第79話 澪の決意
今日は本当に、いろんなことがあった。
夢咲島、転送箱、衛星、三十層の神殿、そしてミレイア――
私の理解では到底追いつかない。せめて、名前だけでも覚えておこうと思った。
私たち新五華は、澪の神殿に残っていた。
「あなたたち、本当に大きくなったわね」
澪が私たちの顔を見渡し、嬉しそうに微笑んだ。
「髪の毛が立っていないから、澪さんで間違いないですよね」
碧衣が冷静に澪を見つめる。
「当たり前でしょ。ミレイアは海に出る準備で忙しいのよ」
「えっ、この建物ごと長江を下るんですか?」
私は思わず声を上げた。
澪はくすりと笑った。
「私は創造神ミレイアよ」
「えっ、じゃあ澪さんじゃないんですか?」
曹英が慌てて澪を見た。
「あはは、私は女神ガイアとレアの間に生まれた聖女ミレイア。地上では澪と名乗っているの」
「だから、夢咲島の量子コンピュータに神の名を与えたんですね」
紗良が目を細めて頷いた。
「相変わらず、紗良は頭が切れるわね」
(なるほど……紗良が量子コンピュータを覚えたのも納得ね)
曹英はうつむいていた。
(大丈夫、私も全然覚えてないから)
「ところで、この巨大な建物がどうやって長江を下るんですか?」
紗良が興味津々で尋ねる。
澪はニヤリと笑った。
「今日は泊まっていきなさい。面白いものが見られるわよ。聞くより、見た方が早いから」
「うん、泊まっていくー!」
琴葉が嬉しそうに答え、私たちも頷いた。
「じゃあ決まりね。最上層の三十層で、海へ出るまでの旅を眺めましょう」
「はーい!」
元気に返事をした琴葉が澪と手を繋いで歩き出す。私たち四人は顔を見合わせ、苦笑しながら後を追った。
「ここが最上層……」
目の前に広がったのは、一面ガラス張りの部屋。満天の星空が映り込み、幻想的な光景が広がっていた。
澪は両手を広げ、自慢げに言った。
「夢咲島は神殿ごと長江を下るの。しかも、三十層のガラス張りのお風呂付きよ」
「まるで別世界……」私が思わず声を上げる。
「嘘でしょ、何この空間は」曹英が目を丸くする。
「神になった気分だわ」紗良が静かに呟き、
碧衣は「この空間を知った人は、きっと神を妬むでしょうね」と皮肉めいた笑みを浮かべた。
「きゃはは、すごい、すごい!」琴葉はさらに興奮して跳ね回る。
「さあ、こっちへいらっしゃい」
先を行く澪の衣が自然にほどけ、湯気の中へと消えていった。
「えっ、澪さん裸になって消えちゃった!」
驚く私の横を、琴葉が駆け抜けていく。
「澪の服が……自然にほどけてる」曹英が息を呑む。
湯気の中から澪の声が響いた。
「琴葉、走ると滑って転ぶわよ」
「そんなことないよー!」――ザブーン!
「きゃー、顔にお湯がかかった!飛び込んじゃダメでしょ!」
澪の怒鳴り声が響き渡る。
私と紗良、曹英、碧衣は顔を見合わせ、息をのんだ。
再び湯気の中から声がする。
「あなたたち、何をしているの。早く入りなさい」
「そうだよー、もう出発しちゃうよ!いいところ見られないよー!」
澪と琴葉の声が重なって聞こえてきた。
残った私たちは意を決して頷き合った。
紗良と碧衣を先頭に、私と曹英は身を寄せ合うようにして続いた。
優しく温かな風が身体を包む。
「きゃっ!」曹英が声を上げる。
私たちの衣が自然にほどけていき、思わず前を行く二人の背に身を隠した。
「星愛、曹英。何をしているの、恥ずかしがっている場合じゃないでしょ?」
湯気に霞む湯船から、澪の大きな声が響いた。
(こんなガラス張りのお風呂じゃ、外から丸見えじゃないの……)
私の心を見透かしたように、澪が笑う。
「大丈夫よ、ここは三十層。これより高い建物なんて存在しないわ」
私と曹英は同時に叫んだ。
「そういう問題じゃありません!」
紗良がくすりと笑い、私たちを見た。
「まあまあ……こんな体験、一生に何度もできるものじゃないよ」
「そうね。本来は女神たち――私たちのお母さんが寛ぐ場所。滅多に来られるものじゃないわ」
紗良の言葉に碧衣も頷き、柔らかく微笑んだ。
それでも私と曹英は顔を真っ赤にして、思い切って湯船へ飛び込んだ。
ザブーン!
「あなたたちまで飛び込むなんて……」
澪はやれやれとした顔で肩をすくめる。
「ほら、見てごらんなさい。洞庭湖の夜景がこんなに美しいなんて……昆山楼の比じゃないわ」
私たちは街の灯りと星空の輝きに、ただ息を呑んだ。
湖面に映る光が揺れ、まるで天と地が一つになったかのようだった。
「さあ、よく見ていなさい……ミレイア、準備はいいかしら?」
「はい、いつでも出航できます、澪様」
「――出航よ!」
私たちは湯船の窓際に駆け寄り、下を覗き込んだ。
(あわわわ、高い……高すぎる!)
だが、高さの恐怖を凌ぐ光景が目の前に広がっていた。
島を構成する浮桟橋のブロックが次々と分離し、蟻の行軍のように出口へと整然と進んでいく。
「信じられない……何これ」
曹英がガラスに顔を押しつけ、目を見開いた。
「浮桟橋ブロックにはスクリューが付いていて、ミレイアの意思に従って動いているのよ」
紗良が感嘆の声を漏らす。
「これだけの速さで動いているのに……揺れを全然感じない」
澪は胸を張り、誇らしげに言った。
「そうでしょ。この女神の塔も例外ではなく、複数の浮桟橋ブロックの上に立っているの。
ミレイアがそれぞれを操って、常に安定するように制御しているのよ」
(あら……澪さんの胸、私と同じくらいだわ)
私の視線に気づいたのか、澪は他の女子たちの胸を見回し、
「私と星愛、琴葉は仲間ね」と呟いた。
思わず吹き出す私を、他の四人はぽかんと見つめる。
「ほら、もう長江に出るわよ」
澪の声に、皆の視線が外へ向いた。
「夢咲島は時速70ノット(約130km)で移動できるの。
長江に出たら本格的に加速するわ」
言葉通り、島が川面に滑り出ると、景色は一気に流れ去り、まるで世界が飛んでいくようだった。
その光景を見つめながら、澪がぽつりと呟く。
「私ね、海に夢咲島が出たら、ここを離れるわ」
私は、今日の澪の言動から薄々感じていたので、さほど驚かなかった。
「澪さん、どうして……?」
「辛いのよ。あなたたちとこうして過ごしていると、残りの二千百年が永遠のように感じてしまうの」
「に、二千百年ですか!」
曹英が声を上げる。
「そう。人の子で言えば私は今、千七百歳。
でも永遠を紡ぐ神としては、まだまだ子供ね。
二千百年なんて、永遠の中ではほんの一瞬……」
「なら、離れる必要はないのでは?」
紗良が心配そうに問いかける。
澪は深くため息をついた。
「大切な友達と過ごす時間は特別なの。
でも、本音を語れないもどかしさがあるのよ……」
その時、窓の外に十層建ての連環府庁舎の灯りが見えてきた。
「あっ、夏口だ」
私の声が、重苦しい沈黙を破った。
「そういえば、他の船とすれ違うことがないし、街の灯りも遠目にしか見えませんね」
紗良が澪に尋ねると、澪は星空を指さした。
「静止衛星を宇宙に放ったでしょ。あれで人の動きを監視して、エミリアが島が見つからないように航路を選んでいるのよ」
「そんなことまでできるんですか」
私と曹英が思わず声を揃える。
「ふふん、私が設計したミレイアだから当然でしょ。……でもね、金の鉄扇を持つ陽彩の聖女・琥珀には敵わないわ」
その言葉に碧衣が眉を動かした。
「私は銀の鉄扇を持っていますが、金の鉄扇も存在するのですか?」
「ええ、あるわ。金の鉄扇は盤面に乗せたものを自在に操れる。どちらかといえば攻撃に特化した扇ね」
琴葉が目を輝かせる。
「金と銀……碧衣と琥珀は姉妹みたいなものね」
「さあ、それはどうかしら」
澪は含み笑いを浮かべ、話を切った。
「本当に澪さんは何でも知っているんですね」
私が感心すると、澪は肩をすくめた。
「だてに千七百年も生きてきたわけじゃないのよ。それに、これから先の人の子の文明のロードマップも私が握っているの」
「いったい何年先まで……?」
曹英が不安げに尋ねる。
「三千年先までは持っているわ。枝分かれした未来の中には、滅亡させるシナリオもある」
その言葉に、曹英以外の私と紗良、碧衣、琴葉は不思議と驚かなかった。
「澪さんは……人を滅ぼすこともできるのですか?」
青ざめた顔で問う曹英。
「ええ。滅ぼしてやり直す未来もある」
平然と答える澪に、曹英は頭を振った。
慌てる曹英を、私たちはただ不思議そうに見つめていた。
やがて曹英は私たちに視線を向ける。
「あなたたちは……何とも思わないの?」
「えっ? だって、魂は転生すればいいだけの話でしょ」
琴葉があっけらかんと答える。私たちも同じように考えていた。
「やっぱり……ギリシャから来た人たちは、私たち漢民族とは考え方が違うのね」
「そんなことはないと思う。ただ……魂が滅びることには、やっぱり不安を感じる」
私がそう言うと、曹英はうなだれ、複雑な表情を浮かべた。
「今の私には理解できない。でも、言い争いたいわけじゃないし、考えを押しつけるつもりもない」
その言葉に、私もそれ以上は触れない方がいいと感じ、口を閉ざした。
川面には街の灯りが揺れ、夜風が静かに湯気を撫でていた。
紗良がタイミングよく話題を変えた。
「ねえみんな、このお湯、不思議じゃない? いくら入っていても湯あたりしないし、心も身体も癒され続けている気がするの」
澪がにっこりと微笑む。
「これが神の湯なのよ。心も身体も癒し、眠るよりも効果的に力を満たしてくれるの」
曹英が納得したように頷いた。
「だから眠くならないのですね」
「そう。疲れたら妃良たちに頼んで、この浴槽を使わせてもらいなさい。私が許可するし、あなたたちを拒む女神はいないわ」
――
やがて船は金陵(後の建業、南京)を通過した。
夜更けにもかかわらず、街の灯りは遠くからでも華やかに輝いていた。
「ねえ、あなたたち……私はこの先の扈渎(後の上海)で船を降りるわ」
私は澪の瞳を見つめ、静かに頷いた。
「やっぱり、夢咲を離れてしまうのですね」
澪は夜空を仰ぎ、微笑んだ。
「……私はね、アクエス島のことを思い出すと、胸が張り裂けそうになるの」
琴葉が声を上げる。
「えっ、どうして?」
澪は少し間を置き、星々を見上げた。
「神の驕りだったのかもしれない。あの異変に、レアとガイアの聖女の神核を持つ私が気付けないはずはなかったのに」
紗良が首を振る。
「そんなことはありません。他にも神はいたのでしょう?」
「神は皆、空に避難していたわ」
曹英が複雑な表情を浮かべる。
「……アクエス島民が全滅したのは、神の意志だということですか?」
「そうよ。神は皆それを知っていて、誰一人として人の子に啓示しなかった」
碧衣が小さく呟いた。
「……神の意志、ということですね」
琴葉が必死に澪をかばう。
「でも澪さんは、その時は人の子として生きていたんです。気付けなくても当然です!」
澪は首を振った。
「私は温泉施設や下水工事、コロシアムの設計に浮かれていた。たとえ人の子であっても、神核は疼く。その疼きに気付けなかった……私の失態よ」
――
「いまも私は人工衛星や転生箱を作って浮かれている。あなたたちに褒めてもらいたい、憧れてもらいたい……駄目ね、私はまだまだ弱いわ」
「そんなことないです。澪さんが強いから、これだけのものを作れたんです」
紗良が力強く言った。
澪は小さく笑みを浮かべる。
「ガイアやレアのように強くなりたい。だから、居心地のいい夢咲を離れて旅に出ることにしたの」
私は言葉を探し、やっと絞り出した。
「……澪さんの気持ちは分かりました。どうかお体に気を付けてください」
澪は頷き、最後に言葉を残した。
「でも、ミレイアを置いていくわ。困ったことはミレイアに相談しなさい。これが最後の私の置き土産であり……私の驕りよ」
やがて夢咲島は扈渎の岸辺にその姿を現した。
澪は最後にもう一度、私たちを見回した。
その瞳はどこか寂しげで、それでいて揺るぎない決意を宿していた。
「ありがとう。あなたたちと過ごした時間は、私にとって宝物よ」
そう言うと、澪は湯面に指先をそっと触れた。
波紋が広がり、月明かりを映した水面が淡く揺れる。
次の瞬間、澪の姿は光の粒子となり、夜空へと静かに溶けていった。
声もなく、ただ柔らかな光だけが残されて――。
湯気にはまだ温もりが宿り、胸の奥には切なさが広がっていく。
私は拳を握りしめ、心の中で小さく誓った。
――澪さん、必ずあなたの想いを受け継ぎます。
夜風が頬を撫で、遠くで波が寄せては返す。
その音が、澪の最後の言葉をいつまでも響かせているようだった。
澪の光は消えた。けれど、その灯は確かに私たちの胸に残っている。
◇◆◆ ニケの神殿 ◆◆◇
ニケの神殿では、星愛たちの三国志時代の転生を映す3Dホログラムを、華蓮、曹英、琥珀、瑠璃が見つめていた。
「澪さん、旅立っちゃったね」琥珀が呟く。
「このあと、人に澪の技術が使われ……純白の魂が黒に染まっていったのよね」
華蓮の表情はどこか寂しげだった。
その時だった。
「……ここは……?」
聞き慣れた声に、一同は一斉に振り向いた。
祭壇の傍らに横たえられていた澪の瞳が、ゆっくりと開かれていた。
「澪! 意識が戻ったの?」
琥珀が駆け寄り、涙ぐむ。
澪はまだ夢の中にいるように、ぼんやりと天井を見上げていた。
「分からない……でも、呼ばれた気がしたの。
勝利の女神の声に……“まだ終わっていない”って」
その言葉に、私たちは息をのんだ。
澪は夢咲島を離れたはず――それでも、試練の場では再び共に歩むことになるのだ。
「この後の転生には関わらないから、意識が現在に戻ったのかしら」瑠璃が目を細める。
「それより、華蓮と澪が一緒って危なくない? 呪縛が延長されるのでは……」
華蓮がニヤリと笑った。
「ここはオーディンの領域。たとえあの爺でも干渉はできなくてよ」
瑠璃が不思議そうに曹英を見る。
「ところで、曹英はどうやってここに来たの?」
「えっ、私? 雷に打たれて飛ばされたのよ」
瑠璃はしばらく考え込み、口を開いた。
「ひょっとして……ゼウスの意志?」
「ウフフ、ゼウスじゃないわ。私たち六華の意志よ。糸を引いているのは妃良だけどね」
「六華って、ペルセポネ様を加えたんだ」琥珀が尋ねる。
「そうよ。ホログラムを見ていたでしょ?」華蓮が答えた。
「ほら、三国志の話は続いているわよ」曹英が促す。
新たに澪を加えた四人の視線が、再びホログラムへと注がれた。
澪と別れ、転換期を迎えた星愛たちの三国志は、まだまだ続いていた。
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