第80話 孫瑜
建安二十年(215年)四月、浮島夢咲はついに完成し、神の島として静かに息づき始めた。
その姿を仰ぐたびに、胸の奥に小さな灯がともり、やがて大きな温もりとなって広がっていくのを感じる。
この島は、誰か一人のためではなく、大陸に生きるすべての人々のためにある。
だからこそ、ここから再び拠点を築き、人々の暮らしに光を届けたいと心から願った。
長江の次は黄河を、と考えていた。けれど淮河にもまた、人々を潤し、結びつける力がある。
長江にはすでに上流から下流まで拠点を置いたけれど、まだその間隔は広く、光が届ききらぬ場所もある。
ならば、どの地にも等しく〈灯花〉の光が行き渡るように、まんべんなく拠点を置いていきたい。
それが夢咲に託された私の志であり、すべての人に寄り添う道だと信じている。
その思いを胸に、夢咲開発会議を開くことにした。
集うのは、紗良、曹英、碧衣、琴葉、龐統、荀彧、そして周瑜。
議題は二つ――次に夢咲が進出すべき大河を定めること、そして長江における新たな拠点の地を選ぶこと。
皆の知恵と志を重ね、この大陸にさらに多くの光を灯していきたい。
―――――――――
真新しい浮島〈夢咲〉政庁の大広間。
広げられた地図には長江・淮河・黄河の流れが描かれ、出席者たちの視線が交錯していた。
私は気持ちを引き締め、一同を見渡して開会を告げる。
「今日の第一議題は、次に我らが進出すべき大河を定めることです。
淮河か、黄河か――皆さんの意見を聞かせてください」
龐統が淮河を指でなぞり、声を張った。
「淮河を抑えれば補給線は安定する。だが、それはあくまで準備に過ぎぬ」
トントンと淮河を叩き、黄河をなぞる。
「天下を動かすのは黄河だ。黄河を制すれば、中原の民心も我らに傾く」
周瑜が目を細め、龐統を睨む。
「理屈はわかる。だが黄河は氾濫が多く、治水は難しい。
民を顧みずに進めば、夢咲の名は信頼を失う。
まずは淮河を整備し、物流と補給を固めるべきだ!」
龐統が机を叩き、周瑜が鋭く睨み返す。場の空気が一気に張り詰めた。
「周瑜殿、それでは永遠に魏の影に怯えることになる! 淮河に留まるのは臆病の策だ!」
「臆病ではない、現実だ! 民を顧みぬ覇道など、長くは続かぬ!」
声がぶつかり合い、他の出席者もざわめく。
紗良が立ち上がり、両手をテーブルについた。
「物流の安定なら私たちの技術で補える!
淮河を経由せずとも補給線は維持できる。
ならば黄河に直接進出する方が合理的よ!」
碧衣が黄河を指でなぞり、静かに告げる。
「でも黄河の氾濫は本当に危険。
未来技術を治水に応用できるなら賛成するけど、無策で挑むのは愚かです!」
議場は混乱を極めた。
その時、荀彧が頃合いを見計らい、静かに口を開いた。
「諸君、声を荒げるのはやめよう。
淮河は交易の要、黄河は天下の要――どちらも真理だ。
だが夢咲が真に中原に食い込むには、黄河を避けてはならぬ。
ただし治水と民心を軽んじてはならない。
ゆえに――“黄河を開発する。ただし治水を最優先に”という形で進めるべきだ」
琴葉が微笑み、言葉を添える。
「情報の流れを考えれば、黄河を押さえることは天下の情報網を握ること。
夢咲の理念を広めるなら、黄河こそ舞台にふさわしいね」
曹英も頷き、力強く言った。
「魏が黄河を握っている以上、進出は挑戦状を叩きつけるに等しい。
だが避けて通れば、永遠に魏の影に怯えることになる。
挑戦は早ければ早いほど有利に働く。私は黄河開発に賛成です」
沈黙の後、周瑜が深く息を吐き、龐統も腕を組んで頷いた。
紗良と碧衣も視線を交わし、琴葉と曹英も同意を示す。
私は頷き、腰を上げた。
「意見はまとまりました。
私たちは黄河の開発に乗り出します。ただし治水を最優先とし、民を守ることを忘れないこと。
龐統、周瑜、荀彧――知を尽くして計画を立ててください。
紗良、碧衣、琴葉――未来の力で治水と補給を支えてください。
曹英――軍略をもって道を拓いてください。
夢咲の名を、黄河の流れと共に刻むのです」
続いて、長江に沿って指をなぞり、夏口(武漢)と建業(南京)の間がぽっかりと空白になっているところで指を止めた。
「次の議題です。夏口から南京の間に拠点がありません。この空白をどう埋めるか、意見を聞きたいのです。」
周瑜は地図を棒で指しながら説明を始めた。
「この区間は長江の中流と下流を結ぶ要衝。
もし敵がここを突けば、夏口も南京も孤立する。
私は安慶か九江に拠点を置くべきと考える。両地は水陸の結節点だ」
龐統は周瑜の言に頷きながらも、自身の考えを付け足した。
「周瑜殿の言は理に適う。
だが、拠点は単なる軍事基地ではなく、物流と文化の中継地であるべきだ。
私は蕪湖を推す。南京に近く、交易の拠点として発展の余地が大きい。」
荀彧は顎をさすりながら地図を睨む。
「安慶・九江は軍事的、蕪湖は経済的。
いずれも価値がある。
だが、夢咲の理念は“交易と文化の融合”だ。
軍事と経済の両立を考えれば、九江を基盤にしつつ、蕪湖を副拠点とする二段構えが良いだろう」
紗良は荀彧を見ながら発言した。
「軍事的な防衛は私たちの技術で補える。
だからこそ、拠点は“人と物が集まる場所”にしたい。
蕪湖に未来的な港湾施設を築けば、長江交易の中心になるはず。」
紗良の言葉に荀彧は頷いた。
碧衣が紗良と荀彧を見ながら、
「ただし、九江は要害の地。
ここを押さえれば、敵が長江を遡るのを防げる。
私は九江を最優先にすべきだと思う。」
琴葉も碧衣に同意する。
「情報網の観点から言えば、九江は軍事の監視拠点、蕪湖は情報と文化の発信拠点。
両方を繋げば、夏口から建業までの“情報の回廊”が完成するわよ」
曹英は軍略、防衛の面で意見を述べた。
「戦の現実を言えば、まずは九江だと思います。
ここを押さえないと、夏口も南京も危うくなると思います。
蕪湖はその後でよい。」
私は皆の意見を聞き大きく頷いた。
「意見は出揃いましたね。
結論として、九江を主拠点、蕪湖を副拠点とします。
九江で軍事と防衛を固め、蕪湖で交易と文化を育みます。
これにより、夏口から南京までの空白は埋まり、夢咲の長江における影響力は揺るぎないものとなります」
一同が頷き、納得した。
これで夢咲の方針が決まり、私と紗良で九江と蕪湖の開発を担当し、曹英、碧衣、琴葉が黄河までの新航路の開発にあたることになった。
会議が終わり、退出しようとした私と紗良を、周瑜が呼び止めた。
彼は少し声を落とし、真剣な眼差しで言葉を紡ぐ。
「星愛殿、紗良殿。蕪湖の開発にあたっては、ぜひ頼ってほしい人物がいる。――孫瑜だ」
私は思わず周瑜を見返した。「孫瑜……?」
周瑜はゆっくり頷き話を続ける。
「彼は太守として民を深く思い、戦災で親を失った孤児たちにも手厚く教育を施している。
身分や出自に隔てなく、すべての民を平等に扱う。
その姿勢は、我らが夢咲の志と重なるものだ」
紗良が周瑜の話に興味を持った。
「孤児に教育を……。それはすごいですね。未来を見据えている証拠ともいえます。」
周瑜は大きく頷いた。
「そうだ。彼は戦の勝敗よりも、民が明日を生きる力を持つことを第一に考えている。
だからこそ、蕪湖を託すにふさわしい。
彼と共に歩めば、夢咲の光は必ず人々の心に届くだろう」
私たちと同じ思いの人物に親しみを感じた。
「……そのような人物なら、ぜひ会ってみたい。
蕪湖の未来を共に築く仲間として」
周瑜は静かに頷き、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「ここは、孫尚香に私たちが訪れることを手紙に書いてもらい、先ずは蕪湖から訪れることにしましょう」
私は周瑜と紗良を見つめ微笑んだ。
◇◆◆ 蕪湖 ◆◆◇
蕪湖の桟橋に艦隊が到着すると、町の人々はざわめきながら遠巻きに見守っていた。
だが、その喧騒の中でただ一人、恐れもせずに桟橋に腰を下ろし、数人の子供を連れて釣り糸を垂れている男がいた。
私は思わず足を止め、その姿を見つめた。
「……あの人、艦隊を前にしても動じていない」
紗良が小声で笑う。
「むしろ子供たちと一緒に楽しんでますね」
声を掛けると、男は振り返り、穏やかな笑みを浮かべた。
「おや、遠方からのお客人か。失礼、子供たちにせがまれて釣りをしておりましてな」
その落ち着いた物腰に、私は胸の奥で確信した。
「あなたが……孫瑜殿ですか?」
男は竿を軽く掲げ、静かに頷いた。
「左様。武人の嗜みとして釣りを欠かさぬのです。心を鎮め、己を律するためにな」
子供の一人が釣れた小魚を掲げてはしゃぐと、孫瑜は優しく頭を撫でた。
「この子らは戦で親を失った孤児たちです。
私は彼らに釣りや学びを教え、少しでも未来を切り拓く力を与えたいと思っております」
私は胸が熱くなった。
「……なんて素晴らしい。私も教育と人材育成を何より大切にしています。
子供たちの笑顔こそ、未来の光ですから」
紗良も頷き、目を細める。
「星愛と孫瑜殿、考え方がとても似ていますね」
孫瑜は微笑み、子供たちを見回した。
「もしよろしければ、孤児院をご覧になりませんか。
子供たちがどのように暮らし、学んでいるかを」
私は即座に答えた。
「ぜひ、案内してください。蕪湖の未来は、この子たちの中にあるのですから」
子供たちが歓声を上げ、私たちは孫瑜に導かれて桟橋を後にした。
孤児院の扉を開けた瞬間、頭上から冷たい泥水がざばりと降りかかってきた。
私と孫瑜は同時にびしょ濡れになり、子供たちの笑い声が響き渡る。
一瞬の沈黙の後、孫瑜が大声で笑い出した。
「はははっ! 見事にやられたな!」
私も泥を拭いながら、堂々と笑い飛ばした。
「ふふっ、これは参りましたね。なかなかの奇襲です!」
子供たちは驚いたように目を丸くし、やがて安心したように笑い声を重ねた。
その時、奥から軽やかな声が響いた。
「やっぱり引っかかったのね、孫瑜兄さま!」
姿を現したのは孫尚香だった。彼女は肩を揺らして笑いながら近づいてくる。
「こんな子供の悪戯、普段なら見抜くくせに……わざと引っかかったのでしょう?
星愛の反応を見たくて」
孫瑜は苦笑し、子供の頭を撫でながら答えた。
「さて、どうかな。子供たちの遊び心を壊すのも野暮というものだろう」
孫尚香は星愛に向き直り、にやりと笑った。
「でも、私たちの夢咲星環府長にはもうお目にかかったかしら?」
私は泥に濡れたまま微笑み返し、胸の奥に温かなものが広がるのを感じていた。
孤児院の広間に足を踏み入れた瞬間、私は息を呑んだ。
そこには粗末さではなく、質素で清らかな空気が満ちていた。
机は磨かれ、壁には子供たちの習字や絵が飾られている。
別の部屋では木刀を振るう子供たちの声が響き、隣では読み書きに励む姿があった。
孤児だけでなく、近隣の農家や商人の子供たちも混じっている。
――孤児院が、町全体の学び舎になっている。
私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
やがて食事の時間になると、大きな鍋から粥が配られ、子供も兵士も、そして孫瑜自身も同じ食卓に腰を下ろした。
「太守さま、ぼくの分が多い!」と子供が笑えば、孫瑜は豪快に笑い返す。
「よく食べるのは良いことだ。ただし残すなよ!」
その光景は、上下の隔たりを超えた一つの家族のようだった。
――太守でありながら、民と同じ食卓に座り、共に笑う人。
この人こそ、蕪湖を託すにふさわしい。
私はそう確信し、自然と微笑んでいた。
――――――――――
夜、私たちは船に戻り、甲板の上で明日の交渉について語り合った。
川面に映る灯火が揺れ、静かな波音が会話を包み込む。
昼間、孤児院で見た孫瑜の姿を思い出しながら、私は口を開いた。
「孫瑜殿は、人材を何より大切にしている方ですね。
孤児院を学び舎にし、未来を担う子供たちを育てている姿勢……
あれこそ、夢咲の理念に通じるものです」
紗良も力強く頷いた。
「ええ。身分や出自に隔てなく、誰とでも分け隔てなく接している。
太守でありながら子供や兵士と同じ食卓に座るなんて、なかなかできることじゃありません。
あの姿勢は、きっと人々の心を掴むはずです」
孫尚香は腕を組み、少し誇らしげに微笑んだ。
「孫瑜兄さまは、若い頃から戦場で数々の功を立ててきた方。
だが剣よりも人を育てることに心を砕いている。
その力を蕪湖に注げば、拠点は必ず栄えるでしょう」
私は二人の言葉に頷き、静かに結論を告げた。
「明日の交渉では、孫瑜殿の人材育成の志を前面に押し出しましょう。
蕪湖を拠点とすることに、彼自身の同意を得られるはずです」
三人の視線が交わり、自然と笑みがこぼれた。
――明日の交渉は、きっと良い方向へ進む。
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