだ」
呂蒙は真剣な眼差しで頷いた。
「はい。私は夢咲の者たちと共に、学びと防衛を両立させたい。
民を守る力と、民を育てる知――その両方を備えた将になりたいのです」
魯粛は目を細め、静かに微笑む。
「それができるなら、荊州は光を保てる。私の役目は、もうすぐ終わる。
だが、お前の役目は、これから始まるのだ」
その言葉に、呂蒙は深く頭を下げた。
魯粛はゆるやかに立ち上がり、次の一手を思案するように宴席を見渡す。
――まさか、その歩みが突然止まるとは。誰も、彼自身すらも、思っていなかった。
魯粛はしばし沈黙し、卓に手を置いたまま動かない。
呂蒙が言葉を探しながら口を開いた。
「魯粛殿、もし夢咲と連携できれば、荊州の防衛はもっと柔軟に――」
その途中で、魯粛の肩が小さく震えた。
次の瞬間、卓に手をついたまま膝を折り、呻き声を漏らす。
「……ぐっ……」
魯粛の身体が崩れ落ちる。
呂蒙が慌てて抱き起こすと、その顔は青ざめ、冷たい汗が滲んでいた。
「魯粛殿! しっかりしてください!」
脈は微弱で、呼吸は浅く、胸を押さえる手が震えている。
すぐに城の医者が呼ばれたが、首を振るばかりだった。
「嘘だろ……魯粛ーーー!」
呂蒙の叫びが宴会場に響く。
張昭が駆け寄り、低く叱咤する。
「呂蒙よ、落ち着け! 頼るのだ、夢咲を」
そして誰にも聞こえぬ声で、呂蒙の耳元に囁いた。
「よいか、孫権様からは他言無用とされているが……旧友の命がかかっている。
周瑜は生きている。夢咲の医術によって救われたのだ」
再び張昭は声を張り上げた。
「夢咲を頼るのだ!」
―――――
私たちはすでに、魯粛が倒れた瞬間に琴葉からの連絡を受けていた。
表向きは城への花灯の納品という名目で待機していた星馳には、貂蝉・貂糜・小喬の医師が待機している。
一方、私たち五華は星馳をそのまま揚陸型彗星に載せ、即座に出航できる体制を整えていた。
―――――
ガラガラガラ、ガシャーン!
円卓の料理や酒が払い落とされ、魯粛の身体がその上に横たえられる。
呂蒙を先頭に、六人の将が円卓ごと担ぎ上げ、必死に走り出した。
「馬車だ! 荷車でもいい、早く回せ!」
誰かの叫びが宴席に響く。
「呂蒙殿! 内門に夢咲の星馳があるぞ、あれに託せ!」
潘璋の声に、呂蒙が即座に応じた。
「分かった! 皆の者、走れ!」
「おおおっ!」
雄叫びとともに階段を駆け下りる六人。
その先には、呼び寄せられた星馳がすでに中庭へと滑り込んでいた。
魯粛の脈は、すでに途絶えていた。
「魯粛殿を医術院まで運んでくれ!」
呂蒙が叫ぶと、星馳の乗員が頷き、後部扉から魯粛を運び入れる。
「ここから先は夢咲が引き受けます」
「儂も同行する!」
「なりませぬ、今は一刻を争います!」
張昭が追いつき、呂蒙の肩を掴んだ。
「呂蒙殿、言ったであろう。ここから先は夢咲に任せるのだ。
その後の魯粛の命の使い道は、魯粛自身が決めること」
「ぐっ……」
呂蒙は言葉を飲み込み、拳を握りしめたまま黙って引き下がった。
―――――
車内では、貂蝉の声が鋭く響く。
「一、二、三!」――バシッ!
電撃が走り、魯粛の身体が大きく跳ねた。
貂糜がその胸に跨り、必死に心臓マッサージを続ける。
「頑張って、魯粛殿……!」
小喬は貂糜の額の汗を拭いながら、脈を確かめる。
「二回目いくわよ――一、二、三!」――バシッ!
走る星馳の照明が一瞬暗転し、再び魯粛の身体が跳ね上がる。
小喬が脈を取り、顔を上げた。
「……戻ったわ!」
車内に安堵の息が広がる。
貂蝉はすぐに指示を飛ばした。
「このまま彗星に乗り換えて洞庭湖へ! 心筋の再生処置に移るわよ!」
――魯粛の命を繋ぐ戦いは、まだ始まったばかりだった。
洞庭湖へは、常温超電導モーターを動力源とする彗星が用いられた。
最高速度は七十ノット。だが、それでも湖畔に辿り着くまでには五時間を要する。
魯粛は船の医務室へと搬送され、すぐにセンサーが貼られた。
その上に浮かぶフォログラムには、心拍の波形が淡く揺れている。
素人目には規則正しく見えるが、時折混じる乱れが、事態の深刻さを物語っていた。
点滴ラインからは、血栓を溶かす薬が静かに流れ込んでいく。
酸素供給装置もすぐそばに備えられていたが、到着まで使用されることはなかった。
流星は静かに長江を遡り、夜明け前、洞庭湖の医術院に到着した。
意識のないまま魯粛は院内へと運び込まれる。
そこには劉明と、黄月英・黄婉貞姉妹が待ち構えていた。
「貂蝉様、血管造影の準備は整っております」婉貞が声を張る。
「華蓮様の銀糸も用意しました」月英が続けた。
劉明が注射器を差し出す。
「ヨード造影剤です」
貂蝉は静かな表情でそれを受け取った。
「ミレイア、心拍と酸素濃度のモニタリングをお願い」
「任せて」
声と同時に、私の隣にフォログラムのミレイアが現れ、こちらを見て微笑む。
(この状況で笑うなんて……やっぱり澪さんにそっくり)
「始めます」
緊張を帯びた貂蝉の声が室内に響いた。
造影剤が注入されると、魯粛の身体の上に血管のフォログラムが浮かび上がる。
薬剤が血流に乗って広がるたび、光の網目が次々と描かれていった。
「ミレイア、血栓は見つかった?」
「ええ。心臓を拡大するわ……ここよ」
上段に心臓の映像が投影され、その一部で血流が途絶えているのがはっきりと示された。
「銀糸を入れるわ」
細い管から銀糸が血管内へと送り込まれていく。
「華蓮様は、この映像を見なくても自在に操れるなんて……ずるいわね」
貂蝉が小さく呟いた瞬間、途絶えていた血流が再び走り出した。
「成功。血栓は粉砕したわ。あとは浮島夢咲に戻り、心筋の再生術を施すだけ」
こうして魯粛は、心筋梗塞の山を越え、浮島夢咲へと運ばれていった。
◇◆◆ 浮島夢咲 ◆◆◇
浮島夢咲には、昼前に到着した。
魯粛の意識はいまだ戻らず、心拍も不安定な状態だった。
「すぐに多能性獲得細胞の移植を始めるわよ」
貂蝉はそう言い、星馳に乗り込んだ。
病院に到着すると、直ぐに劉明が銀糸に多能性獲得細胞を付着させた。
「貂蝉様、いつでも移植はできます」
劉明が言うと、貂蝉は頷き移植術を始める。
劉明から手渡され、貂蝉は慎重に銀糸を受け取る。
銀糸は血流に押され、ただ漂うばかりだった。
華蓮のように自在に泳がせることは、貂蝉にはまだできない。
「……なら、刺すしかない」
小さく呟き、彼女は息を詰めた。
フォログラムに映る心臓の黒い影――血流が途絶えた一点を見据え、銀糸を針のように押し込む。
「今だ……!」
鋭い光が走り、銀糸が患部に突き立った。
次の瞬間、フォログラムに淡い光点が灯り、乱れていた波形がかすかに整っていく。
「付着、確認……」
貂蝉は震える手で銀糸を静かに引き抜いた。
残された多能性細胞が血流に溶け込み、死んだ組織の隙間を埋めるように広がっていく。
淡い輝きが患部を覆い、心臓が再び脈動を取り戻そうとしていた。
「……成功、ね」
その一言に、室内の空気がふっと緩む。
だが貂蝉の胸には、華蓮のように自在に操れなかった悔しさが、静かに残っていた。
◇◆◆ 翌朝 ◆◆◇
翌朝、魯粛は病院のベッドで目を覚ました。
傍らには周瑜と孫瑜の姿がある。
魯粛は目を擦り、昨夜の記憶をたぐった。
「たしか……夢咲の施設を見学した後の宴で……胸が痛み、意識が遠のいた」
もう一度目を凝らし、二人の顔を見つめる。
「周瑜様と孫瑜殿がここにいるということは……私は死んだのか?」
「何を言っておる」
周瑜は肩を叩き、大笑いした。
「あなた、おやめください。まだ心臓は傷ついたままなのです」
小喬がたしなめる。
「おお、悪かったな。だが、こやつがあまりにも妙なことを言うものでな」
「えっ……小喬様? それに星愛殿まで……」
魯粛は目を丸くする。
「救われたのだよ。主の命もな」
孫瑜が嬉しそうに肩を叩いた。
「あなたたち、いい加減になさい! 魯粛様は病人なのですよ」
小喬の声に、室内の空気が少し和らぐ。
そこへ貂蝉が入ってきた。
「お目覚めのようですね」
「貂蝉様……これは一体?」
「あなたの血液に血の塊ができ、心臓の血管を塞いでしまったのです」
魯粛は驚きに目を見開く。
「ですが、私がその血栓を粉砕しました」
「……はあ」
ぽかんと口を開ける魯粛。
「検査の結果、これからは血をさらさらにする薬が一生必要になります」
「それは……どういう意味ですか?」
「つまり、血が固まりにくくなる。いざという時、夢咲の医術がなければ命は危うい、ということです」
その時、周瑜が口を開いた。
「なあ魯粛よ。再び我と共に、天下泰平を目指さぬか。孫瑜、荀彧、徐庶、龐統……皆がここにいる」
「えっ……ええっ……一体どうなっているのですか」
魯粛は混乱するばかり。
「面白いぞ、夢咲は」
周瑜がからかうように笑う。
「そうだ、面白いぞここは」孫瑜も頷いた。
呉の将たちの笑い声が病室に響き、魯粛も思わず笑みをこぼす。
――こうして、なし崩し的に魯粛も夢咲の一員となった。
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